危機管理へのポリエージェントアプローチ

−情報ネットワークシステムの効果−

(経営情報学会1997年春季全国研究発表大会予稿集、pp.73-76)

電気通信大学大学院情報システム学研究科
田中健次


目次

abstract
1.はじめに
2.緊急対策システムと情報システム
3.意思決定におけるメタ階層の役割
4.ポリエージェントシステムにおける情報拡散
5.まとめ
参考文献


Abstract: When we face to unpredictable or unexpected disasters, Information system and concentrated type of emergency organization are often not useful. Therefore, we propose a decentralized poly-agent system type of emergency organization. The poly-agent system performs on the basis of information network system not to gather information but to spread information like the internet system.

1.はじめに

 突発事象への対応、想定外事象への対応など企業組織や自治体が危機管理とし て対策すべき課題は多い。特に災害発生時には、緊急対策システムが組織され、 迅速な対応がとられるものと期待されている。しかしそれらは、情報が対策本部 に集約されることが前提であり、情報がなければ意思決定は円滑に行われず、初 動体制の遅れが生ずる。

 そこで、情報の集約を前提とする集中型対策組織ではなく、分散系のポリエー ジェントシステムタイプ(多主体組織)[4]の活動に注目しよう。多主体組織が協調 して活動するためには、組織間の情報共有が必要不可欠であり、インタネットを 利用した情報拡散タイプの情報ネットワークを利用することが有効と思われる。 事例をもとにその可能性を議論しよう。ここでは、危機管理を災害対策などの危 険管理の意味と考える。  

2.緊急対策システムと情報システム

2.1緊急対策システムでの意思決定プロセス

 多くの場合、緊急時には、平常時とは異なる組織が緊急に形成されることにな っている。企業のように同一組織内でそれが形成される場合や広域災害に対して 公的機関が複数集まって組織化する場合など様々なケースがあるが、緊急組織で は共通に、1)人が集められ、2)集められた情報を基に、3)意思決定がおこなわれて、 4)その結果が伝達される、という4つのプロセスが遂行される。しかし、各プロ セスにおいて次の問題が考えられるだろう。

[P1]必要な人を所定の場所に集められるだろうか。

[P2]必要な情報は収集されえるだろうか。

[P3]緊急組織は、往々にして縦割り組織を横断的に編成する組織である。意思決 定がスムーズに行われるためのヒューマンコミュニケーションは十分であろうか。

[P4]意思決定の結果を短時間に末端まで伝達することはできるだろうか。

2.2情報システムの機能前提

 上記のプロセスでわかるように、緊急対策システムが機能するためには情報通 信システムの正常稼動が前提となる。しかし、災害時には要の情報通信システム が機能しなくなることが多い。

<例1> 阪神・淡路大震災(95.1.17)

 兵庫県知事の「準備したことは全然動かない」([2]、p393)という嘆きは、それを 端的に示している。震災の3年前、70億円かけて設置した緊急用衛星通信システム は、そのシステムに電力を供給する発電設備、緊急避難設備が壊れたため、役に たたなかった。

<例2>北海道豊浜トンネル崩落事故(96.2.10)

 この事故では、トンネルを管理する北海道開発庁開発局(札幌)が、対策本部 を現地(小樽近く)に設置し、小樽の所長が対策本部長として陣頭指揮に当った。 しかし、札幌の上位組織との通信のための機器でトラブルが発生し、情報伝達に 障害が生じた。

 当初開発局は、現地で携帯電話を使用する予定であったが、山と海に囲まれ豊 浜トンネル付近では、その地形的な制約から使用できなかった。近辺の公衆回線 は、後日NTTが緊急回線を増設するまで1本という状態である。また、開発局 の上位組織(札幌)は現地の様子を衛星回線を利用した静止画面でモニターしてい たが、衛星のトラブルでダウンした日もあった。

 このように、情報通信システムは常に震災の外部に位置するもの(図1(a))と 思い込みがちだが、準備されていたシステムが災害に巻き込まれると(図1(b))、 被災地内での情報収集と同時に外部との情報ネットワークも断絶し、隔離状態 となる可能性がある。

 これらハードの問題では、特定の場所でのシステムづくりという固定観念を 疑問視することから始めるべきである。例えば、アメリカのLA市には、移動 式緊急対応センター(MEOC:Mobile Emergency Operations Center)がある。 それは独立した指揮通信機能を有する全長12m、18輪の巨大トレーラーである。 日本国内でも、フジタは自前の緊急対応車を用意し衛星通信システムを確保し ていたため、阪神大震災時に神戸―東京間の通信で活躍した。移動車であれば、 震災後に震災地内部に入って行動する事ができ、その機動性と独立性の意義は 大きい。

図1 情報システムと被災地との関係

2.3緊急時の情報ネットワーク

 それでは、情報通信システムが物理的に機能すれば問題ないかというと、そ うではない。次に緊急時の情報ネットワークの利用の問題がある。

<例3> 阪神・淡路大震災(95.1.17)

 阪神大震災では、通信機能が復旧し始めても、情報を集約させるはずの国土 庁に情報は集まらなかった。当初、国土庁を中心とする「緊急対策本部」が対 応にあたったものの、この本部は法律的裏付けのない組織だったからである。 各組織の平常時の報告義務は、

  自衛隊――――――――→防衛庁
  警察・消防・都道府県―→自治大臣
  海上保安庁――――――→運輸大臣 

であり、並列構造になっているから、国土庁に情報が集まらなかったのも当然 の結果といえる。

 もし、災害対策基本法 105条に基づいて「緊急災害対策本部」が設置されて いたならば、本部長は総理大臣となるため、情報は上位レベルの総理官邸に集 約されたかもしれない。

 縦割り組織では、水平方向の情報伝達はほとんど行われていないのだから、 緊急時だけ情報を水平方向に伝えるなどのネットワーク変更は難しい。

 したがって、緊急時のみ形成される組織活動は最小限にすべきであり、情報 の集中化にも頼らない対策システムが望ましい。そこで、ポリエージェントシ ステムを考えることにしよう。

3.意思決定におけるメタ階層の役割

3.1 メタ意思決定層

 そもそも、なぜ緊急対策システムを組織することが必要なのだろう。それは、 平常時とは異なる状況に対して、適応的な新しい行動を決定することが必要だ からである。しかし、そのような行動決定のために新しい情報を「集める」こ とが必要なのだろうか。上位の(あるいは横断的な)意思決定組織の形成が不可 欠といえるのだろうか。

 上位意思決定層の役割を、Kickertのモデル[1]を拡張して解析してみよう。 それは通常の意思決定主体を支援するメタ主体の役割を解析するためのモデル であり、まさに、平常時とは異なる状況での組織対応を解析するためのモデル といえる。それを複数主体の場合に拡張する(図2)。

 モデル(a)は、メタ層が各組織の活動への意思決定をし、全体のコントロ ールを行う。このためには、情報の一元化・集中化が必要であろう。

 モデル(b)は、平常時の決定層に意思決定の権限を委譲するタイプと考え よう。下位への権限委譲により、上位層は下位層を調整する役に回り、コント ロールはしない。

 大規模な災害や、情報システムが不完全で不確実性が高い場合には、このタ イプが望ましいと考えられる。なぜなら、第一に、実際の状況やローカルな事 情は上位層よりも下位層(現地に近いレベル)の方が理解していること。上位の 層は現場に関する知識が乏しく、柔軟な対応はできないことが多い。第二に、 内部モデルの共有化を緊急時に短時間に行うことは難しいこと。緊急時にのみ 招集される集団では、共通言語がなく共通の認識も乏しいから、最適な決定が 行われるとは考え難い。

 (b)は、まさにポリエージェントシステム(多主体系)であり、このモデルに ついては4節でさらに考察しよう。

図2 メタ層を含む意思決定システムモデル

3.2 対応遅れの共通構造

 興味深いことに、豊浜トンネル崩落事故と病原性大腸菌O-157問題での対応 遅れには、共通の要因が存在する。両者の管理者がともに地方自治体ではなく、 国の直接管理下にあったことである。

 北海道のトンネルは北海道開発庁開発局(政府組織)が直接管理している。本 州のトンネルが各県によって管理されているのとは対照的である。だからこそ、 崩落の寸前に落石の兆候を地元警察に電話通報した人は、開発局に連絡するよ うにと「たらい回し」にされ事前回避に結びつかなかった。

 O-157問題でも、堺市は地域保健法で保健所設置を認められた特例市のため、 国から直接連絡、調整が行われ、大阪府は正式な手続きがなければ動かない存 在となっていた。このため、1996年7月12日堺市でO-157の集団感染が発覚した 際にも、大阪府食品衛生課は堺市からの要請待ち状態となり待機し続けていた。 堺市が大阪府へ応援を要請したのは集団感染が発生してから5日後の17日である。

 このように、物理的に遠隔となる組織が管理するシステムでは、突発事態へ の対応では遅れをとるという共通の構造がある。このことはモデル(b)の有 効性を示唆するものといえる。

4.ポリエージェントシステムにおける情報拡散

 ポリエージェントシステムで、[P1]〜[P4]がどのようにクリアされるかを考 えてみよう。

4.1 調整機能と危機対応のエキスパート

 ポリエージェントシステムでは、意思決定は各エージェントに委ねられるの で、人を集めたり[P1]、緊急の寄せ集め会議で意思決定をする[P3]必要性は小 さい。

 メタレベルの役割は調整機能であり、各組織が機能を果たすうえでのコーデ ィネータに過ぎない。しかし場合によっては、災害、危機管理に関する知識が 要求されることもある。従って、この分野のエキスパートの配備を考えるべき であろう。危機対応のプロでないメタな階層に、非常時対応の全てを期待する ことには無理がある。米国のFEMA(連邦緊急事態管理庁)は、実は救助隊や 捜索隊ではなくプロの連絡調整組織体であり[5]、最近、日本政府でも危機管 理の専門官の配置が検討され始めた。

4.2 情報集約から拡散へ

 しかし、費用の面から専門家を常に配置できるとは限らない。その場合、各 エージェントは自ずからの活動を自律的に適応させてゆくことが必要であり、 そのためには様々な情報の獲得はやはり必要である。しかし、平常時の情報シ ステムが使え、情報の一元化に比べてその収集と配布のステップは縮少される から、[P2]と[P4]の問題が致命的となる可能性は低いと思われる。

 さらにポリエージェントシステムでは、意思決定主体が分散されているから 「情報を集約させる」という形ではなく、「情報は共有の場に発信され必要な 主体が必要な情報を集める」という拡散型の発想が効果的である。もちろん、 上位の層も常に情報をキャッチし続け、調整のための情報を発することが必要 である。

図3 ポリエージェントシステムでの情報ネットワーク

 この方法の効果はインタネットの活用事例に見ることができる。O-157への 医師の対応や、重油災害へのボランティア活動に活躍したことはよく知られて いる。

4.3 災害対策におけるインターネットの役割

<例4> O-157対応での情報活用

 96年7月に大阪府堺市で集団感染したO-157への対応では、医療関係者は厚生 省からの情報ではなく、大阪市立大学医学部等が開設したWebページが大いに 役立ったという。その経緯は以下のようである。厚生省は各都道府県の保健所 に

  96.6.6厚生省生活衛生局食品保健課(食中毒担当)
       「食中毒事故発生防止の徹底について」

       添付:HUSの診断・治療ガイドライン('90作成)
           '90浦和市幼稚園におけるO-157感染の臨床報告書
を配布したが、保健所で情報は留まり、「平常通り」医療関係機関には伝わら なかった。急遽6月20日、厚生省健康政策局指導課(医療担当)は「食中毒事故 発生防止の徹底について」という一般的注意事項だけを各都道府県の医療担当 課にFAX。情報が末端まで流れにくいことを示す例であろう。

 これに対し、インタネットでは、7.19 大阪市立大学医学部付属病院で「O-157 溶血性尿毒症症候群治療記録」のページが設置され、7.25には日本集中治療医 学会がホームページを立上げられた。初めて扱う症状への対応方法に困った医 師は、これらから得られた情報が参考になったといわれている。前者のページ には2万5000回以上のアクセスがあり、メイルは500通以上にのぼったという。

<例5>救急・災害医療ホームページ

 愛媛大学医学部救急医学教室は、大災害時の情報伝達及び非災害時での情報 提供などを目的として Global Health Disaster Network(GHDNet)を設立した。 全国の医療従事者、消防関係者、災害行政担当者、一般市民のためのWebページ、 非公開MLが開設され、活発な意見交換が行われている。

<例6>ボランティアへの情報

 北陸の重油災害でのボランティア活動では、集合場所、時間、必要所持品の リストなどがWebページに公開され、
 −不特定多数者への情報提供、
 −必要な場所への誘導。各自の判断を支援、
という点で、インターネットの効果が確認された。

 インターネットの特徴には、即時性、同時性、双方向性がある。それを利 用するシステムでは、
 −コントロールではなく、自律的な活動を支援、
 −利用者に上下関係がない、
 −各自の判断で利用できる、
 −多対多:強制なし、
 −相手をキャッチする必要がない、
などが特徴となる。情報内容の質の問題や、公開可能性などの問題はあるが、 ポリエージェントシステムで各エージェントが自律的に活動するためには、 上記の特徴を有する情報ネットワークが必要と言えるだろう。

5.まとめ

 ポリエージェントシステム型の緊急対策システムが好ましいのは、インタ ネットなどの情報共有、拡散型のコミュニケーションにより、緊急時にも各 主体が多くの情報を獲得できること、平常活動の延長として適応的な活動が できる可能性があることによる。企業における危機管理対策でもこれらのシ ステム作りの方法は参考になるであろう。


参考文献

[1] Kickert, W.M. and J. P. Gigch, "A Metasystem Approach to Organizational Decision Making," Management Sci.,Vol.25, No.12, pp1217-1231(1979).

[2] 二階俊博、「日本の危機管理を問う」プレジデント社 (1995).

[3] 田村真也,田中健次,「事故対策組織における望ましい組織構造と組織間 調整に関する考察」経営情報学会1996年秋季全国研究発表大会予稿集、 pp.73-76(1996).

[4] 田中健次,「システム安全へのポリエージェントアプローチ」『マルチ メディア社会システムの諸相』(高木・木嶋編),第7章 日科技連出版社, (1997).

[5] 住友海上リスク総合研究所監訳「FEMA−企業と自治体のための総合地 震対策指針」,日本規格協会(1995).

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電気通信大学 大学院 情報システム学研究科〈運用学専攻〉 田 中 健 次
http://www.tanaka.is.uec.ac.jp/


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