『日本医事新報』 3536号、1992.4.11.pp.95-98
目次
当時、ピッツバ−グ市の救急搬送業務は警察の救急車によって行われており、搬送そのものは迅速であったが、警察官の救急医療の技術や救急車の装備はまだ不十分なものであった。そこでサファ−は、ピッツバ−グの市民、それも職のない黒人達を有能な救急隊員に訓練しあげることを計画し、その訓練プログラムを発足させた。当初、四十四名がそのプログラムに参加したが、そのうちのほとんどはハイスク−ルさえまともに卒業しておらず、安定した職を得ることの難しい者たちであった。訓練は三百時間以上、九カ月間に亙って徹底的に行われ、やがて、その救急医療サ−ビスチ−ムは『フリ−ダムハウス・エンタ−プライズ』として知られるようになる。まず、彼らはピッツバ−グ市との交渉の結果、一九六九年七月より、一部の治安の悪い地区に限定して活動することを許された。彼らはBLSと患者搬送を実施したが、そのレベルは当時としてもかなり高度であった。
そこで、同年十月、サファ−はピッツバ−グ市長に対して、この救急医療サ−ビスを地域全体のものに拡大し、また処置基準をALS(Advanced Life Support:気管内挿管や輸液、DCショックを含む)まで拡大することを提案したが、市当局は、市長が2人交代する数年の間取り上げなかった。しかし、その間フリ−ダムハウスは着実に実績を上げ、フリ−ダムハウスへのコ−ルは増え続けた。そして、警察の行う救急医療の領域は必然的に狭められ、また、警察自身もフリ−ダムハウスにコ−ルするようにさえなった。
一方、アメリカ連邦政府はフリ−ダムハウスを参考にパラメディックスのトレ−ニングを標準化することを企画していた。
一九七五年四月、サファ−はナンシ−・キャロライン(Nancy Caroline, M.D.)をフリ−ダムハウスの所長とし、ALSの技術を確立するとともに実践に移った。また、翌五月にはピッツバ−グにおいて国際救急集中治療会議が開催された際に、フリ−ダムハウスの指導者達は大災害時の救急医療に関する指針を発表し、フリ−ダムハウスは最も先進的な救急医療チ−ムであると評価された。
同年、連邦政府はついに市営のALSレベルの救急医療サ−ビスの方針を樹立した。そして、ピッツバ−グ市ではフリ−ダムハウスを解散し、市当局で市営のEMSシステムを再編成することになったが、フリ−ダムハウスの多くのパラメディックスは市当局とともに救急医療活動を続けた。
こうして、1975年にピッツバ−グ市営のEMSシステムが確立され、市長管理のもとに、人員四十名、救急車五台の規模で、フリ−ダムハウス発足当初から唯一の白人メンバ−であったグレン・キャノン(Glenn Cannon:現ピッツバ−グ市Public Safety所長)がパラメディックスを統率し、キャロラインが医療責任者となってスタ−トした。
一九七八年、キャロラインに代わり、ロナルド・ステュア−ト(Ronald Stewart, M.D.)がEMSの医療責任者となったが、彼は笑気を搬送中の疼痛管理に使用するなど積極的な治療を指導した。また、彼はEMSの調査研究やトレ−ニングを行う救急医療センタ−を発足させた。さらに、スチュア−トはピッツバ−グ大学に救急医学のレジデント・プログラムを創設し、これにより医師が二十四時間待機して、パラメディックスに薬剤投与その他の指示を与え、また要請があれば、ドクタ−ズカ−で現場にも出動するという独自のシステムが可能となった。
一九八五年、ピッツバ−グ市のEMSは市に新設されたPublic Safety(救急、消防、警察、建築物安全管理など市民の安全管理を統轄する部署)の管轄となり、さらにプレホスピタルケアを行う救急(メディック)部門と特殊工作機械を使用して負傷者を救出する救助(レスキュ−)部門に分割された。 救急医療センタ−は、一九八六年、ポ−ル・パリス(Paul M. Paris M.D.)に所長が交代し、優れたEMSの調査研究、パラメディックスや医師の教育のほか市民にもCPRなどの教育が積極的に行われている4)。
かつて、路上で救急医療を行うという概念は夢であった。しかし、サファ−をはじめとするフリ−ダムハウスの人々の努力と献身によって夢は実現した。二十数年を経た現在もフリ−ダムハウス設立当時のメンバ−のうち数名は、パラメディックスとしてピッツバ−グ市EMSで活動を続けている。
ピッツバ−グ市EMSは各分署に配属されるパラメディックス百八十六名、ス−パバイザ−(パラメディックスの管理職で、半数が主に事務、半数が交代で1名ずつ24時間市内を巡回し、交通事故などの場合現場で指揮をとる)十七名で構成され、十一のメディック分署に十三のメディックユニット(それぞれパラメディックス二名、うち一名が主任)を配属する(第1と第11ユニット、第9と第14ユニットはそれぞれ同じ分署にあるが管轄する地区が違う)。そのほか救助隊二分署(パラメディックス各二名)、河川救助隊(パラメディックス二名、警官一名:スキュ−バダイビングの訓練を受けており、モ−タ−ボ−トやエア−ボ−トを使い水難救助を行う)、有害物質処理隊(パラメディックス二名、消防士一名:工場での事故などの際の有害物質の処理を担当する)、患者搬送用ヘリコプタ−六台(出動時には操縦資格を持つパラメディックス二名と医師一名が乗り込む)を有する(図1)。患者が重症の場合には2ユニットの救急車が派遣される。また、ピッツバ−グ独自のシステムとしてス−パバイザ−が必要に応じて現場で指揮をとるものと、救急医療センタ−の医師(ピッツバ−グ大学救急医学レジデント二、三年次)が二十四時間体制で待機してパラメディックスに薬剤投与などの指示を無線で与え、また、心停止や重症患者の場合にはドクタ−ズカ−で現場に急行してパラメディックスとともにその場で治療を開始するというものがある(図2)。そして、市内に三十六の分署を持つ消防もEMT(Emergency Medical Technician: BSLレベルの救急処置資格)としての訓練を受けており、消防車もBLS用機材を携行している。そこで、救急車よりも早く現場に到着できる場合には急行し消防隊がまず治療を開始して、パラメディックスが到着後はこれに協力する。救急患者搬送のためにヘリコプタ−六台は維持費がかかりすぎ、過剰であるという意見もあるが、主に病院間や、他の都市との患者搬送用として、また、現在盛んに行われている移植手術のドナ−、レシピエントや臓器の搬送にも使われている。
次に、EMSの代表的プロトコ−ルとして狭心症様胸痛発作と交通事故による外傷性ショック場合の対処を示す。
救急、消防、警察などの緊急事態はすべてダイアル911で、EOC(Emergency Operating Center)が初めに応答し、救急の要請は次にEMSの無線ステ−ションであるメディックコマンドに伝えられる。
【例1】 胸痛を訴えるダイアル911コ−ルに対して
メディックコマンドはその地区担当のメディックユニット(パラメディックス二名)を救急車で派遣。彼らは現場で、聴診、血圧測定、心電図記録などを行いドクタ−ズカ−の担当医に無線で報告、ニトログリセリンスプレ−、降圧剤投与などの指示を受け、現場で救急処置後、あるいは処置しながら病院に搬送する。
【例2】 交通事故で外傷性ショック患者が発生した場合
その地区担当のメディックユニットに加えて、次に近いユニットも救急車で現場に急行する。また、ドクタ−ズカ−の医師、ス−パバイザ−も急行するが、これらは一人ずつで市内全域をカバ−しているため通常パラメディックスよりも到着が遅れる。さらに、交通事故の場合、EOCからの指示で、救助隊、消防、警察も急行する。治療は、最初に到着したチ−ムが、患者の重症度に応じて、気管内挿管による気道確保や人工呼吸、酸素投与、血管確保、輸液、昇圧剤投与等を直ちに開始し、外傷センタ−を有する市内四つの大きな病院(500ー800床規模、日本の三次救急施設に相当する)に搬送する。また、各病院は数床から二十床の救急処置、経過観察用の病床を持ち、平常時にはどこかに空床が確保されている。搬送の際は空床状況やEMSの動きを常に把握しているメディックコマンドが緊急性、病院までの到着時間などから判断して患者を振り分けている。
ダイアル911のうちEMSへの出動依頼は一日約百五十件に及び、そのうち約1割に心停止、重症外傷を含む。年間に、パラメディックスが治療を行う患者は一万四千人、自宅での分娩十五件、救助隊による救出五百件にのぼる。このサ−ビスは市の事業であり無料である。
筆者は、自身の研修プログラム(災害蘇生学)でドクタ−ズカ−や救急車に同乗し、その業務を2ヶ月間経験したが、市民はEMSを市の事業としてよく理解しており、それ以上に自分達自身への必要性を強く自覚し、大変協力的であると感じた。気軽に些細なことで要請する場合も少なくないが、現在ではパラメディックスへの信頼、依存の度合も大きく、市民にとってEMSは不可欠の存在となっている。
しかし、今日ここまで発展したピッツバ−グ市のEMSの次の課題は心停止患者への対処である。ピッツバ−グ市の救急車が緊急の要請に対して治療を開始するまでの時間は最大八分を要する。心停止の場合、脳組織の障害は四〜五分で始まると考えられ、CPR開始までにそれ以上の時間が経過した場合ピッツバ−グのEMSも間に合わないことになる。ヨ−ロッパ、特にドイツ、フランスでは市民へのCPRの教育が行き届いており、近くに居あわせた市民によるCPR(BLS)が開始される。その点でプレホスピタルケアがヨ−ロッパの医療先進諸国のものには及ばないとし、サファ−らは市民によるBLSがさらに重要であると啓蒙し続けている。
ハイスク−ル卒業者が週六時間、六カ月間の有料の訓練を受けるとEMTの資格が得られ、さらに週六時間の訓練を六〜八カ月間受けるとパラメディックスの受験資格が得られる。そして、パラメディックスとしての実務経験を積み、さらに試験を受けて主任(クル−チ−フ)となる。また、すべてのパラメディックスは三年に一度試験があり再評価を受ける。パラメディックスには、ALSレベルの処置資格がある。
また、市営のEMSの他に民間の救急搬送サ−ビスも数社が行っており、そこで主に患者搬送などに従事しているパラメディックス、EMTもいる。
しばしば経験する時間を経過してからの病院での蘇生は、脳死や植物状態という悲惨な結果を高率に引き起こす。しかし、ヨ−ロッパの医療先進国でのDOA(dead on arrival)の救命率は日本の四倍以上である。基礎になる疾患が、わが国では脳血管障害が多く、欧米では心疾患が多いなどという違いはあるが、乳児死亡率が世界一低い日本の病院で行われている先端医療のレベルや国家の経済状態が、欧米の医療先進国のものに劣るものではないはずである。プレホスピタルケアによってこのような差があるという事実が一般的に認識されることが最も重要であると考えられる。
稿を終えるに当たり、資料を提供して頂いた、ピッツバ−グ市EMS、
Gregory Tutsock(Patient Care Co-ordinator)、並びに調査に御協力頂いたGlenn M. Cannon(Director of
Public Safety, City of Pittsburgh)、
Robert Kennedy(Chief Supervisor)、Dr. Paul M. Paris(Director of
Center for Emergency Medicine)、Dr.Bern Shen(Resident of Emergency
Medicine)、パラメディックス諸氏に謝意を表します。
2) Community concern sparks
ambulance service:Modern
Hospital:93-98,1969
3) Page J.O.:The paramedics.
Morristown, NJ:Backdraft,1979
4) Stewart RD, et al.:Design of a
resident in-field experience
for a emergency medicine
residency curriculum. Ann Emerg Med,16:175,1987
5) Weiss LD, et al.:The Development of a Water Rescue Unit in an Urban EMS system. Ann Emerg Med,18:884,1989
6) Rade BV, et al.:The Three River Regatta Accident:An EMS
Perspective. Am J Emerg Med, 9: 64, 1991
7) 山田卓生:救急医療体制の問題点, ジュリスト, 44:48-53:1986
はじめに
ピッツバ−グEMSの歴史1)
ピッツバ−グ市EMSの現況5),6)
パラメディックスの資格
わが国における今後の救急医療への展望
結 語
【参考文献】
救急・災害医療ホ−ムペ−ジへ
災害医学・ 日本語論文リストへ
INTELLIGENCE 21へ
著者(allstar@grape.med.tottori-u.ac.jp)
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