(救急医療メーリングリスト(eml)・有志)
目 次
お断り:本資料に収載された意見は、救急医療メーリングリスト(eml)のメンバーが個人としての意見を非公式に述べたものです。皆様からの御意見をウェブ担当者(gochi@m.ehime-u.ac.jp)までお送り下さい。本資料の筆者である山本氏をはじめ、救急医療メーリングリスト(eml)の皆様に紹介させていただきます。
しばらく山のような執筆業にこもり、日直に出勤しメールを開いてみて、びっくり。
百数十のメールをかき分けると、いつの間にか、私の『日本臨床救急医学会雑感』
が起源らしい『eml救急医療学会シンポジウム』が始まっていました。
皆さんのご意見を拝見しまして、このようなご意見を拝聴できるシンポジウムこそ
学会で開催して欲しかったと思いました。〇〇さんが送信ミスで『幻のメール』に
なり、非常に残念ですが、別の機会にお話をお聞かせください。来年の会長の野口
さんに、21世紀最初の臨床救急医学会では、どのようなシンポジウムを実現するべ
きか、しっかりお願いしておきたいと思います。
さて、皆さんのご意見があまりにも貴重なものでしたので、このまま捨てておくわ
けにはいかないと、スケベ根性を丸出しにして、たくさんのご意見をどうするべき
かと考えました。そこで、皆さんのご意見をふまえながら、私の考えを更に深めて
みようと試みました。どうかご批正ください。(長長長文です)
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<目次>
1.メディカルコントロールの理解と認識
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1.メディカルコントロールの理解と認識
私は、『メディカルコントロールとは何か?ー今、求められていることは、解釈
ではないのです』と書いたところ、畑中さんから、『もう少し、解釈を明確にする
のも良いかも知れないと感じました』とご意見があり、佐久間さんからも、『メデ
ィカルコントロールの定義を共通認識することは、重要だと考えます』と指摘され
ました。直接は、パネルでの「気に食わない医師からのコントロールなど受けたく
ない」という救命士の発言を受けてのものと思います。
畑中さんは、『メディカルコントロールが「医師によるコントロール」と説明さ
れることもありますが、これがちょっと問題かな、と思います。私は、「医学的見
地からの体制整備」と表現した方が的確なのではないかと思います。言葉としても、
「Medical」は「医学的」であって、「医師=Physician」ではありませんから』と
延べておられます。福井さんも、この畑中さんのご意見に同意されておられます。
佐久間さんは、『メディカルコントロールとは医師が救急救命士を含む医療従事
者をコントロール(命令、指揮)することだと認識している医師も一部にはいるで
しょう。医師のコントロールなんて必要ない、救急救命士としての自分の知識・力
量で処置はできると考えている救命士も中にはいるでしょう。我が国の医師のレベ
ルが様々である以上に、救急救命士のレベルは様々であると思います。こうした考
えを持っている人々からその思考を払拭する必要があると考えます』と、造詣の深
いことを述べておられます。まさに、その通りです。
2.今、何故、メディカルコントロールなのか?
私は、メディカルコントロールという概念が学会の主題になったことは、あり方
検討会での討論の成果であり、大きな前進であったと考えます。では、今、何故、
メディカルコントロールなのでしょうか?あらためて再認識する必要があるように
思います。考えやすいように、医療チームの同僚である看護師と対比してみます。
<看護の場合>
我々の医療チームの仲間である看護師は、常に医師の指示に基づいて、呼吸循環
管理を行ない、モニターをし、ドレーン管理や薬剤を投与しています。これらは、
保健婦助産婦看護婦法の診療補助規定に基づくものです。現在は、その是非はとも
なく、保助看法を意識することなく、看護師は、医師の治療方針/計画に基づき、
看護計画と看護方針を立て、看護/医療実践を行なっています。患者が急変した場
合は、医師の指示に従って、必要な処置を医師とともに行なっています。看護師の
レベルを向上させるために、医師も看護師教育の一翼を担い、日常的な診療の中で
指導を行なっています。この医師ー看護師の関係について、疑問を表明する人は誰
もいません。同じ職場ですから、ほとんど意識することもなかったのです。もし、
我が国にドクターカー制度が導入され、救命士とともに現場に出動するシステムが
整備されたとしたら、医師ー救命士の指導関係に誰も疑問をもつことはなかったで
しょう。
看護職場も拡大してきています。看護師にも、看護診断という学問が確立され、
この看護診断、臨床看護と地域看護学を根拠として、訪問看護ステーションを拠点
に訪問看護をおこなうようになりました。医師がいない場所で医行為を行なう、初
めての制度上の訪問看護師が登場しました。訪問先で患者の変化に遭遇すると、問
診を行ない、理学所見をとり、看護診断を行なった上で、病院に搬送するか、自宅
で薬剤や輸液を行なうか、判断しなければなりません。しかし、勝手にしているわ
けではありません。医師の指示書に基づき、看護計画書が立案され、訪問看護報告
書が毎月医師と市町村に送り届けられます。急変時には、医師に報告連絡相談(ホ
ーレンソー)をしながら、適切な対応を決定していきます。この医師ー看護師の関
係がなければ、訪問看護も成立しません。
もちろん、看護には独立性があり、保助看法の独占業務規定に基づいています。
医師もこの看護の独立を尊重しており、医行為以外の看護業務は、看護師の独自の
判断/方針に基づき、看護技術を駆使して行なわれています。
看護師だけでなく、医療職のすべての業務には、医師との関係性が成立し、医療
職としての責任と医師の責任が明確にされています。メディカルコントロールは、
すべての医療職成立の前提であり、これまで意識することなく、医療業務が行なわ
れてきたのです。
<救急救命士だけにメディカルコントロールが強調されるのは何故か?>
救急救命士法および関係法には、医師の指示関係が明確にされており、特定行為
に関する具体的な指示、特定行為以外に対する包括指示が明文化されています。問
題は、医師との関係が特定行為の指示システムに矮小化されてきたことにあります。
医師ー救命士の指導関係は当然のことであるにもかかわらず、医師ー救命士の関係
が、医療機関ー消防機関の関係、医療人ー消防人の関係に複雑に置き換えられてき
ました。国/都道府県の行政施策も、厚生省/衛生部局の管轄にもかかわず、救命
士の職場が自治省消防庁/消防防災部局/消防本部管轄であることから、国レベル
の厚生省ー自治省、都道府県レベルの衛生部局ー消防防災部局の関係が、市町村レ
ベルの医療機関ー消防本部の関係に深い影響を与えてきました。さらに、消防本部
が市町村単位であることから(消防長は市町村長から任命される)、自治省/消防
防災部局と言えども強力な指導を行なうことができず、消防本部から見れば、国の
責任で行なうべき救命士制度のツケを市町村に回されるのは筋違いであるとの見解
が主流を占めてきました。消防側からすれば、救命士は2課程の延長にしかすぎず、
資格をとっただけの消防職員にすぎず、医師との強い関係性を正確に理解できるは
ずもなく、まして、消防の救急活動全体に医師の評価が加えられることには拒否反
応を示さざるをえませんでした。
医療機関の側も、院内の医療職ならともかく、医師ー救命士の関係を媒介として
消防機関に対する指導性を発揮することを、自らの業務に位置付けることは困難で
した。救急医の多くも、医師の代わりに医師の目となり耳となり手となる救急士を
現場に派遣するという救命士制度の基本概念を理解できず、従来の搬送機関の理解
(患者を搬送してくる救急隊員という現象的な理解)の延長上で、救命士を理解し
たにすぎませんでした。指示システムが整備された地域でさえ、特定行為の指示要
請に指示を与える程度の理解が接ぎ木されただけで、メディカルコントロールの真
の理解からはほど遠いものであったと言わざるを得ません。指示システムの形骸化
は、その内容から帰結される必然的なものでした。
結局、国の施策を理解できない消防本部と、指導性を発揮する意思のない医療機
関にすべてが任されてきました。その中で、救命士が医師の影響を受けて医療人と
しての意識をもてばもつほど、<足は消防、頭は医療>に分裂せざるをえず、足で
ある消防機関の意識と機構が変革されなければ、股裂きにあうこと(消防人事での
冷遇等)が常態化してきました。救命士/救急隊員の指導に熱意のある医師/医療
機関も、消防機関の堅い壁に遮られ、救急隊員の生涯教育を推進しようとしても多
くの困難に直面してきました。他方で、救命士制度に理解ある医師/医療機関のな
い地域では、救命士/消防機関は、組織的な指導、教育や評価の場をもつことがで
きず、放置されてきました。救命士は常に孤独な存在であり、消防機関と医療機関
から2重に疎外されてきたと言うことができます。
こうして、他の医療職種と異なり、救急救命士は、医療職として、医師との関係
性を不問にせざるを得ない状況が長く続いてきました。実際、我が国のプレホスピ
タルケアを長く指導された、ある高名な医師でさえ、ある論文で『定期的な講習を
含む生涯教育は職能団体(救急救命士会)が行なう』とされ、無責任な立場をとり
つづけました。ほとんどの諸団体(日本救急医学会を含め)も行政組織も、生涯教
育の環境整備には口をつむりました。湘南地域は、こうした全国的な流れに反駁し、
自らの実績を基に、組織的で継続的な生涯教育を実現するために、全国的な環境整
備を行政的施策として行なうべきことを、5年間学会等で主張し続けてきました。
最近、ある消防本部の幹部が、熱意ある救命士にこう語っていることを聞きまし
た。『お前らは医師に洗脳されている。救命士が高度な医療を行なうようになると、
一番、困るのはお前らだ。俺達は、お前らを守ってやっている』。極端ではあれ、
このように発想する幹部が、いまだ消防機関には少なくないのが現状なのです。
メディカルコントロールを強調せざるを得ないのは、救急救命士の股裂き状態を
改善し、救命士/救急隊員の資質を向上させるために、医師/医療機関と消防機関
の自覚を促し、医師ー救命士の指導関係を明確にする必要があるからです。現在の
無責任体制の中で放置され呻吟する救命士の困難な状況を解決するためにこそ、土
居さん、川内さん、佐久間さんのご尽力により、メディカルコントロールを制度的
に担保することが、あり方検討会で21世紀戦略として決定されたと理解しています。
3.メディカルコントロールとは何か?
「医師によるコントロール」のときもあれば、「医学的見地からの体制整備」の
ときもあるでしょう。メディカルコントロールを別の言葉に置き換えるべきである
という意見もありました。前東京研修所の安田さんは、メディカルコントロールに
無関心のように見えました。医師の認識が低く救命士の意識の方が先に進んでいる
中で、何を非現実的なことを言っているんだね、と言いたかったのかも知れません。
私は、松原さんと同様に、『概念としてのMCから問題にされるとちょっととまどっ
てしまいます』(松原さん)。メディカルコントロールが何故必要かの認識を持て
ば、その名称の是非を問う必要もなければ、解釈する必要もなく、固執する必要も
ありません。医療職として、当たり前のことだからです。
松原さんは、『救命士制度を生かすも殺すも医療側(=医師)次第という結論に
達しました。救命士の研修態勢を作り上げること、そして、何とかしてその活動を
検証する手法を確立すること。「野放しの救命士」を作らないこと。そして、「お
互いが顔の見える」関係を作ることを目標としました』と、述べておられます。
私もまったく同じ考えで、仕事をしてきました。
東海大学病院救命救急センターの日常的なことに触れてみましょう。
センターでは、毎朝8時から、重症入院患者の症例検討を行なっています。もし、
そこで、救急隊員が間違っ対応をして悪化したと考えられた場合、搬送直後に指導
していない場合は、後日、その救急隊長に連絡をとり状況を聴取し、間違っていれ
ば教育指導を行ないます。正しい処置をして救命に至った場合は、消防署長、警防
課長に私から連絡し、消防幹部にフィードバックします。もし、消防機関の救急活
動上に問題があると把握するば(例えば、二次病院直送を原則としたために死に至
らしめた場合)、私の名前で署長または救急隊長責任者あてに文書を送り、文書で
の説明を求めます。ある消防本部では、救急隊長会議を召集し協議していただき、
消防本部として、外傷患者はオーバートリア−ジで救命センターに直送するという
方針に改善していただいたこともあります。これらのことは、しかし、病院研修や
救急セミナーで教育指導した内容と反した対応を行ない、悪化させた場合に限りま
す。もし、我々の指導内容に基づいて実施したにもかかわらず、悪い結果が生じた
場合は、その責任は我々にあります。我々が反省し、教育指導内容を変更しなけれ
ばなりません。逆に、当直医の対応が悪い場合は、救急隊員の側から、私に個人名
をあげて指摘してもらいます。その真偽を把握し、当直医に問題があれば、チーム
リーダーにその旨を伝え、改善されない場合は、センター長に上申し、施設責任者
から注意、訓戒をしてもらいます。また、その逆に、救急隊員のケアが悪い場合は、
医師/看護師から、救急隊員教育責任者である私にクレームが来ます。これらのこ
とができるのは、患者さんに適切な救急活動を行なっていただきたいとの思いから
であり、救急隊員の救急活動内容に責任を持っていると考えるからです。
メディカルコントロールの概念をどのように解釈しても構いません。しかし、そ
の本質は、プレホスピタルケアに対し、医師が責任をもつということであり、責任
を持つことのできる制度を全国的に創設するということです。
4.メディカルコントロールの効果検証の結果から
自慢話と言われそうですが、大切なことですので、今回、私が学会で発表した要
旨の一部を紹介します。emlで・・さんにお約束したことを発表しました。
過去6年間に救急セミナーに参加した消防職員は15,393名、過去7年間に病院研修
を受けた救命士は137名です。今回は、これらの生涯教育と病院研修によるoff-line
medical controlの効果検証を行ないました。
その結果は、
上記は、湘南地域の結果に過ぎませんが、知識と活動レベルの自己評価調査につい
ては、救急救命士養成施設の参考になると思われますので、九州研修所(畑中さん、
最所さん)、東京研修所、湘央学園、ご希望の施設に郵送させていただきます。
この自己評価調査については、次回は、東京消防庁等にも呼び掛けさせていただき、
厚生科学研究として多地域合同の調査として行なうことができれば幸いです。
5.メディカルコントロールをどのように実現するか?
(1)地域間較差を無視して良いのか?
佐久間さんは、『先進的な地域というのは、地域の指導者的医師(熱心な救急医)
の方々、熱心な救急救命士の方々等が、医療機関の、また、消防機関の幹部の理解
を勝ち取り、環境を整えた地域に他ならないと思います』と、正しく述べておられます。まさに、札幌、秋田や島根の発展は、熱心な救急医
と救急救命士の努力の賜物であり、名古屋のEMS的組織の形成(現在進行形)も、
今は亡き敬愛する大場さんの指導下、野口さんはじめ、三次救急専従者の会の熱意
ある指導医と小澤さんはじめ熱意ある救命士の努力の結果です。湘南地域もまた、
澤田さんの指導性と救急隊員の熱意により地域の財産を創ることに成功しました。
これらの地域実績と、全国的な施策が遅々として進まない現状から、地域間の差
別化が語られています。
畑中さんは、『「地域に委ねる」という姿勢には、共感できる部分もあります。メディカルコン
トロールの整備は、「全国一律に」と考えられているようですが、これでは数十年
かかりそうです。せいぜい長生きしたいものです。それより、整備の完了した地域
をモデル地域として参考にする、という「地域自治」の姿勢の方が好ましいのでは
ないでしょうか』と述べておられます。
福井さんは、『「日本の救急の有るべき姿」を云々する手法自体が限界に達してきていて、「ど
こにも負けない大津の救急をどう作るか」といった発想が、今、大事なんだと感じ
ています』と述べておられます。
佐久間さんは、『医療事情、消防本部の事情等々は各地域で異なります。基本的なガイドライン(
最低限の)にのっとり、その地域の実状に即した体制をつくるのが適当であると思
います。地域格差がある程度でてしまうのは仕方がないのでしょう。最低限のレベ
ルをどこまで引き上げられるかにかかっていると思います』と述べておられます。
私は、皆さんのご意見に反対するどころか、『どこにも負けない湘南の救急』を
創るために努力してきましたし、湘南地域の特殊性に踏まえて地域展開をしてきま
したし、市町村の「地域自治」の精神を高揚させるためにも動いてきました。私は、
湘南の経験を紹介し全国に発信することが、日本のプレホスピタルケアを前進させ
ることに繋がるとの思いを抱いてきました。しかし、今、地域の努力と発信だけで
良いのかとの思いを禁じ得ません。
奇特な医師や熱意ある救命士と理解ある消防幹部がいれば、その地域はある程度
は発展するでしょう。そして、全国のモデルにもなるでしょう。不均等に発展する
時代は、突出する地域がさらに突出し、お互いに学び合えば良いのかも知れません。
しかし、救命士制度が形骸化しつつある今、果たして、それで良いのでしょうか。
一握りの地域や人間が幸せになっても、それで本当に幸せと言えるのでしょうか。
(2)私の実感〜『救急医療は地場産業でもあり国の産業でもある』
私が emlに入ってから、全国の救急隊員の方から個人メールをたくさん頂くよう
になりました。地域のひどい現状を紹介し、モチベーションを必死になって維持し
ている自分自身の心の揺れを表現し、私にアドバイスを求める方がたくさんおられ
ます。東京や大阪からもメールが送られてきます。研修所で教えられた『救急医療
は地場産業だ』という思いを胸に、地域で奮闘し葛藤し、壊れそうになる自分の心
を一所懸命に持ちこたえようとされておられます。しかし、資格取得後の生涯教育
や症例検討がほとんどない地域で、病院研修も満足にできない地域で、まして、指
示システムもなく、特定行為すらできない地域で、どのようにしてモチベーション
を維持すれば良いでしょうか。医療に対する無理解を恥ずかしいと思わない消防組
織の一員であることを『消防人』という名によって日々強制されていれば、どのよ
うな個人的な自助の努力も限界に達してしまいます。全国から来るメールを見て、
つくづく考えてしまいます。『湘南の救急隊員はいいな』と言われれば言われるほ
ど、口が重くなっていくのです。
いま、問われていることは、『救急医療は地場産業であると同時に国の産業でもあ
る』ことを認識し、我が国の救急医療を良くするために何をするべきか?というこ
とであると思うのです。救急救命士制度が我が国の誇りであり、宝である時代を何
としてでも創らなければなりません。先進的地域ほど、地域主義に陥ることなく、
全国の救命士の現状を配慮するべきではないでしょうか。
(3)救急医は何故地域に出ないのか
それにしても、救命士が呻吟している地域のかなりの地域には、優れた救急医が
おられます。しかし、その救急医と救命士の間には顔の見える関係がありません。
どんなに優れた研究業績や教育実績をあげても、結局、地域への働きかけができて
いないことに、メールを通して唖然としてしまいます。消防機関と医療機関との信
頼と連携に真剣に取り組んでいる救急医があまりにも少ないのです。
『救命士の問題は、所詮は消防内部の問題であり、大学や病院が干渉することでは
ない、まして、救急医があくせくすることではない、そんな時間があれば、研究論
文の1枚でも書いた方がまし』と、考えているのでしょうか。
救急医の目は何故に地域や救急隊員に向かないのか?学会の意識水準が低いこと
も問題にされなければなりません。しかし、救急医は日々の診療と教育に大変です。
地域に目を向け、消防機関/救急隊員と日常的な信頼関係を創るにはあまりにも業
務量が増え過ぎています。
逆に言えば、プレホスピタルケアをともに担う救急医をどのようにして養成する
かを、厚生省と日本救急医学会はもっと真剣に考えなければなりません。そのため
には、救急医にincentiveが働くようにしなければなりません。私達(猪口センタ−
長と私)は、米国パラメディックを支える救急医の多くが、American Boardを持っ
ているように、日本の救急医の養成システムを整備するべきであると考えます。
(4)法的な整備が必要ではないか
佐久間さんは、今日の諸問題を、適確に理解されておられ、次のように述べてお
られます。
『越えるべきハードルはいくつもあります。消防機関のマンパワー不足、救急医の
マンパワー不足、研修可能な救急医療機関の不足、消防機関と医療機関の関係、医
療圏と消防本部管轄の相違、2課程標準課程等教育体制の更なる充実、真なる病院
実習の充実、救急に関する消防機関幹部の意識改革、ひいては消防機関に対する市
町村長の意識改革、選挙民たる地域住民の意識改革、都道府県消防防災部局の意識
改革、財政的問題等々・・・。これらを一つ一つクリアする必要があります』
まさに、その通りだと思います。
また、佐久間さんは、『救急救命士に対する資格取得後の教育環境が制度的に整備されていないままに放
置されてきたことは、否めません。だからこそ、遅かれど再教育(生涯教育)体制
を含め制度化する必要があるのです。仮に5年かかろうが50年かかろうが次世紀
になろうがです』とも述べておられます。
おそらく、現在の最も深刻な問題は、問題の所在が明確になっても、どのようにし
て、これらを解決するべきか、その処方箋が出せないことにあるように思われます。
しかし、必要性の認識があれば、それを実現するための戦略と戦術を明らかにしな
ければなりませんし、必ずできるはずです。
福井さんと小澤さんは、シアトルの成功とその根拠に触れておられます。私達は、
メリーランドの本間さんが紹介されたシステムとともに、これらから、多くの学ぶ
必要があると思います。
福井さんは、
『シアトルの成功は、単に除細動治療を医師から解放しただけで達成されたわけで
はありません。By stander CPR率の増加、除細動器の空間的な分散(30万の人口に
数十箇所の消防派出所が分散配備されていたと思う)、住民の高いCPR意識・・・そ
んな多くの要素の結実です。早期除細動実施を「一要素」とするその戦略には、自
分の足場を見据えて、地域の特性を引き出そうとする、関係者の現場への熱い眼差
しがあったように感じます』と述べておられます。
まさしく、地場産業としての救急医療の展開であり、福井さんの論点にはすべての
人が賛成するはずです。
一方、小澤さんは、さらに、制度上の問題に触れておられます。『これは福井さんが.言われるようにシアトルが成功しているのは早期通報、早期C
PR、早期DCの体制がMedical Directorのもとできているからです。逆にニューヨ
ーク市などではパラメディックの処置内容がシアトルと変わらなくても、結果が伴
っていません。ですから、EMS組織を法的義務付けとし、結果が残らなければ地
方の責任とするべきではないでしょうか』と、一歩、踏み込んでおられます。
この小澤さんのご意見を受けて、円山さんが、総括的に整理されました。
『まさに小澤さんの言う通りだと思います。米国では、EMS法、DOTでの教育、生
涯教育、そして、それらの科学的な検証、メディカルコントロール、EMSの強化と
すすんできています。国が枠組みを作成し、州がパラメディック等の資格を与え、
各地域のEMSが地域に合った教育、システム、ーーを責任をもって医師とともに整
備強化に努めています。そしてそれらが最終的に融合し、外傷も急病も同様のシス
テムの中に組み入れられ、また、遅れていた地域も進んでいる地域を模範に整備強
化していったのが現在の米国の制度と思っています。
我が国でも、国が大きな枠組みを作成し、都道府県、各地域が責任をもってシステ
ムを作れるようになっていかなければ、100年経っても良くはならないかもしれま
せん』。
私は、小澤さんと円山さんが述べておられるように、まず、佐久間さんが指摘され
た諸問題を解決する糸口を与えるためにも、メディカルコントロールを可能とする
救急医療システム(教育と評価を含む)の組織の形成を義務付ける法的な整備を行
ない、この大きな枠組みに基づいて、皆さんが指摘された地域の特性にあった地域
救急医療システムの形成を行なうべきであると考えます。この大きな枠組みを確立
することが、21世紀初頭にかけて、最も重要なことであると思います。
川内さんは、次のように書かれました。
『政策を提案する以上、国は各地域での実施を支援する責任が生じます。「支援」
とは何か・・・。補助金ではありません。All Japan で実行したいとするならば、
立法以上の大きな支援はないわけです。「救急医療法」の必要性の理由付けは、地
方公務員に身を移してから見えるようになってきました。法を使いこなすのは国だ
けではなく、その多くは自治体でありますから』。
松原さんが提唱され、川内さんが国の救急行政を地方公務員の立場から見て敢えて
指摘くださった、救急医療法の制定は、この枠組みを形成する最大の手法であると
思います。佐久間さんが指摘された諸問題の解決のためには、救急医療法の制定を、
国と関係学会で真剣に検討するべきではないでしょうか。
(5)地方行政が救急医療整備に取り組むために
<都道府県の場合>
私は、『都道府県に指導性を委任したところで、一体何ができるでしょうか』と、
書いたところ、佐久間さんと福井さんからコメントをいただきました。
佐久間さんは、次のように、都道府県の役割を述べられました。『現在の救急に関する医療供給体制(救急救命センター等)を見る限り、ある程度
広範囲でその地域の救急体制、救命士に対する教育体制を組まざるを得ません。そ
の一つの方策が2次医療圏単位です。2次医療圏単位で救急医療を完結させるには、
原則市町村消防である消防機関の広域的な協調体制が必要であり、この協調体制を
組むには、市町村間の調整機能を担う都道府県が重要な役割を果たす必要があると
いうことです』
確かに、都道府県に重要な役割を果たしていただく必要があることは否定しません。
しかし、問題は、3つあります。
1つは、福井さんが、私をフォローして、代弁してくださったように、『メディカ
ルコントロールに関わる、予算・権限・情報等を譲渡しないまま、ただ、都道府県
に指導性を委任したところで、一体、何ができるのか』ということです。都道府県
はどこも、市町村以上に財政が破綻し、財政優先策をとっており、予算の裏付けが
ない事業に大きな努力を払うことはしないでしょう。
2つは、佐久間さんが、『都道府県消防防災部局の意識改革』を指摘されておられ
ますように、都道府県担当者の救急医療への認識の向上と意識改革が必要です。人
事異動を繰り返している部局でも、責任ある仕事を完遂していただきたいものです。
3つは、救急行政が、衛生部局と消防防災部局とに分離されており、国レベルと同
様の綱引き(?)が起こる可能性があります。この際、いくつかの課が統合されて
防災部ができた都道府県のように、衛生部局と消防防災部局を改変し、災害救急医
療部局、あるいは災害救急消防部局を独立させるような機構再編ができないもので
しょうか。
<市町村の場合>
市町村の消防組織でも、同じような諸問題があります。メディカルコントロールに
ついては、救命士個人の問題ではあり得ず、小澤さんが示した名古屋市消防局のデ
ータのように、消防組織の問題にも言及せざるを得なくなります。従来、多くの消
防組織では、消防救急の顔は警防課が務めてきました。しかしながら、救急隊員と
して実際の救急活動を担った職員は警防課にはおらず、警防課には現場の声が反映
されることは少ないのが現状であり、救急の事務業務を処理する能力に欠けるため
救急事務の多くは署の救急隊員に降ろされているのが実態です。
従って、藤沢市のように、警防課から救急救命課を独立させ、救急活動を熟知し
た救急担当者が他の消防機関や医療機関との連携と調整にあたる仕組みを創る必要
があります。私は、人口5万人以上の消防組織には救急救命課を、人口5万人未満
の消防組織には救急救命担当主幹を置くべきであると考えます。これらの消防組織
の機構改革は市町村の専権事項ではありますが、21世紀の救急医療の発展のために、
自治省消防庁の指導性を心から願っております。
6.奇特な医師の自助の努力に依存しない制度を創ろう!
現在、救急先進地と言われる地域は、奇特な医師の自助の努力によるところが大き
いと思われます。先日、医局員から、私が倒れたらどうなるか?と問われ、考えて
しまいました。こんなことを言うのは不謹慎かも知れませんが、円山さん、福井さ
ん、松原さん、石原さんが倒れたら、その地域はどうなるでしょうか。
私は湘南救急活動研究協議会を設立して本当に良かったと思った時期がありました。
2年前、東海大学医学部の機構改変がありました。救命救急センターと救急医学講
座も組織再編を受け、総合診療部/総合診療科と総合診療学が新たに誕生しました。
業務は急激に増加し、救急隊員教育どころではありませんでした。協議会が設立さ
れていなければ、救急セミナーすら開催不能に追い込まれていたと思います。しか
し、地域協議会があったおかげで、消防職員の自主的な努力により、途絶えること
なく発展してきました。個人の自助の努力は前提ですが、しかし、これに依存して
いるだけでは、ダメなのです。
以前、・・さんが言われたとおり、奇特な医師の自助の努力に頼らない制度を整
備し、制度的に担保しなければなりません。救命士がどんなにコメディカルサポー
トをしても、おのずから限界があります。救急医をきちんと養成する、救急医が地
域に出る、救命士の努力が評価される、医療機関と消防組織が連携する制度的な仕
組みがどうしても必要です。
おわりに
円山さんが、気持ちをこめて、我々の為すべきことを、その姿勢を、次のように
語っておられます。しっかと、心にとめておきたいと思います。
『メディカルコントロール、救命士制度のあり方等に関して、我が国の問題点は
明らかです。また進むべき今後の方向性にしても、米国の歴史を見ていけば、自
ずと見えてきます。
(略)
畑中さんが100年までにはーーと書いていましたが、我々は日の目を見ることは
できないかもしれません。でも、100年後には我が国もあるべき姿になっている
ように、我々の屍を踏み越えていける意識も情熱もある若い人を育てていくしか
ないのです。それもせず挫折したのであれば、折角自分たちが作りかけている新
しい歴史そのものを自らの手で破壊してしまうことになります。
それでは、自分たちの歩んできた足跡は全く無意味なものになってしまいます。
そうならないように、歴史の1ページでも飾れるような努力はしましょう。
我々の歩んできた足跡そのものが救急の歴史なのです。それを閉じてしまって
いけません。
我々の名前は後世には残りませんが、歩んできた足跡だけは後世に残していけば、
我々の熱い想いは歴史の中に生き続けることができます。そして、それは大きく
羽ばたけるように。これからの人たちのために、精いっぱい頑張りましょう。
皆さん、『eml救急医療学会シンポジウム』をありがとうございました。
ここまで、読んでいただいた皆さん、ご苦労さまでした。
神奈川県伊勢原市望星台
*皆様からの御意見をウェブ担当者(gochi@m.ehime-u.ac.jp)までお送り下さい。本資料の筆者である山本氏をはじめ、救急医療メーリングリスト(eml)の皆様に紹介させていただきます。
山本五十年 [eml00: 04236] 『eml救急医療学会シンポジウム』
Date: Fri, 05 May 2000 16:37:08 +0900
畑中さん(救急救命九州研修所)、円山さん(秋田市立総合病院)、福井さん(大津市民病院)、小澤さん(名古屋市消防局)、佐久間さん(自治省消防庁)、松原さん(市立札幌病院救命センター)、川内さん(前厚生省健康政策局)、皆さん、
山本五十年@東海大学です。
2.今、何故、メディカルコントロールなのか?
3.メディカルコントロールとは何か?
4.メディカルコントロールの効果検証の結果から
5.メディカルコントロールをどのように実現するか
(1)地域間較差を無視して良いのか
(2)私の実感〜『救急医療は地場産業でもあり国の産業でもある』
(3)救急医は何故地域に出ないのか
(4)法的な整備が必要ではないか
(5)地方行政が救急医療整備に取り組むために
6.奇特な医師の自助の努力に依存しない制度を創ろう!
おわりに
94年度27例、95年度24例、96年度19例、97年度12例、98年度10例、99年度7例
94年度11.2%、95年度18.6%、96年度26.3%、97年度39.2%、98年度51.7%、99年度54.5%
東海大学病院救命救急センター
山本五十年