市立札幌病院医科研修問題
【論告要旨】

ウェブ資料作成:県立新居浜病院麻酔科 越智元郎 (関連資料

(註:論告要旨中の人名はウェブ担当者の判断により伏せさせていただきます。)


目次

表題
第1 事実関係
第2 情状関係
第3 求刑


表題

論 告 要 旨

平成15年3月4日

札幌地方裁判所刑事第2部御中

札幌地方検察庁

検察官 検事 平野達也

 被告人松原泉に係る医師法違反被告事件について、検察官の意見は下記のとおりである。


第1 事実関係


 本件各公訴事実は、当公判廷で取調べ済みの関係各証拠により証明十分である。

 なお、弁護人は

  1. 本件歯科医師が研修医(以下「レジデント」という。)として行った行為(以下総称して「本件各行為」という。)は、歯科医師レジデントが、医師資格を有する上級医の指導・監督の下にその手足として行った処置にすぎず、行為主体は上級医であるので、レジデントの本件各行為は無免許医業に当たらず、したがって構成要件に該当しない

  2. 仮に、構成要件に該当するとしても、研修として行われたものであるから正当行為として違法性が阻却される

  3. 被告人には違法性の意識の可能性がない

  4. 被告人と歯科医師レジデントとの間に共謀がない

として、被告人の無罪を主張する。

 しかしながら、以下に詳述するとおり、弁護人らの上記主張はいずれも失当であり、本件各公訴事実は優に証明されている。


1 本件各行為の主体は歯科医師レジデントであること

(1) 市立札幌病院救命救急センターにおける歯科医師レジデントの研修の実態関係証拠によれば、以下の事実が認められる。

ア 市立札幌病院救命救急センター(以下同病院を「市立病院」、同センターを「センター」という。)においては、平成9年1月から同年3月まで歯科医師研修医Aを、平成10年8月から平成11年3月まで同研修医Bを、同年8月から平成12年3月まで同研修医Cを、同年8月から平成13年3月まで同研修医Dを、それぞれレジデントとして研修を行わせていた(甲9・研修医B検面調書。甲28、29・研修医C検面調書。甲40・研修医D検面調書)。

イ センターにおける歯科医師の研修についての指導・監督体制は、その実質的責任者である被告人の方針により

  1. 歯科医師レジデントと医師レジデントとを区別することなく研修させ、歯科医師レジデントをセンター内の医療チームや当直に組み入れ、当直の際には、いわゆるファーストを原則としてセンターに搬送された患者の担当医とし、いわゆるセカンドを重篤状態に陥った患者のもとに急派して治療に当たらせる

  2. 主に歯科医師レジデントの所属するチームの上級医が歯科医師レジデントの指導責任者となり、歯科医師レジデントの行う手技を指揮監督する

  3. センター所属の医師全員が参加する朝のカンファレンスや各チームごとに行われるチームカンファレンス等を通じて、歯科医師レジデントに対する指導を行う

  4. 歯科医師レジデントの技量が向上してきた場合、上級医の判断により、徐々に指揮監督の程度を緩和していき、上級医が歯科医師レジデントの真横にいてその手技を具体的に監視監督することなく、歯科医師レジデントをして医行為を行わせる

と決められ、本件各行為は、上記 4.の段階における上級医による具体的な監視監督の及んでいない状況下で行われたものであった(甲9、10、16、20、21、22・研修医B検面調書。甲11・○○○○検面調書。甲15・○○○○検面調書。甲17・○○○○検面調書。甲24・○○○○検面調書。甲28ないし34、37、38・研修医C検面調書。甲35・○○○○検面調書、○○○○・第5回公判証言、甲39・○○○○検面調書、甲40ないし43・研修医D検面調書。甲44、45、68ないし70・○○○○検面調書。○○○○・第4回及び第5回公判証言。甲48・○○○○員面調書。○○○○・第3回公判証言。甲64、65・○○○○検面調書。甲67・○○○○検面調書)。

(2) 本件各行為はいずれも、補助者として許容される範囲を超え、各歯科医師レジデント自身の行為と認められること

 医師が診療行為を行うに当たり、看護師ら法定の有資格者以外の診療補助者を使用する場合は、いわば医師の手足としてその監督監視の下に、医師の目が現実に届く限度の場所で、患者に危害の及ぶことがなく、かつ、判断作用を必要とする余地に乏しい機械的な作業に限られる(東京高等裁判所平成元年2月23日判決。中島正治・第6回公判証言。跡見裕・期日外証言)。

 そこで、上記基準により本件各行為について検討する。

ア 研修医Bの行為について(起訴状別紙一覧表1番号1ないし3)

  1. 心肺停止状態に陥った患者に対し、気管内挿管及び静脈路確保等を行った行為は、気管内挿管自体が人体に対する侵襲性の極めて高い行為であり、これを行うか否かの判断にあたっては患者の体格や体形、病態、とりわけ咽頭部及び喉頭部の状態等を総合考慮して決定しなければならないことから、判断作用を必要とする余地が大であり、かつ、実施された場所も医師不在でその監視の目が現実に届かないドクターカー内部であったこと(甲10、11、16、17)。

  2. 労働災害事故により足を負傷してセンターに搬送された患者に下大静脈フィルター挿入手術及び輸血を行う際、その親族に対し手術内容及び輸血の必要性等を説明して同意を得た行為は、手術内容等の説明行為が患者側の自己決定権に直結し、患者側からの質問に対しても適切に回答する必要があることから、高度な医学的知識及び判断が要求される極めて重要なものであり、したがって判断作用を必要とする余地が大である上、医師のいない状況下で行っていること(甲20、24)。

  3. 2.の患者に対する右大腿動脈血栓除去手術等手術において、第1助手として筋鉤を用いるなどして上級医の手術を補助した行為(同表1番号3(2))は、そもそも手術における第1助手が当該手術に関し術者と共同責任を負う極めて重要な役割を担っている上、当該手術部位付近には大腿静脈及び大腿神経が存し、これらを傷つけることのないように適切な方法で補助しなければならないことから、高度な医学的知識及び判断が要求され、判断作用を必要とする余地が大であること(甲21、26)。

     以上に照らすと、研修医Bの行った各行為が無資格者として許容される補助的行為を逸脱していることに疑問の余地はない。

イ 研修医Cの行為について(起訴状別紙一覧表2番号1及び2)

  1. 接着剤を飲み込む事故を起こしてセンターに搬送された患者の右大腿静脈及び左堯骨動脈に挿入されていたカテーテルを抜去した行為は、カテーテル抜去時に損傷が生じた場合、患者の状態を的確に把握した上で適切に止血を行う必要があり、判断作用を必要とする余地が大である上、医師のいない状況下で行っていること(甲32、33、34。甲35・○○○○検面調書。○○○○・第5回公判証言)。

  2. 1.の患者の気管に挿入されていたチューブを抜管した行為は、抜管行為自体に危険性が伴うばかり か、抜管の可否につき高度な医学的判断を必要とし、判断作用を必要とする余地が大である上、医師のいない状況下で行っていること(甲32、33、34、35。○○○○・第5回公判証言)。

     なお、研修医Cは、抜管時に上級医が真横に立ち会って監督していた旨供述するが、抜管時に同席していたセンター看護師○○○○は、「抜管時に他の医師は同席しておらず、自分と研修医Cしかいない状況下で研修医Cが抜管行為を行ったことに間違いない。この日は、当初、午後2時半ころに抜管を予定していたが、研修医Cの都合で午後4時ころに抜管を行い、自分としてはもっと早い時間に行ってほしかったが、研修医Cの都合でかなり待たされたことなど、当時の状況をよく覚えている。」旨証言しており(甲35。○○○○・第5回公判証言)、○○○○が現在もセンター看護師であり、殊更に虚偽供述をして被告人を陥れる理由も見い出し難い上、当時の状況を記憶している根拠も具体的で、かつ、看護記録という客観証拠とも合致し、弁護人の反対尋問にも揺るぐことなく一貫していることから、その供述の信用性は極めて高い一方、研修医Cは、監督していた上級医がいた場所はおろか、その名前すら記憶していないのであって、研修医Cの供述は到底信用することができない。

  3. 交通事故に遭ってセンターに搬送された患者に対し、上級医が脳圧センサー設置術及び脳低温療法並びに気管切開術を行う際、その親族に手術内容を説明して同意を得た行為は、上記アAと同様、手術内容の説明行為が患者側の自己決定権に直結し、患者側からの質問に対しても適切に回答する必要があることから、高度な医学的知識及び判断が要求される極めて重要なものであり、したがって判断作用を必要とする余地が大である上、医師のいない状況下で行っていること(甲37ないし39)。

     以上に照らすと、研修医Cの行った各行為が無資格者として許容される補助的行為を逸脱していることに疑問の余地はない。

ウ 研修医Dの行為について(起訴状別紙一覧表3番号1及び2)

  1. 腹部に受傷してセンターに搬送された患者に対し、病態把握のために腹部の触診を行った行為は、高度の医学的知識及び技量なしには的確に病態を把握することが不可能であり、触診の方法いかんによっては病態そのものを悪化させかねない危険性を伴うもので、判断作用を必要とする余地が大である上、医師のいない状況下で行っていること(甲42ないし44)。

  2. 心肺停止状態に陥った患者に右大腿静脈路確保等を行った行為は、中心静脈にカテーテルを挿入する行為自体が人体に対する侵襲性が極めて高く、付近の動脈や神経を傷つけかねない危険な行為であり、解剖学等の高度な医学的知識を必要とすることから、判断作用を必要とする余地が大である上、実施された場所も医師不在でその監視の目が現実に届かないドクターカー内部であったこと(甲47、48。甲50・○○○○員面調書)。

 以上に照らすと、研修医Dの行った各行為もやはり無資格者として許容される補助的行為を逸脱していることに疑問の余地はない。

(3) 小括

 以上のように、本件各行為を行った主体が、研修医B、研修医C及び研修医Dら歯科医師レジデントであること、同人らがいずれも医師免許を有しておらず、かつ、研修の一環として反復継続の意思をもって上記各行為を行っていたことは明らかであるから、同人らが無免許で「医業」を行っていたことは明白である。


2 本件各行為を正当行為と見ることはできないこと

 正当行為(刑法第35条)とは、「法令又は正当の業務によりなしたる行為、あるいは社会的に相当として違法性が阻却される行為」と解されているところ、被告人が歯科医師レジデントを受け入れた経緯に照らせば、本件各行為を正当行為と見る余地など全くなく、また、被告人が正当行為に当たる根拠として主張する事実はいずれも正当行為とする根拠たり得ない。

(1) 被告人が歯科医師レジデントを受け入れた経緯について

ア 関係証拠によれば、以下の事実が認められる。

  1. 市立病院では、平成7年1月ころから、レジデント教育委員会(以下「レジデント委員会」という。)において、同年10月開設予定の歯科口腔外科に歯科医師をレジデントとして受け入れるかどうか、受け入れた場合、歯科医師を歯科口腔外科以外の診療科で研修させることができるかどうかにつき検討し、同年7月21口開催のレジデント委員会において、同科責任者○○○○から、「歯科・口腔外科のレジデント採用に関する要望」と題する書面が提出されたのを受け、歯科医師をレジデントとして受け入れる旨決定したものの、出席した委員から、医師免許を有していない歯科医師に医師しか許されていない一般医療行為の補助を行わせることは法的に問題がある旨の意見が出されたため、歯科治療でも必要な麻酔に関する麻酔科における研修についてすら歯科医師レジデントを受け入れることを認めるかどうかの結論が出ず、後日○○○○を介して口腔外科学会の見解を確認の上決定することとした(甲59・○○○○検面調書。○○○○・第2回公判証言。甲60・○○○○検面調書)。

  2. ところが、その後、○○○○が、市立病院麻酔科部長○○○○に対し、同科における歯科医師レジデントの受け入れ方を要請して同人の承諾を得たのみで、口腔外科学会の見解を確認しないまま、平成8年2月19日開催のレジデント委員会において、その見解を報告することもなく、歯科医師研修医Aの麻酔科における研修が決定され、同人は、平成8年4月1日から同年9月30日までの問、麻酔科において研修を行った(甲59。○○○○・第2回公判証言。甲60)。B一方、センターにおいては、医師レジデントを当直医のローテーションに組み込んで活用していたものの、かねてから24時間勤務体制による人手不足に悩まされていたことから、平成8年5月9日開催のレジデント委員会において、被告人が、「レジデント委員会委員の皆様へのお願い」と題する書面を提出し、センターにおける上記体制維持のため年後1年目の医師4名をセンターで研修させるよう強く訴えたが、認められなかった(甲59)。

  3. 上記歯科医師研修医Aは、麻酔科における研修を終え、平成8年10月、同病院口腔外科における研修を始めたころ、センターにおける研修をも希望して、その旨○○○○に相談し、同人においてセンターの実質的責任者で、人事面や行政面についても実質的決定権限を有する被告人に研修医Aの意向を伝え、これを受けて被告人が、同年12月中旬ころ、研修医Aのセンターにおける研修を了解してその旨決定した(甲61・研修医A検面調書)。

  4. そして、センターにおいて研修医Aに研修を受けさせることは、当初のレジデントとしての研修ローテーションを変更することとなり、市立病院の内規上レジデント委員会の承認が必要とされていたにもかかわらず、被告人は、レジデント委員会に研修医Aの研修ローテーション変更につき諮問することも、したがってその承認を得ることもなかった(甲59。○○○○・第2回公判証言)。

     なお、被告人は、平成8年11月15日開催のレジデント委員会においてその承認を得た旨弁解する。しかし、同委員会事務局係員○○○○は、「自分は、医師免許を有していない歯科医師が一般医師が行う医療行為にわたる研修はできないと考えており、麻酔科でもせいぜい単純な補助程度のことしかやらないものと思っていた。麻酔科より問題の多いセンターにおける研修がレジデント委員会において議論されていれば、当然強く記憶に残り、また議事録にも残したはずである。しかしその記憶はなく、議事録にもその旨の記載がない。また、レジデント委員会における議論の結果、研修医Aのセンターでの研修が認められたとすれば、研修ローテーションの変更にあたることから、ローテーション表を作成し直したはずであるが、その記憶もない。」旨証言して上記被告人の主張を明確に否定するところ(○○○○・第2回公判証言)、○○○○は、平成9年4月に市立病院から豊平区役所○○○○所長(当時)に異動し、証言時は札幌市○○○○局に勤務していて、被告人と特別の関係がなく、殊更、虚偽証言をして被告人を陥れる理由がない上、その証言内容は弁護人の反対尋問にも揺らぐことなく一貫していること、研修医Aがセンターにおける研修を開始した平成9年1月前後のレジデント委員会議事録に研修医Aのセンターにおける研修の可否を議論した旨の記載がなく、○○○○が単にレジデント委員会における議論内容を議事録に記する事務を担当していただけであり、そこに同人の恣意が介在する余地がないことからすると○○○○の証言は客観的証拠にも裏付けられていること、したがってその証言には高度の信用性が認められ、被告人の上記弁解が虚偽であることは明白である。

  5. 被告人は、平成8年10月か11月ころ、センター内部の副医長以上の医師が出席するいわゆる管理職会議の席上、出席した医師らに対し、センターにおいて歯科医師をレジデントとして受け入れることを表明し、一部の出席者から、医師資格のない歯科医師レジデントに医師と同様の行為をさせることに疑問の声があがったのに対し、「医師レジデントと歯科医師レジデントを区別する必要はない。ただし診断書などは必ず医師と連名にするように。」などと言い繕って反対意見を制し、歯科医師をセンターにおけるレジデントとして受け入れ、医師レジデントと区別することなく扱うことを決定し、これを受けて、その後、実際に研修医Aら歯科医師レジデントが医師レジデントと同様に当直表に組み込まれてファーストやセカンドとしての医行為を行った(○○○○・第3回公判証言)。

イ 以上の事実に照らすと、被告人は、かねてから、センターの実質的責任者として、レジデントを当直医に組み込んでいたところ、平成8年10月ころ、○○○○から研修医Aがセンターにおける研修を希望している旨を聞きつけたことをきっかけとして、資格のない歯科医師をレジデントとして受け入れるならば、センターにおける当直医ローテーションに組み込んで人手不足の解消に資すると考え、研修医Aの受け入れを決定する一方、その当時、レジデント委員会においては、歯科医師の麻酔科における研修すら認めていなかったことから、より医行為を行うことが多いセンターにおける研修についてはなおさらこれを容易に認めることがないと考え、レジデント委員会に研修医Aのセンターにおける研修の可否を諮問することなく、脱法的に、独断で、歯科医師レジデント受け入れを決定・実施したことが認められるのであって、かかる動機に基づく脱法的行為を正当行為とすることは論外であること明らかである。

(2) 被告人の弁解及びこれに対する反論

ア これに対し、被告人は

  1. 近時の歯科口腔外科における診療領域の広がりと歯科医師も高度な治療を行うようになったことに伴い、歯科医師においても、重篤状態に陥った患者に対し適切な対処能力を身に付ける必要があり、被告人が決定して行ったセンターにおける歯科医師研修は、この必要性にかんがみてのことである

  2. 歯科医師レジデントらは、いずれもセンターでの研修に先立ち麻酔科における研修を終え、医師と同等の能力を身に付けていた上、キャリアを積んだ上級医の監視監督の下に研修を行っていたので、患者にとっても不利益がなく、また、麻酔科における研修も違法となるはずだが、歯科医師の麻酔科での研修は行われてこれを違法としていない以上、センターにおける研修も違法ではない

  3. 本件各行為は、いずれも歯科口腔外科において日常的に行われており、一般の歯科医師が行うことに何ら違法性はない

  4. 医師免許を有していない医学部生も卒前教育の一環として医行為を行っているから、医師免許のない歯科医師が同様のことを行っても何ら違法性はない

    旨述べて、本件行為は正当行為として違法性が阻却される旨主張する。

イ しかしながら、上記被告人の主張は、医師法及び歯科医師法が、それぞれ、医師免許及び歯科医師免許の付与条件や受験資格等を厳格に規定する一方、「医師でなければ医業をなしてはならない」(医師法第17条)、「歯科医師でなければ、歯科医業をなしてはならない」(歯科医師法第17条)と規定し、医業及び歯科医業を厳然と区別した上で、医行為及び歯科医行為がいずれも高度に専門性を有し、その業務内容が人の生命・身体に対する危険を伴うことから、所定の専門教育を受け、それにふさわしい能力を身に付けたことを国家試験により確認し、公的に証明された者のみに限定してこれらをそれぞれ医師及び歯科医師に独占させて業として行うことを許可し、したがって、当該資格に応じた診療領域以外の行為については一律に禁止した法の趣旨を、一介の医師の判断で没却させるものである。

 また、被告人の上記主張を各個に見るに

(ア) 上記@の主張は、前述のとおり、被告人が、本件当時においてはかかる理念に基づいて歯科医師レジデントをセンターにおける研修に受け入れていたものでなかったことを被告人自身も自認している(乙12)のであって、単なる事後的こじつけにすぎない。

(イ) 上記Aの主張は、もともと歯科医師においても麻酔を必要としていて、歯科医師もその基礎的知識がある上、麻酔科における研修は、予定された患者に対し、予定された時間、ある程度定められた量の麻酔薬の注入を行う点で、切羽詰まった状況において臨機応変に施術しなければならないセンターにおける医行為と比べ相対的に危険性が低く、医師による十分な指導監督下で行われるのであれば、上記1(2)で示した医師の手足として許容されるものの、本件各行為は上記(1(2)ア、イ、ウ)のとおり明らかに許容基準をはるかに越えていること明らかであって、その主張は牽強付会である。

(ウ) 上記Bの主張は、厚生省健康政策局長の下に平成8年に設置された歯科口腔外科に関する検討会において、歯科の診療領域を「原則として口唇、頬粘膜、上下歯槽、硬口蓋、舌前3分の2、口腔底に、軟口蓋、顎骨(顎関節を含む)、唾液腺(耳下腺を除く)を加える部位とする」とした歯科医師として許容された領域(甲84・資料入手報告書。中島・第6回公判証言)を被告人の独自の判断で変更しようというものであって、自己正当化のための立論にすぎない。

(エ)上記Cの主張は、医学部生がごく近い将来医師となることが予定されている点を全く度外視して医師と歯科医師とを同視するものであって、つまるところ、上記のとおり医師法及び歯科医師法の趣旨を没却させるばかりか、医学生が医行為を行うに当たって、厚生労働省の定めたガイドラインに従い、指導担当医師が、予め患者に対し、医学部生である旨告知し、その承諾を得た上、医師が真横にいて現実に医学部生の行為を監視監督している状態下においてのみ医行為を行わせている実態(跡見・期日外証言)を全く無視している。

 ウ 以上のとおり、被告人の上記弁解はいずれも理由がないことは明らかであり、被告人は歯科医師レジデントを単なるマンパワーの確保を目的として受けいれていたに過ぎない上、その研修方法についても著しく相当性を欠くことから、正当行為と見る余地は全くなく、したがって、違法性が阻却されないことは明らかである。


3 違法性を意識していたこと

 もともと犯罪の成立に違法性の意識の有無は関係ないが(判例・通説)、本件において、以下の事実に照らし、被告人に違法性の意識があったことは明らかである。すなわち

  1. 平成7年1月26日開催のレジデント委員会において、歯科医師を口腔外科以外の診療科で研修させることの可否につき検討した際、被告人は、「短期間の研修生としての受入れであれば可能だが、レジデントとして受け入れることは無理だと思う。」旨発言していたこと(甲59)

  2. レジデント委員会において歯科医師をレジデントとして受け入れるか否か議論していたころ、被告人は、上記○○○○(同委員会事務局係員)に対し、歯科医師をセンターで研修させることの可否につき質問し、同人から、「交通事故等で入院した患者の口腔などにつき歯科医として治療することは可能だが、それ以外に一般医師と同様の医療行為をすることはできない。」旨の回答を得ていたこと(○○○○・第2回公判証言。なお、同人の証言が信用できることは上記2(1)アDのとおり)

  3. 被告人は、歯科医師が診療領域外の治療を行えば法律違反になると考え、歯科医師研修医Aを受け入れる以前において、麻酔科部長の○○○○に対し、同科における歯科医師レジデントの研修方法について確認し、さらに、平成9年1月以降も、日本救急医学会の会合の際、他の救命センター所長に対し、歯科医師をレジデントとして受け入れているか否かを問い合わせていること(乙11)

  4. 被告人は、上記(2(1)アF)のとおり、平成8年10月ころ、センターにおける管理職会議において、歯科医師レジデントの受け入れを表明した際、出席した医師たちに対し、歯科医師レジデントと医師レジデントを区別しないで扱うよう指示する一方、診断書のように患者など外部に発行される文書についてだけは必ず医師と連名にするように指示していること

  5. 被告人は、平成12年7月ころ、○○○○副院長から、「医師資格を有しない歯科医師に医師と同様の行為を行わせることは法的な問題がある」旨注意されたのを受けて、その直後の管理職会議に出席した医師に対し、歯科医師レジデントを当直伝のファーストから外すよう指示し、さらに、当直表の作成担当医師○○○○に対し、実際にはそれ以後も歯科医師レジデントに当直医を担当させるつもりであったにもかかわらず、歯科医師レジデントの名前を記載しない内容虚偽の当直表を作成して病院側に提出するよう指示していたこと(甲62。○○○○・第3回公判証言。甲69、70)

などの事実が認められ、これらの事実に照らすと、被告人が、当初から歯科医師がセンターにおいて医師と同様の医行為を行うことが違法であることを認識し、○○○○副院長の注意を受けてその認識を更に深めたにもかかわらず、これを無視して違法行為を継続したことは明らかである。

 ところで、○○○○は、捜査段階においては、上記内容虚偽の当直表作成が被告人の指示によるものと明確に供述していながら、当公判廷において、「当直表から歯科医師レジデントの名前を外したのは自分の判断で行ったことであり、被告人の指示を受けてしたことではない。」旨供述を変遷させている。しかし、その証言態度は、かつての上司で、今なお救急医療分野において影響力を有する被告人及び被告人を支持する多数の市立病院関係者が傍聴する面前において、検察官からの質問に対し、数秒間黙りこくった後、言葉を選ぶかのようにしてボヅリボツリと答えるなど、真実を証言することができないことを自らその態度で示しているばかりか、捜査段階における供述を変遷させた理由についても、同人は、捜査段階の途中から被疑者として黙秘権を告知され、その供述いかんによっては自己ばかりか上司の被告人が有罪とされ、その医師生命に影響を及ぼしかねないことを熟知した上で取調べを受け、調書作成にも応じていながら、「調書の読み聞き時によく聞いていなかったので、検察官に対しどんな説明をしたかは覚えていない。」などと不自然不合理な説明しかなし得ないことに照らすと、その法廷供述を信用することができないことは明らかである。


4 被告人と各歯科医師との間に共謀が認められること

 被告人は、上記(2(1)アF)のとおり、平成8年10月ころの管理職会議において、出席した副医長以上の医師に対し、歯科医師をレジデントとして受け入れることを表明した際、医師レジデントと区別することなく扱うようにとの指示を出していること、これを受けて、以後、センター医師たちが歯科医師レジデントを医師レジデントと同等に扱って本件各行為を行わせていたこと、センターにおいては当直医のファーストが搬入患者の担当医となって患者の治療の第一次的責任者として治療に当たり、セカンドがドクターカーに乗車して緊急状態に陥った患者の治療に当たるとのシステムが確立されており、当直表の作成担当者に表面上歯科医師レジデントを無記載にさせつつも、実際には従前どおりにさせていたこと、センターにおいて定期的に開催されるカンファレンスに出席して、歯科医師レジデント担当患者の治療内容についても報告を受けていたことなどに照らすと、被告人において、センターにおける研修の際、歯科医師レジデントに医行為を行うように指示し、その後、同人らが医行為を行っている旨認識し、かつ認容していたことを優に認定し得るのであって、被告人と歯科医師レジデントの間に共謀が存することは明らかである。


5 結論

 以上のとおり、被告人が、歯科医師3名と共謀し、医師資格を有しない同人らをして公訴事実記載の各区行為を行わせた事実を優に認定し得る。


第2 情状関係


 本件は、公立病院の救命救急センターの実質的責任者であった被告人が、医師資格を有しない歯科医師3名と共謀し、前後11回にわたり、研修名目で同人らをして医行為を行わせ、もって医師でないのに医業を行った事案である。


1 免許制度を無視した悪質な確信犯的犯行で、常習性が顕著である。

 被告人は、歯科医師が医師免許を有しておらず、したがって医師と同等の行為を行うことができないことを十分認識しつつ、これを殊更に無視し、部下であるセンター医師らに指示して、長期間にわたり研修名目で3名の歯科医師をして医師と同様の行為を景行させたのである。被告人の行為は、医行為が高度の専門性を有し、人の生命及び身体に重大な危害を与えかねない危険性をはらんでいるため、それにふさわしい技能を有していると公的に認定した者にのみこれを独占させることとした法の趣旨を真っ向から否定するものである。

 被告人は、平成11年ころ、病院内の医局舎において、他科の医師から歯科医師レジデントがセンターで研修していることの問題点を指摘され、さらには、平成12年7月ころ、病院副院長から同様の警告を受けたにもかかわらず、これを無視し、歯科医師レジデントが従前どおり当直医を担当している事実を糊塗するため、内容虚偽の当直表を病院事務局に提出させるなどして違法行為を継続しており、本件は極めて悪質な確信犯的犯行である。そして、犯行動機も、センターにおけるマンパワーの確保にすぎず、このような動機が本件を正当化する余地は全くない。

 しかも、本件で起訴されたのは11件とはいえ、被告人は、平成9年1月以後、通算で27か月間もの長期間にわたり、4名の歯科医師をして医行為を行わせていたのであり、常習性が顕著に認められ、本件はこのように継続的に敢行されていた違法行為の氷山の一角にすぎない。


2 反省の情がなく、再犯のおそれも高い。

 被告人は、本件が発覚するや、違法行為を繰り返してきたことを悔い改め謝罪するどころか、「歯科医師にも緊急状態の患者に対処する能力を身に付けさせる必要がある。研修で行った以上、法律違反にはならない。」などと正義を構えて開き直り、記者会見まで開いて自己の行為の正当性を声高に主張し、捜査機関への批判を繰り返し、起訴後も臆面もなくセンター部長たる地位にとどまって自己保身に汲々としながら、法廷において自己の独善的な主張を繰り返し、生死の瀬戸際に苦悶する患者のために専門の臨床医による治療を切に願う患者本人やその家族の願いに思いをはせようともせず、「今後も歯科医師をレジデントとして受け入れ、医師と同様の行為を行わせるつもりである。」とまで言い放つ厚顔無恥ぶりであり、「医は仁術」との心がなく、医の現場を政治的プロパガンダの場とするに何らの自制心もないことに照らすと、被告人には反省の情が全くないのは明らかで、再犯のおそれも高い。


3 医師に対する信頼を大きく傷つけた被告人の刑責は重大である。

 本件は、著名な公立病院の幹部医師が敢行した違法行為として大々的にマスコミにより報じられ、かかる大病院が無資格者をして医療行為を行わせていたとして大きな社会的反響を呼んだものである。医師資格は取得が困難である上、その高度な専門性のゆえに、一般市民から高い信頼と尊敬を寄せられており、被告人の犯行は医師一般に対する社会的信頼を大きく傷つけたもので、その刑責は重大である。


第3 求刑


 その他諸情状を考慮し、相当法条を適用の上、被告人を罰金6万円に処するのを相当と思料する。


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