10)結論
以上が、人口20万都市に発生したこの程度の規模の災害時におけるかなり典型的な反応であると思われる。Worcesterの人々のこのときの反応は、おそらく米国のほかの地域の人々のそれと比べてもたいしてかわりがないと思われる。以上のことを念頭において、将釆の防災計画を立案する必要がある。たとえこれが、スケールの大きな軍事災害でパニックに襲われた住民全体の脱出の場合であれ、防災計画は被災地のなかおよびその周囲の住民の熱心な反応に頼るしかないことは明らかである。この反応は二つに分けて考えられる。一つは、少なくともはじめは自分の興味を他人に、さらには集団のそれに一致させようとする精神的な態度と、もう一つは、他人を援助することに自分も積極的に参加しようとする態度である。この自発的反応は自然発生的であり、まったく未熟なものである。したがって、将来計画を立てる場合には、この反応をコントロールし、適切な方向に向けるように考えなければならない。
もしこの早期反応に対する適切なガイダンスを行えば、一般市民の協力は重要な力になると思われる。
Worcester郡を襲ったこの竜巻によって、この地方には災害に対する何の計画も統一のとれた中央機構もないことがはっきりした。しかも、この地方全体の利害関係を考えたうえで、行政を司る機関もなかった。このような防災計画も機構もないことが各方面で証明された。
まず、通信網であるが、被災地と隣接地域間、病院間、病院とほかの政府機関との間に回線はなかった。電話による通信は不適切であることが判明した。警察のパトカーやほかの政府機関の車が被害地での相互通信か可能なラジオを有していた。これがおそらく将来、被災地と周辺地域の通信に用いることのできる適切な方法であろう。種々の場面において病院の近くのパトカーや無線が唯一の通信の方法であった。
将来の災害に備えて、このような無線設備を完備させて常時使用可能にしておく必要がある。
自治体中心の機構が欠如していたことは明白であり、災害地からの犠牲者の救出も統制がとれていなかった。それと一般市民による救出の際には、応急手当てが不適当であった。これらの欠点は、一つには救急時に備えて適切な訓練があらかじめされていなかったこと、さらには被災地で集団反応としてあまりにも多くの未経験者が行動したためと考えられる。被災者を一刻も早く救出しようとして素人が急いで行動をした。トリアージも何も行われず、パトカーが救急処置に必要な物品を持ち込んだ地域以外では、医師たちは必要なものも持たずに現場にはいった。このようなことはShrewsburyでも起きた。大多数の死傷者が運び去られてしまってから必要な物品がやっと着いたということが数か所で起きた。交通や運搬にしても、まったく何のコントロールも組織化もなかった。
市の助役は、課長の1人が具合が悪いので午後2時ごろに帰宅させた。午後4時ごろ竜巻がくる少しまえに、この課長の家の前の大きな木がものすごい突風で倒されてしまったので、彼はこのことを助役に電話で話した。公共課の課長は午後4時には夕食を終えていて、自分の車で現場に向かうことにした。その車は無線がついており、同じ課に所属するすべての車(ブルドーザー、その他)および役所と連絡が可能であった。彼はその車で行き、ちょうど竜巻が通り過ぎてから3分後に到着した。すなわち、まったく理想的な状態であった。ただちにブルドーザーを呼び出したために、交通が混雑して膠着状態になる以前にブルドーザーが来て交通整理ができた。おそらくこのようなことは二度と起こらないであろう。
他の大部分の地域では、最初に着いた車(キャタピラー、トラック、チェンソーを持った人々などをのせた車を除けば)は、警察のパトカーであった。Ho1den地区では州警察、Worcester,Shrewsburyでは市警察が到着した。これらが本当は統制ができたはずである。もし、救出作業がコントロールされるとすれば、24時間勤務にある者、そのとき近くにいた者、通信手段を有している者、責任者などがこの任に当たるべきであった。
警察官はその権威を与えられているばかりでなく、制服を着用しているのでうってつけである。彼らがもし、中枢部の上司から命令を受けて被災地を封鎖し、犠牲者救出を急がず、適当な医療救護者をすばやく現地に送り込み、そして何らかの方法で医療物資が搬入されたならばよかっただろう。このような方法はおそらく将来の災害時に役立つ方法であろう。このような考えは希望のないものではない。将来のために計画を立てておけば、何かできるものである。災害時に出動した種々の機関の相互の統制はまったくとれていなかった。民間防衛計画は敵の空襲に対して準備したものであって、このような非軍事的災害時に行動を起こすべきかどうかで上層部は優柔不断に陥っていた。アメリカ赤十字は災害医療の即戦力としては期待できない。しかしいったん行動が開始されれば、それは非常に強力な救済機関となる。そしてこれは、竜巻発生48時間後に発揮された。竜巻発生中とそのすぐあとに各機関がそれぞれのなすべき役割を自覚する以前に、かなりの議論や感情のもつれなどがあった。
災害処理に関係する各機関の長の性格、能力もことの成否に大きな影響を有する。中枢部の長の方針がはっきりしていないと、このようなときには、命令は無視されることもありうる。長たる者がもし組織化の能カに欠けていれば混乱は統き、計画は命令どおり実行されない。Worcesterおよび周辺町村では、各関係機関の代表者が災害時に指揮をとるべきポストにあり、ここから役所に所属する人に命令がだされるようになっていた。したがって、指揮者が役所に常駐しないために各種機関に与える指揮系統が乱れてしまった。
病院においても、事務系、医療スタッフともに災害に対して無防備であった。
災害に対する準備と計画の欠如はこのようにまったく明白で、多くの場面で不適切な資材、無経験な人材の使用がみられた。患者の扱いにしても同様で、病院の入口での規制はなく、患者の受け入れ部分で不必要な人間を退出させることもしなかった。被災者が病院にはいってきても、満足なトリアージも、患者の識別もなく、どんな治療が行われたかの記録もなく、実際に、適切なタッグシステムをもっている病院は一つとしてなかった。2,3の病院には災害計画がなく、外部からの資材の供給が断たれた場合の医療資材のストックもなかった。
医療スタッフの医学的判断も災害の雰囲気に左右され、唯一の例外はさきに述べた2人の脳外科医のとった慎重で計画的な行動と数人の経験豊富な外科医がみせた軟部組織の損傷に対する処置だけであった。この災害が医療スタッフの医学的判断に大きな影響を与えた例としては、大小の裂創に対してデブリドマンのあとすぐに一次縫合をしたことであった。このような処置のあとでの創の化膿率は、デブリドマンのあとでゆっくり創の状態をみて二次縫合した場合と比較すると明らかに高い。細菌の侵入による菌血症、特にクロストリジウム菌炎は非常に少なかったが、これは抗生物質を用いたためであり、テタヌス(破傷風)の発生が1例もなかったのは抗毒素またはトキソイドの使用によるためである。
負傷者の初期治療の期間中に用いられた血液、血漿の量は多くの外傷の症状からみて驚くほど少ない。不適切な量の輸血のためにどの患者が死亡したかは、証明するのは困難だが、もっと多量の輸血の適応があったように思われる。被災地のある地域全体の医療二一ドを考える立揚にあるべき人々が、医学的処置は全体の患者の登録を行ってからその評価に従って病院に任せる、という提案を行った。これに対して市の病院の医師や管理者のなかには反対する空気もあった。その程度は明らかに好戦的なものから、仕方なく中枢部の推薦としてまあ考えましょう、というものまであった。このような考え方は、ことに当たった医師、管理者の大部分の人々が考えていたことで、将来は計画を立てる際にはこのような中央的な患者登録と治療方針の選択ということも考慮しておかねばならない。
一つだけはっきりいえることは、このような研究には答えはない、ということである。それは単に答えるべき間題を提起するのみで、非軍事的な自発的協力による計画は、災害によってどこかに破綻を生ずるものだということを認識しておく必要がある。戒厳令をしいて民間病院、民間機関の一部または全部を軍の指揮下におく必要があるかもしれない(Worcesterでは戒厳令はだされず、州兵軍が出動したが、財産を守るだけであった)。しかしどんなに悲惨な状態でも、災害が襲ったあとの数時間は、被災者の救出と医療には民間機関に責任があると思われている。そして、たとえ軍によるコントロールが始まっても、やはりできるだけ援助し働き続けることが期待される。
どこの地方においても災害時の医療計画に対する努力は、たとえ災害が起こらなくても浪費ではけっしてない。この1953年にWorcester郡で起きた竜巷の残した教訓と経験が将来の役に立てばと願うものである。