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カキと食中毒

(株)ビーメムエル 臨床ゲノム開発部ゲノム医療2課
影山 努

「海のミルク」と呼ばれるカキは、必須アミノ酸をすべて含有し、ミネラルやビタミンも均等に含み、糖質のグリコーゲンも豊富で栄養価がとても高く、人気があります。カキをつかったことわざで『花見過ぎたら牡蛎食うな』とありますが、西欧でも同じような意味でRのつかない月はカキを食べない』といい、5月(May)ー8月(August)の間はカキを食べないよう注意を促しています。これは夏の産卵期のカキは身が痩せていて美味しくなく、鮮度の落ちも著しく食中毒が起こりやすいからです。「生ガキにあたる」というのは、栄養価の高さも一因で、それだけ菌が増殖しやすいからなのです。

 秋から冬になりますとカキは旬を迎えます。この時期はエサとなるプランクトンが非常に多く発生します。そしてカキは寒さと産卵に備えてエサを盛んに摂取するようになります。そうして、グリコーゲンなどの栄養分を豊富に体内に蓄えた身の大きなカキが育ちます。現在、生食用のカキは出荷前に 1)殺菌されたきれいな海水等で 、2)水温5℃以上 、3)2ー5日以上つけて浄化 するように義務づけられており、カキの体中から細菌性の病原要因を吐き出させるので、細菌性食中毒(後述)の原因となることはほとんど無くなりました。しかし、冬になると生カキの消費が増えるにつれて、食中毒も多く発生します。実際にカキを食べてあたったという人も多いと思います。では、細菌が原因でないとすると、いったい何が食中毒の原因なのでしょうか?

 食中毒というとサルモネラ属菌、腸炎ビブリオ、ブドウ球菌、ボツリヌス菌、病原性大腸菌O-157などのバクテリアによる食中毒(細菌性食中毒)を思い浮かべる人が多いのではないかと思います。フグやキノコなどに含まれる自然毒による食中毒(自然毒食中毒)を思い浮かべる人もいるかもれません。ところが、昨年一年間に報告(厚生労働省まとめ)された全国の食中毒患者(約2万7千人)のうち、およそ三割(約7千7百人)が、以前に小型球形ウイルス(SRSV)と呼ばれていたノロウイルス(メモ、図1参照)を原因とし、2番目のサルモネラ属菌(卵などが原因となり患者数は約5千8百人)を抑えて、最も多い食中毒の原因因子である事が分かりました。ノロウイルスのようなウイルスが原因となる食中毒(ウイルス性食中毒)には他に、ロタウイルス、アストロウイルス、エンテロウイルス、アデノウイルスなどが知られていますが、冬季に頻発するウイルス性食中毒の多くはノロウイルスが原因であることが分かっています。


 
ノロウイルスに感染すると激しい嘔吐や下痢、差し込むような腹痛などの胃腸炎症状が引き起こされます。こどもでは嘔吐が、大人では下痢が、よく見られる症状で、頭痛や微熱が出ることもありますが、通常は長期にわたる深刻な影響を残すこともなく、2、3日で軽快します。ただ、乳幼児や高齢者、免疫不全の人々、基礎疾患のある人々では重症化することもあるので注意が必要です。ノロウイルスの検出は、これまで電子顕微鏡にてウイルス粒子を直接確認する方法が主流でしたが、近年は、ノロウイルス遺伝子の一部を増幅するRT-PCR法が検査の主流になってきました。弊社でも食中毒予防の観点から、ノロウイルスの高感度検出法を開発し、検査を行っております。
 ノロウイルスはその遺伝子の配列から2つのグループ(ゲノグループI、ゲノグループII)に分類され、そのグループ内では、さらにゲノタイプと呼ばれる数十の遺伝子型に分類可能で、世界中には少なくとも30以上のゲノタイプが存在していると考えられています。ノロウイルスのセロタイプ(血清型)もゲノタイプと同様に多様であると考えられていますが、有用な特定方法がないため、感染源の特定などの疫学調査には、ゲノタイプ特定による型判別が非常に有効です。
 このノロウイルスによる食中毒は、生カキを食べる冬に患者が急増する傾向があります。生カキを食べて胃腸炎を起こした患者糞便を電子顕微鏡で観察しますと、図1の様にウイルス粒子(ノロウイルス)が見つかる場合があります。また1995-2002年の間に埼玉県で発生した、生カキが原因と思われる食中毒事例の患者糞便を調べると、高率でノロウイルス遺伝子が検出されました(一部、電子顕微鏡でウイルス粒子も確認しています)。実際に市販のカキを調査すると、中腸線と呼ばれる組織から、ノロウイルスが検出されることがあります。また、カキの生息域に通じる河川水あるいは海水からもノロウイルスが検出されることがあります。カキは1時間におよそ20リットルもの海水を体内に取り込み、海水に含まれるエサをとり排泄します。その時、海水とともにウイルスも一緒に取り込んで体内に蓄積すると考えられます。前述したようにカキは、紫外線灯で消毒したきれいな海水中で数日間、浄化することで細菌類は全て排出されますが、ウイルスは細菌類にくらべると小さく(サルモネラ属菌で約2μmに対しノロウイルスで約30nm)、浄化処理を行っても完全に体外には排出しにくいと考えられます。絨毯にビー玉やパチンコ玉や砂などをまき散らして回収しようとしても、砂のように細かい物は取り除きにくい事を想像してみれば分かると思います。カキ以外にも、アサリ、シジミ、ハマグリ、ムール貝などの二枚貝からもノロウイルスが検出されることがあります。しかし、カキ以外の貝類は、生で食べることはほとんどありませんから、たとえノロウイルスに汚染していても、加熱調理により感染性が失われるため、食中毒を起こすことはありません。生で食べる機会の多いカキが食中毒の原因として目立つはこのためです。
  ノロウイルスの集団感染は、生カキを食して感染するケース以外にも、保育所、ホテル、病院、老人ホーム、クルーズシップや学校といった閉鎖的な場所(いずれも、貝類を生で食する機会は無かったケース)で発生しやすいという特徴があります。実際に昨年、アメリカのクルーズ船がノロウイルスによる胃腸炎患者の多発により運行停止になりました。このウイルスは、少ないウイルス粒子(10-100個)でも摂取すれば発病し、感染力は非常に強いと考えられています。感染者の糞便には大量のノロウイルスが含まれており、直接あるいは間接的(ウイルスが付着したあるいは混入してしまった食品類などを介して)にヒトからヒトへと次々に感染するので、特に閉鎖的な場所では集団感染が発生しやすくなるのです。また、嘔吐物にも大量にウイルスが含まれており感染源になります(その一部がエアロゾル化あるいは飛沫化して飛散し、飛散したウイルスを吸い込み、上気道粘膜に付着したウイルスを飲み込むことで感染する場合がある)。
 こうしたヒトからヒトへの集団感染の場合、患者から検出されたゲノタイプは、同一発症事例内ではほとんど同じで、しかもほぼ単一のゲノタイプで流行する傾向にあることが最近の調査でわかりました。一方、カキから感染したケースでは、複数のゲノタイプが一患者の糞便から検出され、さらに同一事例内でも患者毎に全く違うゲノタイプが検出される傾向にある事が分かりました(表1)。すなわち、ヒトからヒトへの感染の場合は、ある株がほぼ単独で流行株となって広まるのに対し、カキによる食中毒の場合、一度に複数の株に感染するが、過去の感染による型特異的な抗体保有の有無や、感受性が人それぞれで異なる(血液型を決定するABH抗原が感受性に関与しているとの報告もありますが、今のところウイルスレのセプターや感受性を決定するメカニズムは分かっていません)ためたとえ同一事例であっても、検出される株や株数は人それぞれ異なると考えられます。
 ノロウイルスはロタウイルスやポリオウイルスに較べ塩素にも強く、10mg塩素/リットル未満の塩素濃度では不活化しません。そのため、上水に下水が混入する汚染や、人が泳ぐプールや地下水・井戸水の汚染が、感染の原因にもなりえます。また、感染者の糞便や嘔吐物が浄化槽を通じてあるいは直接、河川・海域に流入します。たとえ、下水道を通じたとしても下水処理水時にウイルスの不活化が不十分であれば、ウイルスは感染性を有したまま、海域に流れ込むので、そこに棲息する貝類が汚染されるのです。ノロウイルスは、貝類の体内ではもちろん、ヒト以外の動物で増殖することはありません。従って、貝類に濃縮されたノロウイルスはすべてヒトの体内で増殖したものに由来していると考えられるのです。つまり、ノロウイルスはヒトーヒト間を直接的にあるいは水系を経由して間接的に循環していると考えられます(図2)。
 食中毒予防として、生カキを食するときは、産地の情報と食中毒情報に十分な注意が必要です(胃腸炎患者が増加した場合は、生食は控え加熱調理するなど)。また、加熱前の貝類を扱った包丁、まな板、容器などの調理器具や手指等も二次感染を引き起こす可能性がありますので、注意が必要です。患者の糞便や嘔吐物の処理を行った際も、汚染場所やドアノブなど接触した部分の消毒を十分に行うなど、二次的な集団感染を防ぐことが重要です。食中毒の元凶として何かと騒がれるカキですが、実はカキこそがウイルス汚染の被害者なのではないでしょうか。私たちが、ノロウイルスによる食中毒に罹らないようにするためには、河川や海に直接汚水が入り込まないような環境にし、きれいな水を維持していくことが大事なのです。

メモ

ノロウイルス(Norovirus):以前はその形状から小型(Small)球形(Round Structure)ウイルス(Virus)、略してSRSVと呼ばれていた。一本鎖のプラス鎖RNAをゲノムに持ちカリシウイルス科に属する。図1はその電子顕微鏡写真。1972年の米国ノーウォークでの胃腸炎の流行をきっかけに発見されたので、ノーウォークウイルス(Norwalk virus)あるいはノーウォーク様ウイルス(Norwalk-like virus)とも呼ばれる。最近になって国際ウイルス分類命名委員会が名称を「ノロウイルス」に統一したことに伴い、本稿でもそれにならった。なお、厚生労働省も省令を改正してSRSVの名称を「ノロウイルス」に変更する方針。

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