わが国の国際医療帰省 支援システムの現状と展望

(丸川征四郎、救急医療ジャーナル 3 (6): p.12-15,1995)


  目 次

はじめに        医療帰省とは何か

なぜ、本邦に必要か   世界の医療帰省の現状

医療帰省から災害医療へ 医療搬送の対象

搬送の概要       日本医療帰省支援システムへの参加施設

医療帰省の今後     おわりに

参考文献


1、はじめに

 1993年10月、第12回日本蘇生学会総会 において、医療帰省に関するワークショップ が開催された。慎重な討論をへて、本邦にお ける医療帰省支援システムを創設することが 確認され、学会後にシステム作りが開始され た。

 1994年には、全国22施設の基幹病院を軸として、実働的なネットワークが構築され、第13回日本蘇生学会総会において、その概要 が公表されたり現在、日本医療帰省支援シス テムには、施設と 200人を超える医師が 参加している。

 日本医療帰省支援システムは、日本蘇生学 会の外部団体として、本邦の医療帰省の実践 と研究を推進する中心的役割を担うべく活動 を開始した。

 現在、全国の麻酔科医、集中治療医、救急 医、さらに医療搬送に関係する多くの人々と 協力して活動している。


医療帰省とは何か

 医療帰省とは、repatriationの訳語である。 本来、戦場で負傷した兵士を本国へ送還する ことを意味する言葉であるが、今日では外国 への旅行者や在住者がそこで傷病に罹患し、 治療の途中で本国に帰国する意味に用いられ る。また、国内の居住地を離れた土地で傷病 に罹患し、同様に帰省する場合にも用いられ る。

 この場合、治療の途中であるから、傷病者 が単独で行動することは危険を伴うので、医 師の付き添いが必要てある。すなわち医療帰 省は、単なる傷病者搬送ではなく医師が付き 添う医療搬送であって、搬送中も必要な治療 と処置が継続され、ときには搬送継続の可否 判断も行われる。

 医療帰省は原則として、一人の医師が個人 的努力で行うものではなく、搬送医の安全と 傷病者の医学的安全が保証され、それを確実 に支える組織の下に行われるべきである。

 なお、evacuationは、本国への帰還条件が 整わないため、近在の医療レベルがより高い 国(地域)に緊急避難する場合を意味するが、 これも含めて医療帰省と呼んでいる。


なぜ、本邦に必要か

国際的な異常事態

 現在、海外で傷病に倒れた同胞や、本邦で 傷病に罹患した外国人が治療半ばで帰国を希 望した場合、その医療搬送のほぼすべてが外 国人医師によって行われている。

 海外ですでに活躍している外国の医療帰省 組織を利用しているのだから、それでよいで はないか、という意見があるかもしれない。 しかし、そのような意見は、自分の健康のた めに「金で外国人を雇う日本人」という海外 からの批判には耐えられない。

 先進国、経済大国てあるわが国が、本邦に 関係する傷病者を外国人医師に搬送させてい る現実は、国際的に見て異常な事態であるこ とを、われわれは認識しなければならない。

邦人医師に対する希望

 毎年、海外旅行や海外勤務で数百万人が出 国し、多くの人が傷病に罹患している。その ような人々が、外国人医師との言葉の障壁、 傷病に対する基本的な認識のズレのため戸惑 いを感じる。また入院した場合には、寒々し い病室と看護システムの違いに冷たくあしら われたと感じ、異国人に対する心理的障壁な ども綯(な)い交ぜになって、強いショックを受け る。そのような話は、枚挙に暇がない。

 これに対して、邦人医師から日本語で病状 や見通しを説明してほしい、1日も早く家族 の元へ帰国したい、そして邦人医師に帰国途 上の安全を確保してほしい、と切望するのは ごく自然な反応である。


世界の医療帰省の現状

 本邦の医療帰省は、傷病者本人や家族の強 い希望がある場合、その施設の好意によって、 あるいは医師の個人的な努力によって散発的 に行われているにすぎない。

 しかし、欧米のみならずシンガポールを中 心としたアジアを含む諸外国ては、すでに傷 病者の搬送には、同胞の医師の同伴する医療 搬送が、専門企業(アシスタンス会社)の手 によって組織的に行われている。現在、専門 企業は、約24社がフランスを中心に活動して おり、本邦には6社が、支店あるいは代理店 を置いている。

 医療帰省は、フランスで誕生し発展した。 その基礎を築いたのは、SAMU(Service d' Aide Medical Urgente:地域救急医療)の 創設にかかわった人々であり、ドクターカー を中心とした傷病者搬送システムを、国際的 な医療搬送へと拡張したと考えてよい。しか し、長距離航空機搬送の分野では、SAMU を超える発展がみられ、学ぶべき領域である。


医療帰省から災害医療へ

 日本医療帰省支援システムの日常的な医療 搬送の充実は、災害医療における被災傷病者 の緊急搬送にも、きわめて有用であると考え ている。

安全な症病者搬送の実現

 医学的に安全な傷病者搬送を実現し、これ を普及させることが本システムの基本的な目 標である。搬送中といえども、搬送前の治療 レベルあるいはそれ以上の治療が継続される べきである。また、搬送中の急変事態にも的 確に対応できる治療レベルと薬剤、装備を携 帯することも不可欠である。

 医療帰省した傷病者に対し、その病態と重 症度に応じた治療施設を選定し、滞りなく収 容することも重要な業務である。傷病者の居 住地の近在にそのような施設を準備するため に、本システムに全国的なネットワークが構 築されたのである。

搬送医療の発展

 国際傷病者搬送には航空搬送医学が必要で あるが、本邦には専門的なテキストが存在し ない。また、搬送を目的に開発された医療機 器はごくわずかしかない。医療搬送の基礎的、 臨床的な研究は、より安全で良質な搬送医療 を提供するために必須である。この分野の専 門医を育てることも重要な課題である。

災害医療での繋急対応

 搬送チームが増加し経験を積めば、阪神・ 淡路大震災のような大災害に際して、即座に 被災傷病者の搬送を担当することができる。 日常活動として医療搬送を行っていなけれ ば、突発的に起こる大災害の際に、安全で効 率のよい傷病者搬送を実施することは困難で ある。搬送が長距離および航空機搬送であり、 傷病者が重症であれば、なおさら訓練された 搬送チームが必要である。

 医療帰省支援システムが持つ搬送設備や情 報網は、被災傷病者の搬送ばかりでなく、そ のまま大災害時の救援組織として、全国規模 の救援活動が展開できる。その有用性は強調 できる。


医療搬送の対象

 医療搬送の対象者は、医師や看護婦の同伴 が必要な傷病者であることは言うまでもな い。もちろん、邦人、外国人の区別はない。 傷病者の重症度は、車椅子での搬送から、全 身状態の安定した重症者搬送までさまざまで ある。諸外国ては、しばしば高度な意識障害 患者、人工呼吸器装着患者も搬送されている。 重症患者では急変事態は皆無ではなく、それ に対応できる薬剤、治療器具を携帯するが、 とくに設備、人員とともに、ICUの1ベッ ドが移動する移動型ICUに匹敵する治療体 制が必要である。


搬送の概要(図1)

業務の分担

 搬送には多額の経費がかかり、よほどの資 産家でなければ個人で費用を支払うことはで きない。一般には、傷害保険に加入し、これ を利用する。保険会社は、前述したアシスタ ンス会社と提携している。搬送業務、たとえ ば医療帰省に必要な交通機関の調達、切符の 手配や税関手続きなどはアシスタンス会社が 行い、われわれは傷病者の治療に専念する。

メデイカルコンタクト

 保険加入者から本国への帰省希望が寄せら れると、傷病者の入院先と搬送の可否につい て、また搬送可能なら搬送方法、搬送時期な どについて、臨床医学的な相談が始まる。こ れがメディカルコンタクトである。

 検査データを含めて、主治医から傷病者の 病態把握に必要な情報を入手し、搬送に耐え うるか否かを判断する。医療事情、臨床レベ ルの異なる国の見知らぬ医師とコンタクトす る訳であるから、慎重な対応が必要で ある。 したがってメディカルコンタクトは、これを 専門とする医師が担当する。

医療搬送

 必要な治療器具、モニター、薬品を携えて、 搬送チームが傷病者を迎えに出発する。通常、 傷病者は、その入院する病院で直接引き取る。 そして、空港まで地上搬送し、民間航空定期 便あるいは用意された特別機によって搬送す る。搬送小は随時、日本の搬送センターと連 絡が可能で、センターに控える技師と治療上 の相談が行える。

 かつて筆者は、搬送中にチャーターしたジ ェット機が故障し航行不能になるという事態 を経験したり医療搬送は、このような事態に も、迅速かつ適切に対応できるバックアップ 体制が存在しなければ行うべきではない。

収容

 傷病者の希望する都市へ搬送し、疾患の種 類や病態に適した病院に収容する。収容病院 は全国にまたがるため、広域のネットワーク が必要である。

 現在、日本医療帰省支援システムは、北海 道から沖縄までほぼ全県をカバーしており、 まだ十分ではないが、各県の中核病院と大都 市に受け入れ病院網を整備した。


日本医療帰省支援システムへの参加施設

 1995年、本システムは46施設と、 200 人を超える医師の参加を得ている。医療搬 送が活発になれば、ますます参加施設と医師 は増加すると予想される。

 搬送される傷病者の居住地は全国に広が り、重症度も緊急手術が必要な重症病態から、 安静加療でよい軽症まで、さまざまであるこ とが予想される。したがって、施設の参加形 態も、さまざまなしベルであってよい(表1)。 たとえば、緊急手術が必要な傷病者を受け入 れる施設、集中治療が必要な傷病者を受け入 れる施設、一般病棟へ受け入れる施設、ある いは受け入れはできないが地域内の収容施設 を紹介する施設などである。

 もっとも積極的な参加形態が、搬送チーム の派遣である。搬送を担当する医師は、蘇生・ 集中治療の臨床経験があり、豊富な航空機搬 送の知識が備わっていること、国際感覚が備 わっていること、などが要求される。もちろ ん英会話ができなければならない。


医療帰省の今後

パラメデイカルの参加

 現在、国際搬送を中心にシステムを検討し ているので、病院と医師の参加を呼びかけて いる段階である。将来、搬送件数が増加すれ ば、関連するパラメディカルの協力が不可欠 になる。とくに救急救命士には、地上搬送で のサポートをお願いしなければならない。臨 床工学技士には、治療機器の整備、保守管理 を中心に搬送への参加が期待される。

医療搬送の安全性確保

 医療搬送が、営利目的に商業ベースで行わ れると、質の低い医療搬送が行われる危険性 が予想される。たとえば本来、搬送専門医が エスコートすべき傷病者を、無医師で搬送す るなどである。搬送される傷病者の医学的な 安全性を確保することは、われわれがもっと も重視する課題である。医療搬送は搬送専門 医が行うべきであり、安易に行うべきではな いとの認識を、世間に広めることもわれわれ の任務である。

諸問題

 安全で円滑な医療搬送を行うには、解決し なければならない問題が少なくない。いくつ かの問題を挙げてみよう。

 搬送用のベッドサイドモニターや治療機器 が未開発であることはすでに述べた。また医 療帰省では、搬送医は所属する病院外で、し かも非入院患者を治療する事態が起こる。搬 送のたびに休暇を取らなくてもすむ制度が必 要である。

 また、場合によっては搬送中に傷病者が死 亡する事態、搬送チームが交通事故に巻き込 まれる可能性などが、万が一にも予想される。 その場合の対策や補償についても、十分な了 解が必要てある。


おわりに

 わが国の医療レベルは高い。しかし、それ は病院内医療についてのことである。欧米で 日常的に行われている病院外医療について は、大変な後進国てある。この事実は、この たびの阪神・淡路大震災における傷病者搬送 において露呈された。

 海外で傷病に遭遇した同胞、本邦で傷病に 遭遇した外国人の医療帰省を、すべて外国人 医師に任せきりである事態は異常である。医 療帰省を安全に行うことは、人道的見地から も、国境を越えた医療活動の形態からみても、 本来、国家的事業として行うべき課題である かもしれない。


参考文献

1) 丸川征四郎:日本医療帰省支援システムのためのネットワーク―ネットワークづくり作りの現状と展望―.蘇生13: 117-20, 1995

2) 丸川征四郎、加藤啓一:フランスにおける医療帰省(repatriation)の現状.麻酔 39: 1711-1716, 1990.


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