水野です. 災害の記憶や経験の社会的な忘却ということで,補足です. |# 関東大震災の教訓や、水野さんのおばあさんの経験が、世代を超えて |# 伝わっていかないのと同じ... この,わたくしめのおばあさん,というのは,こういう話です. (これは,ここでもちょっとお話ししたことがあったとおもいます. また,from-kobeというMLにて,もっと詳しく話題になったことが ありました). 明治24年(1896年)の10月,濃尾地震というのがあり,M8とも M8.2とも言われています(地震の規模は,阪神淡路M7.2の16倍近く という巨大地震で,日本の33の都道府県で被害があったとか)。その時に 出来た根尾谷断層,というのは,段差が5メートルでしたか,中学校の理科 の教科書にもよくとりあげられていますから,ご存知の方も多いとおもいます. (数年前,博物館が出来ています).とにかく,岐阜県の大垣の近くが震源です. 私の曾祖母(おばあさんではなく)が,その濃尾地震に遭って,九死に一生 を得ているのです.(家屋倒壊で,助けられたが,そのあと,全焼して, 嫁入り道具が全部やけてしまったとか). で,私は,そういう話を,1996年の春に,初めて聞いたのです. 私の母は,私が聞けばいくらでも,教えてくれました。でも,1995年 の阪神淡路があっても,私と母てゃ,そういうことを話題にすることは, なかったのです. この事実に,私は,非常にショックを受けた(^^;),というわけです. 曾祖母は,祖母に,この話をよくしたそうで,経験を伝えたようです. 祖母は,私の母に,そういう話を良く聞いた,という話をしているそうです. しかし,母は私に,そういうことを話題にする機会が,なかったようなのです. こうして,記憶は失なわれていくようです. そういえば,私も,自分の子ども達に,私の曾祖母の体験を伝えては, いないでしょう(もう忘れているでしょう...)。 そんなもんだ,という感じがしますね. 東京大学社会情報研究所の廣井修教授は,30年間,何事もなかったとすると, 大災害の記憶は,社会的にも忘却される,とうことを,言っておられます。 その経験法則は,私自身の経験とも一致します.... | |世代間での伝承の過程における記憶の崩壊を食い止めるうまい知恵はないもの |でしょうか? 神戸の断層のことは,中学校の教科書にまで出ている有名なものでしたが, それでも,神戸のことは,(知識としては)社会的に伝わらなかった, といっていいわけです. 防災教育の難しさに,寺田寅彦が悲観的になっていた,というのも,頷けます。 いま,神戸市の三の宮駅の前には,非常に立派な,神戸市が作った震災博物館 が出来ています。 fj.misc.earthquakeでは,ここのところ,そういう議論(神戸は,地震の 可能性をどこまで,認識していたか?というような)がされています.
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