会員だより

私と寄生虫

天理よろづ相談所病院 岩本 宏文

 私がなぜ寄生虫に興味を持つに至ったかですが、検査学校時代にさかのぼります。高校で生物学を選択しなかったので,検査学校に入学してからは、生物学が苦手で、どの科目かをしっかり修めようと思い、寄生虫学が将来とも役立つであろうと考えた次第です。
 検査学校在学中に寄生虫学の講師であった伏見純一先生に御願いして、甲府(市民病院、山梨県立衛生研究所)で2度にわたり、日本住血吸虫の実習をさせて頂きました。1967年学校卒業と同時に当院に就職し、病理組織検査に配属され、現在に至っております。
 さて職場での寄生虫との関係ですが、就職してすぐに付設の天理医学技術学校の医動物学講師の命を受け、2001年迄の間、学生指導にあたりました。学生指導で苦労したのは、目に見える動きのある虫体標本、顕微鏡標本の準備でありました。当初そういう材料の譲り受けには桜井市の屠殺場(豚回虫成虫)、奈良市で寄生虫検査センターの辻井武彦先生(人体寄生虫卵)、橿原市にある野犬抑留所(犬の糞便から検出される虫卵)などに御願いをして、なんとか入手しておりました。
 そうこうする間に、全体で1年半に及ぶ2度のコンゴ人民共和国(旧仏領)での検査経験の機会を得、熱帯病にも興味を持ちました。同国では首都のプラザビル市内の天理教診療所(Dispensaire de Tenrikyou)で臨床検査全般の業務の傍ら、ORSTOM(フランス国の海外科学技術調査機関)の寄生虫検査室に赴いて、研鑽を積むことができました。
 一方国内では、青年海外協力隊に臨床検査技師として参加する方が、寄生虫学のトレーニングにこられた(3名)ことも有りました。その際、寄生虫学も含め、外人との付きあい方などについても折に触れお話しました。何かの学問を取得しようとする場合でも、社会では対人関係が最も重要と思っております。
 日常は一般検査とか血液検査に提出された検体で、同定困難とか確認の必要な場合に虫体、虫卵、原虫などと接しておりました。
 段々年数が過ぎて行くと、寄生虫の各種材料が集るようになって参りました。その手がかりというのは、主なものとして、関係する学会からの情報、新聞記事、他施設からの同定依頼、自施設の症例、先に述べた青年海外協力隊の方からの教材標本の提供、その他などによるものです。
 寄生虫教材標本のコレクションが増えれば、学生の喜ぶ顔が浮かび、どうしてもうれしくなってしまいました。
 しかしいつまで経っても自分にとって未知の検体は出てくるもので、困った時には、当時奈良医大寄生虫学教室におられた恩師の一人であります西山利正先生に教示を受けました。
 寄生虫は己の心を豊かにしてくれましたが、各先達の先生方の教えを受け、考え方を、ひいては周囲に幸せを拡げることを教わったように思います。