旅行記

地上の楽園〜パリ島〜

奈良県立医科大学附属病院  山中 雅美


【緑深い森とどこまでも青い海。神々に守られた地上の楽園】その文字を見たとき「ここだ!」私の頭の中には色んな空想の世界が広がりました。椰子の木・砂浜・舞踊・神話etc・・でもその頃の私はバリ島が何処の国なのかも知らなかったんです(苦笑)

〜初めてのパリ〜 


 2000年7月16日、3泊5日フリープランで友人のK美と出発しました。ガイドブックに『バリ島のングラ・ライ(デンパサール)空港では荷物を運んで高額チップを要求するポーターに注意!』と書かれていた為、空港で多くのポーターとスーツケースの引っ張り合いをした事を覚えています。そしてようやく脱出した先がもう建物の外で、添乗員のサブちゃんと車が待っていたことにピックリしました。
 車に揺られること30分、バリ島最南端の崖の上に立つ超豪華リゾートホテルに到着。開放的なロビーに流れるバンドの生演奏に迎えられ、夜風を浴びながら「これぞリゾート!」とテンションは上がりっ放し!2目前に到着していた友人達の部屋を訪れると、待ってましたとばかりにすっかりバリに魅了されている彼女達の機関銃トーク!私達は圧倒されながらもこれから始まる出来事にワクワクしながらその日は部屋に戻り眠りました。
 翌朝、ベランダに出てみると眼下には広い広い庭、崖の先端にはプール、素晴らしい眺めでした。迷わず朝食はルームサービス。片言の英語で何とか注文し、無事に朝食に有りつけるのかと不安気に庭を眺めていると、女性が頭上にフルーツや料理を乗せて歩いているのが見えました。やがて「ピンポーン♪」私たちの部屋にその料理は運ばれて来ました。1人分を注文したのに2人で食べてお腹いっぱい!大満足でした。
 さて、いよいよ楽しみにしていたお買い物に出発です。日本人は何かと現地の人のぼったくりに合うため、タクシーもメーターの付いた『ブルーバードタクシー』がお薦め。『1日貨切で1人千円』なんて言ってくるドライバーもいますがそれって高すぎるのだとか!!何処でどう知り合ったのか、先発隊の2人は長期滞在中の日本人男性と友達になっており、色んな情報を仕入れていました。
 タクシーで30分かけて4人が向かった先はレギャン通り。2km続く若者のショッピングストリートである。雑貨に木彫り、洋服やバティツク(生地)・・・どのお店も素敵で1軒1軒見て回りました。さすがに日本人観光客が多いのか通りを歩いているとみんな(お店以外の人も)声をかけてきます。「オッハー♪」そうそう当時は慎吾ママが流行ってたんだっけ。そしてある雑貨屋では「オウム真理教。アサハラショウコウ?」…えっ!?そんな事も知ってんの?と驚いたものでした。
 買い物の楽しさは店員さんとの値段交渉にもあります。同じ商品でも店によって値段が違うので「向かいの店では00ルピアだったよ。2つ買うからもっとマケてよぉ〜」なんて言いながら電卓を叩き合います。遠慮なんていらないらしく、豪快に提示額の半分くらい言ってみても良いみたい!友達と共謀して複数購入し大幅値下げを狙いましょう!お店の人と仲良くなることに成功したら『友達プライス¥』といいながら安くしてくれますよ〜!
 朝から出発したのに気が付けばすっかり夕方。『友達プライス』を連呼し、洋服やおみやげを値切って大量購入し、まだ通りの半分しか制覇出来ぬままホテルに戻りました。
 夜は女性だけで出歩くのは危険なので、友達になった男の子達がホテルに車で迎えに来て食事に連れ出してくれました。彼らはサーファーで、日本でバイトしてお金を貯めてはバリに来て長期滞在しているそうで、車の運転も慣れたものでした。夕食はちょっぴり中華風?のレストランで料理はといえば茄子の揚げ物がものすごく辛かった記憶しか残っていません。もともと辛いものが苦手な私は<きっと私だけが辛いと思ってるんだ。せっかく連れて来てくれたのに残す訳にはいかないよな。と思いながら>白いゴハンをいっぱい食べて茄子を完食!そしてふと周りに目をやると、辛いもの大好きなK美以外はみんな茄子を残していました。しかしこの日以来、私は辛いものが食べられるようになったのです。
 旅行3日目には先発隊が帰国。再びレギャン通りへ向かい、買い物の続きを楽しみました。ホテルに戻りまたまた夕食に困った私達は、男の子が滞在しているホテルに連絡を取り迎えに来て貰いました。しかしこの日は何故か彼らのホテルの従業員【ハムサン】という男性も一緒でした。向かった先はジンバラン・ビーチ。入り口に並ぶ屋台で好きな魚貝を選ぶと炭火で焼いてビーチにセッティングされたテーブルまで運んでくれるんです。海を眺めながらのサンセット・ディナーは、一生忘れられない思い出となりました。
 気が付けば明日が最終日。「買い物三昧でバリダンスも絵画も何にも観光出来てないなぁ。」困り果てていた私達にハムサンが助け舟を…なんとハムサンは偶然にも明日仕事が休みと言うではないですか!車代だけ出せば無料で観光案内してくれるというのです。ヤッタァー\(^0^)/これで明日は観光できるぅ〜♪ なんてバリの人は親切なんだぁ−!わぁ〜ぃ♪
 バリ島最終日はハムサンのお陰で観光に出発!唯一朝から公演される『バロンダンス』を観に行きました。この踊りは獅子舞のような聖獣『バロン』と魔女『ランダ』が対立し、どちらが勝利するでも無く戦いを終えるという物語です。これは生と死、聖なるものと邪悪なものの両方が存在することでバランスが保たれているというバリの世界観を示しているのだそうです。
 その後「絵を見たい」と言うと、ハムサンはギャラリーに連れて行ってくれました。そこで私はバロンの描かれた絵を購入しました。もちろん値切りましたよ(笑)。
 昼食はハムサンー押しのナシゴレン。道路に面した日本で言う大衆食堂のような決して衛生的とは言えないお店でしたが、現地の人が勧めるだけあって超ウマ♪♪でした。
 まだまだバリを満喫しきれていませんが、チェックアウトの時間もあるのでハムサンとの旅は再会を約束してこれで終わりました。
 荷物をまとめチェックアウトしたのち、添乗員のサブちゃんが迎えに来るまでの間、ホテルの75m下(注:ホテルは崖の上です)にある海岸を散策しました。島に来たのに泳ぎもせず、買い物ばかり楽しんでたな。目の前に広がるインド洋はとても青く綺麗でした。
 こうして初めてのバリ滞在は終わりました。その年のクリスマス、ハムサンからローマ字で書かれたカードが届きました。その後は電話とメールのやり取りが数回ありましたが、いつしか連絡も取らなくなってしまいました。

 2005年5月、K美と私は旅行の計画を立てました。「バリとベトナムはもう一度行ってみたいなあ」何気に言った私のひと言で「んじゃ、バリにしよ−!」即決でした。
 今度はクタ〜レギヤン地区に宿泊することにしました。勿論、今回も買い物目当てですから(笑)パンフを読みあさり、スパ(エステ)120分&1日無料観光のオプション付き、しかも料金の安いツアーに決めました。そして出発前日、前回の旅を思い出しウキウキしながら準備をしました。
 ただ2002年10月にレギャン通りのディスコで起こった爆弾テロ事件以降あの通りはどうなっているのか?以前の様に賑わっているのか?また2004年12月インド洋スマトラ沖地震の被害はどうだったのか?ということが気がかりでした。そして心の隅の隅にハムサンはどうしてるかなってことも。


〜5年ぶりのパリ〜

 2005年7月9日、前回と同じく午後出発のJAL(JL713便)でした。ただ5年前は凄く安心でしたが今回は少し不安でした。最近トラブル続きなせいか、機内サービスは満点!アイスクリームが出てきたり、着陸前にはミネラルウォーターまで配られました。(今の国際線はそうなんですか?)それだけでもうご機嫌でした。
 無事デンパサールに到着!前回と変わったことは、空港でビザを取得しなければならないことでした。入国審査を受け、手荷物を受け取るとすぐさま一人の男性が私のスーツケースに手をかけました。「大丈夫!自分で運べるからぁ。」その男性を振り切って早足で歩き出口を目指しました。でもそこは≪税関≫あれっ?そうさっきの男性は空港スタッフでした。買い物する気満々の私の大きなスーツケースを気遣ってくれてたんです。
 税関を出たら以前はたくさんいたポーターもそう居ませんでした。少し歩いて角を曲がると屋外でハイテンションな添乗員アルディカが待っていました。そして1人の女性が私達に近づいて来て首にレイをかけました。きょとんとしている私達はすっかりアルディカのペース!「はいチーズ!」女性と一緒に写真を写されました。でもその写真は貰えなかったんだけど…
 ホテルまでの道のりは車で15分ほど。見覚えある景色が車窓から見えるたび私もK美も大興奮でした。ホテルが近づいてくると、連日通ったお店も見えました。でも印象としては<コンビニ増えたな〜>って感じでした。ホテルは地震の影響もあり改装中とのこと。そして車3台ほどが停められる空き地で私達は降ろされました。「どこにホテルあるん?」不安がよぎりました。やーーつとしてボーイさんが迎えに来てくれました。玄関が改装中なのでレストランの中を通り抜けてひたすら歩き続けやっと仮のロビーに辿り着きました。クロスをかけた長テーブルにパソコンが1台置いてあるだけの高級感の全く無いフロントでした。前回のホテルが豪華すぎたせいか、チョット物足りない感じがしましたが、歩いて買い物に出かけられるので満足でした。

 翌日、朝食を済ませるとアルちゃんことアルディカが迎えに来ました。ウブド観光へは私達の他に3組のお客様も一緒でした。相変わらずテンションの高いアルちゃんは『ワタシいくつに見える〜?あっ、頭見ないでよー!チョットおでこ広いからぁ〜!ハハハハ頭が“さだまさし”・・』などとみんなを必死に盛り上げていました。
 最初に着いたのはチュルク村、昔は農村の村でしたが1965年から金・銀細工が発達し今や銀細工の村として栄えています。でもバリでは金や銀は採れないんだって。店内を見て回ると店員さんがピッタリ張り付いてくる。ちょっと<可愛いかな>と思って目をやるとすかさず『ソレカワイイー ヤスイー』と取り出して勧めてくれる。よくよく考えると日本とあんまり値段が変わらないやん!店員が離れた隙を狙ってショーケースの上に飾られている銀製のガルーダ(神)をカメラに収めました。この店での収穫はこれだけ。ハイ、次行こうー♪
 次に向かったのは木彫りの村マス。店先では3人の職人さんが実演しているところでした。遠くから見ると額に入った猿の絵のように見えたのも、近づいて見ると全て木で作られていました。しかも立体的になっているのに繋ぎ目は全くなく、手前にいる猿も奥にいる猿も額縁も見事に彫られていました。人間ってこんなことも出来るんだなぁと感心しました。
 このあとはようやくお買い物。ツアーバスはモンキーフォレスト通りからラヤ・ウプド通りに入った所で停まりました。そこにはウブド市場とパサール・ウブドというマーケットがあり自由行動!まずはウブド市場に行ってみましたが、観光客を見ると店員は腕を掴み自分の店に引き寄せます。「オネエさん ヤスイー 見るダケ」興味が無いので店を去ろうとしても腕を掴んだまま放してくれません。やっとの思いで振り切ってもまた隣で掴まって・・・市場はかなり値切れるけど店の質が悪すぎ。楽しむことは出来ないのでオススメ出来ません!やっと抜け出し、マーケットに立ち寄りました。店員さんも市場のようなガメツさはなく、買い物もしやすいです。バリ衣装だからか、どこのブティックでもサラサを勧めてくれます。その中の1軒にとても気に入ったワンピースを見つけました。値段を聞いてみると8万ルピア。半額で交渉したのですが6万にしかならないと言われ、5分闘ったのち諦めて「もう時間ないからいいわ。」帰ろうとすると引き止められました。『オッケー、4マン』「えっ?それやったら最初からまけてよー♪3万5千な。」私はもう一押ししました。お姉さんは仕方ないな。という顔をして承諾してくれました。こうして可愛い花柄のワンピースを420円でゲットしました。そうこうしているうちに集合時間!お昼御飯に出発!インドネシア料理のバイキングのあと、ネカ美術館に向かいました。とっても開放的で展示館が6つあるその美術館は警備員がいる訳でもなく無防備でした。絵には日本語の解説がついていたので神の生誕や日常風景がよくわかりました。
 ツアーの最後は免税店。私達はショッピングバスでホテルに帰ることにし、アルちゃんと別れました。免税店は最終日にまた来るので、隣にあるマタハリ(大型ショッピングモール:ダイヤモンドシティのような所)に行き、偽物ブランド品をさんざん冷やかし、スーパーでフルーツとコーヒーを買い込んで帰りました。
 ホテルに戻ると夕食の相談です。本を見ているとイスラム教やヒンドゥー教の祭りの時に食べる伝統料理クトゥパット(もち米をココナツの葉で包み8時間蒸したもの)が食べれるお店を発見!レギャン通りにあるそのお店【クトゥパット】ヘタクシーで移動しました。テーブルにキャンドルが置かれた薄暗い店内は募囲気も抜群!私達は【クトゥパット・レバラン】という一枚のお皿に8種類の儀式料理とクトウパットを盛り合わせたものを注文しました。おかずは辛いので、ほんのり甘いクトゥパットが良い口直しになります。500円を切るのにポリューム満点で、私はもちろん結構食べるK美までもが残した程でした。
 食後、まだ時間も早かったのでレギャン通りのお店を見て回りました。テロがあってから観光客が激滅したことで、サーフショップがやたら増えていました。服はサーフブランド、雑貨は日本でもアジアン雑貨屋さんが増えたせいか見慣れたものが多く、5年前の感動は得られませんでした。それはK美も一緒だったようです。
 タクシーを拾いホテルに帰る途中、テロ現場を通過しました。そこは空き地のままで慰霊碑が建てられているようでした。暗くてよく見えなかったけど、なんだか複雑な気持ちになりました。
 滞在3日目はレギャンの北スミニヤックにショッピング。ようやくワクワクするお店に出会い、可愛い洋服を購入しました。夕方からはホテルでエステ。オイルマッサージのあとスクラブでパック、シャワーしたあとフラワーバスに入りながらフルーツと紅茶のサービス!至福の時でした。夕食はホテルからナシゴレンのサービス。レストランで食べていると、クラブシンガ−のお姉さんが私達に気付き【スキヤキ】を唄い始めました。すると両手にコーラを持った陽気なアメリカ人のオジさんが近づいて来て一緒に歌えと誘います。そのオジさんは私以上に【スキヤキ=上を向いて歩こう】の歌詞を覚えていて、みんなで唄って楽しく過ごしました。

 楽しかった旅も最終日、ホテルの前のマーケットでK美とまとめてお土産のバッグや小物を値切り倒して買いました。マーケットが途切れた先はクタ・ビーチ。ナンパや勧誘が多いので砂浜を歩くことは出来ず、写真を撮っただけでした。でもそこで今回初めて「オッハー♪」という挨拶を聞きました。ホテルに向かって戻ってくると、打楽器の音が…お祭りの行列だ!正装した人たちが頭の上にお供え者を乗せて歩いていました。この時期大きな祭りが無かったので諦めていたのに行列に遭遇できて嬉しかったです。
 今画もあっという間で日数が足りず、ハムサンを訪ねる会裕もありませんでした。夕方アルちゃんの代わりの人が迎えに来て、免税店で『さよならショッピング』ここでもサービスが受けられることになっていて、歩き疲れた私達はフットマッサージを選択しました。足取りも軽やかになり、余ったルピアと米ドルを使い切ろうと最後の買い物を楽しみました。そして一路空港へ。

 バリはおしゃれな店が軒を並べるストリートがたくさんあります。グルメだったり雑貨や芸術、自然の宝庫だったりとそれぞれに特色があるので飽きることがありません。観光客の6割が日本人なので、言葉に困ることもないですし(多分ね)!お買い物大好き女性にはオススメです。物価も安いので、いーーっぱいお買い物しても大丈夫ですよ!そして疲れたらバリエステで癒しのひとときを…