歯科医師の医業研修(医科研修)に関する法的検討

日本医事法学会(2003年11月30日)

大阪歯科大学 佐久間泰司


目次
序文
1.問題の所在
2.医業と研修
3.歯科医師の医業研修と憲法22条
4.厚生労働省通達
5.札幌事件
 1)医師法17条違反について 2)違法性阻却事由について
6.歯科医師の医業研修と医師法17条の成立要件
 A)構成要件該当性 B)違法性 C)違法性阻却事由
7.終わりに
注釈
謝辞
参考図書


序文

 このたび越智先生(県立新居浜病院麻酔科)のお薦めにより、03年11月30日開催の日本医事法学会で「歯科医師 の医業研修(医科研修)に関する法的検討」と題して発表しました折に、レジュメと して参加者に配布いたしました資料を掲載します。この資料は、発表の場で間違いに 気づいて削除した注釈7(したがって注釈8以降は番号繰り上がり)以外はレジュメと同 一です。発表は画像を用いず口頭で行いましたので、スライド原稿などは、もともと 存在しません。

 このレジュメは発表内容と微妙に異なります(発表では札幌事件の確定判決がガイド ラインに優先され、ガイドラインが無効になることを強調しました)。後抄録が04年 8月に年報医事法学第19号(日本評論社)に掲載されますので、正しくはそちらをご 参照くだされば幸いです。

大阪歯科大学歯科麻酔学助教授・歯科医師 佐久間泰司


2003/11/30 日本医事法学会レジュメ:

歯科医師の医業研修(医科研修)に関する法的検討

大阪歯科大学 佐久間泰司

1.問題の所在

 顎骨骨折など口腔外科疾患のための手術や全身麻酔は,医業であると同時 に歯科医業である。歯学部では口腔外科手術やその全身麻酔は,多くは歯科 医師が担当している。ところで手術が口腔であろうが口腔以外であろうが, 全身麻酔に要求される手技や知識に大差はない。鎮痛薬などの薬物アレルギ ーに対する2次救命処置も同様である。そこで過去40年以上,歯科医師の麻 酔や救急処置の研修は,歯学部のみならず医学部や病院の麻酔科や救急部で も行われてきた(
注1)。研修内容は気管挿管,呼吸循環管理や救急処置などであ るが,手術が口腔外科領域であれば歯科医業とされる行為であり,行為その ものは歯学部でも日常的に行われている(注2)。研修は麻酔科専門医など学会指 導医資格を持つ医師の直接の指導のもとに行われ,歯科医師が独立して医業 を行うことはない。

 この医業研修の合法性について厚生労働省はこれまで一切の行政指導を行 なってこなかった(注3)が,平成13年に札幌保健所からの照会に応じて違法との通 達を行い,本年3月には札幌地裁も違法と判決した(控訴中)。札幌地裁は 医師法17条を厳格に解釈した。ところが厚生労働省は前述の通達の後,一転 して一定の要件下での歯科医師の医業研修を認める通達を出し容認に転じた。

 歯科医師の医業研修の是非は医師法17条の解釈の問題であるが,これを厳 格に解釈することは参加型実習に切り替わりつつある医歯看護学生の臨床実 習の合法性議論にも影響するであろう。本稿は歯科医師の医業研修の合法性 について検討するものである(注4)。


2.医業と研修

 医師法17条は「医師でなければ,医業をなしてはならない」としている。 歯科医師の医科研修は医業ではなく研修という別のものであり,医師法17条 は適用されないという議論がある。医業とは「医行為を業とすること」と解 されている。そこで「医行為」および「業」の概念を整理したい。

 医行為の概念には種々の説があるが,通説は「医師の医学的判断および技 術をもってするのでなければ人体に危害を及ぼす恐れのある行為」とされて いる(注5)。麻酔研修や救急研修は,直接身体に侵襲を加える行為であり,医行為 に該当すると考えられる(注6)。また業は反復継続意思説が判例,通説であり,麻 酔や救急研修は数ヶ月ないし数年の研修期間を想定しているので,反復継続 の意思は明白である。したがって医業ではなく研修であるとの主張は根拠が ないと考えられる。もっとも医師の指示のもとにこれらの行為を行ったので あれば診療補助行為と解するべき余地もある。医師にしか許されない絶対的 医行為であれば格別,相対的医行為は保助看法31条を適用すべきだからであ る。

 もっとも研修の態様によっては,医業に該当しないと考えられる場合があ る。ひとつは医師たる指導医の手足となって研修を行った場合である。医師 が医学的な判断を行い,研修医たる歯科医師が医師の指示通りに忠実に動い た場合,その行為は医師自身の行為とみなされる。歯科医師の行為ではない ので,歯科医師に医師法17条違反を適用する余地はない。もうひとつは突発 的な事態に対して医師が到着するまでの間,緊急避難として医業を行う場合 である。反復継続の意思がないので医業には該当しない。

 ところで例えば抜歯は医行為であると同時に歯科医行為であり,医行為に 該当する行為であっても歯科医行為と解する余地はある。歯科医行為を「歯 科医師の医学的判断および技術をもってするのでなければ人体に危害を及ぼ す恐れのある行為」と解釈すれば,歯科医師法17条をもって歯科医師の医業 研修を合法化できるのではなかろうか(注7)。


3.歯科医師の医業研修と憲法22条

 憲法22条に職業選択の自由を認めているにもかかわらず医師法17条が規定 されていることについて,学説・判例は国民の保健衛生上の危害を防止する という公共の福祉のために業務独占が認められるとしている。

 ところで職業選択の自由は社会・経済的活動の自由であり,純然たる精神 的自由に比較して公権力による規制の要請が強いとされるが,他人の生命・ 健康への侵害を防止するという消極的・警察的目的を達成するための制約 (内在的制約)は必要最小限のものにとどまることが要請される(注8)。このため 一定要件下での歯科医師の医業研修のような他人の生命・健康を侵害しない ための方策が設けられている場合,業務独占の合憲性は「厳格な合理性」の 基準で判断されるべきであろう。医師法17条は無資格者を排除することで生 命・健康への侵害を防止することが目的であり,歯科医師の医業研修という 歯科医療の発展に不可欠な制度を本条で排除することは,目的と手段の均衡 を著しく失していると考えられる。


4.厚生労働省通達

 すでに述べたように歯科医師の医業研修に関して厚生労働省は,非常に広 範に行われていたにもかかわらず一切の通達も指導も行ってこなかった。と ころがのちに述べる札幌事件に関連して札幌保健所から出された照会に対し て,医政医発第87号(平成13年9月10日)により初めて態度を明らかにした。

 それによると「一般に,歯科医師が,歯科に属さない疾病に関わる医行為 を業として行うことは医師法第17条に違反する。単純な補助的行為(診察の 補助に至らない程度のものに限る。)とみなし得る程度を越えており,かつ, 当該行為が,客観的に歯科に属さない疾病に関わる医行為に及んでいるので あれば,医師の指示の有無を問わず,医師法の第17条に違反する。」として おり,歯科医師は医業に関しては,診察の補助に至らない程度のものに限り 行うことができるとしている。診察の補助に至らない程度の単純な補助行為 は無資格者でもできるのであるから,歯科医師の医業研修は認められないと 解される。

 救急研修に関しては,医政医発第0423002号(平成14年4月23日)により 「歯科医師が,救急救命処置に関する対応能力の向上を図るために医科の診 療分野において研修することは,一般的に医師法に違反するものではない。 ただし,当該研修が診療行為を伴う場合においては,診療範囲等に関する法 律上の制限が遵守される必要がある。」とし,研修の合法性を一応は認めた。 しかし一方で「診療範囲等に関する法律上の制限の遵守」を求めたが,この 時点では医政医発第87号が唯一の解釈であったので,診察の補助に至らない 程度のものに限り行うことができるという従前の解釈が変わった訳ではなか った。これらの解釈は医師法17条を非常に狭く考えたものであった。

 ところがその後,厚生労働科学特別研究事業で麻酔と救急に関する医業研 修のガイドライン(注9)が策定されると,このガイドラインを容認する通達(注10)を出し, 歯科医師のガイドラインに従った医業研修を容認した。現在はガイドライン に従った医業研修がなされている。


5.札幌事件

 そもそも医政医発第87号は札幌事件(注11)に関連して札幌保健所が行った照会に 対する回答である。

 この事件は,市立札幌病院救命救急センターにおいて,同病院歯科口腔外 科所属の歯科医師(注12)が救急研修を行ったことに関し,救命救急センター長が医 師法違反の共謀共同正犯として起訴された(なお歯科医師は起訴猶予)。

 札幌地裁は研修歯科医の能力が劣っていないこと,患者の生命身体に具体 的な危険性が及ばなかったことを認めつつ,次のような理由から救命救急セ ンター長を罰金6万円の実刑としたが,被告は控訴した(現在係争中)。

1)医師法17条違反について

 弁護人らは医師の手足として各行為を行ったものであり,行為者は研修医 たる歯科医師ではなく指導医たる医師であると主張した。しかし裁判所は 「・・・指導医の指導監督を受けていたとしても,その行為は本件歯科医師 ら自身の行為と見るべきである。」とした。また「歯科医師が歯科に属さな い疾患に関わる患者に対してそのような手技を行うことは,歯科医師がその 手技にどんなに熟達していても,明らかに医師法17条に違反する。」とした。 この判断は医政医発第87号に忠実に従ったものである。またすべての行為を 医師法17条違反としているが,腹部の触診など診療補助行為と解する余地の ある行為について論を尽くした形跡はない。

2)違法性阻却事由について

 弁護人らは歯科の患者の全身管理等に関する技術を歯科医師に習得させる 必要があり,社会的に正当な行為として違法性が阻却されると主張したが, 裁判所は「・・・そこで行われる個々の具体的行為の実質的危険性の有無及 び程度にかかわらず,医師と歯科医師の資格を峻別する法体系下では許され ない。」(下線筆者)とした。


6.歯科医師の医業研修と医師法17条の成立要件

 以上の通達および判例をふまえ,医師法17条違反の成立要件を検討する。

A)構成要件該当性

 医師法17条の条文をそのまま解釈すると歯科医師の医業研修は構成要件に 該当すると考えられるが,次の2点で構成要件該当性を検討する余地があろ う。

 第1点はすでに述べた憲法22条との関係である。歯科医師が麻酔あるいは 救急を研修することは,安全な歯科医療の確保から不可欠である。しかも研 修ガイドラインが策定され,研修に伴う危険性が排除されるシステムが構築 されている。他人の生命・健康への侵害を防止するということ警察的目的の 医師法17条を歯科医師の医業研修に適用することは必要最小限に留めるべき である。

 第2点は,札幌事件の弁護人が主張しているような,研修医たる歯科医師 が,医師たる指導医の指導監督の範囲を逸脱することができない環境下に置 かれている場合は,当該医行為が指導医の行為であるとする考えである。同 裁判の弁護人は「本件各行為が,1)指導医の監督の範囲内の行為であること (指導医の監督から逸脱できない行為であること),2)口腔外科の現場にお ける基本的手技の範囲内の行為であること,3)指導医に直ちに連絡がとれ, 指示を仰ぐことができる場所的範囲内であること,4)救急研修が正規の手続 きを経て決定され,運用されていること,以上の各要件を満たせば,歯科医 師レジデントらの各行為は,指導医の行為そのものと評価することができる から,歯科医師レジデントの各行為は,医師法第17条に該当しないというべ きである。」としている。

B)違法性

 札幌事件の被告弁護人は可罰的違法性のないことを主張した。すなわち研 修が国民の健康と安全の確保という社会的に正当な目的を有しており,歯科 医療の現場において不可欠な知識・技術の修得に必要な医行為に限定され, 患者の安全に十分配慮されており研修によって具体的に侵害される法益はな いか極めて少なく,緊急事態に対処するための歯科医師の知識・技術の向上 により,国民の健康と安全が確保されるというより大きな法益の実現が期待 されるからである。

 裁判所はこれに対して「個々の具体的行為の実質的危険性の有無及び程度 にかかわらず,医師と歯科医師の資格を峻別する法体系下では許されない。」 と判断したが,この判断は弁護人の主張にきちんと答えたものではなく,単 に形式にとらわれた判断といえるのではなかろうか。

C)違法性阻却事由

 被告弁護人は違法性阻却事由として社会的正当性を挙げた。すなわち歯科 医師の医業研修は社会的に要請された正当行為であり,当該医行為を医師が 行った場合と同程度の安全性が確保された状況下で行われたと評価されれば 公衆衛生上危害を生ずるおそれはなく,社会的相当性を有する行為として違 法性が阻却されるというものである。

 歯科医師の医業研修の必要性は論を待たないが,これまで歯科医師が必要 性を国民にきちんと説明してこなかったのも事実である。また患者の身体の 安全は研修ガイドラインがない時代でも十分に確保されていたが,患者に対 する説明と同意など患者の自己決定権保護は不十分であった。しかし現在で はガイドラインが整備されて患者権利保護問題は解決している。今後は国民 に社会的正当性をアピールしていくことが必要であるとも考えられる。

 医業研修に関するガイドライン容認など厚生労働省が歯科医師の医業研修 の容認に転じ,ガイドラインに従った研修が全国で行われている現在,可罰 的違法性はさらに低くなっている。ガイドラインという法令規定(注13)に従った正 当行為として違法性が阻却される余地もあろう。


7.終わりに

 最初に触れたように医師法17条を厳格に解釈することは,参加型実習に切 り替わりつつある医歯看護学生の臨床実習,あるいは救急救命士の気管挿管 実習(注14)の合法性議論にも影響するであろう。

 歯科医師の医業研修は必要性が高いから40年前から広く行われてきたし, また研修ガイドラインも策定されて患者に健康被害が生じない方策が採られ ている。その前提を無視して医師法17条を厳格に解釈することは不毛の議論 といえよう。


注釈

  1. 本稿においてはこれを医業研修と称する。歯科の臨床現場では医科研修と呼ばれる。歯科医師の医業研修の必要性を論ずることは本稿の目的ではないので触れないが,当然に必要なものであるという前提で話を進める。

  2. 研修で行われる行為そのものは,疾患が歯科領域なら歯科医師が独立して行える行為であるということは重要な点である。このことは歯科医師の医業研修の必要性から考えれば当然ともいえる。

  3. 研修目的で歯科医師が医業に従事できるかについて厚生労働省はこれまで態度を明確にしてこなかった。このために広く一般的に歯科医師が医業研修を行ってきた歴史的経緯がある。ここに混乱の原因がある。

  4. 歯科医師の業務をめぐっては,歯科医師が独立して行える業務範囲の線引きの問題があるが,本稿はこの問題を扱うものではない。本稿はあくまでも医師の指導のもとに医業を研修目的で行う場合を論ずるものである。

  5. 診療目的が脱落しているのは,献血など健康体への医療行為や死体からの臓器摘出などに対しても医行為の概念を及ぼすためである。

  6. 歯科医師の医業研修そのものには見学など人体に危害を及ぼさない行為も含まれ,全てが医行為に該当するわけではない。

  7. もとより一定要件下の研修に限るべきである。

  8. 佐藤幸治 憲法3版 558. 芦部信喜 高橋改訂 憲法3版 206.

  9. 麻酔に関しては平成13年度厚生科学特別研究 歯科医師の麻酔研修ガイドライン策定に関する研究,救急研修に関しては平成14年度厚生労働特別研究 歯科医師の救命救急研修ガイドライン策定に関する研究で,歯科と医科の専門家によりガイドラインが策定された。

  10. 麻酔科研修は平成14年7月10日医政医発第0710001号で,救急研修は平成15年9月19日の医政医発第0919001号で認めた。

  11. 札幌地判平成15年3月28日 平成14年(わ)95号

  12. 実際は北海道大学歯学部第2口腔外科所属の歯科医師が救急研修を目的に同病院歯科口腔外科に赴任の上で救命救急センターに転属したもので、研修医の水準は非常に高かったとされる。

  13. ガイドラインはもちろん法律ではないが,ガイドラインに基づいて全国的に研修が行われ,臨床現場では法的確信を持って受け入れられている。慣習法類似の機能を持っているのは疑いない。

  14. 救急救命士には病院での医療行為が認められていないので,気管挿管実習が病院で行うことができるのか,という問題がある。救急救命士法44条2 救急救命士は,救急用自動車その他の重度傷病者を搬送するためのものであって厚生労働省令で定めるもの(以下この項及び第53条第2号において「救急用自動車等」という。)以外の場所においてその業務を行ってはならない。


謝辞

 このたび日本医事法学会でのご発表のレジュメのウェブ収載にご協力いただきました 、大阪歯科大学歯科麻酔学助教授 佐久間泰司先生に深謝申し上げます。

2003年12月3日

県立新居浜病院麻酔科 越智元郎


参考図書

古村節男・野田寛 編集代表 医事法の方法と課題 信山社


高知シンポジウム:歯科医師の医科研修問題