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伝え続けよう・未来に向けて

 

本委員会(“伝えたい看護の技委員会”)は、平成21年6月20日(土)、第10回日本赤十字看護学会学術集会の交流セッションに参加しました。参加者のアンケート結果から好評を得ましたので、会員の皆様にもHPで公開することにしました。

今回のテーマは、「赤十字の看護の技-伝え続けよう・未来に向けて-」です。赤十字の看護に長年携わり、看護の技を培い、その技の効果と継承について、現在それぞれの立場でご活躍されている方々から貴重な内容を情熱的に語ってくださいました。

第10回学術集会:交流セッション
写真手前から、司会:竹内幸枝
話題提供者:川上さん、村松さん、陣田さん

司会は竹内幸枝様(日本赤十字社医療センター)で、この会の趣旨の紹介のもとで進行されました。話題提供者は、村松静子様(在宅看護研究センターLLP)、陣田康子様(聖マリアンナ医科大学)、川上潤子様(日本赤十字社医療センター)の3名の方々です。
今回の内容をご覧になった方々からのご感想や ご意見もお待ちしています。連絡先は、“伝えたい看護の技”掲示版に自由にご記載下さるか、又は下記の本委員会事務局にお知らせ下さい。皆様からの情報をお待ちしています。

尚、本委員会は、現在の新役員に引き継いでおりますので、新事務局へご連絡頂けるようお願いします。

臨床看護実践開発事業委員会 委員長 二ツ森 栄子

臨床看護実践開発事業委員会

〒150-0012 東京都渋谷区広尾4丁目1番3号 日本赤十字看護大学内
日本赤十字看護学会 臨床看護実践開発事業委員会事務局 井部俊子 宛

 

話題提供者

  1. 村松静子さん(在宅看護研究センターLLP)
  2. 陣田泰子さん(聖マリアンナ医科大学)
  3. 川上潤子さん(日本赤十字社医療センター)
 

村松静子さん(在宅看護研究センターLLP)

トップバッターを務めさせていただきます、村松静子です。よろしくお願いします。さっそくお話させて頂きたいと思います。赤十字看護の技って特別にあるのかというのが、本来私がずっと頭を悩ましてきたところです。ですから真剣に考えました。見つけました、それが・・っていうのが今日のお話です。

看護のプロとしての勘(カン)を磨くこと。これは、本当に適切な看護を行うためには欠かせないもので、当然この勘というのは単に経験を積んでいくだけでは身に付かないという事は明らかです。ではどうするのか。そのあたりも含めて、とにかく看護のプロとしての勘を磨く。これは必要な事だという事を私はいつも考えてきております。また、最も急を要する困苦、これを察して、とにかく真っ先に動く。この真っ先に・・が非常に重要です。“勘”、“真っ先に”というこれがまずとても重要だという事を、40年ちょっと看護師を一度も辞めずにやってきた私は感じているわけです。さらに、“自主的に行動する”。自ら、自分から、という事です。この三つはとにかく、看護の根底になければいけないというのを常々感じてきております。ではこれと赤十字の技ってどう絡んでいるのか、ということを考えたわけです。この職業人の勘、この勘ってなんでしょう? 突き詰めるのがとても好きでしてね。極度に研ぎ澄まれた総合感覚の態(テイ)、これを帯びてくる、勘を磨いていけば。41年も真剣に看護というものを考えながら、もちろん五感をフルに使ってです。脳神経等すべて使い、そしてその自らの手を介していく看護、あるいはすぐにかけつけていく看護、そこには当然知識もあり全てを含めて総合感覚の態として、私の看護としてでてくる。ですから、今私の看護を受けて「あなたの看護は確かなものよ」と言ってくださる人がいたら、「私は卒業してから41年間、これを必死になって磨いてきたんです」って応えます。

日赤医療センターというのは、昔、日赤中央病院といい、病院の中を自転車で動いていたんですね。駆け回ってたんです。ほんとなんです。病棟から病棟へ自転車で。だから乗れない婦長が夜勤婦長をすると2時間ほど巡視にかかりました。また行かなきゃいけなくなるのよって文句言ってた婦長さんの顔をよく覚えています。そこから私がICUを日赤医療センターに作るとき、何も分からない私がICUを作らせて頂きました。そして、教育の場へ。今キャッピングなんてあまりありませんけど、このキャップを頂くときっていうのは物凄く自分がきれいじゃないと、きちっとのらないと・・という経験を私は持っているのです。ひとりひとりに載せさせて頂いたという記憶がございます。そして在宅へいってもう20何年です。ボランティアを入れると26、27年目くらいになります。
赤十字看護の技に潜むものがある、という事を私はあらためて感じているわけです。今日はそれをどうしても皆さんに伝えたい。私が考え抜いた末に赤十字だからこれが備わっていたんだよ、という事をお伝えしたいのです。

一つ、とにかく理屈抜きに動く。自ら動く。今笑っている方は同じような年代だと思います。怖い婦長さんがいようと、先輩がすっとカバーしてくれて、何も分からない私が「とにかく動きなさいよ、患者さんのところ行きなさいよ」と言われた記憶はあります。分からないで行った私が、今自分のすることがなぜしているのかが分かる。これは勘を磨いてきたからだろうと私は思っています。理屈抜きにあなた動きなさいって言っていただいた、これこそまず赤十字になければいけないもの、赤十字にあったという事です。もうひとつ、職業人としての勘が磨かれていく。つまりどういうことかといいますと、情緒的意識体験それを重視した教育というのが私はあったように思います。今は分かりません。正直いって私はこちらの大学には関わっておりませんので分かりませんけれども、情緒的意識体験を重視した教育というのを私たちは受けてきた。おそらく先輩もそうだったろうと思うのです。私がいつもお話させていただくのですが、川島先生にですね、私は「先生子供を産んでもう勤められない、もうやめようと思っているんです」と言ったことがあるんです。そしたら先生が「あなたね、やめるのは簡単なのよ。続けることが意味のあることなの」と教えていただいてから一度も辞めてない。そういう、あっそうなのかと思わせる、あるいは悔しいとか悲しいとか楽しい、それからこの患者さん治って良かった、こういう情緒的な意識体験を多く積んで、積ませる場を設けてくれた教育があったと。そのためにこの理屈抜きにとにかく動く、そして職業人としての勘が磨かれていくというその芽を私は赤十字で植え付けて頂いた。これは本当にそう思っております。

この情緒的意識体験というのは、ひとつは、行動に良い意味での動機付けをします。ところが、やりかたによっては、その逆で嫌になってしまう、抑制してしまうという事もあるという事です。つまり、教育そのものがやはり非常に、教授法そのものが重要であり、個を尊重する教育でなければいけない。たまたま私達はそういうことを得て、育てられてきたという事が言えます。私がここで言いたいのは、これから今の時代に見合った、見合っているけれども、この職業人としての看護のプロとしての勘というのが、磨けていける芽というのを育てる教育であってほしい、先生達そんな教育をしてくださいよ、というのが私の切なるそれこそ願いです。もうひとつは、ただそれだけを育てるのがいいというわけではなくて、勘だけ磨けばいいということではなくて、もちろん知識も必要ですけれども、赤十字の特徴というのは、そこが物凄く重要なんだと、黙っていても理屈抜きに動くんだよ、手が出るんだよ、そういうところを私は継続していって頂きたいなということです。現場でもです。

私は赤十字から離れて在宅でやりましたけれども、今日スタッフが4人も来てくれています。少ない人数で動いているのに良く来てくれたと思っています。今日土曜日もうちは勤務ですから、土曜日も日曜日もありません。そういう中でも少なくとも私の身についている勘をみんなに伝えていきたい、これがそろって若い時にしっかり受け止めて、そのうえで自分を生かして、前へ進んだとしたら、私はこれはやっぱり赤十字でやってきたから、赤十字の技になる。例えば、ふっと手を添えた時に適切な位置に、適切なだけ・・きちっと目線が合い、笑顔が出て、あるいは辛さに共感してというのが出るんだろうと思うのです。災害地へ駆けつけることもそうです。今日はできないといったらだめなんです。在宅も病院も同じ。そうするために、理屈抜きに赤十字の技というのが光るとしたら私はやはり、即行動が伴い、とにかく理屈抜きに動くこと。いいじゃないですか、最初は、私何も出来ない看護師でしたので、もう堂々と言えるのですけれども。勘を磨いていくんだよ、あなたが持っているその勘を大事にしなさいよ、知識も合わせていきなさいよというところをしっかりですね、伝えていく。そのような教育を今の時代に見合わせて、もしなされていたら高度医療にもついていけるだろうと私は思っております。

看護って何? 今日来てくれたスタッフの一人が一緒に私と毎日訪問して、最後を彼女が看取りました。ここに入院していた方です。息子さんとお二人の写真です。私が一瞬にぱっと撮った写真です。訪問の帰り際に撮りました。おそらく初めて訪問する方は、この写真の中の彼の様子から看護に入っていきます。そうすると活躍していた当時の彼のことは何にも知らない、たまたま腹水があって、胸水が溜まっていて人工肛門があって下半身不随で全く動けない人としかみないと思います。ところがですね、この方がどういう人だったかというと、レーサ-だったんです。この真中にいる方で優勝したときの写真だそうです。

訪問したある日のことでした。今日だったらもしかしたら以前から望んでいたお墓参りに行けるかもしれない、私一瞬思ったのです。その出来るかも知れない、まさに勘ですよ、直観なんですけど。直観が外れることもたくさんあるのですが。彼がお墓参りをしたい、9年前に家で看取った奥さんのお墓参りをしたい、先祖のお墓参りをしたいという事を盛んに言っていました。私はそれを聞いていました。でもどんどん悪くなるわけです。私と同じ年齢でしたので、こう話しているうちに信頼関係が出来ているな、私を信頼してくれているなというのがすごく伝わってきたわけですね。そういう事も全部含めて、たまたま私が行った日は私も行ける、受持ちの彼女も行ける、息子さんも行ける、本人も行けそうな身体、行きましょうよと後押ししました。最初「えー」って言ったのですけど行ったんです。だいたいは医師の指示云々というのを受けなきゃいけないように思いますけれども、私もそういう意味ではドクターときちっと連絡を取り合っていました。そこで行ったんです。そしたら、ちゃんとお墓にお水をかけてお花をあげて、何を言うかと思ったら「また来るからね」って言われたの。ちょっとドキッとしたんですけどね。ところがその後こういう事が起きたのです。奥さんと二人で行っていた東京の神宮の銀杏祭に行きたい、ふと思ったそうです。自信がついたんですね。ところがもう状態が物凄く悪くなっていたのです。これも、私たちはある意味看護のプロとしての勘で見ていくわけです。そうして彼女が訪問したらいなかった。後で連絡が入りました。そしたら銀杏祭に息子さんと二人で行っていた。その時の写真です。本当に痩せて、顔には皮が一枚ついているような感じだったのですが行った。

彼が亡くなる8時間くらい前でしょうか、私は真夜中に訪問しました。別れ際なんですけれども、口から茶色いものをぽっ、ぽっ、ぽっと出していたのですが、吸引器は使いたくない。これは息子さんがお父さんに言われていたことです。機械の音が嫌だから。そうしたらふと私はその時思いました。そうだよな、何も今ここで吸引して苦しめる必要もなければ、音を出す必要もないだろう。じゃあ何か他にないか。でも、どうしても吐くわけです。口の中に溜まりますから。注射器と細いカテーテルが一本ありましたので、5ccの注射器でここにちょっと入れて吸う、その繰り返しですね。そして、痛みがあったら薬を飲むっていうのが決まり事にあったわけです。このぐらい痛かったら飲む。そうしたら言った言葉です。「村松さん、もう医者もいらないよ、薬もいらないよ、その手があれば、それが看護だよ。」これですね、私が今まで考えていた、今までお話してきたところの看護。必ず手が出て、さすっていました確かに。その手があれば看護だよ、そう評価を頂いたそんな気が私はその時にいたしました。

赤十字の先輩から引き継いだもの、あくまで今の情勢を見据え、これは絶対必要です。赤十字の訪問看護という、昔は訪問看護とは言わなかったんですが、今から約80年前に社会看護師というのが、ここの日赤医療センターの前身の中央病院にはいらしたそうです。たった一名。それがきっかけで保健指導部というのが出来てそこに保健師さんが3人所属しました。私が学生の頃皆に連れて行っていただいたその時の先輩で印象に残っているのは、非常にてきぱきとし、笑顔で、もう本当に素早い動きでした。そういうのはあの時代に必要だったのです。むしろ先駆的だったと私は思います。

今はどうなんでしょうか。私はやはり今までの先輩達が残してくれたそういうものを、更に改革を加えながら切り開いていく、この必要性と力を私は頂いてきたように思っております。ですから、私は今もう還暦を過ぎてしまったのですけれども、未だに、昨日もちょっと訪問をボランティアでしてきましたけれども、改革を加えながら切り開いていく、赤十字ならこそ、地域だったら過疎にだって訪問する、そういう事も必要ではないか、その力を私は赤十字に頂きました。勇気を頂きました。創造する力を頂きました。挑戦という気持ちを頂きました。国会の場で発言させて頂いたこともございます。私は最初は何も出来ない学生だったかも知れませんけれども、あくまで勘を磨きなさいよっていうメッセージと、何も考えずとにかく動きなさいよ、手を出しなさいよ、そういう教育とそこに悔しさ、嬉しさ、辛さ、全てを含んだ情緒的な意識体験というものを重視した教育を受けて、勇気をもって行動するようになりました。いろんなことを創造していくようになり、挑戦してきました。

赤十字には付きすぎず離れすぎずというのが、私のやり方です。私は脳生理学がとても好きでして、短大の時には脳外科看護というものもちょっとお教えしたこともありました。脳生理学から看護の技を探るというのを今しております。特に海馬、海の馬って書きますね。形としてはタツノオトシゴがひっくり返ってるようなところなのですが、その海馬に、非常に精神的な心理的なストレスというものがある場合にそこが委縮していく。コルチゾールというのが出ていますね、そのあたりをもっと探ってみようと思っています。そして、やっぱり五感から得たものは五感で返すということですね。

皆さんにお伝えしていきたい。役に立つならそれでいいじゃないか、という事で私は赤十字の技の裏に潜んでいるもの、職業人としての「勘」、それと、とにかく自ら動く「実践」。これはもしかしたら七原則の中にある独立ですとか、公平とかですね、そういうものが影響しているのかもしれません。人道だとか博愛っていうのは、これはある意味赤十字だけではないのです。皆持っているのですけれども、人道精神があった上でこれまでお話ししたようなものが非常に影響していると思いますし、ここが私は赤十字看護といったら皆さんに伝えていけるところかなと思っております。以上です。どうもありがとうございました。

 

陣田泰子さん(聖マリアンナ医科大学)

私は、マリアンナの陣田ですと言っておりますが、でもどういうわけか最初の紹介の時には「出身は日赤です」とつい言ってしまいます。発表時間の20分で日赤から離れて何十年にもなる中でどのように話したらいいかなと思ってきました。赤十字のこだわりっていうことばが今日の午前中から何回も出ていました。実践、実践、良い看護ってなんだろうと。“良き実践へのこだわり”っていう事ではないかと思いました。2、3週間前、幹部看護師研修所の時の仲間と会いまして、話の中で、「ねぇ私達って、日赤出身だからやっぱり実践にこだわっているでしょう」という話になりました。彼女は助産の道を切り開いてきたんですが、まだまだもっとやりたいことがあるようで、それが現状では物足りないって、教育の中で実践部分が不足していると言っていました。だからその実践を自分は違う形でやりたいと言って新たなことを考えているようです。その話から、そうだ実践だって思いました。

私がマリアンナで今行っている看護の知をどのように見えるようにするか。医師の知と看護の知と並べると、やっぱり医師は科学の知であり、鷲田先生が先ほどおっしゃったように臨床の知、科学知は数字にも理論でも言語でも見えますけれど、看護は日常の知、それ故にあたり前にやっていてナース自身にも見えない。自分たちでさえもやってるって思えない看護をなんとか見えるようにし、実感できるようにすること。これにずっとこだわってやってきました。

私のルーツは昭和44年の4月、つまりその3年前までは諏訪赤十字看護専門学校で学んでいたのです。そして本日、その時の教務主任の恩師がここにいます。諏訪赤十字病院では6年間働きました。ですから日赤は3年の看護学校と、働いた諏訪赤十字病院での6年だけ。あとは全部マリアンナということになります。他に短大の教員を3年、学校は3年間しか持ちませんでした。そして、川島先生のところでたった1年ですけれど、3年以上の学びをして、マリアンナに出戻って今やマリアンナの陣田です。私の取り柄はしつこいことです。実はそのしつこさはB型のせいにして来てたんですが、今日ずっと考えてきた中でもしかしたら日赤のせいかなと思ってます。

看護は人に認めてもらうというか、人がわかる前に私たち自身が見えていなければならない。やれているって思えないのをどうやって見えるようにしたらよいのか。実は何でこれにこだわったかと言うと、先ほどのヒストリーの中の3年の短大教員の時に、諏訪日赤で6年、マリアンナで20年の経験を持って私は短大の教員になりました。でも、その時に経験がごくわずかな人、あるいはあまりないような教員達が看護について検討する時に、実践経験のない人たちの方が看護について理路整然と雄弁に語るのです。私は26年やってきたのに、なぜこんなにやってない人たちの方が話して私が話せないのだろうかと、そこが一番しつこさのこだわりの発端です。そして、しゃべれない、語れない、書けないっていうのは教育の中では馬鹿にされました、暗に、露骨に。そこでは3年しか持ちませんでした。二度と教員にはなるまいと思って3年で教員を辞めて、そして現場に戻った時、私がやる仕事は26年やっていたのになぜ語れなかったのか、なぜきちんと考えの塊に出来なかったのかということでした。そこで概念化、実践の言語化、このことにこだわって、まず自分がやっていることを感じてそれを他者に伝えることをやろうと。

このコア・ケア・キュアというのはマリアンナの看護部の理念です。臨床看護学研究所時代、川島先生からよく投げかけられた言葉に、ヘンダーソンはなんて言ってたかしら、ナイチンゲールはなんて言ってたかしらという言葉がありました。研究員の人がナイチンゲールの本やヘンダーソンの原典を見て、先生何ページにこう書いてあります、なんてやりとりがありました。私は、ナイチンゲール、ヘンダーソンは知っていましたが、リディアホールという名も出ていました。初めてリディアホールという名前を聞き、本を読んだりして学びました。そして看護部長としてマリアンナに戻り、これから大変な時代になるぞと思った時に、1つ1つのマニュアルじゃなくて共通に目指すところを表す必要があると思いました。

リディアホールのコア・ケア・キュアと命を守るという精神、これはマリアンナのキリスト教精神に則った生命の尊厳、これは日赤の精神にも通じることですが、マリアンナ病院の法人の理念です。その理念にリンクしたコア・ケア・キュアを看護部の理念としました。外科にいても内科にいても外来にいても見ている方向ってここだよねっていうところで、文字で表していたものをこれからイメージ出来るものが必要だと考えました。皆が頭に置いていないと厳しい時代の中できっとゴールを見失う、そこでこれを最初に作りました。そして現場のナース達のサポーターとして看護部の部長、副部長をサービス提供支援者と位置づけ、サポートネットワークという言葉で表現しました。この力が高まって患者さんの命が守れたら、ゴールはここで成果が見えやすいだろうと思いました。でも亡くなる人がいるけれどどう考えたらよいか、それは死の不安だとか痛みが少しでも減ったら回復の促進と言えるだろうと。そんな中で平成14、5年あたりから“ナレッジ交換会”というのを開催しました。

ナレッジ-看護の知を仲間と交換する-。すご技を持っている先輩を推薦して下さいと、あえて推薦の形をとっています。それはなぜか? 自分ではわからないからです。自分では当り前のことをやっているので、当然のことをしているので、周りが推薦してこの人の技を聞きたい、見たい。そして推薦書を出しますと委員がその人のところにインタビューに行って暗黙知の引き出し役になる。助産師は産むのを助けますけれど、知の助産、ちょっとかっこよすぎますが、それを委員がやっています。委員が言うのですけれど、推薦された人のところに行って、あなたが推薦されましたので、私たちに話を聞かせて下さいって話すと、中には怒りだす人がいる。なんで私が?特別なことを何もしてませんって怒りだす人がいる。それをなだめて、ちょっと聞かせて下さい、どんな風にやっているんですかって面接4・5回、5・6回やっていく中で、こんなことでいいのですかと変化してきます。交換会の中ではパワーポイントを使えない人もいますが委員が手伝って、自分の看護を皆の前で、丁度このくらいのあまり大きな所ではやってません。そのやり取りの中で結構自信を持って自分の看護の知を語るというような事をやり続けています。

自分の看護を実践できているってことをまず実感して、そしてそれがチームの人たちに伝わっていって、広まっていったら、それが看護の、病院の、組織の知になるだろうということです。するとコア・ケア・キュアという患者さんの命を守るというところに繋がっていくんじゃないかということでそんな方法を考え始めました。大串正樹先生が取材に来て、そのあとマリアンナの看護ってこういう事をやってるよねってフィードバックされたときに委員長と二人で顔を見合わせました。人には言っているのですが、今私は他者(大串先生)に言われてはっと気づく。やっぱり看護の知って他者から言われて気づくことが多い。だから自分は人のを言ってあげよう、このサイクルがないと看護の知は見えないんだ、看護の知は見えにくい、と思いました。

推薦された中の一人に救命センターのナースマンがいます。この人は何で推薦されたかというと、急変の対応がピカイチの救命のナースマンだからです。彼は、「僕以外に急変対応の上手い先輩がいるのになんで俺なんだ」って言ったそうです。私は今ナースサポートセンターのセンター長と4病院の統括看護部長という役割となったのですが、このナレッジ交換会は好きでよく時間があれば見に行っています。この日は彼でした。北海道出身の彼が看護師になったきっかけはどこかの病院の一日看護体験です。老人の方を車椅子で移動した時に、そのおばあちゃんが「優しいってことは人としてとっても大事なことで、看護婦さんっていうのは人に優しい仕事だよね」って言われたそうです。それでやっぱりナースになろうと思って看護学校に入って、卒業して近くの病院の手術室に配属になったそうです。その一年目まだ何カ月の時に多分恵庭基地の事故だと思うのですが、ミサイル訓練事故で肩を切断した緊急患者が入ってきて緊急オペ。たぶん助からないよって言われてたんですが、自分は新人で何も出来なかったけども先輩達がきちんと動いて無事に病室に帰して、なんとその方が退院できた。そしてそれからも、そういうような患者さんが多くきたけれど、何か系統的対応、ケアじゃない。もっとしっかり学びたいと思って、テレビでマリアンナのナースの放映があり、マリアンナの救命センターで働きたいという気持ちが高まった。そして、4年目で北海道から移りました。手術室で3年の経験があったのに、救命センターではゼロからのスタートとなり、出来た自分から出来ない自分を思い知って、辛い日々だったようです。でも、勉強するために来たので様々な勉強会に出た。

そんな中で、ナレッジ交換会に推薦されました。ナレッジ交換会は必ず事例を入れてもらいます。記憶に残った患者さんの事例を。その中の彼の最初の事例は90過ぎのCPAの女性でした。外来で必死に皆で救急蘇生をしたところ、意識は戻らなかったけど2週間生きた。90過ぎた人がたった2週間で何の意味があったって思いがちですけれども、この2週間の中で90過ぎのご主人が付き添いたいと言ってきました。救命は付き添わなくていいんです、私達が見ますからって言ったのにどうしても自分はやりたいと。そして昼間だけ付き添ってもらいました。髪をとかしたり、手を握ったり献身的に意識のない妻のそばでケアをしていました。それを見守っているナース達もご主人まで倒れてしまうのではないかと大変だったと言っていました。そして2週間で亡くなりました。亡くなったあと出棺の時にご主人は涙を流しながらナースに近づいてきた。「私は亭主関白で会社人間で、ずっと家庭を顧みてこなかった。もしあのまんま妻が死んだとしたらこれから後悔の人生を送らなければならなかった。2週間生かしてもらって本当にありがとうございます」と言って帰っていったそうです。彼はそのご主人の言葉から、自分にとって「救命の看護って命と家族を大切にした看護」なんだと思った。救命センターの患者さんって自分たちナースが見逃したら明日がない人達の看護をしてるんだっていう事がわかり、今自分が大切にしている事、「命、患者さんや家族の思い」、そして自分に負けたくない、仲間とモチベーションを共有したい、とナレッジ交換会で発表しました。

彼が語ったもうひとつの事例は、60代の認知症のある方が脳梗塞で入院して5日目の夜でした。いつも夜不穏になるので医師から指示で薬が用意されていた。ナンバー2まで薬は用意されていた。いつもよりナースコールが多い。そして肩が痛いと言う。いつもの不定愁訴と不穏と思って湿布や指示の薬も使ったけどちっとも寝ない。これまでの4日間とちょっと違う。そのうち心電図でPVCが出てきて、けれどもバイタルサインは安定していた。医師に電話しました。「先生この患者さんこんな不穏で、今PVCが出て、でもバイタルサインは安定してます。」って言ったら医師は、「指示の薬飲ましたのか」と聞いて、「飲ませました」「じゃいいよ。バイタル安定してるんだろ」って。先生は電話を切ろうとするんですけれども、彼は何かやっぱり5日目だけど今までの4日間と違うからとにかく来て見てもらいたかった。でも先生はいいよって言って切ろうとするのをなんだかんだ言ってしつこく粘ってやっと来てもらった。「じゃわかったよ、行くよ」って言って救命センターに来て、彼の顔見て先生は「心電図でも取るか」と心電図をとったら、先生が「あっ」と言って、「循環器の先生呼んで」と。循環器の先生が来たらもう即座に心筋梗塞だって言って心カテ、それからその日のうちの手術、そして術後はハートセンターに移って。その人どうなったのって聞いたら、無事退院できたということでした。

彼はこの2事例を出しながら、きっと抑制帯や注射等で肩が痛いって思ってもみたが、でも何か違う。医師の知は客観性第一のバイタルですので、客観的なデータが安定してたら大丈夫だと。でも看護の勘ですよね。これまでの4日間とちょっと違う、だからとにかく来て見てという事で。このことは実は看護の重要な部分がでています。彼は今急変対応のトレーニングサイトのインストラクターになりたい、という夢が叶って指導者になっています。ナレッジ交換会の最後に、あなたの優れた知を皆の前でよくぞ語ってくれましたという事で表彰状と登録書を渡されました。そしてその時に聞きに来てくれた救命センターの応援団と撮ったのがこの写真です。実はこの一枚の写真の意味を彼女らは知らない、わかんなかった。私はこの一枚の写真を見せてもらってこれこそが“実践共同体”という価値を共有したチームじゃないかと思いました。ナレッジ交換会が終わってから彼にも言いたい事があったし、チームにも伝えたい事があったので、しつこい私は、やっぱりやれてる看護の実感をきちんと感じてもらいたいと考え、 “看護の見える化”という研修の中で彼にもう一回悪いけど同じこと話してくれないって言いました。ナレッジ交換会と同じことを話してもらって、ここで彼に質問しました。「あなたが大切にしてる看護って何?」って聞いたら、やっぱり急変対応をきちんとすることと家族看護。でも家族看護は救命では十分に出来ないって嘆いていました。家族看護って彼は、患者さんと家族とナースのコミュニケーションがよいことを家族看護ってとらえていた。さらに私は「あなたの発表してくれた2週間生きた患者さん、あのケア。救命センターの究極の家族看護って何よ」って投げかけたんですね。患者さんはたった2週間で死んじゃったけど、あなた方がその2週間を生み出したことによって、ご主人は後悔の人生を送らなくても済んだ。その家族が一番欲しいものは命を救ったということだよね。家族看護ってコミュニケーションをよくすることだけではなく、あなた方がやったことこそ究極の救命センターにおける家族看護だよねって言ったら、「はぁー」って言ってちょっと家族看護の考え方が深まったという感じがしました。

もう一つ私は、救命センターに是非直接行ってあの写真の意味を伝えたいと思いました。看護部長でもない、サポートセンターの私が救命センターに行きました。彼がいることを勤務表で確かめて、「ねぇちょっとだけ彼と話すことできないかしら・・・」って言ったら婦長は、「30分だったら大丈夫ですよ、処置室空いています。」と言ってくれました。私は彼を処置室に連れ出して、「ねぇねぇこの写真の意味、何気なく終わって、皆とやったねって言って記念に撮ったかもしれないけど、あなたを推薦したチームメンバーと発表会が終わった後写真をとったということは、あなたの成果はチームの皆の成果だよね。この写真の一枚の意味はとっても大事なこと・・・」という事を伝えました。そしてそのことを彼ではなくもう一回救命センターのみんなに伝えたいと思いました。その後一ヶ月くらいして、救命センターのカンファレンスで一時間だけ時間もらって、もう一回彼にナレッジ交換会と同じことをまた話して欲しいとお願いし、3回目ですが話してもらいました。その中で彼の考えている看護についての確かな広がりと深まりを感じました。そして、まだしつこく私は追いかけて文字にするように言っているのですがなかなかしないんです。ですから最後はそこまでしなくては、と思ってます。

4月に入る新人の実践入門編というコースがあり、いつもは技術演習等をやって早く覚えてもらうようにやってましたが、今回は“目指す先輩”ということで彼と何人かに出てもらいました。“ナレッジ交換会”から、そして “看護の見える化”の中で彼をゲストスピーカで呼んで、それから救命センターに私が出掛けて行って、そして伝えて。私が出会った一人、しつこく追える人はとことん追って、そう沢山は出来ないんですけど、出来ることはやっています。私はこのしつこさはB型だからと思ってたんですけれども、今日はやっぱり日赤のこのこだわりっていうか、実践へのこだわり、場も時も限界はあるのですが今出来る私のやれることをやるっていうのは、これはもしかしたら日赤で仕込まれたものじゃないかという事を今回考えました。どうもありがとうございました。

 

川上潤子さん(日本赤十字社医療センター)

なんだかすごく大きな先輩方の話の後に非常に緊張しております。最初このテーマを頂いた時に私にどんな話が出来るのだろうと実際ひどく悩みました。ただ色々な振り返りを通して感じられた事ですとか、考えたことですとか、あと今私が実際師長として色々なスタッフと接していて感じていること等を話させて頂ければなと思っております。よろしくお願いいたします。

私は1986年に日本赤十字看護大学に入学いたしました。4年後の1990年に医療センターに就職しました。師長になったのは2003年で今7年目を迎えております。私は大学の1回生として1986年に入学致しました。大学で受けた教育の中で色々な事を言われたような記憶があるのですが、やはり何でもかんでも自分でまず決めなさいと言われたのが凄く最初はびっくりしたことでした。寮生活を2年間過ごすにあたりましても、短大の先輩方と、その時大学は大学はって言われ続けられまして、大学生と短大生は違うのだから自分達でルールをまた考えなさいと。一緒に住んでいるのにどうしてなんだろうって思いました。他には、とにかく授業の中でもグループワークをするにあたりまずあなたはどう考えるのか、どうしてそう考えるのか、じゃあそれを形にしてみなさいということをずっと言われ続けて、そればかり頭に残っています。実習の中でもそのようなフィードバックがいつもあり、その度に固まっていたような記憶があります。だけどやはり何で大事なのかというのが分かってきたのが相当後だったのかなっていうのは今感じております。

とにかく自分の考えで自分でやりなさい、あとは自分の考えを述べなさいと。自分で動いてまず自分でやってみなさい。あとやはり患者さんの見方で全体像をとらえる必要性というのは樋口先生から凄く良く教わった記憶があります。世の中にはいろんな人がいるわけだから、その色々な人をまずいるって言う事を認めなさいから入って、個別性の事ですとかそういうことを凄く良く学ばせて頂いたと思っています。その中でもやはり自分のペースじゃなくて患者さんに合わせた看護をしていきなさい、という事を色々学び、赤十字について学んだ記憶が最後の方にちょこっと。こういう事を何度か日々考え続けていたような4年間だったように思います。

臨床に入って、絶対自分は出来ないと思いながら臨床に行ったのですけれども、やはりまず落胆しました。とにかく自分が何も出来ない。やはり一番最初には、まさかゴム便器ぐらい入れたことあるでしょうみたいな感じだったのですけど、ゴム便器もどっちが上でどっちが下か分からない。実際このぼこぼこしたものをどうやって動けない人の体に入れるのだろうっていうのが分からなくて。先輩もあきれたような感じだったのですけれども、本当に根気強く教えて頂いた記憶があります。ストレッチャーを押して検査室に行くのも、スピートがやはり急いでて凄く早かったのか、患者さんに叱られてその後泣いた記憶があります。その後先輩がどうしてあんなに早く押したのか、そこから聞いて下さったので頭ごなしに怒られずにそこでもまた涙を流していたような記憶があります。本当にそれだけでなく、まずシリンジが持てない、点滴を詰められない、あとIVH高カロリー輸液バックに入れるのにべとべとにしながら、夜中そっちの掃除の方が時間がかかったような記憶があるくらい、本当に落胆しました。こんなことは確かに教わってないし、ゴム便器も見たこともなかったと思うので、差し込み便器だけだったんですね大学の時は。非常にとにかく、とにかく本当にショックを受けた毎日でした。ですが先輩方はやはりどうしてそうやったのか、まあどうして出来ないのと言われたことも何度もあったのですが、まず大学で言われたように、どうしてあなたはそうしたのかという事からきちんといつも入ってきてくださったので、凄く救われましたし、凄く涙が出るくらいにいつも先輩方は凄いな凄いなとばかり考えていたような気がします。あとはやはり先輩方を見て、本当に大勢の患者さんの一つの変化も見逃さずに何でもできる先輩方というのは、何かとにかく凄いと思った一年間でした。

やはり患者さんに関しても、患者さんは今何が一番大事なのって感じでいつも聞かれて、それをカンファレンスで話したりとか、医師達と話したりとか。あとは丁度病棟がプライマリーナーシングを始めようという動きが起きていた頃ですので、色々な勉強会をしたりなど、そのようなことで新人時代を過ごしました。本当に何にも出来ない新人時代を過ごしつつ2年目になっても特に何が出来たわけでもなく、どのように自分が成長過程をたどってきてここまで至るかというよりも、トータルして考えるのですが、師長になるまでは十数年の本当に短い臨床経験で、現場を15年もないくらいの臨床経験で師長に今なってるのですが、やはりいろいろ学んできたものを振り返りますと、自分で考えて実践していくことの重要性ですとか、患者さんの苦痛の緩和とか安楽を第一優先にした根拠のある看護実践とか、大学では理論理論といろいろ理論を教わったんですけど、理論だけじゃないなっていう事、だけどそれに裏付けされた実践があるんだって言う事とか、その理論よりもまずケアを、手を出してケアをしなさいっていう事を非常に学んできたと思っております。手を出す実際のケアという事もあるし、患者さんの話をじっくり聞く傾聴ということも学んだ気がします。じゃあ今私がここで、私には技みたいなものはないので実際自分が学んできた看護とか、先輩方から継承されてきた、そういうものをいかに後輩ですとか、入ってくる新人さんですとか、臨床実習に来られる学生さんに伝えていけばいいのか、どういう風な役割を取ればいいのかということを少し振り返ってみました。

師長になり7年目ですけれども、実際に色々なスタッフの方と話をしていて、日赤には師長としてだけじゃなくて一人の20年近い臨床看護師をずっと続けてきた看護師の一人として、やはり患者中心の看護ですとか看護技術ですとか実践能力とか、信頼される看護を提供していきたいなというような事はずっと考えております。今ベテランの看護師さんが私と一緒に働いておりますし、その方々に色々なお話を聞く機会があります。実際にそういう方々が持ってらっしゃる技術ですとか、その察する力ですとか、患者さんに対する関わりだとかがなかなか若いナースや新人さんに伝わっていかないというのを感じながらここ数年来ております。実際そういう方々と話したことがありますが、どのように若い子たちに伝えていけばいいか分からないとか、あまりこういちいち言うと煩わしいと思われるとかうるさがられるからどういう風に言えばいいか分からないのよっていうのを経験31年目ぐらいの看護師さんが話をしてくれた事もありました。実際どういう風にケアをしているのかというと、ベテランさんと新人さんが一緒にペアを組んで清拭ですとか色々なケアに入ることがそれほどに多くないって言う事もありました。そういう場でも色々な指導とか色々なお話が出来ないって言うベテランさんもいました。やはり先輩の技術を見て、実際ゴム便器の入れ方は先輩のやり方を見て自分なりにやってみたりとかしたのですが、そういうのも少なくなってきているのかなと少し感じているところではあります。

2年前に皮膚科の天疱瘡の患者さんでしたが、体中水泡が出来て痛くて動けなくて、毎日毎日の全身の消毒と包帯交換とシーツ交換と寝衣の交換がありました。凄く痛みが強かったのですが新人さんと一緒にケアをやったことがありました。新人さんといいましても9か月目ぐらいに入っていましたが、一緒に、まだMRSAがついていましたもので、凄く動きにくい服装、予防衣を着て手袋ももちろんつけて入りましたが、新人さんはまるっきり手が出せなくて。この9ヶ月、寝たきりの人のシーツ交換はしたことがないとは言わなかったのですけれども、全然できないことに自分でもびっくりしたような記憶があります。実際その場では患者さんもいるのでとにかくどうにか一緒にやったのですが、それを先輩のスタッフに言いましたら、「そうなんですよ。出来ないんですよ」というような返事がきて、師長だったのですが返す言葉がちょっとなくて、どうしたものか考えてしまったという経験がつい2年前にあります。そういう中でも新人さんは一生懸命やったと思うのですが、なかなかこういう技術ですとか色々なものの習得ですとか、そういうものを学ぶ、現場で学んで頂くにはどうしたらいいかなと考えてしまった経験がありました。新人さんの中には夢を持って就職してくる方もいますが、実際現場には看護がないと、大学では生活援助が出来たけど現場では出来ない、やはりリハビリのような仕事の方が良いって言ったスタッフもいましたし、こんなにたくさん人が死んでいくのは耐えられない、非日常は耐えられないから等と言って病棟で勤務が出来なくなった新人さんも中にはいました。業務改善の話を皆でしていく時も看護業務をこなすとか言う、忙しいので看護業務をこなすとか、ナースコール対応をやっつけ仕事的に表現するスタッフもいて、そのつどそのつど私が言うのもなんか、どういう風に風土とか考え方とか変えればいいのかなと悩みながらきているところではあります。

ただ全てがそういう新人さんや若い子だけではなくて、やはりあのような先輩になりたいなと私に言って来るようなスタッフたちもいます。それが本当に唯一の私の心の救いでもないですが、私もじゃあ頑張ろうって思うようなところにはなります。それでどういうスタッフになりたいのかとスタッフとも話をしてたのですが、ある一人のスタッフは、整形外科にいたときに、頸椎の手術の日の夜なんですけれども、もともと細かい所までお話して下さる患者さんでしたが、枕の高さが合わないと非常に辛いんです。ちょっとでも良い位置にとどまらないと全然眠れないし痛みは来るし、と言う中でそのスタッフは枕を変えてみたり、バスタオルを使ってみたり、体の位置を変えてみたりと、色々としたのですけれども最終的に彼女がやったのは、枕を切って綿を調整して、それでやっと患者さんに安心して眠っていただけた。その次の朝に彼女は、「すいません枕を一個切ってしまいました」という事を報告してきたのです。なんだかとても患者さんには感謝されて、「これが看護なんですね」と彼女は表現したのです、枕をつぶしたとか枕の中の綿を抜いたのは衛生的にどうかという事はさておいて、その様にのびのびと考えたことが出来るような場の提供というのが必要なんだなというのは感じました。あとベテランと色々相談してやはり首の手術の後の人ですが、痛みどめに依存しがちな患者さんをどうしようかと話したときに、やはりマッサージなどしながら話しをじっくり聞いていくというような話合いの中で、彼女は若いナースだったのですけれども実際やって、それを事例発表にして凄く良い学びが出来たっていう事を言っていたスタッフもいます。やはり、語り合える場ですとか、それを実践できることですとか、自分の考えた看護をどうにか今あるものの中で工夫しながらやる力っていうのは凄く大事ですし、大事にしていきたいなと。私が今それを実際に夜勤で一緒にやれるわけではありませんが、そういう事が出来るような環境作りというか、場の提供というか、そういう話し合える場とか、そういうものを今大事にして伝えていければいいのかなというような事を考えました。

私が出来る事というのは、人に技を伝えていけることですとか、そういう事は到底出来ないのですが、赤十字で働いている看護師が赤十字が大事にしているものを伝承できる、自分で考えた看護を実践していける環境を提供する、一緒に考えたり一緒に取り組むって言う事が大切なのではないかなと思いました。今回このようなテーマを頂きお話させていただくことで私自身色々振り返ることが出来まして非常に今後についても考える良い機会を与えて頂きました。ありがとうございました。