平成8年9月吉日 愛 媛 救 友 会
会長 竹 村 武 士
時下、会員の皆様におかれましては、益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
さて、第2回愛媛救友会(宇和島大会)が、平成8年8月3日(土)午後1時から宇和島市丸の内「宇和島リージェントホテル・サブライムホール」において、80名の参加を得ておこなわれましたので記録を送付します。
本日を迎えるにあたり、運営委員長として山本副会長にお願いしましたところ、宇和島地区消防本部の消防長さんをはじめ、南予地区の会員さんには大変お世話になりありがとうございました。この場をお借りしましてお礼申し上げます。
発足式以後、顧問の先生がご転勤のためお一人ご辞退されましたが、新しくお二人の先生を顧問としてお迎えし、ご指導いただけることになりました。新しい顧問の先生につきましてはのちほど事務局からご紹介があります。また、会員の方も現在 280名近くになっております。
ちょっと変わったわたくし事の話で恐縮ですが、この後日本赤十字社の方に発表していただきますが、私はボランティア活動で一般市民にCPR指導をしております。今年の 4月のことですが、妻と話をしているとき、「俺は、お前が家で倒れたときにお前を助けることができるが、お前は俺を助けることができるか。」といいましたところ、「ウーン」と言ったきり黙り込んでしまいました。その約 1カ月後の 5月に夜間講習で指導に行くことを妻に話しましたところ、突然「わたし受けてみる。出来るようになればいいんでしょう。試験は受けなくていいんでしょう。」と、いい出しまして「ああいいよ。まず家族を助けられるようになればいいよ。」ということで、約20時間の蘇生法を含んだ救急法をマスターしてくれました。永年連れ添っておりますが、久しぶりに妻の可愛い面、また家族思いの面をみることができました。
わたくしは指導に行ったとき最後にお話しするのは、皆さんが助かりたいと思ったら、まず奥さん、家族そういう身近な人に覚えてもらってください。とお話ししています。今後とも救命の輪を広げるため努力したいと思っています。
今日は皆さんの手助けをいただいて大会を開くことができました。どうかよろしくお願いいたします。
以上で会長としての、ごあいさつとさせていただきます。
名簿を見せていただきましたが会員の方も数百名という大きな会になっており大変驚いております。救急隊をはじめあらゆる救急医療の分野を含んだこのような集まりは、広域の救急医療においては、お互いのネットワーク、情報の交換の場としては大変有意義なものと私は考えております。
いままでの救急隊の仕事といいますと、必要な患者さんを必要な時間の中で必要な時間に送る。ということに尽きておりましたが、これからは必要なその中に必要なCPRといいますか、医療そのものをしなくてはならなくなる時代になって来たように思います。これは十分な訓練と、数多くの症例経験が絶対に必要だと考えております。非常に大変な仕事になってきたなという感じがいたします。
このような横の繋がりをもつ愛媛救友会が、住民の信頼を得られてますます前進発展されることをお祈り申し上げまして、ごあいさつとさせていただきます。
本日は第2回愛媛救友会の宇和島大会の開催にあたりましては、会員各位におかれましては県下各地より大勢ご参集を賜りまして開催地といたしまして、心よりご歓迎を申し上げますとともに、ご盛会をお喜び申し上げます。
日頃は、救急業務実施機関といたしまして、顧問の先生方、また医療関係者の皆様方には業務推進にあたりまして全面的なご指導、ご支援をたまわりまして誠にありがとうございます。この席をお借りいたしまして厚く御礼を申し上げます。また会員の皆様にはそれぞれの所属で日夜ご苦労をおかけいたしております。日頃のご労苦に対しまして衷心より敬意を表するものでございます。
さて、救急業務が消防の任務として義務づけられましてからは、それぞれの消防本部で差異はございますけれど、おおよそ30年を迎えようとしております。当時を振り返りますと、とにかく搬送業務ということでスタートいたしました。俗に運び屋でございます。わたくしも一隊員として業務に従事したわけでございますが、知識経験の乏しいことから数々の失敗もおかして参りました。特に記憶にございますのは、当時交通事故が非常に多かったということでございます。といいますのは、救急車自体が交通事故を起こすという事態でございます。ほとんどが物損事故であったように記憶しておりますが、これは隊員といたしましてやはり自信の無さでしょうか、早く医療機関へという気持ちが焦りに繋がった結果ではないだろうかと推察するところでございます。出場する度に救急車のボディーにえくぼを作って帰って来る。予備車も無い時代ですので自らが板金塗装をして出場するというような時代も経て参りました。ところが、最近この種の事故の報告書が、わたくしのところへあがって参らなくなりました。救急隊員の行う応急処置の拡大以来、救急救命士制度の創設と慌ただしく業務の変遷をいたして参りました。隊員も随分と勉強をしてくれるようになりまして、自信の表れでございましょうか、この種の事故が激減したというようでございます。
また、宇和島地区管内の救急業務の現況につきましては、山口救命士が発表する予定ですが、宇和島地区管内はとにかく広うございます。 809平方キロメートルという広大な管轄区域を有しております。特に地理地形も複雑でございまして、海岸部は離島から三浦、由良半島。山間部に至りましては高知県境までと広い管轄区域を有しております。私どもの隊員には大変苦労をさせていますが、救急業務を推進して行く上におきましては、どうしても医療機関のご協力、ご支援をたまわらなくては成り立つ業務ではございません。幸にしまして当管内におきましては南予救命救急センターの存在が非常に大きく、傷病者の受け入れに始まりまして、特定行為の指示、また隊員の教育に至るまですべてご面倒をおかけしている状況でございます。お陰を持ちまして、業務の中身はまだ綱渡り的なところもございますが、なんとか業務の推進をいたしているところでございます。
この愛媛救友会の設立に当たりましては関係職員から相談をいただきました。内容をうかがってみますと本来なれば消防行政の枠組みの中で処理して行かなければならない部分も多々含まれていることも十分理解のうえ、やはり志を同じにする者が一堂に介して、救急救命について勉強会をしようではないか。というところに意義があるのではないかと賛意を示したわけでございます。どうか、会員各位におかれましては、活発な意見の交換をしていただき、この大会が実りある大会となりますよう、ご祈念を申し上げます。
また、わたくしも高規格救急自動車への更新とか、隊員の教育機関への派遣というような課題が山積しておりますけれども、一つ一つ前進あるのみということで進めて行く所存でございます。皆様方の全面的なご支援、ご協力をお願い申し上げます。
終わりに、愛媛救友会のますますのご発展と、会員各位のご健勝を心からご祈念申し上げまして、きわめて簡単ですが、ごあいさつとさせていただきます。今後ともよろしくお願いいたします。
演者 宇和島地区広域事務組合消防本部 救急救命士 山 口 賢 司
平成7年の宇和島地区消防の救急概況は、出場件数 3,102件で前年に比べて 306件増加しており、搬送人員も3,036人となっており、前年に比べ 306人増加しております。これは、1日当たり8.4件、管内住民の 39人に1人を搬送したことになります。
傷病程度別搬送割合では、死亡2.7%(1.7% +1%)、重症24.7%(13.6% +11.1%)、 中等症32.8%(35% ―2.2%)、で全国平均に比べ死亡、重症割合が非常に高くなっています。疾病分類別搬送割合では、急病が最も多く、52.9% 1,607人となっており、急病搬送人員中34%544人が循環系疾患で、しかも80%435人が中等症以上となっています。
宇和島地区の平成7年の救急件数は、冒頭でも述べましたように前年に比べ、306件11%増と過去に例のない以上増加でありました。
気軽に救急車要請をする社会的風潮が背景にあり、全国的に救急件数は増加傾向ではありますが軽症患者 39.6%と全国水準からみると 10%以上も低い状況であり、件数増加の主原因とは思われません。
平成2年と平成7年の国勢調査では、約5,000人の人口減少がありましたが、世帯数では逆に約2,400世帯以上の増加となっており、老人世帯と若年世帯がそれぞれ増加する核家族化傾向が非常に顕著にみられます。また、全国の65歳以上老齢人口比率は約15%であるのに対し、宇和島管内では、すでに23%と平成25年頃の全国の老齢者人口比率で推移しており、高齢化が件数増加の一因であると思います。
当然ながら年齢別搬送割合でも、65歳以上の老人が約半数の45.9%と全国(29.8%)と比較して16.1%も高くなっています。
以上のことから、宇和島地区消防で行う救急業務の特徴は、件数増加傾向にあり、高齢者で循環系疾患が多く、重症である確率が高いといえます。
宇和島地区の救急医療は、21世紀にやってくる高齢化社会を既に先駆けており、少子化が続いている現在、今後より一層の拍車がかかるものと予想されます。
わたくしが、救急救命士になってやらなければならなかったことは、本来の業務とは異なり、高規格救急車を初めとする各種救命処置資器材及び訓練資器材等、ハード面の整備と共に高規格救急隊が支障無く運用できるためのソフト面の整備でありました。また、高規格救急隊として、特定行為を実施するための医師の指示体制の構築、医師・看護婦との深い信頼関係を築くための病院実習等、今までに経験のないことで、まさに手探りでのスタートでありました。
救急救命士制度の確立以来、業務の高度化により、隊員の知識、技術の維持向上のための教育が一層重視されてきています。実際、救急救命士による現場での適切な処置がフムレホスピタルケア心肺停止患者の救命率を向上させることは明らかですが、現状の出場体制で、高規格救急隊1隊を24時間フル稼働させるには4名の救急救命士が必要であり、最低でも4年の年月が必要です。
今後、救急救命士養成所の受入人員枠の拡大が無い限り、管内全ての救急車に常時救急救命士を搭乗させるためには十数年の年月を要してしまいます。
また、枠拡大が現実になったとしても、消防署の最低出場人員確保の問題が解決しない限り、派遣要員の増員に至るには時間を要すると思います。
高規格救急出場は、現在、救急救命士2名で、平成8年4月1日より日曜・休日を除く平日の 8時30分から 17時5分に時間を限って運用開始し、宇和島管内全域に出場しています。また、出場の判断は、通信勤務員に一任され、その基準として通報の段階で「意識が無い」「交通・労災等の事故」「医師の要請がある場合」であります。
また、指示医療機関は市立宇和島病院南予救命救急センターでICUに受信モニターを設置しています。
運用開始以来、70件余り現場出場し、現着時においてCPAは 2件ありましたが、双方とも病院から 1分以内の地区で発生しており、現場処置ではCPRと除細動パドル装置にとどめ、早期搬送した方が適切であると判断し、車内で心電図伝送中、指示を受ける間もなく病院到着しました。2件とも医師が救急搬入口で待ち受けており、救急車内で気管内挿管の後、救急処置室に搬入しました。救急救命士として今後の大きな役割の一つは、いかに住民に密着し、救命率を向上させるかということです。
消防で行う救急業務の最高峰である救急救命士を常に現場出場させることが住民にとって一番最良の道ではありますが、先程も述べましたように現状では、人員的に困難であります。しかし、現場出場する以外でも、地区住民に貢献できる道はあります。
われわれ救急隊員が患者の救命率を今まで以上に高めるには、応急手当の普及をもっと大胆、積極的に実施することであります。
宇和島管内には、ボランティア組織の結集とも言える 3,100名もの消防団員がおります。この大きな力をフルに活用すべきであり、大規模災害時のみならずとも大いに地区住民のニーズに応えることができると思います。管内の隅々から選抜された団員を教育し、宇和島地区約43,000世帯の1世帯に一人は必ず必ず応急手当を施せる人材を育成することで、今以上に助かる命を助けることができるはずです。
また、集団的に発生した事故に際しても、消防で行う救出、救護を団員に理解させ、予後に大きな影響を及ぼす初動活動をよりスムーズに行うことができると思います。
消防団員も、身近に多発する救急に無関心なはずはありません。阪神・淡路大震災以後、「もう少しわれわれにも救急の知識があれば」と言う声をよく耳にするようになっています。まず、救急救命士が中心となって、目的意識を持ち、団員と共に普及活動を実施すれば必ず効果が現れてくるものと確信しております。
しかし、この大きな目的を達成するには、身内に優秀なスタッフがいなくては実現できません。趣旨を十分理解してくれる良き協力者が必要であります。そして、今日お集まりの顧問の先生方には、良き理解者として我々救急隊員をご指導、ご教示願いたいと考えております。
救急車の現場到着までの5分間を住民による応急手当、病院到着までの5分間を救急隊員による救急処置、そして病院収容後は医師による救命治療、この救命リレーを実現するため自己研鑽していきたいと思います。
最後に、救急救命士法の制定以来、宇和島地区も高規格救急体制に一歩踏み出した訳ですが、これからは、この愛媛救友会を通じ、有識者の意見を聴き、他本部の情勢を見極めながら、ともに考え、議論してより良き方向に前進していきたいと思います。この会のますますのご発展を心から願い、発表を終わります。
(座長 束 村 公 則)
(講者 山 口 賢 司) 演者 日本赤十字社愛媛県支部 事業推進係長 加 地 弘 明
今日この会の中で赤十字社の関係者はわたくし一人だと思いますので、孤立無援の状態でございます。どうか、罵声とか野次とか浴びせないように、どうかよろしくお願いいたします。
先程、席で座らせていただいておりましたら、発表された山口さんと、この次発表される本田婦長さんはちゃんと原稿を準備されておりまして、読めるように勉強なさっておるわけですが、私は原稿を生まれてこのかた一度も準備したことがございません。したがいまして、この口はいわば肛門のような状態ですので、出て来た物に対する責任は取れませんので、どうかよろしくお願いいたします。まず赤十字社ということにつきまして、皆様方に少しご紹介だけさせていただいたらと思います。(スライドにて説明)
赤十字社というものを知らない方は、ほとんどいらっしゃらない。しかし赤十字社の事業、また内容というものを知っていらっしゃる方は少ない。といわれております。これはわたくし達の責任でもある訳ですけれども、まず赤十字社というものにつきまして折角の機会ですから少しだけ知っていただいたらと思います。
スイス人に、アンリー・デュナンと言う方がいらっしゃいます。その方が赤十字社というものを作られました。いまだにナイチンゲールが、とおっしゃる方が何人かいらっしゃいまして、寂しい思いをいたしますけれども、作ったのはアンリー・デュナンというスイスの一個人です。この方は医師でも無ければ看護士でもない。まして救急救命士ではございません。ごく一般の方が仕事の旅でイタリアを旅行中に、オーストリア軍とフランス軍によります、北イタリア統一戦争の真っ只中に起こった出来事を目の当たりにして、人の命の尊さと言うことを考えて、赤十字というものを作ろう。その当時の戦争ですから、今とは若干違いまして、いまならボタンひとつ押せばミサイルが飛びますが。その当時は、「やーやー我こそは」と言ってる間にプチュッと刺したりとか、大砲でそこら辺りの物を壊して家の下敷きにして人を殺す。したがいまして、死にかけ三分五厘の状態で非常に苦しんでいる。それを何とか助けていきたい、というふうに考えるのは人の道だろう。そういう発想から出て来た組織であります。したがいまして、生命の尊重・苦痛の軽減。そういうものをまず第一に考えていこうというのがこの赤十字の起こりでありまして、赤十字のマークというものは、アンリー・デュナンの祖国でありますスイスの国旗を逆にしたもの、それに敬意を表しまして赤十字というものをマークとして認めております。ただ、宗教上の問題でイスラム教の方々は、十字のマークというものに非常に抵抗感があるということで、赤い新月、赤い三カ月ですが新月を使って、赤新月社というマークを使うこともあります。どちらの場合も信念は同じであり、国際的に同じマークとして認めていますので、戦争中いかなる場合でも保護のマークということで認めていただいております。
現在世界に 169カ国が赤十字に加盟していただいております。現在独立国といわれておりますのが 180数カ国、その内の大半がジュネーブ条約に加盟していただいておる、ということでご理解いただいたらと思います。
赤十字の精神という言葉をよく聴きます。赤十字精神とは一体何なんだろうかと、これをわかりやすい言葉で示せば、「人道」という言葉でわたくし達は表しております。人道というのは、さきほどご紹介申し上げましたように、この赤十字社が起こった元々が、生命を尊重しよう。人間の苦痛を軽減し予防しょう。という事を目的として作られておりますので、わたくし達の赤十字精神。イコール人道というものは、生命の尊重、人間の苦痛の予防軽減ということをまず第一の目的として、全ての事業をおこなおうと、いう風に考えているわけでございます。したがいまして、全ての事業というものはこれを目的としておこなわれている。ということをご理解いただきます。
赤十字の事業というものにつきましてですが、今日愛媛救友会でご出席の方は十分ご理解いただいておると思いますが、ごく一般の方に「赤十字」というものをポンと投げかけますと、大半の方が病院、または血液センター、義援金、そのような形でお答えをいただくことがございます。それだけではないんです。ということをいろんな機会でお示しはしております。
日本赤十字社のパンフレット「ボクらもボランティア」をご覧になっていただければ、内容については分かりやすく書いておりますが、国際活動、災害救護活動、医療活動、看護婦養成、これは松山赤十字看護専門学校というものがありますが、全国に39の専門学校、また一つの大学、三つの短期大学を全国に設けまして看護婦を養成しよう。あくまで赤十字の看護婦の養成というものは、一般看護婦というだけにとらわれずに、災害救護に対応できる救護看護婦、救護班要員というものも併せて養成しようということでやっております。
次に血液事業ですが、これが献血の活動でございます。その他に、直接皆様方と関係するのが多いのが、救急法・家庭看護法等と書いてございますが、これ以外にも水上安全法、またはスキーパトロール、現在は雪上安全法という名前に変わって参りました。
それと、赤十字奉仕団。赤十字奉仕団というのは非常に古めっかしくて、第二次世界大戦の真っ只中に、炊き出し訓練などをやった方々を思い出されることがあるかも知れませんが、現在愛媛県の場合70市町村。この宇和島市にも吉良さんという方が、宇和島市の赤十字奉仕団の委員長として活動なさっております。そういう組織が全国的になされております。
青少年赤十字といいますのは、幼稚園から高等学校までで主に小学校からが多いんですが児童・生徒の心の中に赤十字精神というものを生かして、そして教育の中で活用して行こう。赤十字というものを利用していきながら、体験学習をしていこう。というものがあります。この宇和島市の中にも、たくさんの学校が加盟頂きまして、昨年の11月には宇和島市の城南中学校で、県下的に大変大きな研究会を設けていただきました。学校の中でも赤十字、人の命の大切さを植え付けて行こうという事業を行っています。
あと、社会福祉事業といたしまして、全国的に27校ですが、児童福祉施設であったりとか、身体障害者更生援護施設というものを経営しながら活動をおこなっております。
ここで先程ご紹介しましたが、救急法・水上安全法というものが、特にこの愛媛救友会の中では皆様方と直結することが多かろうと思いますので、ご紹介をさせていただきます。
ここ数年間は、わたくし達も消防学校にお邪魔することは無くなったのですが、皆様方がお入りになった消防学校で、赤十字の救急法ということで習った方がたくさんいらっしゃると思います。救急法といいますのは、思わぬ事故や災害にあった人、急病になった人に対して医師や救急隊に引き継ぐまでに成すべき、応急手当の普及ということでございます。一般の方が家庭でまたは地域でそういう状態になったときに、なんらかの形で専門の方に渡すまでに対処しよう、ということで、この頃は皆様方はCPRの一般指導とかいわれておりますが、わたくし達はあくまで生命の尊重、苦痛の予防・軽減と先程申し上げました人道・赤十字の精神の具体策ということで、救急法を普及しているということで、一般講習 課程・一般講習 課程ということで両方合わせれば19時間。重複している時間がありますので18時間程度の時間があれば、皆様方に一通りの講習は普及することができます。もちろん受講料は無料ですが、教材費実費とは教本とか三角巾ということで 3,000円いただきます。ただ、そんなに時間は取れない。という方は2〜3時間程度、どういう状態でもかまわないから受講したい。という方がいらっしゃったら会場をご準備いただいて、その方々をお集め頂いたら普及はできますよ。という講習はございます。講習の内容ですが、普段皆様方が指導されていることと重複されると思いますが、特にわたくし達が重視しているのは、学科では無くてあくまで実技を中心に実施しようとしております。
水上安全法というのも同じ目的で普及をしております。普通科講習というものが20時間ございます。水上安全法の中にも、3時間という短期講習もできます。
赤十字の奉仕団は、地域奉仕団で70市町村で結成されています。23,000名の方が活動していただいています。また青年部、これは専門学校・短期大学・大学以上から一般青年部に対する方々が自分たちで活動しようと、8団体いらっしゃいます。
あと特殊奉仕団、これはアクアラング奉仕団とかアマチュア無線奉仕団とかの特殊技能を持たれた方々の奉仕団ということで、5団ございます。
この特殊奉仕団の中に竹村会長さんもこの中の団員として登録をしていただいておりますが、安全赤十字奉仕団というのがございます。この安全赤十字奉仕団が、さきほどご紹介させていただいております、救急法や水上安全法のボランティアの指導員の方々を持って組織している団体でございまして賛同を得た者で組織する。となっておりますが、賛同は強制的にさせていただいております。賛同なさらない方は、そのうち指導員には成れないという雰囲気をおのずと作っておりますので、全員が奉仕団員ということで、現在83名いらっしゃいます。その内の大半が救友会会員ですが極一部の方、たぶん登録忘れだろうと思いますが、何人かは糾弾してみようと思っております。
講習実績ですが、平成 7年度の実績として救急法の一般講習が18回で517名。短期講習が105回で5,673名。水上安全法の普通科講習が3回で34名。短期講習が18回で952名となっています。
以上簡単ですが赤十字の一般講習の内容普及状態ということで、ご紹介申し上げました。どうもありがとうございました。
(顧問 越 智 元 郎)
(演者 加 地 弘 明)
小学校・中学校・高等学校と行きますが、小学校の場合は健康安全プログラム、またはジュニア救急法というレベルでCPRまではおこないません。友達が倒れたらどこまで持っていけば良いかという事を中心にお話しさせていただきます。中学生以上になりますと、文部省の関係もございますが、学校の中で指導しようということで、保健体育の中でCPRの指導がなされていますので、それに併せて私たちが授業プログラムの中に入って行くこともありますし、保健体育部の先生にご指導させていただいて、それを降ろされるということもあると思います。
(顧問 越 智 元 郎)
(演者 加 地 弘 明) 演者 愛媛県救命救急センター ICU婦長 本 田 る い
前置きが長くなりましたが、今日のテーマの「ナースから見た救急隊員」のこのナースの捕らえ方は、県立中央病院の救命救急センターで、救命外来に勤務している看護婦と救命センター 2階に勤務して、研修に来られた救急救命士のかたと接したことのある看護婦のこと。つまり、私の周辺の看護婦と理解してください。
救命センター 2階は、ICU 8床・HCU 21床をICUナース 26名・HCUナース 23名・看護助手1名で勤務しております。救命外来の看護業務は、ICU・HCUのどちらかが交替で 1名ずつ当たっています。外来は1階にあり、病棟は2階にありますので少々不都合なこともありますが、状況は、ざっとこのようなところです。
わたくしの用意した設問は、まず救急隊員の方の第一印象はどうですか。と問いかけましたところほとんどの意見は、きびきびして適切な対処ができている。とても熱心である。礼儀正しい。患者家族への対応も的確で優しい。というものでした。また、業務の面から見れば、あらゆる傷病者を短時間のうちに病院まで搬送しなければならないので大変だと思う。病院の中とは違って限られた条件のもとで状況判断し処置をするのは、非常に大変な仕事だと思った。と自分たちの業務とは違う大変さもあげています。少数意見では帽子を深くかぶり、ほとんど話もしないし暗い。30歳代から40歳代の方が頑張っている。状況が深刻なためか、表情が険しい。という意外に細かな点をとらえているナースもいます。
二つ目の設問は、救急隊員に接してみて思ったこと。これには、救急救命士の方の病院研修が影響しているのかとも思います。色々質問されるので、自分ももっと勉強しなければと思う。救急搬送業務以外に、観察・応急処置等の業務もあり自分たちと同じく、医療従事者なのだと思った。看護婦以上に三角巾・包帯の活用ができる。ボディメカニクスを理解している。救急車は予想以上に揺れるので、乗っているだけでも大変だと感じた。
アンケートを書きながら疑問に思ったのでしょうか、救急車の中では家族も同乗していることが多いと思うが、救命処置を行いながら、家族への配慮はどのようにしているのだろうか。救急現場を見たことが無いのでわからないが、患者さんに対してどのような観察・判断・処置をしているのだろうか。というクェスチョンも書いています。
わたくしも、救急救命士の方の研修内容については、うちのスタッフにも受けさせたいと思うところがあります。心音や呼吸音の勉強に関しては、看護婦の方はいい加減な部分があり、焦りを感じております。
最後に救急隊員の方への要望とその他の意見。というわたくしの都合のよい設問をしております。全員一致で、正確な情報提供をして欲しい。と書いています。電話で患者搬送のことが知らされ、受け入れ準備をするのですが、ほんの一言の情報でベテランナースは素早く、ベットの上・注射薬品・ME機器の準備・検査室・レントゲン室への連絡と瞬く間に整えていきます。それはもう私もびっくりするほどに手際よくやっています。対象が命ですから、当たり前といえば当たり前なのですが、ナースは、患者さんが到着してからは自分一人では何もできないということを、いつも経験しているからです。ときに、振り向いたらもう救急隊の人は帰られていたので来病までの様子はわかりません。とぼやいていることがあります。患者さんに関する情報は、救急隊員の方一人一人に格差があるように思います。患者さんの状態がよくわかり、救急車の中でどんな処置がなされ、状態がどのように変化したのか、きちんと申し送って帰られるかたもいらっしゃいます。
その他の意見として、救外のベットに患者さんを移動したあとも処置を手伝ってもらい助かります。という内容のこともほぼ全員が書いています。わたくしも二次救急当直を3〜4回しましたが、電話で受けた状態と違って慌てたり、連絡が遅く救急車が先に到着して慌てたりしました。しかしながら、援助していただくことも多く、家族になかなか連絡がつかないときに何度も電話をつけていただけるのは本当に助かります。これからの時代は、家族形態やライフスタイルの変化により、今以上に独居が多くなり、情報が掴みにくくなるのではないかと思います。また、救急車に乗ってみたいという希望もありました。
私の一番の心配は、災害時の救急患者の受け入れです。現在勤務しているナースはわたくしも含めて誰も非常時を経験していません。いざという時どうなるのだろうかと考え込みます。災害時の看護対応こそ関係機関や部署との情報伝達が重要であると思います。日常看護の中でトレーニングを積み重ね、非常時に少しは慌てましてもやってのける程度のものは持っていなければと思っていますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
一方的な意見ばかり述べまして失礼しました。ご清聴ありがとうございました。
(上浮穴消防本部 奥 元 隆 昭)
看護婦さんに、救急救命士・救急隊員はどうですか。と質問すると良く勉強されてる。とか大変な仕事を頑張っている。とかの褒めた言葉が帰ってきますが、アンケート調査の中で「グサッ」と刺さるような事は無いでしょうか。
(演者 本 田 る い)
でも、これは看護婦が忠実に書いていると思いますが、かなり熱心に勉強されてベットサイドの看護婦の側に行って、色々なケアとかも一緒にもされてます。いままで来られたかたで看護婦が怖いと思われた人はおられないと思います。
それともう一つ疑問がありまして、長い時間研修をされて、いま習っていることを何処でどう活かしているのかな。というのもありました。
(座長 束 村 公 則)
(顧問 木 村 誉 司)
集団災害の部分ということで、千里の太田先生の会合にも行きましたし、渡辺副センター長も神戸でのセミナーに参加、また看護婦もそういう会合にも行きました。札幌医大での救命の関係する会にも参加しました。
形式的ということではなくて、実戦的なマニュアルは作りました。しかし、これはあくまでもどれだけの人を収容するかという数と、どれくらいの日にちもてるか。ということであったのです。ところが一番の悩みは、起こった所の現場に職員がどれだけいるのかということですね。つまり、自分の所がやられている云々があるが、そういうものはいろいろ検討しても限界がある。むしろ近隣に被害があった時にわれわれが出向く。あるいは、透析を必要とする症例をいかに受け入れをするか。近いうち現実の行動を計画しようと、いまingのところです。病院間の連携が絶対に必要ですね。
そういうことで、わたくし2・3日前に新田先生にお世話になりましたが、インターネットの中に参加させていただく。そのような横の情報、したがって救命士との連携をこれから密に現実の問題として一つ一つテーマをもち、このような会合の中であるひとつの設定を起こしたときどう動くかということですね。
わたくしは戦時中に育ちましたので、防火訓練はさせられました。小さい子供が蘇生術は習いました。その辺までやろうと思えば、現実にはバイスタンダーにも教育できますから、いずれにしても横の関係をこういう会合でひとつのテーマをこしらえて、そこで現実にどうするか。ということを提案したいし、わたくしのところもマニュアルをもう少し細かいものにしようとしています。
消防職員の意見発表の場を救友会の席で設けていただきましたことに、厚く御礼申し上げます。 消防関係のかたは、ご存じだと思いますが毎年4月に大会がありまして、愛媛県の消防長会に各消防本部の代表者のかたが集まり意見発表をいたします。その中で最優秀に選ばれた者が四国大会で発表し、そこで最優秀になりますと全国大会に出席します。
今日発表します亀岡君は、四国大会まで行きましてもう少しのところで最優秀を逃しまして、第二位をいただきました。
発表する内容等について紹介させていただきます。亀岡周一君は、23歳です。平成4年4月に入署しました。消防学校の初任科を卒業後、救急隊員として業務した半年後にあった事例で、職務に自信を持ち、やっと一人前になったという意見発表です。
(発表者 大洲地区消防本部 亀 岡 周 一)
消防士は、「何でもこなせる、スーパーマン」そういうイメージに憧れて私は消防署に入署しました。高校時代は野球部のエースで、気力、体力ともに自信のあった私は、「なーに一年もあれば一人前の消防士になってみせる」そんな甘い考え方を持っていました。
しかし、そんな思いは現場配属と共にものの見事に打ち砕かれたのです。
「亀岡」「何べん同じ間違えするんぞ」「すみません」「またすみませんか」「現場じゃー、わずかなミスでも、命に関わるんぞ、それを頭においとけ」と、先輩の容赦ない叱咤の声が、今日も響き渡ります。
こんな状態が続いた私は、仕事に取り組む自信と勇気がうすれ、「消防署をやめようか」との思いが強くなりました。
そんなある日、私の心を一変させる出来事が起こったのです。それは、朝勤務について間もなくのことでした。A小学校への救急出場指令がかかり、私は救急員として出場しました。
車中、隊長から「患者は、小学校五年生女子、呼吸、脈拍停止状態」の伝達があったとき「よし、今日こそは」との思いと、不安が交錯し、前身に緊張感が走りました。
小学校に到着すると、玄関から走り出てきた先生が、「早く、早くお願いします。今、人工呼吸をしています」と状況を伝えてきました。急いで教室に入ると、先生が必死の形相で蘇生法を行いそのまわりでは、子供達が不安そうな目で見守っています。「交替します」隊長の声に「頼みます、私の教え子なんです」先生の祈るような言葉と子供の熱い視線を一身に受けた私は、前身が燃えるように熱くなってくるのがわかりました。「手当が早い」「助かるかも、いや絶対助けて見せる」そんな思いを胸に、必死で蘇生法を続けながら病院へと向かいました。しかし、少しも回復の兆しは見えません。「情けない、こんなに条件の整った、患者の命も助けることもできないのか」そんな思いが脳裏をよぎった、その時でした。「よし、脈が出た」隊長の声に一瞬耳を疑いました。間もなく「フー」という息と共に自発呼吸をはじめ、わずかながらも瞬きをしたではありませんか。「やった、助かった」生まれて初めて命の蘇る瞬間を目の当たりにした私は、感動で頭の中が真っ白になり体の震えが止まりませんでした。そして、私の心の中に、以前のような自信と勇気が泉のように湧き上がってきたのです。
私は、この出来事で二つの大切なことを学びました。一つは、応急手当の重要性であり、もう一つは何事にも自信と勇気をもってことにあたるということです。そして、これを私に教えてくれたのは、教え子を助けようとして必死で蘇生法を続けておられた先生の鬼気迫る姿でした。
それからの私は、何事にも自信と勇気をもって取り組めるようになり、先輩達からも一人前として認められるようになりました。
今、消防署には、かつての私のような後輩が、先輩の叱咤を受けながら頑張っています。その後輩にこの言葉を贈ります。「自信と勇気をもってと」そして、この自信と勇気を私に与えてくれた先生には、「本当にありがとうございました」の言葉を・・・。
事故がありましたのは、昨年の 10月〇日、当署の覚知時間は19時50分です。発生場所は大洲市郊外の市道で、負傷者は26歳の女性です。
この図でいいますと(現場図参照)軽乗用車が
下から上へ、普通乗用車が上から下へ走行中、こ
の位置で正面衝突し、軽乗用車は 180度方向転換
して、道路横の水路内に横倒しになったものです。
覚知から3分後(現場到着時の状況図参照)
現場に到着すると、水路内に軽乗用車が横倒しに
なっており、その上に普通乗用車が乗り上げてい
るのが視認されました。
付近にいた者に状況聴取をしたところ、軽乗用
車の運転者が車両の中にいることが判明したため、
急いでライトと救急バックをもって救助隊員とともに水路内に降りて行きました。水路内には深さ30cmの水が勢いよく流れており、車に近づくと運転席側の窓枠から、女性の肩から上の部分がうつぶせの状態で出ており、しかも頭部は水の中に完全に沈んでおり、一見して心肺停止状態であると判断されました。
まず、救出が先決と判断し、直ちに、救助隊と協力して、負傷者を車外に引き出そうとしましたが、体はコンクリート製の川床と窓枠の間に圧迫されているため、出すことができません。
頭部だけでも水中から出そうと、頸椎損傷を考慮しながら、両手で下顎挙上を行い徐々に頭部を後ろにそらしてみましたが、全額部までしか水面から出ず、また、このとき総頸動脈を触診しましたが脈は感じられませんでした。
なお、救助隊は器材を活用し、車体を浮かそうとしましたが、乗り上げている車両が不安定で、落下の危険があるため救助には時間がかかると思われました。
この状態で、行える処置は人工呼吸しかないと判断し、そのためには水中から頭部を出すことを第一に考え、車外に出ている負傷者の体の下にテントを敷き込み、頭部を覆ってみたり、水路内の流水をせき止めてみたりしましたが効果は無く、また、マスクバックのマスクのみを水中につけ人工呼吸を行ってみましたがうまく作動しませんでした。
なお、負傷者の状況については本部を通じて事前に病院に連絡しておりました。救助が完了したのは覚知から28分後の20時18分でした。
救出完了と同時に観察を実施すると負傷者は、CPA状態、 瞳孔6ミリ、顔面蒼白チアノーゼ、全身冷感。しかし外観上外傷なし。
処置は口腔内吸引、7ミリの経鼻エアウェイによる気道確保、デマンドを使用してのCPR、スクープストレッチャーによる全身固定し、救急車内に収容、CPRを継続しながら搬送しました。搬送先は、管内の二次救急病院で、覚知から33分後の20時22分に到着しました。
事前に状況を連絡していたため、処置室には医師2人、看護婦3人が待機しており、
到着後、直ちに気管内挿管、ルート確保、薬剤投与、モニター装置が行われ、救急隊はCPRを継続しました。 病院到着から2分後、モニターで心室細動を確認、医師が除細動を実施したところ、1回でモニターに波形が表れたため、一旦心マッサージを中止し、人工呼吸のみを継続していると、徐々に、等調律の波形に移行し、
毎分52回の総頸動脈にて触診可能な状態まで回復しました。救急隊はここで帰署しました。
その後の経過について、後日、担当医師に照会すると、負傷者をICUに収容した後、1時間後に自発呼吸が表れ、2時間後には対光反射も出現、血圧も142/74と安定したとのことです。なお、前後しますが病院収容時の負傷状況は、頭部、胸部、
腹部打撲。左大腿骨・左膝蓋骨骨折。内蔵損傷とのことでした。
救急活動の時間経過は次のとおりです。
1 胸部が圧迫されていたことにより、肺の中に水が入らなかったこと。
まとめとしまして本件は、水中に沈んでいる負傷者を目の前にしながら、約30分もの間何も出来ない、救急隊員として大変残念な事例でありました。しかし、今回の事例は、通常ならば「まず蘇生は無理であろう」と考えられる状態であっても、条件さえ良ければ蘇生のチャンスがあることを示してくれた例であり、この教訓を生かしどんな事例であっても決してあきらめることなく救急活動にあたりたいと思います。また、本件の現場活動に関しアドバイスがあればよろしくお願いいたします。
(大洲地区消防本部 芝 田 隆)
(助言者 新 田 賢 治)
(愛媛大学看護婦 土 居 早百合)
ありがとうございました。
(演者 山 本 伸 一)
わたくしの所属している南宇和消防署は、ここ宇和島市より車で約 1時間南へ走っ
たところにあります。一つの町と一つの村の五ヶ町村の事務組合で管内約3万2千人、
1本部1署で運営されています。年間の救急件数は 700件余りとそう多くはありません。その中での救急活動の一例として、地元の病院から香川県丸亀市の香川労災病院への転院搬送を事例にあげてみました。
潜水作業中に体の異常を訴えた作業員より救急要請がありました。現場は海中公園鹿島の船の発着場付近で署から約10分程度のところです。
現着時、意識の状態や呼吸状態もよく、酸素を投与しながら病院へ収容し、救急隊は帰署しました。その後、病院側より処置不能のため香川県丸亀市の香川労災病院へ転院依頼により出場をおこなったものです。
覚知時分病院からの要請が16時20分、出場時刻が16時22分、出場隊員は 2名、現場到着時刻南宇和病院に着いたのが16時26分、署を出て4分後。 それから2分後の16時28分医師が1名同乗し病院側で酸素の投与と輸液を継続しながら出発する。途中隊員同士で運転を交替し、香川労災病院へは署を出て4時間45分後の21時07分に到着し、署を出て10時間28分後の02時50分に帰署しました。
問題点としては、長時間の緊急走行となるので、事故の危険性が高く、患者の容態の変化が懸念されます。また、中継搬送も考えましたが13の消防本部を経由するため、中継先を考えずそのまま搬送しました。
このような、病院収容までに5時間かかる救急はごくまれです。 昭和53年度からの18年間で14回あり、そのうちヘリコプターを利用できたのが5回ありますので9回だけですが、ただ地域性として管外への救急搬送がかなり多いのは確かです。
松山市の病院まで約3時間、宇和島市の病院まで約1時間かかります。昨年度の管外への搬送の割合は 6.7%でしたが、平成4年に県立南宇和病院が新築移転するまでは15%以上を占めていました。 転院搬送だけではありません。夜間の当直制度もなく管内の収容医療機関がない場合にも宇和島市、津島町、高知県の宿毛市などにもよく搬送していました。
そういう理由で長時間の救急搬送には、消防署ができた当初から慣れきっており、
また今までに大きな事故がなかったのをいいことに、何の策もとっていないのが現状です。でもそれでいいのか。それとも何かしなければならないのか疑問に思っています。
他の消防さんはどんなやりかたをしているのか、この場をお借りしてお聞きしたいと思います。
(東宇和消防本部 渡 辺 幸 司)
(上浮穴消防本部 織 川 真 二)
目的としては長時間の緊急搬送になるということ、もう一つは病院の位置とか緊急の場合に病院に緊急非難的に飛び込むとき、地理不案内ですから隊員も不安である。ということから、転院先医療機関に一番近い消防本部さんにお願いしているのが現状です。
中継事例をどのようなときしているかといいますと、管内にスキー場があり、高知県の人が事故をしたとき高知県へ救急搬送してくれと、患者側の都合が非常に多かった。そういうことから、中継搬送というかたちで、高吾北消防さんと協定を結んでおこなっています。
あと問題になるのが、転院の長距離搬送で中継をするとき、同乗の医師・看護婦さんを患者とともに中継してもらえるのか、もしくは中継地点で上浮穴消防と一緒に帰るのか。という問題もありますが、医師の管理下に搬送しなければならない場合は、高知市内まででも搬送はしております。しかし、患者の強い希望があり、管内の医師が認めた場合には、同乗されないこともありますのでその時は他市の消防署へ中継をお願いしています。
(今治地区消防本部 菅野 悟)
菊間町あたりでは、松山市の病院へかかっている人が多いが、原則として管内の救急病院・二次病院へ搬送後、病院からの要請で松山市等の病院へ搬送することにしています。それ以外に救急現場から直接管外ということになりましたら、北条さん、周桑さんに中継をお願いしています。
(座長 中 村 久)
(助言者 新 田 賢 治)
(顧問 越 智 元 郎)
(宇和島地区消防本部 毛 利 正 光)
(顧問 越 智 元 郎)
高知医科大学(0888-66-5811)に2.5気圧。高知脳神経外科病院(0888-40-3535)に3気圧。内田脳神経外科(0888-43-1002)に2気圧の高圧治療器を設置していることまではわかりました。
いずれも、高知市内です。
こういう集まりは人と人とのふれあいですが、いま、雑誌・テレビ等で宣伝され皆さんよくご存じだと思いますが「インターネット」ということば。つまりインターネットという計算機のネットワークですが、そのネットワークを通しますと、われわれが今こうして集まっている全く同じことが実現できるんですよ。ということを申し上げたくて時間をいただきました。(スライドにて説明)
インターネットというのは、皆さんご存じのように「コンピューター」でつながっ
た状態ですから情報発信ができます。情報発信は越智先生が重要な救急関係を流しておられるが、これはだれでもできます。もちろんわたくしにもできます。
宇和島市長・病院長のあいさつとか、腎臓バンクの協力依頼のお願いが簡単に紹介できます。
救急医療関係者の皆さんでこのネットワークをつくったらどうなるか。ということで、たまたま作ることができましたので紹介します。
わたくしどものネットワークというのがあります。これが「インターネット」といって世界とつながっているネットワークですが、7月初めに宇和島消防さんと専用線でつなぐことができました。 つなぐには面倒な手続きがありまして、世界に一つしかないIPアドレスというアドレスを送りますが、それを機械の中に教え込んでやります。
インターネットですから、一つのデーターを届かそうと思えば幾つも幾つも送れば届きます。
そのときに一つ問題になるのは、インターネットはこういった会合と同じことが出来るから、「声が届いて欲しい」「映像が届いて欲しい」ということになります。今後そうなると思いますが、この音声と、映像を届かそうではないかという実験を、
わたくしどもでやっています。いま、わたくしが話している音声を 3ケ所に同時に届かせたいとすると、同じことを 3回話さないといけない。
この技術ではネットワークとしては非常に負荷が大きい。ではどうするかというと、お隣さんに一つだけデーターを送ってこの 3つに届くようにする仕組みにしてやれば、できるではないか。
このようなやりかたで、音声とか画像を通すようにしております。黒板にわたくしが書いた場合同じものが宇和島消防さんでも見え、愛媛大学医学部でも見えます。
つまり、インターネットでつながっている所は全部見える。
ボタンを押してマイクロホンで話すと、インターネットでつながっている組織に届いてしまう。いま、わたくしたちが集まっているこの状況が、この画面のこの位置で、たとえば愛媛大学の白川教授が現れてお話しになる。ことも可能になっています。
インターネットというのは、一つは情報を発信するという重要なこともありますが、それ以上に音・声・映像がとおりますよ。ということを申しあげましておわらせていただきます。
わたくしは外科医でありまして、これまでずっと何らかの形で救急医療にかかわり合ってきました。そしてこの中では勿論、急患の外科治療を中心にやってきましたが、救急医療というものは病院だけで自己完結するものではありません。患者さんがどの様にしてどこに運ばれ、どのように治療されるかというシステムが大切であります。そういうことで、常に救急のシステムにも関心を持ち、またシステムと共に歩んできた訳であります。
わたくしは今から25年程前の昭和46年にドイツにいました。ドイツではその頃にはすでに救急体制は完備していまして、大学が中心となって三次救急を行っており、
大学の外科の当直は 5名でした。そして搬送の方も進んでおり、重症は救急車で運ばれる他に、既にヘリコプターも利用されていました。その後、臓器移植が盛んに行われるようになって、ヘリコプターの役割は一段と重要になってきていると聞いています。ヘリコプターについては、愛媛県でも今回整備されるようですから潜水病に限らず、できるだけ利用することが将来の発展につながるものと思われます。
翌年の昭和47年に宇和島に赴任してきましたが、当時の日本では全国的な制度として救急告示病院制度というものがありました。しかしこれはシステムして運用できる様な体制ではなく、いわば「うちの病院は救急もやっています」という表示の様なものでした。宇和島ではその救急告示病院もなく、救急システムとしては、休日の輪番制宅直医制度だけでした。当時は医師の数が現在の約2分の1から3分の1程度で、急患をもらさずに受け入れることは非常に困難でした。しかし、その中で、公式にあるいは非公式にできるだけのことはしようということで、本院と社会保険病院との間で当直を調整したり、あるいは医師会や市の強力で急患医療センターができたりして、徐々に救急体制が改善されてきました。そして平成 4年に南予救命救急センターが開設され、救急システムは大きく前進しました。
現在の日本の救急システムを復習しながら、当地方のシステムを整理しますと次のようになります。(スライドにて説明)
全国組織としては、救急告示病院が古くからありますが、法規制や義務のようなものがあまり明確ではなく、現在では初期・一次・二次体制の方に移行しつつあります。この制度では、三次については義務・規制・援助などが確立されており、救急医療の大黒柱になっています。ただ、この三次にたどりつくまでの一次と二次には明確な定義がなく、地域によって、あるいは都会と田舎の差などによって充実度が異なっています。南予では、このシステムの三次救急に属するものとして「南予救命救急センター」があります。
それから二次救急らしきものとして「病院群輪番制度」というものもあります。 その他のものとして、医師会による「休日在宅医当番医制度」と自治体による「宇和島地区急患医療センター」があります。この2つは大体一次救急に属するものと考えられます。
以上、救急システムの歴史と現在の概略について述べましたが、これからは実際の問題点について説明したいと思います。
南予救命救急センターは平成4年に開設されましたが、その際、敷地面積の関係から独立した建物を作ることができず、既設の建物を一部改造して作りました。そのため一次救急から三次救急まで全ての急患は同一の窓口で受付けられます。ですから、入り口ではどの患者さんが何次救急の患者さんであるのか区別はできません。
一次救急から三次救急まで全ての外来急患の年次推移は、開設の平成4年度には約5千人の急患があり、次第に増加して、平成 7年度には約 8千人になっています。
この総数を措置別に分類しますと、診察後に帰宅した
人が全体の約75%で、これが一次救急に該当します。次
に本院に入院した人が20%足らずで、これが二次救急に
あてはまります。そして救命救急センターに入院した患
者さんが 約7%で、この患者さんが三次救急患者として
登録され県に報告されます。DOAかそれに近い状態で
外来に搬入された患者さんが、もしセンターに収容され
るまでに死亡されますと、この最重症の患者さんは、当
センターては三次救急患者として計算されません。三次
救急施設に入らなかったからです。これが 0.6%あります。
1日当たりの数値で4年間の推移を見ますと、開設当時には急患は1日13人であったものが、平成7年度には 22人に増加しています。そしてその増加の要因は軽症の患者さんでありまして、帰宅の人が9人から17人に増加して、全体を押し上げる結果になっています。
少し余談になりますが全国各地の三次救命救急センターの動向について少し補足します。
現在日本には100以上の三次救命救急センターがあり、それらは大きく2つの方向に分かれる傾向にあります。その一方は建物も機構も独立していてほぼ純粋に三次の疾患のみを扱うセンターで、文字どおり独立型と呼ばれます。この独立型では入院率が約80%といわれます。
もう一方の形は建築様式または設立目的から、一次も二次も一緒に扱う併設型と呼ばれます。この型では三次の患者さんに加えて、その数倍の急患を扱いますから、
入院率は20%程度になるとされています。この併設型の典型としては神戸市民病院が有名で、帰宅率が90%以上といわれています。当院もまた併設型であり、かつ市民病院としての性格上、神戸市民病院と同様の傾向をみせております。三次救命救急センターの設立によって三次急患が増加するのは当然でありますが、夜間の外来患者が増加して医師・看護婦などの負担になっており職員増員のための援助が望まれます。
次は外来の急患の地域別分類ですが、 当然のことながら宇和島市が一番多くて 65%、次が北宇和郡で22%、以下東宇和 郡、北宇和郡周辺の高知県と続いていま す。
センター入院の地域別分類ですが、患 者数の順は変わりませんが、率としては 宇和島市が外来患者の場合より少なくなっ
ています。
外来急患とセンター入院の地域別分類 を比較するとよく分かりますが、宇和島 市から遠い地域では、軽症はその地域の 医療機関を受診し、重症の場合に三次救 命救急センターを利用しているものと考 えられます。
患者さんがどういう方法で来院されたかをみますと、患者全体では自家用車・タクシーが一番多くて71.4%、救急車が22.6%、そのほかに歩いて来たなどという人もいます。おなじ搬入方法について救命救急センターに入院した人に限って集計してみますと、さすがに救急車が圧倒的に多くて74.3%、自家用車・タクシーは 25.7%、その他 0%でした。
やはり搬入法ですが、ちょっと角度を変えて、救急隊の皆さんが搬入した患者さんについて、診察後にどんな措置を受けたかをみました。診察後にセンター入院が19.2%、本院入院が42.1%で、合わせて約60%が入院しています。死亡も含めると65%の人が重症といえます。
帰宅は36%でした。まずは、節度のある救急車の利用法といえそうですがいかがでしょうか。
外来患者の疾患別分類では、いわゆる急病がいちばん多くて85%、次が怪我で10%強、交通事故は約5%で、割合に少ないという結果でした。
ここからは、救命救急センターに入院した
重症の患者の集計になります。センターに収
容された患者さんの病気の内訳は、重症心疾
患が約26%、脳出血脳血管障害が約25%、重
症ショック14%、重症呼吸障害11%となって
います。これらの患者さんの治療の結果の死
亡率はいずれの疾患も10〜20%であり、全体
としての救命率は87%でした。三次救命救急
センターとして常識的な数字です。
以上、はじめに救急体制・システムについ
て述べ、次に市立宇和島病院の急患について
集計を中心にしてその現況をご覧にいれまし
た。救急医療については多くの部署の連携が必要です。
今後とも皆様との信頼を深め、また連絡を密にしてやっていきたいと思っています。よろしくお願いいたします。
ここで次回の研修会についてご案内させていただきます。
次回は平成8年11月30日(土)に新居浜市の「リーガルロイヤルホテル」で開催を予定しております。多数ご出席くださいますようご案内もうしあげます。
本日はありがとうございました。
○事務連絡(事務局)「第2回 愛媛救友会(宇和島大会)」の報告について
1.ご指導いただいた顧問の先生
2.開 会(午後1時)
会長あいさつ(竹 村 武 士)
皆さんこんにちは、本日は第2回愛媛救友会を宇和島市において開催することができました。
顧問の先生あいさつ(顧問 三 谷 晃 良)
皆さんこんにちは、わたくしは一番あとでつくられました、東予救命救急センターの三谷と申します。
来賓あいさつ(宇和島地区消防本部消防長 尾崎 勲)
ただ今ご紹介をいただきました、宇和島消防の尾崎でございます。
3.自由演題
座 長 東温消防本部 束 村 公 則
(1)演 題 「宇和島地区の救急概況と救急救命士の今後」
宇和島地区広域事務組合消防圏域は、宇和島市と北宇和郡1市、5町、1村を管轄し、1本部、1署、3分署で構成されており、管内人口約12万人に対し、職員129名で火災・救急・予防業務に当たっています。
高規格救急自動車に乗って現場に到着したとき、患者また家族からの信頼感みたいなものを身に感じたことはありますか。
宇和島地区は今わたくしだけが救急隊員の服装をしており、胸に救急救命士のワッペンを付けております。そして聴診器を付け大きな救急カバンを持って現場に行きますと、患者の家族はいつも見るのと違うな。と言うような雰囲気は感じられます。まだPRが不足しておりますが、救命士が来たらどうにか成る。という事をもっと分かってもらえるよう努力して行きたいと思います。
(2)演題 「日赤奉仕団活動内容紹介」
日赤愛媛県支部からやって参りました加地と申します。
一点お伺いします。今年愛大に赤十字から来ていただき、一年生に講習をお願いしましたが赤十字の方から、学生を見て失望したといわれました。まだ来たばかりの学生で大学の責任では無いのですが、中学とか高校とかの段階での救急法とか指導の機会が無かったということも意味していますが、その段階での指導活動はされておりますか。
まずお答えする前に一番大きな問題でございますが、個人的にわたくし達指導員の中で失望した者は一人も居ないと思います。大変すばらしい愛媛大学医学部の生徒さんに対して失望したということはございません。先生にお話ししたのは、他の短大とか色々な学校へ行きますが、内容的には愛大の学生さんは医学生だから専門的な事を知っているだろう。という先入観を持って行く指導者もおりますから、そういう点でまだこのことについて知らなかったんですね。と思った指導者は居たかも知りません。一般の学生に比べたらレベルはずっと高いと思いますので、まずその点をお断り申し上げておきます。
高校はどうですか。
高等学校の場合は、専門的に習おうというクラブもありまして、現在社会福祉的なものも認識が深くなってきておりますので、真剣にCPRを習おうという風に授業に取り入れている生徒さんは沢山いらっしゃいます。ただわたくし達が一般に多いのは、体育部の代表の生徒さんたちを集めた状態で指導するという形が多いですが、段々熱心にはなってきていると思います。
(3)演題 「ナースから見た救急隊員」
看護部から長期研修に出席する旨の指示を受けた矢先に、愛媛救友会から今日の宇和島大会の連絡をうけました。わたくしの頭の中は研修のことで一杯になっていましたので、これは大変と思いましたが、「ナースから見た救急隊員」というテーマでお願いします。といわれ、それならば日常的に接している方々のことだから何とか喋れるだろうと、「はい、お受けします。」と、返事をしてしまいました。とにかく長期研修を済ませて、 7月25日に帰ってきてから一週間のうちに考えようと心積もりをしたことが間違いでした。さて、スピーチ原稿を書こうとペンを持っても、何もでてきません。ならばスタッフに話を聞いて情報収集をしましょうと、次なる手段を考えましたが、わたくしに付きあえる暇などスタッフにはありません。そこで自由記述形式として書いてもらおうと、アンケートを用意して、やっと準備をしましたので、貴重な時間を使って聞いていただくには内容が薄くて恐縮いたしております。
今わたくしも病院研修をしており、何が怖いかといいますと。看護婦さんと看護士さんの目や、言葉や、態度に非常に怖いものがあります。お話しを伺いまして、そちらで研修をされている救命士さんと私のおかれている環境が違うのではないか。という気はします。
人は皆それぞれですが、熱心に勉強されるかたと、時間が過ぎればいいか。という両方のタイプの人は確かにおられます。
災害時に病院自体のシステムはどうすれば良いか。また、それに対する訓練も必要ではないか、といわれておりますが木村先生コメントをお願いします。
いま本田婦長が話しておりましたが、わたくしは去年一年間のほとんどは、阪神大震災の後をどうするか。という会合に出席したといっても過言ではないです。
(4)消防職員意見発表
「 贈 る 言 葉 」
(紹介者 大洲地区消防本部 芝 田 隆)
4.事例研究
座 長 東宇和消防本部 中 村 久
助言者 市立宇和島病院南予救命救急センター
新 田 賢 治 先生(1)演 題 「交通事故による心肺停止傷者の活動事例」
演 者 大洲地区消防本部
救急救命士 山 本 伸 一
当署におきまして、交通事故により車両が水路に転落、運転者が30分以上もの間、
流水の中に沈んだ状態になりながら、心肺機能が回復したという事例がありましたので、現場での活動状況を含めご報告いたします。(スライドにて説明)
10月〇日 19時50分 ──┬── 覚知
51分( 1分) ──┼── 出動(ポンプ車隊、救助隊、救急隊)
──┼──
53分( 2分) ──┼── 現場到着 救助活動開始
20時18分(28分) ──┼── 救出完了
20分(30分) ──┼── 現場出発
22分(32分) ──┼── 病院到着、医師へ引継ぎ
24分(34分) │ VF確認し除細動実施
│ 心拍再開
──┼── ICUに収容
21時30分 ──┼── 自発呼吸再開
22時30分 │ 対光反応出現、血圧安定
──┴── 小康状態
7日後 00時45分 多臓器不全にて死亡
( )内は覚知からの時間経過を示す。
本件の負傷者が30分以上もの間、水中にありながら心肺機能が回復した理由を担当医師に尋ねたところ
2 胸部に損傷が無かったこと。
3 体が水中に有り、低体温になっていたこと。
4 負傷者が比較的若かったこと。
等があげられ また「心肺停止原因としては溺水だけでなく胸部圧迫による外傷性窒息の疑いもある」と説明がありました。
同じ消防本部の者として二点お聞きしたいのですが、現場が救急病院の近くでしたので、医師要請も考えられましたが、医師会との構築ができていないので実施しませんでした。この事例で医師が現場に来た場合は、なんらかの処置が出来たのかご助言いただきたい。もう一点はデマンドバルブが水中で使用出来るのかどうか助言をお願いします。
CPRができる状態で麻酔科の医師として現場へ行ったとき何をするかといえば、
胸の圧迫の程度はどの程度か。自動車で圧迫されていれば気管内挿管してもまず換気が出来ないであろう。そして水の中であるということから、気管内挿管をすればまた状況は違うと思いますが、マスク関係はまず無理です。手をこまねいて見ているだろうと思います。
この症例を聞かせていただいて、わたくしもレスキューの実習に行かせていただきましたが、大変な状況というのがよくわかります。この症例で、現場での応急処置でスクープストレッチャーにより全身固定したとお聞きしましたが、スクープストレッチャーがどういう物か教えていただけますか。それと、この若い女性の方をあきらめずに蘇生され、残念ながら一週間で亡くなられたということですが、家族の方、わたくたち看護婦としては時間が持てて救われたのではないかと思いました。
スクープストレッチャーの実物があればよくお解りいただけたのですが、カタログでお許し願います。簡単に説明しますと、体をすくう担架だと思ってください。
(2)演 題 「遠距離救急搬送の事例」
演者 南宇和消防本部
救急救命士 大 戸 孝 一
最初にお断りなんですが、近年救急の高度化が叫ばれているなかで逆行しているような内容ですが、気軽に聞いてください。
潜水病の患者と思いますが、わたくしのところも 2件の事例がありました。これは医師を同乗されておりますが、うちの場合は患者さん自体が病気にかかられたのが2から3回目で、自分の症状がわかっており直接香川の方へ運んでくれ。ということで、救急隊員も状況を判断しまして、南宇和さんと同じように何時間もかけて搬送している状況です。
中継搬送ということですが、上浮穴消防の場合は高知県内ですと、高吾北消防さんとか嶺北消防さん、で中継をおこなって高知市内へ搬送しております。県内でも今治消防さん、西条消防さん、つい先日は南宇和消防さんに御荘町まで搬送していただきました。
今治消防では島部消防さんから搬送してくる患者は全員中継搬送、管内の救急告示病院へ搬送しています。直接香川労災病院等へ行く場合は、管外用の救急車を1台用意していますので中継搬送なしで2名で出動しています。その時は人員確保のため非番員を2名招集します。
高圧酸素療法についての患者搬送について助言を新田先生お願いします。
われわれが問題にするのは、どれくらいの深さで潜函病にかかったのか。ということですが、愛媛大学に 1台高圧酸素治療器があります。それで治療ができればいいのですが、わたくしが勤務していたときにあったのは、水深が10メートル程度で潜函病にかかった人しか救えなかった施設だと記憶していますが、愛大の越智先生いまはどうですか。
愛媛県内では、愛大、新居浜労災病院、そして東予救命救急センターの三箇所にあります。愛大は絶対気圧 3気圧までですので20メートルのところまでですが、実際には10メートルまでであれば潜函病はおこりません。20メートルでもあまりおこらないと思います。新居浜労災病院は絶対気圧6気圧までできますし、東予救命救急センターは絶対気圧3気圧と聞いておりますので連絡が取れれば搬送の対象にしたらいいと思います。
先生方におうかがいしたいのですが、高圧治療器ですが県内の状況しか把握されておられないようですが、例えば宇和島からみた場合丸亀に走ったことも確かにあります。高知にも設備の整った病院があり丸亀に走るよりは、時間的に近いと思いますが、消防に転院搬送の依頼があったときには病院からすでに、どこそこ病院というように手配がついた後で要請があります。あとからあっちに病院があるのにそこにできませんか。という話はできないのですが、特にこういう治療器はどこの病院に、近いところにあるんだ。という情報交換はないのでしょうか。
高知のことはわたくしも知りませんでした。高知は南予からも近いと思いますので調べてみます。(後日調査の結果)
(3)演 題 「インターネットについて」
市立宇和島病院
新 田 賢 治 先生
議題にないことを急にお願いしました。
5.特別講演
司 会 宇和島地区消防本部 桐 島 信 幸演 題 「南予救命救急センターの現況について」
講 師 市立宇和島病院南予救命救急センター
センター長 木 下 研 一 先生
第1回の愛媛救友会では、DOAの話やヘリコプターの話、それに高規格救急車と、最先端の話題が盛りたくさんでしたが、今回は南予の救急医療を総合的に眺めてみたいと思っております。といいますのは南予では明確に定義された三次救急以外にも様々な救急制度が折り重なって運営されていますし昔からあるいろいろなシステムが折り重なって運営されております。また市立宇和島病院では三次以外に初期・二次の患者さんが毎日入り乱れて来院している状態もあり、これも合わせて報告したいと思っております。6.閉 会
副会長あいさつ(山 地 肇)
長時間にわたりましてご指導いただきました先生方をはじめ、発表者の方、フロアーにお集まりの方どうもごくろうさまでした。今回生まれましたことをこれからの救急現場等に生かしてまいりたいとおもいます。
研修内容等に関しご意見・ご希望がありましたら、事務局までお知らせください。
7.親睦会(16時00分〜18時00分)
gochi@hypnos.m.ehime-u.ac.jp までご意見や情報をお寄せ下さい。