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KODAMA'S (NEW) WORLD

もし私がラッセルウィトゲンシュタインの 価値観の違いを一文で説明せよと言われたら、 「ウィトゲンシュタインは自分を良くしようと試み、ラッセルは世界を良くしようと 試みた。それゆえ、ウィトゲンシュタインの価値観は本質的に宗教的で、 ラッセルの価値観は本質的に政治的であった」と答えるだろう。

---Ray Monk


昨日 / 明日 / 2013年5月 / 最新 / はてな

この日の出来事


28/May/2013 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

いろいろ仕事

定時起床。ゴミ出し、髭剃り、朝食、朝刊。雨のこともあり、バスで大学へ。 午前中は内在的価値の勉強、某翻訳その他。

お昼すぎ、遅めの昼食を中央食堂で。昼下がりから某演習。ミル。

夕方、いろいろ雑用。やらねばならないことが多すぎる。

夜、バスで保育園のそばまで行き、娘をピックアップ。それから夕刊、夕食。 娘は練習用のお箸をうまく使って水羊羹を食べていた。

夜中、食器を洗ってから風呂。娘の寝かしつけ。

真夜中、〆切が迫っている某仕事の続き。いろいろまずい。


28/May/2012 (Monday/lundi/Montag)

某ランチョンセミナー、某オンライン研究会など

定時起床。髭剃り、朝食、朝刊。

娘を送ってから本三駅前の某喫茶店で雑用。クローン技術の倫理問題について 勉強する予定だったが、事情で万引に関する調査研究について検討など。佳境 になってようやくおもしろくなってきた。

お昼、某ランチョンセミナー。医師のナチスへの関与について医学生が書いた 論文(BMJに載ってるやつ)を読む。

お昼すぎ、いろいろ書類の作成作業。科研費の成果報告書も提出。

午後から徐々に筋肉痛が出てくる。

昼下がり、クローン問題について少し勉強したあと、また雑用。

夕方、某氏と一服してから某勉強会の準備。

夜、某オンライン研究会。臓器移植改正法について。勉強になった。わたしも 急遽報告。

夜中、帰宅して夕食。娘を風呂に入れ、食器を洗う。

今日は少し勉強してから寝るか。


28/May/2011 (Saturday/samedi/Sonnabend)

真夜中

今朝は遅めの起きる。シリアル、(今日の)朝刊、シャワー。雨。 台風が沖縄のあたりに来ているそうだ。

お昼すぎに散髪へ。それから洗濯物を屋内に干す。扇風機も押し入れから出す。

昼下がり、五月祭をしている大学に行き、 某院生らにお願いしている展示コーナー(震災関連、本部棟一階)を素見す。 客がいない。

それから湯島に出て、電車を乗り継いで某妻の実家へ。 駅前のスーパーの上の方でお好み焼きを食べる。

夕方、某娘を沐浴させる。夜、夕ごはんの前後に少し寝る。とにかく眠い。

夜中、少しカントの勉強。あっという間に真夜中に。

某娘は順調に育っている様子。顔に発疹が出ていて気の毒。


28/May/2010 (Friday/vendredi/Freitag)

真夜中

早起き。シャワー、朝食。

早めに出勤。午前中は某講義。最終回は生殖医療。 今年もレポート課題を出して無事に終了。

お昼すぎ、遅めの昼食。本三でカレー。

昼下がり、某先生らと某打ち合わせ。夕方にももう一件。

夕方、寝袋で仮眠をしてから、久しぶりにジムのプールで泳ぐ。25分ほど。 キックの練習をしていたら、左足がつりそうになり、死ぬかと思う。

夜、帰宅して、夕食。新聞、食器。

明日の準備を少しする。新しい内容なので(今年はそういうのが多い。 エキサイティングというか、チャレンジングな年)。 某妻に発表を聞いてもらっていたら、疲れていたようで、途中で寝てしまった。 明日の報告が心配になってきた…。

iPad、本日販売。新聞でも大きく取り上げられ、 電子書籍の時代の到来が喧伝されていた。 5年後には新聞を広げて読むなんてことはしなくなっているかもしれない。 そうなると、新聞配達所はもちろんなくなり、 缶ビールや洗剤を持ってきてくれなくなる。 古新聞が減るため、区の回収の前に新聞を勝手に持っていく人たちも 困るだろう。古紙の価値は上がるのか、下がるのか。 また、センター試験では、ソ○ー製の電子ブックが配られるようになり、 毎年全国で何台か不具合が生じて(以下略)。


28/May/2009 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

某妻に付き合って早起き。小雨。シャワー、朝食、朝刊。少しソファで居眠り。

今日はいろいろやるべきことがあるせいか、 考え事をしていると腹の調子が悪くなる。 深呼吸して気楽にがんばろう。 Always look on the bright side of life...

真夜中

定時出勤(少し遅刻)。午前中は明日の講義の準備。

お昼前にスーツに着替える。う、鏡を見て、髭の剃り残しがあることに気付く。 こういうときのために、研究室にシェーバーを置いておく必要があるな。

お昼、某会議。粛々と。

お昼過ぎ、しばらく雑用をしたあと、蕎麦屋で簡単に昼食を済ませてから 某氏の研究所を訪れる。見晴らしが良くてうらやましい。

昼下がり、某氏と某相談。夕方、某ミーティング。

夜、某氏らと少し某相談をしてから、明日の講義の準備の続き。 雨なので、地下鉄で途中まで某氏と一緒に帰宅。

夜、夕食、夕刊。ソファでしばらく寝る。夜にしようと思っていた仕事は 片付かず。今日はまあ、大過なく一日が終わったので良しとしよう。


28/May/2008 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

今朝もなんとか起きる。ゴミ出し、シャワー、朝食 (コーヒーは東ティモール。昨日は少し濃かったので、今日はちょっと薄めに作ったら、 今度は薄くなりすぎた。加減がむずかしい)。

今日は講義の準備をしなければ。

夜中

お昼前まで講義の準備。お昼に大学に行き、事務で某氏らと弁当。 昼下がりまで講義の準備をしてから、駒場へ移動し、某講義。 実は駒場での講義は今回が初めてだった。そのせいもあり、 一つ重大なミスをしてしまう。深く反省。

夕方、いったん研究室に戻ってから帰宅。夕食、新聞。

昨年も書いているが、自分の中にあるパターナリスティックな性格には くれぐれも気をつけること。また、それとは関係ないが、 歯を磨くときは鏡の前できちんと磨くこと。さらに、毎日滑舌よく喋ること。 すべて来年の抱負の候補だな。

真夜中

う、新聞を読んでいたら夜が終わってしまった。 今日は生産性が低かったが、もう寝よう。


28/May/2007 (Monday/lundi/Montag)

少し寝坊。起きてシャワー。

朝から反省すること一件あり。「よかれと思って…」とパターナリスティックに 行為しないよう、注意すること。助言は差し控えるべきでないが、あくまで 本人の意思を尊重すること。また、手続きも重視すること。Do as you preach.

真夜中

朝から夕方まで某ベンタム研究会。 マンデヴィル、ヒューム、ブラックストン、神経心理学と道徳器官(オレの報告)。 どれも大変勉強になる。ただ、だんだんベンタムから離れてきているな…。

夕方、本三の居酒屋に行き、夜中まで飲み喰いする。ビールと日本酒。 そのあと、春日の喫茶店で一服し、帰宅。

なんだか今日は空転気味。まあ、ペナントレースにはこういう日もある。 明日は落ち着いていこう。

松岡農水相自殺。合掌。大臣が死ななければならないほどの、 ものすごいスキャンダルが背景にあるんだろうか。


28/May/2006 (Sunday/dimanche/Sonntag)

お昼前

よく寝る。

真夜中

お昼すぎに家を出る。某海鮮丼屋で昼食。本三の喫茶店で新聞(と居眠り)。 今日まで五月祭があったため、本郷通りはごった返していた。

夕方、大学に行き、しばらく勉強。あまり集中できなかったので、 文献をコピーして春日の某喫茶店へ。あまり長居せずに帰宅し、 少し寝る。今日は休日モードに入っているようで、あまり生産的でない。

夜は自宅でカレー。

ジャワ島中部地震のこともあり、 MSFに少し寄付。

真夜中2

ぼーっとしていると、あっという間に一日が終わってしまった。まずい。

今日はしらふ。

メモ。読んだ本や論文の内容をかたっぱしから忘れており、 ひどい場合は数年前に一度読んだという事実さえ忘れている。 速読術は身に付かなくてもいいから、 せめて読んだものの概要だけでも記憶しておく術はないのか。

今日のニュース


28/May/2005 (Saturday/samedi/Sonnabend)

お昼すぎ

お昼に起きる。散髪に行こう。

昼下がり

散髪。次は翻訳と某編集作業だな。


28/May/2004 (Friday/vendredi/Freitag)

真夜中 (午前)

まだ大学で勉強。マンガ喫茶に行きたい衝動に駆られるが…、 そんなことをしている場合ではない。

お昼前

二度寝してやっと起きた。学校に行かねば。

頭が少し痛い。

そういえば、頭がハゲになる夢を見て、ひどい恐怖を感じて目覚めた気がする。 やはりハゲになることは恐いのか。


28/May/2003 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

早寝早起き。どうも風邪らしい。軽い頭痛、扁桃腺の腫れ。 体温は36.2度。

新聞。京大で国内初のES細胞作成。

朝2

最近、某君の日記の更新がなくてさみしいので、 かわりに首相官邸のサイトをアンテナに追加:)

お昼前

本棚が来た。さっそく組み立てよう。

昼下がり

三つ来た本棚を組み立て、混沌とした部屋の中で作業。 ようやく文明の光が見えはじめてきたところで、遅い昼ごはん。 ぶっかけうどん、ほうれん草のおひたし。

眠い。

ようやくなんとか片付いた。本棚はこれで6つあるが、 あと2つぐらいあれば小説なども全部入りそうだ。が、 まあ部屋が狭くなるので当面はこれでがまんしておこう。

ダンボールを開けて、 過去の授業のファイル(物理的なファイル)の一部を捨てる。 二度と見なさそうなものはどんどん捨てないと、たまる一方だ。 高校のときの数学のテキストや辞書も一部捨てる。 二度と聞きそうにないカセットテープがダンボールに二箱ちょい、 二度と見そうにないビデオテープもダンボールに一箱あるので、 これも捨ててしまおう。捨てる技術を身につけなければ。 あと、要らない本を買わない技術も。

夕ごはんはパスタにしたいのだが、もう力尽きてしまった。 どうしようか。

夜2

ツナトマトソースのスパゲティを作る。味が薄い。 スパゲティも食器を片付けているうちに延びてしまった。 ちゃんと味見をすること。

BBCラジオで「神は存在するか」という議題で侃々諤々やっていた。 ヒュームが生きていたら、良い時代になったものだと言うことだろう。

一人前食べたあと、バターと唐辛子を入れてみる。

たかの爪を三本入れたら辛くなりすぎた。今度から一本にしよう。


28/May/2002 (Tuesday/mardi/Dienstag)

真夜中 (午前)

う。授業の準備が。やばい。

授業の準備。遅れてる。

とりあえずレポートは800字にした。これでも多いか。

朝2

授業の準備。遅れてる。やばい。

お昼前

シャワー、朝食。やばい。

お昼すぎ

うたた寝してしまう。やばい。

昼下がり

シンガーの「日本人の生き方」を読んでいて、 オレなんかが日本人はそんなに米国人と変わらないと思うのは、 企業で働いたことがないからなんだろうなあと思ったり。 いや、それだけではなく、 米国人というのはだんだん違う価値観を持った生き物だと思うようになってきたが。 しかし米国人にしろ、日本人にしろあまり軽率に一般化しないことが重要だろう。

昼下がり2

う〜、やっと終わった。もう行かねば。

タクシーに乗らないこと。

昼下がり、急いで簡単な食事をしてから走ってバス停へ。 なんとか間に合う。 バスの中で`What Is Life'をMDで聴いていたら元気になる。

授業は、内容がそれほど難しくなかったせいか(第六章「日本人の生き方」)、 わりと順調に行き、早目に終われた。 時間に余裕を持って終わるのは精神的に良いことに気付く。 次回からも早く終われるように心掛けよう。

帰りはNorah Jonesを聴きながら戻ってくる。 癒された:)

夜2

うどんを食べる。良。

今日の授業のパワーポイントファイル

机に向かっている時間…7hr
今日の勉強時間…6hr
マルクス係数…64


28/May/2001 (Monday/lundi/Montag)

真夜中

現代政治哲学のエッセイ

「さて、現代政治哲学のエッセイのテーマを決めるか。 ええと、先生がくれたエッセイクエスチョンはどこにあったかな、 あ、これだこれ。

「さて、どれにすべきか。『問1、ノージックのウィルト・チェンバレンの例は 重要な意味を持つか』。パターンによる配分理論(「功績、必要、 その他に応じて配分するという理論)は全部だめで、 歴史的な権原理論(正しい手段で獲得したものは自分のものという理論) じゃないとだめというやつだな。おもしろくないのでパス。

「『問2、完全自由主義者はわれわれがいかにして個人の私的所有権を持つに いたるかを示すことができるか』。 ノージックはロックの労働所有論を批判しているが、 代替理論をはっきり提示してないというやつだな。 これもあんまりおもしろくないのでパス。

「『問3、課税は「強制労働に等しい」か』。これはけっこうおもしろい 問題だよな。週5日働いて所得税が4割だとすると、月曜日と火曜日の かせぎ分はいやがおうでも国家に吸いとられるわけだから、月曜日と火曜日は 強制労働させられているとも言えるわけだ。しかしあんまり書くことも なさそうだし、パス。

「『問4、資本主義は自由を最大化するか』。これはよくわからんな。 ノージックは…(約20分ほどジョナサン・ウルフの『ノージック』の 翻訳を読む)…マルクスの資本主義批判(労働者の疎外、搾取)を批判しているのか。 しかし、話が抽象的になりそうだし、たいしたことも言えそうにないからパス。


「ああ眠い眠い。次。『問5、ロールズは「原初状態」 によって何を意味しているのか。 原初状態における知識と無知の条件についての彼の説明は正当化されるか』。 原初状態は国家の正当性を自然状態における同意に求めるための装置ではなく、 社会を運営するための公平な基本原理を決めるために便宜的に使われる手続的装置 だとかいうやつだな。共同体主義によるロールズの人間観の批判なんかを 書くといいんだろうけど、 これもあまり興味がないのでパス。

「『問6、ロールズの正義の二原理は原初状態において選ばれるか』。 格差原理が問題になるやつだな。マクシミン戦略が合理的かという議論。 これもあまりおもしろいことを言えそうにないのでパス。

「『問7、「ロールズの正義の二原理は一貫していない」。議論せよ』。 所得の再配分を認める格差原理と自由原理が相容れない、 というノージックやサンデルの批判かな。 一貫しているという議論をするのも面倒なのでパス。

「『問8、ロールズは仮説的契約は効力を持たないという批判に対して どう答えるか』。あれ、これは問5と同じ内容になるな。 問5の理解が間違っているのかな。しかしやはり、 ドゥオーキンの『仮説的契約は現実の契約を薄めたものではない。 それはまったく契約ではない』という議論に対して、 原初状態は正義の原理を決めるための思考実験的装置だから、 契約の効力を得るとかそういう話ではない、と議論をすればいいんじゃないかな。 これももう話が尽きている気がするのでパス。

「『問9、ロールズは議論を進めるにあたって社会の成員が健常であることを 仮定している。障害者がいることを認めた場合、どういう問題が生じるのか。 ロールズの手法はそのような事例まで拡張できるか』。 あ、これはおもしろいな。 お金などの基本財を配分するだけではだめで、 センのcapability approachとかを考える必要があるとかないとかいうやつだな。 だいぶ勉強しないといけなさそうだが、センも勉強したいので、 候補に残しておこう。

「『問10、ロールズの格差原理は公平か』。これはよくわからんな。 金持ちには不公平な原理だとか、 どういう人々がworst-offかを決めるのが難しいとか、そんな話なんだろうか。 パスパス。

「『問11、「ロールズの格差原理は功績の重要性を見落としている」。論ぜよ』。 これは前回書いたやつ。

「『問12、自由主義は自己についての怪しい理論を仮定しているか』。 サンデルの、ロールズも形而上学にコミットしているという批判だな。 自己にはまだ手を出す気はないので、パス。

「『問13、自由主義と共同体主義の議論をどのように特徴づければよいか。 どちらの立場が好ましいか』。 自由主義っていってもロールズは福祉国家を志向してるわけだから、 穏健な左翼と(旧)右翼の対立と特徴づけられるんじゃないのかな。 第三の道が好ましい。これもめんどうなのでパス。

「『「問14、ロールズの議論が国内の正義において妥当であるならば、 同じ議論によって国家の代表は国家間の関係を統制するために 国際的な格差原理を選ぶことを強いられる」。論ぜよ』。 これはラディカルでめっちゃおもしろい問いだけど、授業では扱わなかったな。 どの文献を読めばいいんだろう。 (ロールズのThe Law of Peoplesを読みだす)

「わ。土曜の夜のオールダムの暴動の様子がテレビでやってる。 There's a riot going on. すごいな。


「(30分ほどして)なるほど、ロールズはThe Law of Peoplesに おいて正義の二原理を国際間の正義にも適用しようとしてるんだな。 援助義務(the duty of assistence)というのが格差原理にあたるようだ。 『他国の貧者を、適度に自由主義的な社会の自由で平等な市民になるまで助ける義務』 があるらしい。 Thomas Poggeもロールズ流の正義論から似たような議論をしているようだ。 う〜ん、おもしろいな、これ。たいへんそうだけどやってみようかな。 とりあえず第一候補。

「『問15、「正義論の議論は、 秩序のある社会では市民が同じcomprehensive doctrineを持つことを前提している。 しかし、正義原理はこの可能性を否定する」。論ぜよ』。わからん。 Political Liberalismを読めばよさそうだが、たいへんそうだし、 あんまり興味がわかないのでパス。

「疲れた。『問16、受けいれるのが合理的である原理と、 退けるのは不合理である原理との違いの重要性は、あるとすれば何か』。 これもPolitical Liberalismを読めばよさそうだが、 おもしろくなさそうなのでパス。

「『問17、ロールズの格差原理で定義されている基本財は、 どのような善の構想においても同じくらい価値があるか』。 ロールズが枚挙する基本財は、ある種の善の構想にとっては有利で、 他のものには不利だというやつだな。中立でないというやつ。 これは共同体主義の批判だったっけ? あんまり興味ないのでパス。

「う〜ん、しんどい。ちょっと休憩。


「『問18、福祉の平等に対してもっともな反論はあるか』。 福祉の平等は左翼的な配分原理で個人の責任を考慮に入れないからだめ、 というドゥオーキンの批判だな。 それに対するアーネソンとコーエンの反論と。 おもしろい問題だけど、とくに情熱を持って議論ができそうにないのでパス。

「『問19、ドゥオーキンの資源の平等論は、 個人の責任と平等を調停する仕方を示しているか』。 この問いは政治哲学の最前線の議論のようだから挑戦してみたい気がする。 候補に挙げておこう。

「次。『問20、平等な社会は障害者の問題をどう考えるべきか』。 ロールズの話もあるが、おそらくドゥオーキンの内的な資源の話だな。 仮説的保険の議論。 まあこの議論は問19を考えるときに出てくるだろうから、パス。

「『問21、福祉の平等に対する「金のかかる趣味」の反論はどのくらい有効か』。 これはたぶん問18と同じだな。ひょっとすると問18の理解が足りないのかも しれない。これも少なくとも英国では最前線の議論のようだが、パス。

「『問22、「資源は善き生のための手段にすぎない。 したがって資源を正義の基本通貨(currency)にする理論は混乱している」。 議論せよ』。これも授業では出てこなかったな。コーエンかな。 しかし、善の構想間の中立を支持しない共同体主義も こういうことを言いそうな気がするな。なんにしろ、 いまひとつ興奮しないのでパス。

「『問24、正義は、自分の選択の結果全体に責任を負うことを、 われわれに要請するか』。 これはおもしろいな。ドゥオーキンはoption luckとbrute luckを区別して、 選んだ運、不運については個人に責任を取らせようとするわけだけど、 たとえば株が大暴落して破産したとか、ギャンブルで破産したとかいう人に 対して社会はどういう扱いをすべきなのかという問題がでるもんな、たぶん。 これも候補に入れておこう。

「『問24、平等論の要点は、生まれつきの運の違いを相殺することなのか、 あるいは社会による抑圧を矯正することなのか、 あるいはさらに別のことをすることなのか』。 アンダーソンの平等論批判の話だな、あとフランクファートと。 おもしろい話題で、政治的にも重要な気がするけど、 ドゥオーキンの議論をよく理解することが優先すると思うので、パス。

「『問25、「各人が十分なだけ持っていることが重要である。 各人が同じだけ持つことは重要ではない」。論ぜよ』。 フランクファートの議論だな。あんまり関心がないのでパス。

「『問26、平等を考慮することは「疎外的」か』。上と同様、 他人と自分が平等かどうか比較ばかりするような生き方はおかしい というフランクファートの議論だな。パス。

「あと少し。『問27、平等よりも「最下層(worst-off)の優先」 の方が望ましいと言えるもっともな理由があるか』。 パーフィットのレベリングダウンの議論(単に平等を尊重するだけなら、 全体の効用を下げることも許されるという議論。 たとえば片目の人と両目の人がいる場合、 両目の人の片目をつぶしてもよいことになる)とかだな。 まあその通りの気がするので、パス。

「『問28、平等に対するレベリングダウンの反論はどのくらい深刻か』。 すごい深刻。いや、よくわからんが、今はあまり考える気がしないので、 パス。

「最後。『問29、「最下層の優先は平等と功利主義の両方の欠点を 克服している」。論ぜよ』。功利主義が最下層の優先と相容れないかという 問題があるよな、これ。 最下層を優先的に助けた方が効用が高いという議論ができるか どうかしてみたいけど、大きな話になりそうだから、 今後の課題にしよう。というわけでパス。

「というわけで候補に残ったのはなんだ。 問9のロールズ理論における障害者の問題と、 問14のロールズ理論における国家間の正義の問題と、 問19のドゥオーキンの資源の平等論における平等と個人の責任の議論と、 問24の正義と個人の責任の関係の問題の四つか。 問9と問24は残りの二つに比べると関心度が低いのでパス。

「う〜ん、問19はドゥオーキンの理論を理解するためにぜひやりたいが、 問14も現代的でおもしろいな。 しかし残念ながらロールズはあんまり具体的な提案をしていないみたいだし、 抽象的な議論で終わってしまいそうだな。 米国がなすべき国際的義務についていろいろ書いていてくれたら おもしろかったんだけど。

「というわけで、やっぱり手がたく問19のドゥオーキンの議論を扱うことにするか。

「ええと、読むべき本はなんだ。 ドゥオーキンのSovereign Virtueと、 キムリッカのContemporary Political Philosophyと、 あとコーエンとアーネソンとダニエルズの論文ぐらいか。

「ふう。もう夜明けだ。もう寝よう。 起きたらミルの代議制論についてのエッセイの筋を考えないといけないな。 がんばろう。え〜と、あと26日しかないな。 きちんと片づけてイタリアに行こう」

[追記: もうすぐ出るキムリッカのContemporary Political Philosophyの 新版には、global justiceの章が追加されるらしい。 う〜ん、やっぱりglobal justiceが流行ってるんだよなあ。 しかしこの本は6月末ぐらいまで手に入らないようだし、 やはりドゥオーキンをまじめに勉強することにしよう]

お昼前(くもり)

朝、朝食を食べシーツを交換するためにベッドからはいでたが、 そのあとふたたび寝てしまう。今やっと起きた。

今日は国民の祝日。春の日らしい。

昼下がり(晴れ)

In The Mood for Love

友人に誘われ、 去年見損ねたIn The Mood for Loveを、 レスタースクウェアにある少し古い映画を安くで上映している映画館まで観に行く。

1960年代の香港を舞台にした恋愛映画で、 お互いの配偶者が不倫していることに気づいた二人が、 どうしたらいいのか相談しているうちに、 かれら自身も恋に落ちる。しかし…、という話。 監督はWong Kar-wai。

物語はなんてことのないメロドラマだが、 伏線をうまくはった展開は退屈しないし、 レトロな音楽、映像はすばらしい。 主演女優(Maggie Cheung)は感情と行動が一致しない女性をうまく演じているし、 主演男優(Tony Leung)はクールだが押しの弱い男性をよく表現している。 役者も場面も必要最低限しか写さないので、舞台でもできそうな話だ。

完成度が高く、ほとんどケチのつけようがない映画で、 あと二三回見てもいいと思わせるほどの名作だと思うが、 あえて言えば新しさに欠けており、落ちも予想が付くし、 カサブランカとどこが違うんだと言いたい気もする。 まあ、そもそも恋愛物語なんて古今東西そんなに変わらないものだと思うけれど。 しかし、 もうすこしハっとさせるような斬新な映像があったりすればもっとよかっただろう。

とはいえ必見。B+。

帰り、チャイナタウンで少し買物をする。

夕方(晴れ)

ついつい昼寝をしてしまう。 夕食を食べに食堂に行くが、まったく食欲がなくほとんど残してしまう。 もっと早寝早起きをするようにしないとだめだ。

さて、勉強勉強。

宵 (晴れ)

夕方が長いが、もうすこしすると日が暮れるはず。

代理母について

[04/Jun/2001追記: この文章を若干加筆訂正したものを 生命倫理学用語集 に転載しておいた。 また、以下で取りあげられているMSNのウェブサイト はアドレスが変更されているので注意]

MSNのウェブサイトで 代理母についてのアンケートがやっている(いろんなとこでやってると思うが)。 こういう市民の意見に直面したときに、 倫理学者がやるべきこと、できることはなんだろうか、ということを考えてみる。

一つには、 これらの意見(今回の意見はMSNの方が用意したもの)の背後にある前提を明るみに出し、 その前提がもっともらしいか、他の信念と衝突しないかなどを吟味することだろう。 だいたいこれらの前提は「自然に反する」とか「すべり坂だ」 などのおなじみの議論に行きつくので、 倫理学者としてはこれらの議論がどの程度説得力があるのかを検討することになる。

他にも倫理学者がすべきことはいろいろある気がするが、 とりあえずそれはおいといて、 以下の代理母アンケートの各項目の背後にひそむ前提というのを 順に考えてみよう。

  1. 不妊に悩む人には朗報: 119票
  2. 法整備の上ならOK: 23票
  3. 誕生する子が混乱する: 31票
  4. 医師の売名行為: 11票
  5. 迅速な法規制を: 11票
  6. 十分な論議を待たない暴走: 16票
  7. 女性は子を産むための器ではない: 33票
  8. いきつくところはクローン: 13票
  9. 代理母の体や感情がないがしろにされる: 24票
  10. ビジネスにする人間がでてくる: 29票
  11. 感情的に許せない: 11票
  12. 感情的には理解できる: 78票
  13. その他: 13票

1. 不妊に悩む人には朗報--背後にある前提は、 「悩んでいる人は助けてしかるべきだ」だろう。 同様の議論が、 ハゲや水虫や不能、 エイズやアルツハイマーやパーキンソン氏病を治す薬や治療にも適用されうる。

もちろん「不妊に悩んでいる人」の全員に朗報なのかとか、 「不妊に悩んでいない人々」にとっても朗報なのかどうか という問題も考えないといけないわけで、それはたとえば 「米国のミサイル防衛システムは、 不穏国家に悩む米国人には朗報」だからといって、 ただちに米国の政策が国際的に支持できるわけではないのと同様である。 帰結を論じる場合は、一部の人間に対する(短期的)帰結だけでなく、 より大きな(そしてより長期的な)帰結まで考慮する必要がある。

2. 法整備の上ならOK--背後にある前提は、 「何が合法で何が違法か(何が許され何が許されないか)の合意を形成 してから実行すべきだ」だろうか。 この前提はしごくもっともである。

3. 誕生する子が混乱する--背後にある前提は 「誰かを混乱させる行為はよくない」か。 「悩んでいる人を助けるべきだ」というのと同様にこれももっともな道徳原則。

ただし、誕生する子が本当に混乱するのかという事実問題を確かめる必要があるし、 たとえ事実だとしても、解決策がないのか、ということを考える必要がある。 また、子供の幸福が一番大事だとしても、1.と同様に、子供だけでなく、 カップルの悩みや、その他の人々の利害も真剣に考える必要がある。

真夜中

Speed

上の文章を書きはじめたら、 テレビでSpeed(1994, Jan de Bont)をやりはじめたので、 完全に思考が中断した。この映画は2回目か3回目だと思うが、 これでもかこれでもかという展開は何度観ても手に汗にぎる。 これはこれで完成度の高い映画。 しかしこの映画を観たからといって人生が変わるわけではないので、B。

代理母について(続き)

4. 医師の売名行為--前提「有名になりたいという動機で行為すべきではない」。 もちろん、この道徳原則をそのまま受けいれる人はすくないだろう。 芸術家やスポーツ選手やテレビタレントが、 有名になりたいという動機から行為してもおそらくそれほど非難する人はいまい。 こういう批判は、 医者や代議士などの「崇高な」職業についてなされるのがふつうである。

しかし、医師の売名行為というのは代理母にかぎったことではないし、 また代理母に本質的なことでもない。AIDSの薬を作ったり、 ガンの治療法を開発したりする人も同じ動機で行為するかもしれないが、 だからといってそのような動機から生まれたAIDSの薬を使うべきでないとか、 もっと「崇高な」動機からその治療法を適用しようとする医師を妨害すべきだ ということにはならないだろう。 動機が善いことはけっこうなことだが、 動機の善し悪しだけで行為を判断したり、 ましてやある人の動機が劣っているからといって、 同じ行為を他の人がすることを禁止したりすべきではない。

5. 迅速な法規制を--2.と同様。もっともである。

6. 十分な論議を待たない暴走--同上。もっともである。

7. 女性は子を産むための器ではない--これは前提を推測するのがむずかしく、 また一番興味深い議論だが、 おそらく「女性は『女性が有する本質的な目的』以外の目的で使われてはならない」 というような原則だろう。 もっと一般化すれば、「人は、 人の本質(本性、自然)に反する目的で使われてはならない」 というおなじみの原則と言える。

この議論は、「性器は生殖のためにあるのだから、 快楽のために用いられてはならないし、売春はもってのほかである」 とか、「肛門は排泄のためにあるのだから、性交に使ってはならない」 とかいう議論と同じ形式を持っている。 ただし、今回の場合は女性の「目的」なるものが明確にされていない という違いがある。

ただし、「じゃあ女性の目的は何なんですか」と尋ねた場合、 「それは女性一人一人が決めることです」と答えるわけにはいかない点に注意。 というのは、その場合「女性は子を産むための器だ」 と主張する女性が出てくるかもしれないからである。 そこで、 上のような議論をする人は、女性の普遍的な目的を提示するという困難な 作業をする必要がでてくる。

それでも、「女性に普遍的な目的がなんであるのかははっきりしないが、 女性が子を産むための器ではないことはたしかだ」 とがんばる人がいるかもしれない。

しかし、その場合には「一般に、ある物に普遍的な目的があるとして、 そもそもなぜその目的以外でそれを使ってはいけないんですか。 かなづちは釘を打つために作られたのでしょうが、 貯金箱を壊すために使ってはならないのでしょうか。 口がキスするために作られたとは思いませんが、 われわれはキスは口が持つ目的ではないのでしてはならないとは言いません。 だったらなぜ女性を子を産むための器をして使ってはいけないのでしょう」 と反論できるだろう。

だが、けっきょくのところ、「女性は子を産むための器ではない」 という背後にある本当の前提は、 カントの「人(理性的存在者)は、単に手段としてではなく、 同時に目的自体として扱われなければならない」 という道徳原則なのかもしれない。 すなわち、上の主張は、 「女性を女性に本質的な目的以外で使用してはならない」と言いたいのではなく、 「女性を単に手段として使用してはならない」と言いたいのかもしれない。

(ところで、手元に文献がないので正確な引用ができないが、 結婚と性交についてカントは男女間の性器使用の契約だと言っているので、 この文脈でカントを援用しようとするのはあまり好ましくないかもしれない)

このカントの議論をやっつけるのはたいへんなので、 とりあえず間接的な(しかし深刻な)反論を二つ挙げておくと、 「他人の女性の子宮を使用する代理母は女性を手段として 使用することになり許されないが、 自分の奥さんの子宮を使用することは許されるのはなぜなのか」というものと、 「親が子に片方の肺や腎臓をやったりすることも、 やはり子が生きるための手段として親を使うことになり許されないのか」 というものである。臓器移植の完全禁止を主張する人は後者を簡単に退ける かもしれないが、それでも前者の問いにきちんと答える必要があるだろう。

8. いきつくところはクローン--これは前提というよりも、 次のような推論がなされていると言える。 「代理母を許すならば、すべり坂をずるずるすべって、 けっきょくヒトのクローンも許すことになるので、やるべきでない」。

すべり坂議論というのは、簡単に言うと、男性に手を握ることを許したら、 「手をにぎっていいならキスだって。キスがいいんなら体を触ったって…」 とずるずるすべっていき、最後にはムチとロウソクになってしまうという議論。 そこで、 最初はキスはよくてもSMはぜったいにいやと思っていても、 ずるずるとすべっていってしまうので、 男性には手を握らせるべきではないことになる。 同様な議論が、安楽死反対論やマリファナ禁止論にも使われる。

これに対する反論は、すぐに思いつくだけでも3つある。 くわしく議論するのはたいへんなので、列挙するだけにとどめる。

  1. 代理母を許したら、ずるずるとクローンを許し、 さらには優性思想を許し、オーダーメイドベイビーまで許すというのは、 まったく明らかではない。
  2. もし代理母からクローンまでノンストップですべっていくという 仮定を認めた場合でも、 代理母はすでに坂道の途中であり、IVFや排卵剤の使用など、 不妊治療を開始した時点からすでにすべっているとも考えられる。 だとすれば代理母を禁止できると考えるのはおかしい。
  3. (2)と同様にすべり坂議論を認めたとしても、 ヒトのクローンがなぜ望ましくないかを示さないのであれば、 この議論は説得力がない。

9. 代理母の体や感情がないがしろにされる--この前提はもちろん 「人の体や感情をないがしろにする行為をすべきではない」である。 もちろん苦悩や混乱が望ましくないのと同様に、 人をないがしろにするのは好ましくないのは当然である。

しかし問題は一つに、代理母の制度を認めることによって、必然的に、 あるいはかなり高い可能性によって代理母がないがしろにされることが示されるか どうかである。これを調べるためには、理論をふりかざすだけでなく、 代理母が実際にないがしろにされているかどうかという事実を米国の例などから 集めるのも重要である。 また、第二に、代理母の体や感情がないがしろにされることが多いことが 予想されたとして、それに対するいかなる対策も立てられないのかということも 議論する必要がある。

そもそも「体や感情がないがしろにされる」のは なにも代理母にかぎったことではなく、 売春や労働や結婚にだってありえることである。

売春にもこの議論を用いる人もいるだろうが、 売春を職業と認め、 売春をしている人々の社会的地位を向上させることによって、 事態を改善することは可能であろう。

同様に、「資本主義は労働者の労働や感情をないがしろにする」 ことがたとえ事実だとしても、 労働状況の改善や社会の福祉政策などによって、 事態を改善することは可能だろう。

また、結婚にしても、歴史的に見れば多くの場合、 女性は財産として扱われてきたわけで、 体や感情がないがしろにされてきたことは想像にかたくない。 しかし、男女間の平等を保障することにより、 この問題があるていど改善したことを認めないわけにはいかないだろう。

もし代理母が以上の例とは異なり、 「代理母は女性の価値を貶める側面をその本質として持つ」 というのであれば、どうしてそうなのかを示す必要がある。

10. ビジネスにする人間がでてくる--前提は、 「ある種の行為や物事はビジネス(商売)にしてはいけない」。 お金目当てに行なってはいけない行為がいくつかあり、 代理母はその一つだということであろう。

どういう物を商売にしてはいけないかを考えてみると、 土地を売ったり知識を売ったりするのは許されるが、 身体的なものを売ることにはかなりの道徳的反発が存在することに思いあたる。 たとえば、肺を売ったり、腎臓を売ったりするのは許されない、 あるいは望ましくないと考える人は多いだろうし、 自分の身体をまるごと売ってしまって奴隷になるというのは 神ばかりかミルも許さない行為である。

しかし、その一方で、血や髪や爪を売ったりすることは比較的許される行為である。 おそらくその理由は、 「一回売ってしまえばおしまい」である肺や腎臓とは異なり、 基本的に何回でも売れるからであろう。 とくに髪を売ることなどはほとんど道徳的反発を伴わず、 散髪を無料でやるためにモデルになることを非難する人は (宗教的な理由でもないかぎり)めったにいないだろう。

とすると、ビジネスあるいは商売にしてはいけない行為は、 「身体の全部あるいは一部を売る行為」ではなく、 「一度売ってしまうと元に戻らない行為」 であると論じることができるかもしれない。 だとすれば、子宮を貸す商売は、労働力を売る商売と同様、 許されると論じることができるかもしれない。

しかし、代理母と売春は、 上で挙げた肺や腎臓の例と血や髪の例の中間に位置し、 それゆえしばしば論争になる、と言えるのかもしれない。 もちろん、そのような事情があるにせよないにせよ、 売春は「最古の商売」と言われるわけだが…。

11. 感情的に許せない--前提は「わたしが感情的に許せない行為は 禁止されるべきである」。こういう愚かでかつ独裁者的なことを言う人は、 いますぐ本屋に行き、ベンタムの『道徳と立法の原理序説』第2章を読むべきである。

一歩譲って、この議論の前提には 「社会の多くの人が感情的に許せないと感じている行為、 あるいは社会の道徳に反すると感じている行為は、禁止すべきである」 という原則があるとしても、 この原則は、 現在の常識や社会の道徳を絶対的な基準にしている点でまちがっている。 それは、「ナチスの法であれ南アのアパルトヘイトの法であれ、 法が禁じている行為は道徳的に不正である」という原則がおかしいのと同様である。 代理母という新しい現象によって、 常識の正しさや、社会の道徳の正しさが問われているのだから、 それらの正しさを頭から仮定するのではなく、 きちんと根拠を問いただす必要がある。

12. 感情的には理解できる: 11と同様、感情だけで議論するわけにはいかない。

以上、いろいろ検討し、とくに最後に感情では議論できないと述べたが、 誤解をさけるためにもう一度強調しておくと、 こう言ったからといって、子供の苦悩や代理出産した女性の苦悩、 あるいはそれ以外の人々の苦悩を 考慮に入れる必要がないと言っているのではけっしてない。 3.や9.で述べたように、 代理母という制度にこのような弊害が伴うのであれば、 それを取り除く適切な方法を考えるべきだし、 弊害が大きくどうしても軽減できないならば、 代理母を法的に禁止する強い根拠になるだろう。

しかし、代理母制度を認めることによって生じる苦悩を考慮に入れる一方で、 禁止することによってでてくる苦悩も考慮に入れなければならない。 どうしても子供が欲しいのに身体的問題から子供を生めないカップルや、 非合法に代理母を行なうことから生じる問題、 また代理母が認められていたならば得られたかもしれない幸福、等々。

おそらく賢明な政策は、完全禁止、完全自由化というのではなく、 法によって規定された適切な手続を経た場合にのみ 代理母による出産を許すというものであろう。 もちろん、このような法をつくる前に、 十分な議論と実態調査をし、 適切な規制を行なえばうまくいく事例が十分にありえる ことを確認すべきことは言うまでもない。 そして、社会的合意を形成するために十分な議論をするためには、 倫理学者を仲間外れにしてはならないことも言うまでもない。


28/May/2000 (Sunday/dimanche/Sonntag)

今日のニュース

もう一つ掲示板を作ってみました。
日本語用です。ドイツ語用、フランス語用、 エスペラント語用などの掲示板の設置も前向きに検討中です。 英語の方もちょっとディレクトリを変更しました。
某所で買った本およびCD。
ためしに小説も買ってみました。スペリオールも買ってしまいました。

05/28/99 (Friday/vendredi/Freitag)

昼下がり

昨夜は、某古本屋と某コンビニに寄ってから下宿へ。 某古本屋には新書が大量に入荷されていたが、 某君が先に来て買占めて行ったので、 目ぼしいものはあまり残っていなかった。 モーニングも買う。

下宿に戻ったらシャワーを浴びてすぐ寝る。疲れてたので。

朝9時すぎに起きてスクラーの予習。 風呂に入ったり洗濯したりしていると あっという間にお昼になってしまう。

時間ぎりぎりに下宿を出る。 郵便箱を見るとTOEFLから封筒が来ている。 4月に受けたテストの結果だろうと思って 急いで部屋に戻ってハサミで開封してみると、 次のような結果になっていた。

SECTION 1 -- 65
SECTION 2 -- 68
SECTION 3 -- 65
TOTAL SCORE -- 660

「うおっ、偏差値66! すげえっ。 お、おれは超能力者だったのか」 と自分で思ってしまった。 (ちなみに、TOEFLは偏差値方式なので最低点は200点、 最高点は677点となっているそうだ)

ちょっと気分が良くなりつつ、急いで大学へ。 大学に入るときに他の自転車とちょっと接触してしまう。 ごめんなさい、急いでいたのです。

息を切らしながらスクラーの授業に出席。 いろいろ誤りを指摘されつつも、 なんとか担当の部分を終える。 つかれた。

授業の後、某君と中央食堂で食事。 某君が近々開催されるマイケル・トゥーリーの講演のポスターを作ったので、 食事のあと、某君は医学部に、ぼくは法経館にポスターを貼りに行く。

(トゥーリーの講演は来週の土曜日3時から京大会館であります。 クローン関係の話っす)


夕方、某師匠と一緒にタクシーに乗り、京産へ。 エリック・レイモンドという人の講演を聴く。 ちょっと寝てしまったがなかなかおもしろい話だった。 通訳がひどかったのが残念。 筑波大の某氏と同席する。

帰りは某氏と某師匠と3人で叡山電車を使ってもどる。 元田中で降りて某所でお好み焼き。

今日も疲れたっす。


今日やったこと


05/28/98(Thursday/jeudi/Donnerstag)

真夜中

昼ごはんが長くなってしまったので3コマ目を自主休講してしまい、 そのまま下宿に戻って洗濯して(風呂のお湯で…おれって経済的な奴)から 寝てしまった。夕ごはんはトマトソースのスパゲティとサラダと 目玉焼き(の出来損ない)

研究室に来る途中で古本屋へ。


一応科哲のレポートを掲載。 心配。来週が怖い。


うわ。ソファで思いっ切り寝てしまった。 まずいまずい。仕事仕事。


お昼過ぎ

仕事。眠い。死ぬ。


夕方

お昼を食べてから下宿に戻って仮眠。 そいからまた研究室に戻ってきて、ロック読書会。眠い。


倫理学入門読書会(「直観主義」その3)終わり。 しんどい。つかれた。うう。


真夜中

雨。 某助教授と某師匠と某嬢と近くの飲み屋で景気の良い話をして盛り上がる。 ごちそうさまでした。


05/28/97(Wed)

・真夜中・

・『あしたのジョー』、カーロスが廃人になってホセ・メンドーサがジョーに 会ったところまで。

・このマンガはすごく怖い。読んでいるとみぞおちのあたりが苦しくなって来る。

・とりわけジョーの存在感がすごい。ぼくはああいう人間にはとてもなれない だろうし、またなりたいとも思わないが、「あー、おれ、何してんだろ」って 思っちゃう。

・(とにかく)名作。


・早朝・

・うー、ねむ。断水がまだ続いていて顔が洗えない。


・朝・

・久しぶりに力作、反死刑廃止論 のページを作った。力の続くかぎり継続的に死刑廃止論を批判する。ぜひ ぜひ御批判を賜わりたい。

・ではちょっと朝ごはんをば。


・(寝不足だが)天気が良くて気持いい。やっぱりサンデーがおもしろいよなーっ。


・昼・

・授業授業。


・昼下がり・

・天気が素晴らしい。どっか外で寝たい。


・色々な人が研究室を訪れる。楽しいが忙しい。忙しいが楽しい。


・夕方・

・つ○たさん、○しむらさんたちと吉田山を散歩した後、中央食堂で晩ごはん。 そういえばお昼を食べていなかった。

・食堂でぼくが「そこら中のみんなが口を動かしてご飯を食べてるっておかし いですね」というと、二人に「…こだまくん疲れてるんですよ」となぐさめら れてしまった。

・可笑しいと思うんだけどなあ。(疲れてるのはほんとですが)


・そろそろ帰ります。明日は読書会が二つあるので大変。ま、帰ったら絶対寝るが。


Satoshi KODAMA
email: satoshikodama-tky[at]umin.ac.jp
All rights undeserved.
Last modified: Sun Jul 10 09:46:47 JST 2022