研究室のメンバーである小黒道子は、ミャンマーでの実践・研究活動を通じてマ・トゥザ・ミン(以下、マトゥザとします)というミャンマー人女性と知り合いました。マトゥザは学生の時、近所に住んでいた残留日本兵の「忘れてしまった日本語で手紙を書きたい」との願いを叶えたいと、僧院で日本語を習い始めます。その後日系企業での勤務、日本での滞在経験を通して高い日本語能力を身につけました。

マトゥザはある日、仕事で訪れた国境付近の街で、HIV/AIDSに人生を翻弄される人々の存在を知ります。HIV予防の知識を得る機会もなく生活のため国境に出稼ぎに行きHIVに罹患する人、帰国後の配偶者感染、産まれた子どものHIV感染、AIDSを発症して亡くなっていく親たち、残された子どもたちのことなどが頭から離れなくなりました。

その後マトゥザは、残りの人生をHIV孤児の養育に力を注いでいこうと決意します。現在は、日本の医療系NGOのスタッフをしながら子どもたちを支えています。ミャンマーで活動を続ける小黒は、現地訪問に合わせてマトゥザの活動をバックアップしています。この報告書はそのバックアップに対してマトゥザが書いたものです。文中の文房具とは、昨年日本から届けた文房具のことを指しています。


ご協力いただき誠に有難うございます!

エイズで親や片親を亡くした子達。。。その地域では健康知識が無いため親戚や回りから差別を受けていますが、日本の皆さんが「あなたたちに勉強を頑張ってほしくて遠い日本と言う国から支援してくれたものですよ。」と話をして写真を見せたら大人まで喜んでいました。 子供たちから勉強を頑張るという約束を貰いました。

皆様からいただいた文房具を使わせていただき子供達に将来になりたい事を絵で描いてもらいました。 シャン州の子供たち以外にも、ナルギスで親を亡くした子供たちにも鉛筆や色鉛筆を支援できました。今年、学校が始まる直前に子供達の手元へ届けることが出来ましたので誠に有難うございます。

 

左:シャン州の子供たち 右:サイクロンの被害を受けて親を亡くしたエヤワジイの子供たち

男の子はエンジニアさんや軍人や警官になりたい子が多いですが、女の子は看護師や学校の先生になりたい子が多いです。

(追記) 出来る限り勉強をさせて知識を与えたい。。。 体も心も自立できて新しい環境を作ってほしい。。。と強く思います。

 

Nan Shwe Kyar(8歳)
2008年6月1日 2008年9月22日 2009年4月15日

世の中を何も知らずに生まれてきて、1歳違いの下の弟の出産の前にお父さんが亡くなった、出産と共にお母さんがなくなった。その4人兄弟を72歳のお祖父さんが面倒を見ていた。

生まれた時にAIDS感染されたNanShweKyar(8歳)には大きいな夢があります。「大きくなったらお医者さんになりたい。!」。。。でもその夢は生まれ変わらないと叶えないのではないでしょうか?

2008年9月から症状がひどくなり学校に通うことが出来なくなりました。 StuffのNanMweさんの娘さんと同級生なので「学校の先生は自分の事を何か聞いてる!?」と聞いてきた。 学校に行きたい!と言ったので「今年、学校が始まるとき早く元気になって学校に行こうね」と言った私の胸は痛かった。その病気でその子の命がいつ奪われるのでしょうか?。。。AIDSで親を亡くし、周りから差別されて、お祖父さんの稼ぎできびしい生活。。。それでも負けず夢を持って頑張ってきましたが、その子が生きる時間が迫ってきたと思います。

 

2009年04月20日 大好きなお兄さんや弟とShweKyar

2009年5月12日に ShweKyar は亡くなりました。

 

Nan Kyan Shan(15歳)

生活が厳しいと逃げ出そうと思うのが当たり前のことで、逃げ出すのは良いけど。。。どう言う所を選ぶのか!? 一番大事だと思います。

当時13歳の彼女に周りの人が国境(ミャンマー、タイと中国)に出て働くように色々と誘われたので彼女自身も家の厳しい生活を解決できたらと考えているそうでした。

そのときに私が「AIDSと言う病気で親が亡くなったよね。自分が兄弟たちを守るために犠牲にしよう。。。と思って国境に出て働く。。。としたら親と同じ病気が移る可能性もありますよね。もしあなたがその病気になっても兄弟を守るためにしょうがない(仕方がない)と思っているかもしれない。でも、あなたから他の男たちに感染してその人から奥さん、子供に感染しあなたと同じような辛い思いをする訳ですね。」と言ったら。。。涙を流しながら「分かりました。」と一言を言ってくれた。彼女の本音は美容師になりたい!それでチャントンにある 美容室に通って勉強してもらいました。ただ半年間でちょっと出来るようにもなって、今9ヶ月近くになって1ヶ月間に25000チャットのお給料が貰える様になりました。彼女のお給料で毎月お米1表を買えるようになりました。それを見て私は何よりもうれしく感じました。

勉強して9ヵ月後に私が彼女にカットとシャンプーをして貰っているところ

 

エイラァさん(26歳)

兄弟5人で長女です。17歳年上のお金持ちの男性が親に家も建ててくれてお金や金で作った指輪やネックレス などをあげて結婚を申し込み、親に説教されて18歳のときに結婚しました。その後双子の可愛い女の子が生まれました。次男の妊娠中に旦那さんがなくなった。次男が生まれて6ヶ月のときに熱と下痢が繰り返し村でどうしても治らなくてお医者さんに見てもらうことにしました。診断後に教えてもらったのは次男にエイズと言う 病気になっていることでした。自分から感染したことと治せる方法が無い病気であることでした。2ヵ月後に次男も亡くなりました。自分は遠くない間に死んでしまう。。。これから生き残る幼い2人の子に何かを残しておきたい。。。と言うAyeLarさん。。。

彼女と私はお医者さんの紹介で出会いました。国境の方に働きに行く前でした。 彼女はたまたま運が良かったと思います。1年間に10人しかもらえないAZTと言う薬が当たりました。 その彼女に私が「今、2人の娘が一番必要なのはお母さんのあなたです。物はいくらでも代わりがあるけど。。。お母さんと言う人物だけは変わりに無い。世の中に女の人は数え切れないほどいる。お母さん!になれるのはただ一人しかいない。一緒に暮らせて解決できるような事を考えたら。。。」と言う話をしました。そして、初めて50ドルを出して燃料を売りはじめましたが、毎日の収入にならなかったです。彼女がおかずを作って売りたいといいました。おかずを売り始めてから毎日のご飯は売り残ったもので食べられるし、毎日1〜2ドルの収入も出来ました。

 

5人兄弟

左から長男Kyaw Sein(12歳)、長女、三女ノワインセイ(13歳)、次男、メセイラ(次女)

生まれたばかりの弟を入れてその5人兄弟に1年も立たない内に。。。エイズでお父さんが亡くなって8ヶ月間の後にお母さんが出産と共に亡くなりました。祖母も75代後半で自分たちが働けないので結婚している娘2人の家に交代に頼っています。2人の娘にもそれぞれ子供が4人と5人います。元々自分たちの家族だけでもぎりぎり生活しています。ご飯はあるものを分け合って食べさせてくれていますが、学校に行かせることはとっても じゃないけど出来ない状態でした。

メセイラは去年の高校の試験に合格出来なかったので今年もう一同受けることになりました。勉強に 集中出来るように弟の面倒を3番目の妹ノワインセイが見ることにするみたいです。

ノワインセイ(13歳)

2年前にお母さんがエイズで亡くなった事で学校にいじめられた。親友に知られて相手にされなかった 事が一番大きかったと思います。彼女はショックを受けて学校を辞めてしまいました。違う学校に通わせようとしたけど、どうしても駄目でした。彼女は服を作り縫う仕事がしたいと言ってきましたが、高校生のお姉さんと4番目の中学生の弟の学費が高いのも一つであります。お姉さんが高校卒業までに我慢して家事を手伝いながら一番下の子の世話をすることになっています。お互いに譲り合うことは当たり前のようです。

Kyaw Sein(12歳)

彼が通っていた学校は小学校しか受けることが出来ません。中学校に行くために毎日通うことには遠過ぎて中学校の先生の家に泊まり込みで通うことになりました。彼と同じような子も何人かいます。1年通うためにお米が4表と80000チャットで(約150ドル)です。彼が将来警官に成りたいと言うことなので順調で行けば、後3年後に高校卒業で警官の学校に入ることが出来ます。

 

親子3人

 

左:2008年5月12日に尋ねて来た親子3人
右:2008年5月26日に村の訪問のときに取った写真です。お母さんは2008年9月11日に亡くなりました。

4人の子供がいる6人家族です。親にエイズの症状が出ているので1週間に2〜3日しか働けないです。9歳の長女を村長の知り合いの紹介で養子に出すことにしました。連絡先も教えてもらい、顔が見たいときに いつでも見に来て良いと言う約束でした。お母さんの最後のときに会わせてあげようとして6ヶ月後に教えてもらった住所に行ってみたが、その住所での住宅は無かったです。長女は行方不明の状態。。。 次女は村から通っている教会での修道女が面倒見て貰っています。日曜日に教会に行くときに会えるし、学校もちゃんと行けています。お父さんと三女と長男が一緒に暮らしています。


2009年4月14日に制服や文法具や学費を取りに来たお父さんと娘2人。

2009年8月23日にスタッフのNanMwe さんが家に訪問するときにお父さんは寝込んでいて、自分が死ぬ前に子供を連れて行ってほしいと言われ、長女の事を始めて教えてくれました。スタッフのNanMwe さんの家に連れてきましたが、私はなるべく早く休日 を取ってヤンゴンに連れてきて一緒に暮らしていくことにします。

(追記) お母さんが亡くなった後にお父さんの態度がおかしいと思ったけど、話を聞いてやっと分かりました。 電話を切った後に胸が苦しくなった。自国では同じ事情で消えていた子供達は何人ぐらいいるのでしょう!? どうしたら良いか?私が出来ることが何なのか?