アフガニスタン難民に対する赤十字国際委員会の活動

     (二宮宣文. 救急医学 15: 1819-22, 担当:呉) 

 赤十字国際委員会、赤十字・赤新月社連盟、各国の赤十字社と赤新月社の3組織を総称して国際赤十字と呼んでいる。赤十字は人道、公平、中立、独立、奉仕、単一、世界性の7つの基本的原則でもって活動している。とくに赤十字国際委員会は、紛争地域においてジュネーブ条約を守らせ、戦争犠牲者に対して人道的救援活動を行ってきた。
 1979年12月、ソ共産政権の倒壊を恐れ、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻した。その後、ソ連に支援された政府軍と、アメリカに支援された反政府ゲリラとの激しい内戦が続いた。1989年、ソ連軍が撤退したが、現在なお内戦は続いている。
 1991年をもって、アメリカとソ連はアフガニスタンに対する武器供給を中止することを決定した。この決定を受けて、アフガニスタン政府および反政府組織は早期武力解決をめざして攻撃を強化している。
 赤十字国際委員会はアフガニスタン国内においては、1979年より緊急医療物質をアフガン赤新月社を通じて病院へ配給した。1988年10月1日、カブールに110床まで収容できる外科病院を開設した。それとともに民間病院への援助、義肢製作センターの開設、アフガニスタン赤新月診療所への援助、アフガニスタン国内の流民およびパキスタンから帰還する難民に対しての援助を行っている。
 1981年ペシャワールに代表部を設置し、アフガニスタンからパキスタンに流入してくる難民および負傷者を救護している。1983年にはバルチスタン州クエッタにサブ代表部を設置した。医療活動においては、1981年アフガン戦争での負傷者のためにペシャワールに、1983年にクエッタに外科病院を開設し、それぞれ200床を収容治療できる体制をとっている。さらにアフガニスタンとの国境沿いに約10カ所のファーストエイドポストを設置し、医師、看護婦、救急車を配置して国境を越えてくる負傷者に対して応急処置をし、ペシャワール、クエッタの2つの外科病院に搬送している。
 日本赤十字社は1985年より、アフガン難民救援として多量の救援物質を援助するとともに、1989年より数人の医師、看護婦をペシャワール、クエッタの両外科病院に派遣している。日本医科大学救急医学科 救急救命センターの二宮宣文医師と甲斐医師とフィンランド看護婦の3名で構成するJapan Teamは新患311人を受け入れ、約100床の病棟患者の治療にあたった。手術は緊急手術が223件、予定手術が595件で、計818件の手術を行った。内容は8割が整形外科手術、1割が開腹手術、残りの1割が開頭手術その他であった。1日約10件の予定手術を行い、さらに5-6件の緊急手術を行う毎日であった。
 1991年ICRC(International Committee of the Red Cross:赤十字国際委員会)は最初の6カ月間で16.2tの物質を援助した。トレーシング活動としては18000通の家族間の手紙を配り、54名本国へ送還した。医療活動は、最初の6カ月間でICRCカブール外科病院で1399人の入院患者を治療し、1673人外来患者があった。ICRCペシャワール外科病院では1253人の入院患者があり、3650人の外来患者があった。ICRCクエッタ外科病院では683人の入院患者があった。その他、カブールとペシャワールの義肢センターで1500以上の義足を作製し装着した。


工場爆発における中毒情報センターの役割

     (後藤京子ほか. 救急医学 15: 1803-7, 担当:仙波)

 化学物質を保有する工場や倉庫の火災あるいは爆発事故では、熱傷など外傷的な影響だけでなく、貯蔵された化学物質が放出されることによって、より広範囲な被害が起こる事態も考えられる。そのような化学工場の事故の際に、中毒情報センタ−がどんな役割を担うべきかについて、次の2つの例をあげて考察した。

例1 過酸化ベンゾイル(BPO)工場爆発事故 ・BPOについて
 BPOは消防法第5類の有機酸化物に分類される危険物である。無色、無味、無臭の粉状結晶で、乾燥状態で摩擦、衝撃、加熱すると爆発し、また加熱されると分解して有毒なジフェニルを生じる。吸入によるヒト最小中毒濃度は12mg/m2で、急性症状としては、結膜炎、上気道炎、皮膚炎などを生じる。
 ジフェニルは芳香のある白色リン片状の固体で、高温に加熱されると爆発性ガスとなる。吸入による最小中毒濃度は0.44mg/m2で、急性暴露では頭痛、嘔吐、脱力感、皮膚や粘膜に弱い刺激作用がある。慢性中毒では中枢・末梢神経障害、肝障害が報告されている。
 処置は、BPO、ジフェニルともに特異的な解毒剤・拮抗剤がないので、対症療法と生命維持療法を行なう。

 ・事故の概要と影響
 1990年5月26日、東京都の工場と住宅が混在する地域で、BPO小分け工場が爆発炎上した。約3時間30分後に鎮火したが、死亡者9名を含む計26名が死傷した。事故に際して、付近住民から医療機関に対する相談や受診は全くなかった。負傷者及び死亡者に関する調査では、中毒の症状あるいは可能性の報告はなかった。
 以上の結果は、消火活動が迅速であっただけでなく、BPOが無色、無味、無臭で刺激作用も強くなく、かつ、生じたであろうジフェニルも刺激臭や悪臭を伴わないため付近住民の不安が少なかったので、工場と住宅の密集する地域であったにもかかわらず、被害が工場関係者の熱傷に関する報告のみで、中毒に関する報告はなかったと考えられる。また、医療機関も化学物質の毒性や中毒症状及び処置についての情報収集が必要なかったと考えられる。

 例2 アクリル酸エチルエステル(EA)貯蔵タンク爆発炎上事故
・EAについて
 EAは消防法第4類第1石油類に分類される危険物である。刺激臭のある無色透明の液体で引火性が強く、また揮発性である。吸入により傾眠、嘔気、頭痛、激しい呼吸器症状を引き起こし、肺水腫をきたす。液体が皮膚や目の粘膜に付着すると化学傷を引き起こす。
 処置は特異的な解毒剤・拮抗剤がないので、対症療法と生命維持療法を行なう。

・事故の概要と影響
 1989年7月10日、和歌山市の中心部から約3km離れた港の中州で、EA屋外貯蔵タンクが爆発炎上し、約12時間10分後に鎮火した。爆発による死傷者はなかった。しかし、出火2時間半後には市内全域の住民から目の痛みや嘔気などの苦情電話が消防局に入った。医療機関に入った相談件数は146件を数え、咽頭痛や頭痛などへの対処の方法を問うものが大部分であった。また、受診した患者は90名で、うち処置を要したのは53名であった。
 以上の結果は、消火活動に長時間かかったと同時に、EAが不快臭を持ち、かつ刺激作用が強かったので、市の中心部から離れていたにもかかわらず、住民の不安や被害を大きくしたためと考えられる。また診療する医療機関側も情報不足のため混乱をきたした。
 化学工場や化学物質の貯蔵所近辺では事故の発生に備え、貯蔵される化学物質に関する情報を収集する必要がある。しかし、その工場内の診療所や救命救急センタ−など三次医療機関では資料の充実や解毒剤・拮抗剤の備蓄があっても、一次医療機関ではほとんど配慮されていない。ところが、事故が発生したとき、住民の不安を解決し中毒の治療を行なうためには一次医療機関の役割が重要で、事故物質についての正確な情報が必要である。実際に、例2においては、住民はその影響の大きさゆえに情報を必要とし、医療機関は住民への情報提供のために、化学物質に関する情報を必要とした。
 そのような混乱の回避のためには、工場・消防局・日本中毒情報センタ−がそれぞれの役割をはたすとともに、お互いの連携が必要である。工場側は、化学物質の正確な名称や化学反応によって生じる結果などの情報を提供すべきである。消防局は化学物質の消火方法や処理方法についての情報を整備しているだけでなく、現場でガス分析が可能であり、事故の実態を把握することができる。中毒情報センタ−では人体への影響や治療方法についての資料の収集整理を行なっている。今後は、これら三者の密接な協力体制の早急な確立が必要であると考える。


死者多数を出したビル火災

     (鵜飼 卓,救急医学 15: 1799-1802,担当:長谷川)

 世界の大都市の発展とともに大都会に人々が集中し、狭い土地を有効に利用するために建物が上へ上へと伸びていく。その設計には科学の枠が集められ十分な安全が図られているはずであるが、意外にも安全の落し穴は人間の行動にあった。ビル火災は純粋に人為的災害であり予防可能な災害である。1966年以後の4半世紀の間に、我が国で発生し、10人以上の死者を出した主なビル火災は9件で、すべてデパートスーパーマーケット、ホテル、旅館の火災である。

事例1.千日デパートビル火災
 1972年5月13日午後10時27分頃、3階衣料品売り場より火災が発生し、第一発見者が初期消火を試みたが成功せず火は瞬く間に広がった。当夜唯一深夜営業していた7階のアルバイトサロン『プレイタウン』には客、ホステス、従業員、計181人いたが、ここへの火災の通報や避難の勧告は全く行われなかった。7階にいた客やホステスなどは、煙がダクトやエレベーターホールなどから出てくるのを見て初めて火災発生に気付き脱出しようとしたが、停電のため避難路を見い出すことができず、半数以上の96名が『プレイタウン』の店内で右往左往し、煙に巻かれて死亡した。また、店外に出た人も窓から飛び降り22名が死亡し計118名が死亡した。この7階フロアには火は及んでおらず熱傷を負った人は皆無であったが、部屋の内部や遺体は煤で真っ黒であり、一酸化炭素中毒などによる有毒ガス中毒が取り残されて死亡した人々の死因と考えられた。死亡者のなかには全く穏やかな表情のまま、ソファに腰掛けグラスを持ったまま、マイクを握ったまま死んでいた人もいたという。

事例2. スーパー長崎屋火災
 1990年5月18日午後0時20分頃、尼崎市の5階建てのスーパーマーケット長崎屋の4階寝具売り場から突然火災が発生した。火災報知器が作動して従業員が火の手を確認し、屋内消火栓からホースを伸ばして消火しようとしたが、火の回りが早くて放水できないまま避難した。
 火災発生当時、4階には8人の従業員と14〜15人の買い物客がいたが、全員階段から避難し無事だった。5階に従業員16人と6人の客の計22人がいたがそのうち15人が煙に巻かれて死亡した。この火災でも千日ビル火災と同様に、死亡者の出たフロアには全く延焼を受けず、火災そのものは及んでいなかったが、有毒ガスによって多数の犠牲者を出した。なかには、あまり慌てた様子もせず救助隊が助けようとした瞬間に崩れるように倒れた人もいたという。遺体は煤で汚れていたが熱傷は認められなかった。また剖検で気道内に多量の煤を認め、組織は鮮やかな紅色を示していた。なお14遺体について心内血液の一酸化炭素濃度とシアン濃度を測定したところ、CO-Hb,CNも高値を示したが、CNは14例中10例が致死量といわれる3μg/ml以上であった。

2つのビル火災の共通点
1)他の多くのビル火災にも共通して見られることだが、この2つのビル火災では出火したフロアと犠牲者が出たフロアとが違う階層で、犠牲者が出たフロアは延焼を免れていた。
2)従って犠牲者は焼死したのではなく、中毒死したのである。
3)死者のなかには死亡直前まで泰然としていて慌てたり苦しがってたりしていなかった人がいた。すなわちこの人達には死は突然やってきた。
4)出火した場所は、両火災ともに合成線維がたくさん置いてある衣料品や寝具の売り場であった。
5)火と煙の回りが極めて早く、初期消火に失敗した。

考察
 ビル火災による死亡は、火災そのものによって焼死するというよりは煙によって気道に障害を受けたり、有毒ガス中毒を起こすことが火災時の急性死の直接死因になりやすいといわれている。火災に伴う有毒ガスとして今まで一酸化炭素が注目されてきたが、犠牲者のなかにはCO-Hbがさほど高くないのにCN が致死的濃度であるケースも報告されている。上述の2つの火災に関して、犠牲者の中に突然といっていいほど短時間に死亡した人がいる。そして長崎屋火災の死者の血液からCO-Hb とともに致死的な濃度のCNが検出されたことは注目に値する。合成繊維やアクリル樹脂が燃えると青酸ガスが発生することも確かめられている。今回の火災の様に、衣料品や寝具が燃えた場合には高濃度の青酸ガスが発生していた可能性が高いと推測される。これまで火災現場で意識不明で発見された人は一酸化中毒を疑って、100%酸素による人工呼吸を行いながら救急輸送し、病院での処置をするように救急隊員や若い研修医を指導してきたが、今後青酸中毒に対する応急処置もこれに加えて実施することも考えなければならない。青酸中毒には亜硝酸ソーダ・チオ硫酸ソーダ療法があるが、一酸化炭素中毒を合併しているときには、亜硝酸ソーダによってメトヘモグロビンを作らせるというこの療法は、かえって組織への酸素運搬を悪化させる危険性もある。従って、本邦では未だ入手できないがCO2-EDTAを使用するのが望ましいと考えられる。