人的被害の予測

京都大学防災研究所巨大災害研究センター 河田恵昭


   本ペ−ジには日本救急医学会主催、第2回災害医療セミナー(1997年2月28日)における河田教授のご講演要旨を掲載させていただきました。ご協力を賜りました河田教授に深謝申し上げます。なお同セミナーのプログラムセミナー参加者による印象記も収載されていますので、併せてご参照下さい(Web担当者

目 次

1.まえがき

2.人的被害の予測の精度と上限値

3.人的被害のミクロな予測手法とその適用例

3.1 建物の倒壊による人的被害
3.2 火災による人的被害
3.3 鉄道事故に起因した人的被害
3.4 高速道路災害による人的被害
3.5 斜面災害による人的被害
3.6 ブロック塀等の倒壊と落下物による人的被害

4.人的被害のマクロな予測手法とその例

5.あとがき


1.まえがき

 被害地震の発生以前を対象とするリスクマネージメントの段階において,マルチシナ リオ型の被害想定の中核をなすものが,人的被害の予測である.これが,被害抑止( Mitigation)と被害軽減(Preparedness)の質と量を,すなわち防災投資額を決定す る.一方,発生直後を対象とするクライシスマネージメントでは,生命の安全の確保 が最優先される.そして,どの程度の人的被害が発生しているかを精度よく評価する ことは,応急対応(Response)や復旧・復興事業(Recovery)の成否を大きく左右す ると言っても過言ではない.

 従来,人的被害としては,建物の倒壊や火災によるものだけが定量的に評価され,そ れ以外の,たとえば鉄道災害や落下物災害などについては算定できないとされてきた .しかし,兵庫県南部地震が,早朝ではなくて異なる季節や時間帯,たとえばラッシ ュアワー,ビジネスアワー,あるいは真夏に発生しておれば,犠牲者の発生数や場所 などが大きく変化すると考えられる.したがって、従来の方法では不十分であり、新 しい手法を開発しなければならない。そこで,ここでは,筆者が進めてきた人的被害 の予測手法について概述する.なお,その一部は「大阪府地震被害想定調査」(平成 8年度)で適用されているので,具体例として上町断層系地震(想定モーメントマグ ニチュード6.88)による人的被害を紹介する.また,そこで対象とされなかった被災 シナリオによる犠牲者数については,東京都などを例に挙げて示すことにしたい.

2.人的被害の予測の精度と上限値

 人的被害の発生が外力の大きさとその受け手である人間の行動やその周辺環境に左右 される以上,犠牲者数は時空間的に大きく変化する特徴をもっている.とくに,人的 被害が未曽有となる可能性のある都市災害では,個々の物理被害も独立に起こらず, 複合災害の様相を示す.したがって,物理被害に付随する人的被害者数は,個々の原 因別のものを足し合わせることによっては必ずしも得られない.しかも人口規模と人 口密度の大きさが分岐(Bifurcation)としての相転移をもたらすことがわかってお り,そうであれば,被害の発生過程の解析のみではよい結果を得ることは困難であろう. したがって,個々の被災過程を対象として予測された数値には当然幅があることにな る.そして,もしこの値が10倍も変化するようであれば,対応を予め想定しておくこ とは困難となる.この点に関して,筆者は,実際の人的被害が予測された値の数倍の 範囲内であれば,自治体や自主防災組織はかなり適切に対応できると考えている.こ こで,自主防災組織を挙げたのは,人命救助の主役は近隣の住民であることが阪神・ 淡路大震災で明らかになったからである.

 ここで最大の問題点は,マルチシナリオ型の被害想定が,被害全体をどれくらいカバ ーできるかということである.事前に被害の出方がすべてわかっておれば被害予測や それへの対応の仕方もあろう.しかし,都市災害の最大の特徴は,被害の出方が災害 前にはすべて想定できるわけではない,すなわち現象として非線形であることである. そこで,一方では起こり得る人的被害の最大値,すなわち上限値を予測することが重 要となる.前述したような原因別の人的予測をミクロな予測とすれば,最大値の推定 はマクロな予測と言える.マクロとミクロの予測値の差は,事前に想定できない被災 シナリオによるものであり,都市災害対策の困難さはこの点にあると言える.

3.人的被害のミクロな予測手法とその適用例

 阪神・淡路大震災後の被害想定調査の一環として,建物倒壊と火災による死者数の評 価は,1923年の関東大震災と阪神・淡路大震災のデーター解析の結果が使われること が多い.その手順は,該当する地域に震災をもたらす恐れのある起震断層をすべて対 象として地震を起こすことから始まる.たとえば大阪府では5断層,奈良県では10断 層,三重県では14断層を対象としている.断層の長さによってほぼ起こり得る地震マ グニチュードが推定できるので,これと地盤の地震動増幅度特性とから,地表加速度 ,速度及び計測震度が推定される.大阪府では、表1の各項について人的被害を推定 しており、以下ではそれを中心に紹介する。

3.1 建物の倒壊による人的被害

 死者が建物の全壊から発生する場合,全壊率と地表速度の関係を表す式が阪神・淡路 大震災のデータ解析から誘導される.そして,一方では今回の震災で西宮市では,震 度7の地域の町丁目単位で,木造家屋の全壊率80%のとき死亡確率が3%であることから ,これと原点を通る直線が,最大の死者数を与えると考えられる.ここで注意しなけ ればならないことは,この関係式は局所的,すなわち町丁目単位での最大値であって ,これを市町村全体,都道府県全体へと適用するときには,単純に足し合わせてはい けないことである.なぜなら,ここで得られた80%ー3%の関係は,最悪ケースであっ て,これがたとえば都道府県単位のような広域に一様に起こることはないからである.

 1) 死者数:

 予測の手順はつぎの通りである.まず,夜間人口を基準として,早朝,昼間,夕刻の 各時間帯の存在者人口を各町丁目単位で算出する.つぎに,屋内・屋外人口を推定す る.死亡率は,兵庫県南部地震の町丁目・市区被害データより家屋全壊率との関係で 求めた(なお,建物被害率を用いた表示もある.この場合,建物被害率とは全壊率と 1/2半壊率を加えたものである).この方法によれば,大阪府(大阪市を含む)では 上町断層系地震で約1.4万人の死者の発生が予想されている.

 2) 負傷者数及び重傷者数:

 阪神・淡路大震災のデータを用いて,負傷率と建物被害率の関係から求められる.こ の場合,家屋被災率25%を境にして,負傷率との関係が変化することに注意する必要 がある.大阪府の場合,上記と同じ条件で 11.0万人の負傷者が想定されている.そ の内,重傷者比率は,やはり阪神・淡路大震災の結果から,建物被害率によって変化 する.すなわち,市区単位レベルの建物被害率が10%以内では重傷者10%,20%以上で は5%であり,10から20%の間は線形的に減少する関係を適用している.大阪府の場合 ,4.7千人(大阪市を除く)となっている.上町断層系地震では,大阪市の大部分で 震度6強であり,建物被害率はほとんどの区で20%を超えると考えられる.したがって ,負傷者数が4.2万人であるから,重傷者はおよそ4.2千人と推定される.このことか ら,大阪府では,8.9千人の重傷者数が数えられよう.

 3) 生き埋め者数:

 全壊家屋の内,瞬間的に跡形もなく倒壊した家屋は,阪神・淡路大震災では約3万棟 (5.7万所帯)と推定されている.兵庫県における1世帯当たりの住民数2.87人(1995 年)であるから,瞬間的に約16.4万人の住民がガレキの下敷きになったと推定される .東京大学社会情報研究所の調査では,一時的にしろ閉じこめられた人は住民の19% ,その内自力で脱出した人は15%,他の人に助け出された人は4%であることがわかっ ている.この19%が16.4万人に対応しているとすれば,ガレキから自力で脱出できな かった人は,3.5万人になる.すなわち,全壊家屋の住民約47.5万人の約7.3%が生き 埋め者比率となる.阪神・淡路大震災では,消防,警察,自衛隊の3者によって合計7 .9千人救出されたことがわかっている.このことは,その差27.1千人(77.4%)が近所 の住民らによって救出されたことを物語っている.村上1)は,ガレキの下から救出さ れた住民約1.9万人のうち,1.49万人(78.4%)が住民らによって救出されたと報告して いる.これらから,阪神・淡路大震災ではガレキの下敷きになった住民の3/4強は近 所の人たちによって救出されたことになる.

 大阪府の場合,全壊木造家屋数が28万棟と想定されている.前述した計算手順を適用 すれば,倒壊してガレキの下敷きになり,自力で脱出できない人は23.8万人に達する と予想される.

3.2 火災による人的被害

 火災延焼による人的被害の発生は,強風条件や避難行動に左右されるので,ここでは これらを考慮しないことにする.推定では,町丁目内の建物は宅地に均等に分布する と考えている.兵庫県南部地震による延焼火災による町丁目の建物被害率と死者率の 関係は,焼失率をパラメターとしてまとめられ この図を適用し,建物被害による死傷者を除けば,上町断層系地震が夕方6時に起こ れば,約3,500名死亡する危険性がある.なお,延焼危険度は延焼距離に関する東京 消防庁の式を,炎上出火箇所数は総プロの式が一般的に使われるが,これらは火災に よる死者数の推定には直接使われない.

3.3 鉄道事故に起因した人的被害

 阪神・淡路大震災の後,巨大災害研究センターで開発した方法を適用する.まず,鉄 道事故は,最大加速度250ガル以上の地域を走行中に確率的に発生するとして,被害 率を算定する.つぎに,過去の鉄道事故における車両1両当たりの乗客数と死亡率と の関係から,安全側と危険側のそれぞれの被害曲線を求める.一方,乗客数について は駅間滞留人口を列車数に割り振って求める.なお,現状では,つぎのような仮定が 必要である.

 1) 地下鉄の事故率については,地上路線における地表震度を1ランク低減し,地下を 考慮.

 2) 新幹線については,高速走行,高架路線であることを考慮して,乗客の死亡率は8 0%とする.

 3) 被害を受けた駅施設への突入,線路盛土や斜面の崩壊箇所への突入,及び複線区 間での脱線列車等への衝突などによって,事故数の増加が予想されるので,事故発生 危険率を50%増とする.

 このような手法を大阪府に適用すれば,上町断層系地震がピーク時に起これば,平均 死者数は約4,800名(危険側で約6,900名,安全側で約2,700名)となる.

3.4  高速道路災害による人的被害

 死傷者数は,対象とする区間の滞留人口に事故発生危険率と死傷者率を掛けたもので ある.なお,区間滞留人口は各時間帯の区間交通量に乗車率と区間通過時間を乗じた ものである.被害の発生する地域は,3)の鉄道の場合と同じ条件と仮定し,事故発生 危険率,死傷者率は阪神・淡路大震災のデータを用いればよい.

 このような方法による上町断層系地震による死傷者数は,夕方6時頃で死者数230名, 負傷者数1.3千人と推定される.

3.5 斜面災害による人的被害

 死傷者数は,被災対象人家数に崩壊危険率と1世帯当たりの屋内人口,死者・負傷者 割合を乗じて求められる.被災対象人家数は,崩壊を起こす崖に面した人家だけで, ほかは軽微と考える.また,被災比率は,1978年の伊豆大島近海地震における値を適 用した.崩壊危険率は,3段階に分けた.死者・負傷者割合は,1982年の長崎豪雨災 害のデータを適用する.この方法によれば,上町断層系地震による死者数は約120名 ,負傷者数は約120名となった.

3.6 ブロック塀等の倒壊と落下物による人的被害

 まず,ブロック塀や石塀,落下物危険建物の数を推定しなければならない.前2者は ,木造棟数に箇所率を掛ければよい.その値は,東京都のサンプル調査によれば,そ れぞれ0.30及び0.04である.後者は,静岡県の調査によれば,3階以上の非木造棟数 に危険個所率(=0.25)を掛けて求められる.また,ブロック塀と石塀については,そ の両側の通行人や家人が被災すると考えるので,地震発生時の屋外人口密度による補 正が必要である.そして,倒壊・落下被害率や死者率(人/箇所)は,宮城県沖地震 の事例分析結果を適用した.この方法によれば,午後3時頃上町断層系地震が起これ ば,大阪市を除く府下で,ブロック塀等の倒壊と落下物による死者数は,それぞれ34 3人及び25人となった.

4.人的被害のマクロな予測手法とその例

 大阪府地震被害想定調査で明らかになったように,たとえば上町断層系地震では,府 下全域で被害が発生することが予想される.それ以外の起震断層による地震でも,地 域によっては大きな被害の発生が懸念される.そこで,ここでは大阪府の人口規模か ら推定される最大被害を,過去の世界の巨大災害事例から評価してみよう.

 まず,どのような災害になる可能性があるかということである.ここで重要なことは ,社会の発展とともに災害が進化し,被災形態が変化するという歴史的事実である. このことは,自然災害の被害規模を決定するのは外力の大きさだけではなく,それを 受ける側の抵抗力,すなわち被害を受ける社会の災害脆弱性にも依存しているという ことを意味している.災害は表2のように、田園災害から都市化災害,都市型災害, 都市災害というように,大きく4つに区分される.わが国の第二次世界大戦後の災害 の歴史を振り返ると,まさにこの区分に従って時代とともに変化していることが見出 される.

 すなわち,1945年の枕崎台風災害から1959年の伊勢湾台風高潮災害に至る大 風水害時代は,田園災害の継続であった.そして,1960年代から始まった急激な都市 化によって,とくに都市水害が頻発するようになった.その代表例が大東水害訴訟の 現場である寝屋川流域であった.ここはもともと淀川と大和川の氾濫原であり,かつ てはここかしこに湿地や池が点在していた.そこが宅地化され,都市化が急激に進ん だ反面,浸水対策がそれに追いつかなかったことによって浸水災害が頻発したわけで ある.都市型災害の典型例は1978年に発生した宮城県沖地震による仙台の被災である .この災害は別名,ライフライン災害と呼ばれており,都市活動の生命線が大きく被 災し,物的被害が大きくなるのである.そして,都市災害とは,人口が100万人以上 で,人口密度が国全体のそれの20倍以上(わが国の場合にはおよそ7,000 人/km2とな る)で発生し,人的,物的被害が未曽有になるものである.これは,人口規模に比べ て防災投資が少ないことが継続し,災害脆弱性が経年的に増加しつつあるときに起こ る.地域的な防災力の不均衡が面的な被害の拡大につながり,しかも災害前に被災の シナリオがよくわからないという特徴をもっている.

 そこで,大阪府を考えてみよう.まず大阪市とそれ以外の地域にわけよう.なぜなら ,大阪市(260万人,1995 年10月の国勢調査結果,以下の数字も同様)の人口密度は 1.2万人/km2であり,都市災害になる恐れがある.一方,それ以外については,可住 地面積1,067km2に620万人が居住しており,人口密度は5,811人/km2であって,必ずし も都市災害とはならないからである(都市災害となるのは,わが国では国全体の平均 人口密度331人/km2のおよそ20倍,すなわち,7,000人/km2以上の場合である).そこ で,人的被害の最悪の場合を想定すれば,以下の結果が得られる.なお、計算では、 世界の巨大災害事例から求めた死亡確率の上限を与える関係と、人口密度による増幅 を表す関係が必要であり、それぞれ図1と2にまとめた。

 (1) 大阪府全域が都市災害となった場合の死者数

      大阪市域:約2.1万人
      それ以外の大阪府域:5.0万人
      合計:7.1万人

 (2)大阪市のほか人口稠密な隣接の堺市,東大阪市,枚方市,高槻市,吹田市,豊中 市など府下の市町村などの人口の1/2の居住域が都市災害となると想定した場合

      大阪市を含む大阪府全体の想定死者数:4.6万人

 したがって,以上の結果から,最悪の場合,大阪府では5〜6万人前後の死者数が予想 され,これが人的被害の最悪のケースであると考えられる.

5.あとがき

 大阪府の地震被害想定調査では,ミクロな予測値を合計しても,マクロな予測値の約 50%程度にしかならない.これは東京都に適用してもほぼ同じ結果が得られる.その 原因は,まだ抜け落ちている被害シナリオがあることである.たとえば,大阪府の場 合,南海地震が起これば,当然津波が来襲する.想定される津波の高さに対して,現 行の防潮堤の天端高でほぼ守れることがわかっている.しかし,大阪府下には約900 の水門があり,日常的には開いたままである.過去に高潮警報が出た場合,全水門の 閉鎖に約6時間かかっている.南海地震津波は府下には南部で,地震後1時間,北部の 大阪市で約2時間で来襲する.しかも,地震で機能障害を起こして,物理的に閉めら れない水門も少なくないであろう(阪神・淡路大震災では,大阪市所管の水門約340 の内,約1/3が機能障害を起こした).そうなると,それほど高くない津波によって 浸水する.これが地下街や地下鉄に浸入すれば,未曽有の人的被害につながる危険性 がある.このように,まだまだ隠れた被災シナリオがあるのであり,しかも複合災害 の規模や内容もよくわかっていないところがある.したがって,今後も個々の被災シ ナリオによる犠牲者数の予測手法を開発するとともに,その限界を認めてマクロな予 測手法の一層の高精度化を図る必要があろう.


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