須崎紳一郎、布施 明、黒川 顕、山本保博
(救命救急医療研究会雑誌 7: 87-94, 1993)
Keywords:bystander CPR,witnessed CPA,inflight medicalemergency,early access
目 次
77歳女性、日本人
2、既往歴
右変形性膝関節症以外は生来健康で、心疾患、脳
血管障害の指摘はない。
3、現病歴(表1)
平成3年10月2日、ウイーンの息子のも
とへ単身でオーストリア航空556便に搭乗した。14時、モスクワ空港トランジットロ
ビーで気分不
快を覚え、一度倒れて横になっていたが、15時、車椅子にて再搭乗直後急変し、苦悶
状となった。ファーストクラス席に座らせたがごく荒い呼吸状態であったという。客
室乗務員が地上係員と運絡をとり、15時10分、モスクワ空港女性職員が乗機し、注射
を2本(内容は不明)と舌下錠(ニトログリセリンの可能性?)を投与したところ、
直後に呼吸停止した(以上はオーストりア航空の乗務員の話である)。
15時15分、医
師緊急要請の機内アナウンスがあったので応じて行くと、機内ファーストクラス通路
上に77歳の女性が倒れておリ、客室乗務員がアンビューを使ってCPRを行っていた。
患者は脈拍触知不能で、呼吸停止し深昏睡状態、散瞳し全身チアノーゼ著明であった
。心肺停止であり極めて重篤な生命危機であると判断されたため、乗務員に代わって
心肺蘇生を継続した。機内常備の救急器材は乏しかったが、携帯用酸素ボンベは使用
できたのでアンビューにつないだ。15時30分、機内では処置困難なため、CPRを維持しながら通路よリ機外に搬出し
た。15時45分、駐機地救急軍内で、下顎の動きのみ復活したが自発呼吸はなく、心拍
再開もなかった。16時、モスクワ空港内診察室(医師、看護婦は不在)へ搬入後、ほ
どなく心拍再開し、のち頸動脈が強く触知可能となる、自発呼吸の再開もみられる。なお意識の回復は得られず。血圧120/90mmHgと測定され。マスク補助呼
吸に変更した(心肺蘇生は約40分間施行された)。
患者はモスクワ市内の病院に移送
され、50日間入院した(表2)。モスクワでの詳細の病歴、検査結果等は入手できな
かったが、翌目には意識回復傾向がみられ、その後右片麻庫があった
とされている。CTは実施されていない。入院中、肺炎、褥瘡およぴ下肢血栓症を併発
した。11月10日、ウイーンの病院に転送入院した。転入時意識はほぽ清明で、右片麻
痺を認めた。
さらに11月30日、空路日本へ帰国搬送された。帰国時血圧は102/72mmH
g、脈拍 74/分で整、体温37.5度。胸腹部に特記すぺき所見なし。意識障害はなく言
語も明瞭だが、軽度痴呆(長谷式 20.5点)と判定された。神経学的に両下肢は
やや rigospasticで、病的反射を認めたが、麻痺はなく左右差もない、上方注視制限
以外脳神経
およぴ小脳機能も正常であった。
帰国入院後、原因の精査を図って頭部CT,SPECT,E
EG,ECG,UCGなどを検査した。頭部CTでは左被殼部に淡いlowdensity areaがうかがわ
れる、ただし梗塞の程度はごく軽微であリ、部位も考慮すると心停止の直接の原因と
断定するには疑間がある。また中程度の脳萎縮があった(写真1)。
123I脳血流シン
チグラムを施行したが、両側頭葉にぴまん性の軽度の脳血流低下が疑われた。再分布
は良好であった。局所性ないしは広範な
血流障害は証明しなかった(写真2)。脳波は5〜6Hz,3〜40μVの6波を基本波とし、
δおよぴ 5HZ以下のΘ波が全域に間欠的に中等度に出現していて、意識状態と平行して
いるとみられる。Epileptic episodeを示唆する異常波は観察されなかった。以上から
脳虚血ないしはその後遺症の存在は否定できないものの、心肺停止と直接に関連させ
る証拠は得られなかった。循環系に関しても、まず胸部X線像でも、CTR57%と軽度心
肥大を認めるのみにて、その他肺野および心縦隔陰影に重篤な胸部疾患を疑わせる所
見はみられない。
心電図も洞調律の整脈で、非特異的な丁波所見を認めるほか異常はない。さらに発作
的な不整脈の存在を考えて、ホルター心電図検査を2度にわたリ実施したが、最大でP
VCが1日957個、およぴPACが101個記録されたが、治療の対象になるものではなかった
。またST-T変化は見られなかった。心エコー検査では、わずかなMR所見があった。
Wall motionなどには特別な所見はなかった。
帰国入院時現症:血圧 102/72mmHg、脈拍74/分整、体温37.5℃。胸腹部に特記すべき
所見なし。意識障害は無く言語は明瞭だが軽度痴呆(長谷川式 20.5点)と判定。神経学的には両下肢はやや rigospasticで病的反射を認めたが、麻痺はなく左右差も認めない。上方注視制限以外脳神経およぴ小脳機能正常。
CBC: WBC 7900, RBC 392, HB 12.8, Ht 37.5, Plt. 24.1
発症直後のモスクワの病院では十分な診断がなされ
得る環境になかったとみられ、急性期の検査資料が得られない。本邦に帰国後は脳血
管およぴ循環器発作を念頭に精査がされているが、心肺停止のエピソード後、50日を
経過しているためか、いずれとも原因の確診には至らなかった。
脳血管障害について
は蘇生後数日のうちに、右片麻痺が見られたとの情報があり、頭部CTに左被殼部に淡
い
low density areaを認めることから、SPECTでは脳血流の異常は証明できなかったが
、脳虚血の関与は否定できない。ただし、短時間に心肺停止に至るほどの重篤な脳血
管障害は存在したとすれぱ、CPR中の脳循環は40%程度しか維持できない上に、今回
は純酸素換気もできなかったことから、ALSに移行
せずして蘇生回復し得ることは困難と考えられるので、単独に心停止の原因とするに
は疑問がある
心発作についても、あるとすれぱ冠動脈障害、ないし不整脈発作が想
定されるが、既往歴もなく、UCGやECGでは肯定的所見に乏しい。致死的不整脈による
心停止は、早期に対処されれぱ蘇生後の神経学的予後はよいと報告されているが、2
回実施されたホルターECGでも重篤なものは確認できなかった。UCGでもその他心筋症
、弁膜症などの所見はなかった。
ただし、心停止の直接の引き金については、あくま
で憶測の領域を出ないものの、モスクワの職員が投与したとされる薬剤、注射2本、
舌下薬1剤が関与している可能性もある。ほとんど診察行為のないままに投与された
直後に心肺停止を来していることが目撃されておつ、ニトログリセリンなど心作動薬
の関与の可能性が残るであろう(表1)。
2、本例で蘇生が成功した要因(表4)
今回の
症例は、
にもかかわらず結果的に神経学
的にほぽ良好にまで蘇生救命できたポイントを考えると、
特に witnessed CPAであり、航空会杜客室乗務員が日常 CPRの反復訓練を受け
ていて、bystander CPRがただちに実施されたこと、さらに emeegency professional p
ersonnelが速やかに対応できたことが救命に寄与したと考えられ、改めて心肺蘇生に
は early accessと early CPRが救命の輪(chain of survival)の先頭に立つ鍵であることが示された(図1)。
本邦は都市化も進み、人口も緻密で医療水準も維持されていながら、prehospital careに問題があるために心肺停止例(DOA)の蘇生救命、社会復帰率が欧米諸国に比ぺて
劣ると言われている。現在、目本赤十字社などが市民に対し、あるいは兵庫県などで
は高校生を対象にCPR教育活動が進められているが。いまだに広く普及しているとは
いい難い。我が国では一般市民でCPRを知リ、施行できるものは1%内外と著しく少な
いと言われ、今後 DOA症例の救命を向上させるためには、強力な啓蒙およぴ実践が切望される。
2)心疾息:
3)その他
Advantage
2)後日の諸検査によっても心肺停止に陥った原因は確定
できなかった。脳血管発作に現場で投与された心作動薬の作用の重複が心停止に直接
関与したと推定した。
3)救急医療が困難な環境における心肺停止
の発生であリながら、神経学的に予後良好に救命され得たことから、心停止直後の処
置(bystander CPR)の重要性が改めて強調され、一般市民に対する心肺蘇生教育、
啓蒙の必要が確認された。
文献
1) Eisenberg,M.S., Hotwood,B.T., Cummins, R.O. et al.: Cardiac Arrest and Resusdtation: A Tale of 29 Cities. Ann. Emerg. Med., 19: 179-186, 1990.
2) Cummins, R.O., Chamberlain, D.A., Abramson, N.S., et al.: Recommended Guidelines for Uniform Reporting of Data From Out-of-Hospital Cardiac Arrest: The Utstein Style. Circulaton, 84: 960-975, 1991.
3) Cummins, R.O., Ornato J.P., Thies W.H. et al.: Improving Survival From Sudden Cardiac Arrest: The "Chain of Survival" Concept. Circulation, 83: 1832-1847, 1991.
4) Lavernhe, J.P. & Ivanoff, S/: Medical Assistance to Travellers: A new Concept in Insurance-Cooperation with an Airline. Aviat. Space. Environ. Med., 56: 367-370, 1985.
[司会 東京医科大学 小池荘介]
石田(兵庫医科大学) モラルのある bystanderはだれですか。
須崎(日本医科大学) この場合はオーストリア航空の職員のことを言っています。オーストリア航
空と全目空の共同運行便ですが、キャビンクルーはオーストリア航空が出していまし
た。客室乗務員は初期訓練の一環としてCPRを行うことになっています。さらに、結
果的に
は恐らく偶然なのでしょうが、リフレッシャーコースとして、時々途中で再講習を
行うそうで、このクルーはたまたま1週問前にCPRの再訓練を受けたと言っていました
。
小池 タイミングが非常に良かったということですね。注射はできるのですか。
須崎 それはできません。機長はモスクワの地上のコントロールタワーに連絡し、注射をし
たのは依頼を受けたモスクワ空港の職員のようですが、これはたぶん医師ではないと
恩われます。あの国は医療制度が日本とだいぶ違うので、
医師以外のパラメディックと医師の中間みたいな職種の人がたくさんいるらしいので
すが、そういう人たちであったと思われます。
原口(東京警察病院) 教えてもらいた
いことがいくつかあリます。1つは飛行機の中の設備はどういうものか。2つ目はそう
いうところでいろいろなことをやって、例えば何かトラブルを起こした場合には、お
医者さんにしても一般の人にしてもどういう資格になるのですか。3つ目は運び出す
時に大変だったと思いますが、羽田空港ではフォークリフトのようなものでペッドの
状態で運ぴ出すとかは突然には無理でしょうけれど。そういう設備・施設に関してど
のようになっているのかを先生の知識で教えてください。
須崎 私はすぺてわかるわけ
ではあつませんが、このオーストリア航空便に関しては、機種はエアバスでありまし
たが、一応機内にエマージェンシーキットと称する箱があリました。中は十分には整
備されていなかったのだろうと思いますが、アンビューはあったので使っておリまし
た。あとは酸素ボンベがありましたので、チューブをはさみで切ってアンビューにつ
なぎました。それ以外に挿管セット、喉頭鏡のようなものは収容スペースはあリまし
たが実際は搭載されていませんでしたので、現実に使えたものはアンビューとマスク
と酸素ボンベだけでした。
資格に関しては、もちろん正規の資格はないのだと思いま
す。国際線ですから国内法の適用もないのでしょう。緊急医療援助で外国に出た医療
資格と同じで、なにしろ心肺停止ですし、あくまで緊急避難行為ということで、ある
程度は容認していただくしかないと思います。ただその範囲をこえて、例えぱロシア
という国の中に入ってしまった場合に、医療行為を行うのは問題があるだろうと思い
ます、しかし実際、モスクワ空港の診療室に入りましたが、医者も看護婦もいなくて
、ペッドすらなく床に寝かせました。心電図を要求しましたが、やはリありませんで
した。点滴を持ってこいと言いましたが、
イリガートルが出てきました。遠い昔は日本にもあったかもしれませんが、点滴のチ
ューブがゴムの古いもので、ゴムに穴が開いていて点滴もできませんでした。医療が
事実上施されてないところでは我々が何をやっても間題はないかと思っています。
搬
出の問題ですが、今まであちこちの国際空港に行きましたが、成田空港、羽田空港は
整備されているほうです。アメリカ、西ヨーロッパも比較的良好ですが、小さな国や
発展途上国は非常に設備が悪くて、リフトカーのないところも多いです。モスクワの
場合にも、国の表玄関の空港だと思いますが、非常に貧弱で、実際は通路脇のタラッ
プを担ぎ下ろしたので、その間CPRはできませんでした。
浅井(札幌医科大学) だれ
かが薬を投与したというのは重要なことですが、どういう薬を投与したとか注射をし
たとかを聞くことはできなかったのですか。
須崎 注射、投薬そのものは私は見ていま
せん、私はそのあとで呼ぱれて行ったのですが、オーストリア航空のパーサーに聞い
たら、パーサーは「それは何の注射ですか」と英語で聞いたそうですが、モスクワ空
港の職員は何も返事をせず、勝手に注射したと言っていました。
浅井 最近イタリアの
隣の国のソルベニアで髄膜炎になった患者さんがいるのですが、いちぱん我々がよか
ったなと思うのはその人がたまたま最高の保険に入っていたみたいです。そこでICU
に入って最後は札幌まであちらの医師と看護士の人が1人ついてきました。こういう
海外旅行の時は保険が非常に大事だと思いました。
須崎 おっしゃるとおりだと思いま
す。この方の揚合、普段元気だったために健康に自信があるということで海外傷害保
険に入らずに行きましたと御家族からうかがいました。それで相当経費がかかったの
は確かだと思います。ただ、お金のことと病院の設備はまったく別で、モ又クワでは
外国人用の良い病院に入ったという情報がありながら、あとで日本大使館の領事部を
通じて聞くと。極めて設備の劣悪なところで、ろくにペッドもなかったと言っていま
した。わずか1日で褥瘡ができました。
小池 あリがとうございました。これからもまたご活躍をお願いします。
はじめに
症 例(表1)
14:00 モスクワ空港 Transit Lobbyで気分不快を覚え、一度倒れて横になっていた。 15:00 車椅子にて再搭乗後急変し苦悶状となる。ファーストクラス席に座らせたが
、ごく荒い呼吸状態であったという。客室乗務員が地上に連絡。 15:10 モスクワ空港女性職員が乗機し、注射を2本(不明)と舌下錠(ニトログリセリン?〕を投与したところ直後に呼吸停止。 15:15 (機内アナウンスで医師の緊急要請あり)
機内ファーストクラス通路床に77才女性が倒れており、客室乗務員がアンビュを用いてCPRを行っていた。患者はCPAで、散瞳孔しチアノーゼ著明。救急医2名が乗務員に代わって心肺蘇生を継続した。機内の救急器材のうち携帯用酸素ポンベは使用できたので、アンビュに
つないだ。15:30
機内では処置困難のため、CPRを維持しながら通路より機外へ搬出し
た(途中タラップ搬送中はやむなく数分間蘇生行為中断) 15:45 駐機地救急車内で下顎の動きのみ復活。依然 CPA状態。 16:00 モスクワ空港内診察室へ搬入後ほどな
く心拍再開、のち頚動脈が強く脈拍触知可能となる、自発呼吸の再開もみられる。な
お意識の回復は得られず血圧 120/9O mmHg。マスク自発補助呼吸に変更。(心肺蘇生時
間約40分〕
10月 2日
空港よリモスクワ市内 Botkinskaya病院 ICUに入院。
呼吸循環は比較的安定。翌日には意識回復傾向あリ。右片麻痺が疑われているが、CT応行の有無ほか詳細については不明。
入院経過中、aspiration pneumoniaを反復、GI bleeding、decubitis、venous thromobosisを併発した。11月10日
ウイーン St. Josef-Krankenhaus病院に転送。
転入時意識ほぼ清明、見当識あり。右片麻痺を認めた。11月30日 日本へ搬送帰国。
Chem: Na 135, K 3.0, Cl 92, Ca 4.1, TP 6.2, T.Bil 0.9, BUN 5, Cr 0.6, GOT 15, GPT 5, LDH 243, Amy 24
BGA: pH 7.54, PaCO2 34, PaO2 59, HCO3- 29, SaO2 93.5考 察
1)外国空港内の国際線機内という救出、搬出にあたって、距離的にも時間的にも不利な特殊な状況にあった。
2)発生地モスクワは病院医療設備、能力も劣悪で、蘇生後の advanced careおよび搬送システムはまったく不十分であった。
3)意思疎通など外国であることの障害。
4)政治経済など社会体制の混乱。
など救急医療には不利な環境であった。
1)Witnessed CPAであった。
2)訓練を受け、モラルの高いチームによる bystander CPR実施がされた。
3)Early access、則ち救急医が遭遇した。
4)心停止原疾患が非可逆的疾患でなかったことが考え
られる。
1)脳血管障害:
脳虚血発作、脳梗塞
致死性不整脈、心筋梗塞、心筋症
弁膜症、心不全、心腔内異物形成
Epilepsy、肺梗塞、低血糖、電解質異常、窒息 他
(投与された cardiogenic drugの関与の可能性)
Disadvantageまとめ
質疑応答
gochi@m.ehime-u.ac.jp
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