生死をわける数分

救命救急率全国一

秋田市の取組みを追って


目 次

(上)119番通報時に口頭指導  (中)市民に心肺蘇生の技術を
(下)円山啓司医学博士に聞く

119番通報時に口頭指導

社会復帰率が2倍に向上

(公明新聞 980321)


 日本国内では、心肺機能停止状態で病院に搬送された患者の一カ月後の社会復帰率は 約 5%と低い。こうした中にあって秋田市では、13.61%(1996年度)と全 国平均の約3倍の数値を記録している。その大きな要因として注目されているのが、 生死を分ける“数分間”に光を当てての独自の救命率アップ作戦。119番通報者に 対して救急車が到着するまでの口頭による応急処置指導や「心肺蘇生法」講習会の活 発な開催など、救命救急率全国一の秋田市の取り組みを追いながら、社会復帰率の向 上に挑戦し続ける現場を探ってみた。

(青森支局・川又哲也)

 「救急ですか、火事ですか」。秋田市内の119番通報が集中する市消防本部の 指指令課室。電話のベルが鳴るたびに室内には緊張感が走る。「救急です」との声に 指令課の救急隊員は「落ち着いて、これから私の指示に従ってください……」と語り、救急車が到着するまでの応急処を電話を通して迅速に教えていく(写真1)。

 写真1、「落ちついて、私の指示に従ってください……」。秋田消防本部では 119番通報者に応急処置の方法を指示している。

<ケース1>

 「子どもの様子が変です……」。1歳の男の子の体調に異常を感じた母親が通報してきた。電話を受けた救急隊員は、直ちに救急車を手配した上で呼吸の状態や唇の色を母親にたずねる。そして「子どもを逆さまにして背中をたたいて」とアドバイスする。

 母親が言わ れた通りにすると、魚型の小さなしょうゆ入れがノドから出てきたという。電話口の 向こうから「子どもの顔色がよくなりました」と安心した母親の声が。「そうですか 。でも念のため救急隊員に状況を説明してください」と話 し、“口頭指導”を終えた。

<ケース2>

 午前六時、人工透析を受けている50歳の女性の呼吸が止まった、との119番通報。現場は市街地から遠く救急車が到着するまでに15分以上はかかる。

 動揺する家族を指令室の救急隊員が「大丈夫です。慌てないで」と電話で励ましつつ「心臓は動いていますか」「左手で鼻をつまみ息を吹き込んで」「胸の真ん中に手を添えて四〜五センチ沈むくらい押してください」と、心肺蘇生(そ せい)法のやり万を順を追って指示していく。こうして約十分後に心拍が再開。その 後、駆け付けた救急隊員の処置を受けながら、最寄りの救急病院に運ばれ一命を取り止めた。

蘇生率が 50%の“4分間”が勝負

人間の脳が酸素なしで生きられる時間は 5分程度。それだけに呼吸 が停止した場合、人工呼吸をいかに早く施すかで蘇生率は高くなる。呼吸停止から 2分以内だと90%。3分だと75%以上の確率で心肺が蘇生する可能性がある。

 逆に、呼吸停止から 5分たつと蘇生率は25%と一気に低下する。この状況から判断すると心停止(意繊意識消失)から蘇生率が50%の“4分”が勝負。まさに救急車が到着するまでの数分間の応急処置が救命の重要なポイントとなる。

救急車が到着するまでの処置が大切

 秋田市の救急車の現場までの平均到着時間は 6分かかっている(全 国平均も同じ)。そこで患者の救命と社会復帰率の向上を目指し、同市が独自に考え 出したのが“秋田方式”の口頭指導である。

 これは消防本部の救急隊員が、現場に救急車が到着 するまでのわずかな時間を有効に利用して119番通報者に応急処置の方法を電話で 伝え、現場での救命活動の対応に当たってもらうというもの。

 この救命率アツプ作戦 の成果は顕著に表れている。同市での病院に搬送された心肺停止患者社会復帰率【(図1参照】は、1991年度に 0.77%だった。それが救急救命士が導入された92年度には 3.7%に向上した。その数値が、119番通報者への“口頭指導”のスタートを境に急上昇。93年度に 7.24%だった社会復帰率が、実施からわずか 4年後に13.61%(96年度)と約 2倍に伸び、全国で唯一、二ケタ台を記録するまでになった。

 図1、秋田市における院外心肺停止患者の社会復帰率

通報者と救急隊員の連携がポイント

 同消防本部の畑勝政・消防司令長は「応急手当ての知識がなくても 通報者と救急隊員との綿密な連係プレーで救命率を高めることができる」と指摘する 。そして「初期段階での適切な救命活動が、その後の社会復帰率の向上に大きく連動 する」と強調している。

市民に心肺蘇生の技術を

講習会を開催し普及図る

20人に1人が応急手当方法を習得

(公明新聞 980322)


積極的に救命活動にかかわる勇気を

 実際に人形を使って、意識の確認から心臓マッサージ、人工呼吸な どの実技を学ぶ救急救命の講習会。秋田市の「秋田中央交通」で開かれた講習会には 、60人の従業員が参加し、心肺蘇生法のやり方を真剣に学んだ。

 約1時間の講義と約2時間の実習というメニュー。この日、講義を担当した秋田市消防本部の高橋公成・救急主任は、「突然の心臓発作などで人が倒れた場合、現場に居合わせた人の適切 な応急手当てが不可欠です」と強調。さらには、生死を分ける“数分”の緊迫した中 にあっても、積極的に救命活動にかかわる勇気の大切さを訴える。

 そして、頸(けい)動脈に触れての拍動の確認や頭を後ろに反らし、あごを持ち上げて気道を確保することの大事さなど、人工呼吸や心臓マッサージを施す際 に気を付けるべき点を参加者らに熱心に教えていく。

 従業員の一人・阿部孝昭さんは、「患者の救命は一刻を争う。この時に自分が覚えた方法で人の命を助けられ ると思うと感激です」 と感想を述べていた。

 秋田市が、地域住民や事業者を対象に救急救命の講習会をスタ ートさせたのは94年度から。以来、96年度までの3年間で受講者数は約15,000人にのぼっている。この割合は、31万人の市人口の 5%にあたり、20人に 1人が心肺蘇生の技 術を習得した計算になる。これは全国平均の 0.6%に比べ、はるかに高い数値を誇 っている。

 こうした推進の陰には、92年度に導入された救急救命士が町内会や事業 者を地道に訪ね、心肺蘇生法を学ぶことの重要性を訴えたことがある。また、地元紙 が救急救命士の活躍を大きく取り上げ、市民の“救命”への関心を高めたことも挙げられている。

心肺停止患者の約半数を市民が処置

 救命講習会への参加率のアップは即、市民による心肺蘇生法の処置 件数の上昇に連動した【表1参照】。92年度中に病院に搬送された心肺停止患者の中 で、救急隊が到着する以前に市民によって何らかの処置が行われたのは、わずかに1 件だった。

 それが救命講習会が活発 に開催されるようになった94年度には、135人中38人が心肺蘇生法を受け た。さらに96年度には169人中、実に約半数にあたる84人が市民の手によ って応急手当てが施されている。

 91年から救急隊の一員として活躍する加賀谷克則 さんは、「最最近では、救急隊が到着してからも市民の方が患者に心臓マッサージを 一生懸命している姿をよく見掛けます。講習会を開 いたかいがあったと実感しています」と証言する。

表1、秋田市の救命講習参加者数と市民による心肺蘇生法処置件数

 1992年1993年1994年1995年1996年
上級救命講習受講人数00542194
普通救命講習受講人数00329857515601
病院に搬送された心肺停止患者数135152135161169
現場にいた人の心肺蘇生法処置件数117387184

6万人の受講者を目指し普及を推進

 また、現場に駆け付けた救急隊が通報者から、「講習会で救命救急 隊員の人から教わった応急処置で家族を助けることができました」と感謝されるケー スもあるという。

 市消防本部の加藤哲実・警防課参事は、「患者を一番最初に目撃す るのはほ々んどが一般市民。救命率を一段と高めるには、心肺蘇生法を知っている人をいかに増やすかが課題です 」と指摘。その上で今後、地域の婦人会や事業者へのさらなる啓もう普及活動の推進 を力説する。

 そして、98年度までに救命講習会の受講者数を全市民の約5分の一に あたる60,000人(20%)にまで増やし、救命率の向上を図りながら患者の社会復帰率 をアップさせたい、と意欲を燃やす。

 写真2、市民を対象に活発に開かれている救命講習会。これまで秋田市民の20人に1人にあた る約1万5千人が技術を習得した。

円山啓司医学博士に聞く

短時間で、分りやすく

救急隊員の機転が生んだ新方式

(公明新聞 980323)


 救急車が到着するまでの間、119番通報者に応急処置の方法を電話で伝え、手当を 施してもらう秋田市消防本部の新しい試みは、患者の生存率と社会復帰率を大きく向 上させている。この取り組みは“秋田方式”として消防や救急医療関係者の間で注目 を集めている。そこで口頭指導のマニュアル化を中心となって進めた市立秋田総合病 院の円山啓司医学博土(手術室長)に新方式誕生までの経緯と成果、今後の課題など について聞いてみた。

 ――秋田方式は、どんなきっかけで生まれたのですか。

 「以前から、119番通報者に口頭で応急処置方法を教える、ということは一部の隊員の間で行われていたそうです。そんな中で同市消防本部の救急隊員の間で評判になったのが1993年 4月の事例です。これは、男の子が浴槽でおぼれたとの母親からの通報を受けた指令課の救急隊員が電話で人工呼吸の方法を教えたところ、息を吹き返えした、というものです。当時、私は救急救命土の指導・育成 にかかわっており、これは有効な救命方法だと思い、消防本部の組織あげてできないか、と思いマニュアル化に取り組みました」

 ――口頭指導の語り口はどのようにまとめられたのですか。

 「心肺停止患者に直ちに実施すべき『意識と呼吸の確認』『心拍の有無』『呼気吹き込み人工呼吸』心臓マッサージ』といった応急手当の順番と方法をリストアップしました。『頚(けい)動脈』は『のどぼとけの横』、『胸骨』は『乳首と乳首の間』といった体の部分も分かりやすく表現しました。その後、完成したマニュアルを実際に一般の人に聞いてもらい、短時間で理解できるかどうかを試しました。最終的には、『地元の人が分かるように秋田弁で言ってほしい』との要望も取り入れて文書化しました』

 ――通報者へ口頭指導の内答がうまく伝わっていますか。

 「通報者の中には緊迫した状況の下で隊員の言葉が耳に入らない人も見受けら れます。そうした時は、指示の途中で何度も『救急車がもうすぐ着きます』と声を掛 けながら心を落ち着か せます。それでも動揺がおさまらない場合には、現場に急行中の救急車から救急救命 士が携帯電話で直接、通報者に話し掛けます。こうすれば交信中の電話からサイレン の音が聞こえ、間もなく救急車が到着することが実感できるからです。こうして安心 感を与えた上で、応急手当に取りかかってもらうように工夫しております」

 ――秋田方式をさらに有効に機能させる方法はありますか。

 「(1)心肺蘇生法の普及、(2)迅速な119番通報、(3)救急車の現場への到着時間の短縮――があげられます。また、口頭指導を受ける救護者の『この人を助けたい』という意識の強さが 生存率のアップにつながっています。この点からも心肺蘇生法のやり方を実際に体験 する救命救急の講習会をさらに活発に開き、市民 の救命活動への参加意識を一段と高めていくことが必要だと考えております」

 ――秋田方式を他の地域で実施する際の今後の課題は何でしょう。

 「秋田市の人口は約31万人ですが、それよりも人口や通報件数が多い地域では、口頭指導中に119番通報 が重なると緊急通報がつながらなくなる恐れがあります。そうした場合に備えての別 回線の確保や指令隊員の増員などが大切になるでしょう」

 ――患者の社会復帰率を高めるための改善点などはありますか。「『救急隊が一隊で出動した際の社会復帰率が 5.2%であるのに対し、二つの救急隊が対応するとその割合が約二倍の10.5%に伸びた』というカナダ人医師の論文があります。この視点は大変に大事なことで、救急車よりも消防車が通報地点の近くにいるような場合には、先に消防隊に応急処置をしてもらう。その後、救急隊が手当をする、といったシステムが実現すれば、生死をわける“数分”という時間の中で、より多くの人の命を救うことができるようになると思います」

(おわり)

註1、【円山啓司氏の略歴】
 1950年10月7日生まれ。広島県呉市出身。秋田大学医学部卒業 。秋田大学医学部助教授を経て、現在市立秋田総合病院中央診療部手術室長。医学博士。

註2、同消防本部で一番最初に口頭指導が行われたのは91年の4月。お年寄りがモチ をのどにつまらせて呼吸が止まった、との119番通報に渡部顕さん(消防士長)が 対応した。一刻も早くモチを取り除かない と危険だ。救急車の到着までに十分以上かかる……」。救急車を出動させる一方で渡 部さんは、とっさに通報者に処置方法を指示した。「手のひらで背中を強くたたいて 」「舌がノドに落ち込まないよう手で持 って、その横から口の中に掃除器のホースを入れ、吸い込んでください」と。渡部さ んの、この懸命のアドバイスで患者は窒息寸前から脱出し一命を取り留めた。

 写真3、救急退院の現場の知恵から生まれた口頭指導をマニュアル化した円山氏。

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