ヨーロッパ蘇生協議会(ERC)の心肺蘇生法ガイドライン 2005

第8部 蘇生と終末期の意思決断における倫理
(Section 8. The ethics of resuscitation and end-of-life decisions)

目次
はじめに
原則
事前指示
蘇生の試みを控える場合
蘇生の試みを断念する場合
蘇生を試みた後の治療の中止
蘇生中の家族立ち会い
最近死亡した患者における教育と研究
悪い知らせを伝えることと死別カウンセリング
小児
気持ちの整理
スタッフの感想を聞くこと
結論
参考文献
AHA G2005の関連資料


Resuscitation (2005) 67S1, S171-S180
European Resuscitation Council Guidelines for Resuscitation 2005

Peter J.F. Baskett、 Petter A. Steen, Leo Bossaert
(最終更新 070527)

■はじめに

 蘇生を試み成功すると、多くの人々に長期にわたる有益で貴重な命を、そしてその家族や最愛の人に幸福と安心をもたらして来た。しかし、その蘇生の試みが、単に苦痛と死へのプロセスを長引かせているに過ぎない場合もある。いくつかのケースにおいて、蘇生は患者の遷延性植物状態(persistent vegetative state、PVS)といった究極の悲劇に帰結している。蘇生を試みても70〜95%の症例では不成功に終わり、結局のところ死は避けられない。誰しも、尊厳を持って死ぬことを望んでいる。

 心肺蘇生法(CPR)を試みるか、もしくは控えるかという判断が適切に行われ、患者とその最愛の人が尊厳を持って扱われるためには、いくつかの倫理に基づいた決定が求められる。これらの決定は、個人的、国際的およびその地域の文化的、法的、伝統的、宗教的または社会経済的要因により、影響を受けるかもしれない1-10。時として事前に決定しておくことが可能な場合もあるが、多くの場合、それらの決定は緊急事態のその時ほんの数秒のうちになされなければならない。それゆえ、医療提供者は蘇生に関する決定がなされなければならない状況に置かれる前に、関連する原則を理解しておくことが重要である。

 ガイドラインのこの章は、次のような倫理的な事柄を扱う。


■原則

 4つの重要な原則は、恩恵(beneficence)、無害性(nonmaleficence)、正義(justice)、そして自主性(autonomy)である11

 恩恵とは、医療提供者が利益と危険を考えながら、利益になることを提供しなければならないことを意味する。一般に、これは蘇生を試みることを含んでいるが、場合によっては、心肺蘇生(CPR)を控えることをも意味している。それはまた、地域からの全般的な要求に応じることをも含んでいる。例えば、一般人が除細動器に接近するプログラムを確立することなどである。

 無害性とは、害のあることをしないことを意味する。蘇生は無駄に終わる事例では試みられるべきではないし、患者が蘇生を望まない場合も同様である(精神的に判断可能な状態で表明されたものに限る)。

 正義とは、ある社会の中で利点と危険を平等に広げる義務のことを言っている。蘇生が提供されるのならば、利用できる資源 の範囲内で、それから利益を得るであろう者全員が利用できるようにされなければならない。

 自主性とは、医師、看護師によってパターナリズム的な決断がなされる患者よりも、自らの利益のために、情報に基づいた決断を自ら行える患者に関連している。この原則は特に過去30年間(例えば、1964年の世界医師会総会などの)会合において、ヘルシンキ人権宣言や以降の改正および追加条項などのかたちで導入されてきた12。自主性においては、患者は適切に情報が与えられ、十分な判断能力があり、過度の圧力がないことと、患者の選択に一貫性があることが必要である。


■事前指示

 事前指示は多くの国に導入されており、患者の自主性を強調している。事前指示は、将来の治療(特に、終末期に関する)に関わる患者の希望を伝達する方法であり、患者が精神的に十分判断可能で、強要されない時期に表明されなければならない。事前指示はCPRを控えることも含む終末期医療に関して、制限を明確に記しておく事も可能である。

 事前指示という用語は、患者の選択を示すいかなる表現方法にも当てはまる。それには、患者、近親者と最愛の人、医師 や看護師との些細な会話も含んでいる。これは、患者が精神的に判断不可能な状態になった場合、医療提供者が患者の要望を評価する際の助けになるかもしれない。しかし、問題は起こり得る。親族が患者の要望を誤解している可能性があるし、患者の死(または生命を引き延ばすこと)にのみ興味があるかもしれない。医療提供者は、病弱な患者の生きようとする要求を過小評価しがちである。

 患者により記された書面の指示(written directions)、法的に認められたliving willや代行権限はこれらの問題の一部を解消する可能性があるが、限界がないわけではない。患者は、どのような場合に生命維持が控えられるか、中断されるべきかを可能な限り正確に記述しなければならない。これは、医学助言者の手を借りる必要があるかもしれない。例えば、多くの人は治る見込みのない末期多臓器不全の状態で、無駄なCPRを受けるという冷遇を受けたくないが、治療可能な心原性の心室細動(VF)が起こった場合は、蘇生を試みて欲しいと考えるであろう。患者は状況の変化でよく心変わりをする。それ故、事前指示はできる限り最近書かれたものでなければならず、いかなる状況の変化についても考慮されていなければならない。

 突然の院外心停止では、関わる者は大抵患者の状況や要望は知らず、事前指示が直ちに利用できないことが多い。これらの状況では、直ちに蘇生が開始され、その後に質問が投げかけられる。もし、医療提供者が治療を制限する事前指示を後に差し出された場合、すでに開始された蘇生の試みを中断することはなんら倫理的な問題はない。家庭医は、これらの状況でかけがえのない情報を提供できる。

 書面による事前指示に対する医療界の態度は、国際的にかなりのばらつきがある1。書面による事前指示には法的拘束力があり、違反は傷害罪と考える国もあれば、事前指示は、医師が内容に同意しない場合、全く無視される国もある。しかし、近年、患者の自主性を尊重し、医療専門職による指導者ぶった態度を減らす傾向が見られている1


■蘇生の試みを控える場合

 患者は治療を拒否する権利を持っている一方で、処置を要求する自動的な権利は持っていない。つまり、患者はいかなる状況でも蘇生が試みられなければならないと主張することはできないのである。医師は、患者の利益になりそうな治療を提供することのみ要求され、無駄になりそうな治療を提供することは要求されない。しかし、この極めて重要な決断をする際は第2の意見を求める(seek a second opinion)ことが賢明である。というのは、医師自身の個人的価値観や利用できる資源の事情が医師の意見に影響するかもしれないからだ13

 蘇生の試みを控えるという決断は、いくつかの倫理的、道徳的質問を提起する。何が無益性を構成するか? 何が厳密に控えられるのか? 誰が決断すべきなのか? 誰が相談を受けるべきなのか? 誰が情報を与えられるべきなのか? インフォームド・コンセントは必要なのか? いつその決断は再評価されるべきなのか? どんな宗教的、文化的因子が考慮されるべきなのか?

何が、無益性を構成するか?

 受け入れ可能な質の生命を延長させるという観点からみれば、蘇生に全く利益がない場合は、無益性が存在することになる。蘇生を試みた後に生存者が1人もいないことを予想する判断材料は発表されている14-17が、可逆性の原因のない末期多臓器不全は除き、十分な的中率のあるある独立した患者群については、何も吟味されていないという問題がある。更に、蘇生についての研究は、CPRや除細動までの時間のような救急システムの因子に特に依存している。これらは、どの研究においても長時間であった可能性があるが、個々の症例には適用できないかもしれない。

 現実には個々の症例で否応なく判断せざるを得ず、心不全、重篤な呼吸障害、呼吸停止、重症外傷、頭部外傷、神経疾患の患者においては主観的な意見が必要とされ、グレーゾーンが存在することとなる。患者の年齢はその決断で大きな位置を占めるかもしれないが、予後においては比較的弱い独立予測因子でしかない18,19。しかし、年齢はしばしば並存症の頻度と関連しており(associated with a prevalence of comorbidity)、それが予後に影響を及ぼしている。一方、小児においては成人よりも予後が全体的に不良であることが多いのだが、大部分の医師は感情的な理由で小児への介入を支持するという誤りを犯すだろう。それ故、臨床家が蘇生の成功に影響する因子を理解しておくことは重要である。

何が、厳密に控えられるのか?

 "蘇生を試みないでください"(DNAR)という求めは、心停止もしくは呼吸停止の場合にCPRが実行されてはならないということを意味するが、それ以上の何も意味しない。他の処置、特に鎮痛と鎮静は、必要に応じて継続されるべきである。換気と酸素療法、栄養、抗生物質、輸液、昇圧薬などが生命の質に寄与していると考えられるならば、指示通り継続される。そうでなければ、どんな治療も継続もしくは開始しないという指示はDNARの指示とは別に独立して明記されるべきである。

 長年、多くの国ではDNARの指示は1人の医師によって記載され、多くの場合、患者、親族または他の医療関係者に意見を聞くことはなかった。しかし、現在、例えば米国、 英国そしてノルウェーのように多くの国では明確な手順の必要条件が存在している。

誰が、蘇生を試みないことを決断すべきなのか?

 この非常に重々しい決断は、通常、その患者の上級主治医の適切な診察(もしくは相談)の後になされる。委員会による決断は非現実的で、機能するとは示されて来なかったし、病院管理職員は判断の基礎をどこに置くかの訓練と経験が欠如している。法律当局による判断は、特にもし反対の法律制度があった場合は、遅延と不明確さに満ちており、それは、参加している集団間で妥協し難い意見の相違がある場合のみ、求められるべきである。特に難解な症例では、上級医師は、自分の医学弁護会に法律意見を求めて相談したいと思うかもしれない。

 医療救急チーム(METs)は、病棟スタッフから得た患者状態の情報を考慮に入れて行動しており(acting in response to concern about a patient’s condition from ward staff)、DNARに関する意思決定過程を開始することを援助することができる(第4部aを参照)20,21

誰が、相談を受けるべきなのか?

 DNARの最終決断は、その患者の上級主治医によってなされるべきだが、決断を下す前に他の医師に相談することは賢明である。患者自主の原則を受けて、可能であれば、蘇生の試みについての患者要望を確認することは慎重である。患者が情報に基づいた選択ができる時は、前もってされなければならない。そのような話し合いがあらゆる入院毎に行われるべきか(大多数の場合で過度の不安を生じるかもしれない)、致命的状態となり得ると診断がなされた場合(病状が進行し、患者がバランスの取れた判断ができないという可能性がある)のみ行われるべきかについては様々な意見がある。医師は、患者に事実を提示する際には、診断と予後に関して可能な限り正確に理解していなくてはならず、この事柄で第2、第3の治療の選択枝を探すかもしれない。医師は、個人的な生命価値のために、特定の生命の質を許容することに関する議論を歪曲するべきではなく、患者の意見が優先されるべきである。

 医師が可能な限り、近親者および最愛の人と議論することは、必須であると考えられる。彼らは医師の判断に影響を与えるかもしれないが、最終的な決断が医師の決断であることに変わりはない。親族に決断の重荷を負わせることは、不当であり、不合理である。

 医師はまた賢明にも、事柄について看護、下級医学職員と議論し、彼らはしばしば患者とより親しくしており、個人情報を与えられていそうである。患者の家庭医は患者の要望と家族関係に対する非常に精密で長期の洞察を持っている可能性があり、それは長年にもわたる特定の状況の知識に基づいている。

誰が、情報を与えられるべきなのか?

 一旦決断されたならば、患者と親族を含む、関係するかもしれない全ての人々にはっきりと伝えられなければならない。その決断、その理由、そして、その議論に関わって来た人々の記録が、理想的には、患者ノートの目立つ場所に置かれるべき特別なDNAR用紙に記載され、そして、看護記録に記録されるべきである。悲しいことには、いくつかの国の施設が医師によるそのような決断を保存することに消極的だ(a reluctance to commit such decisions to writing by doctors)ということが示されている22


■蘇生の試みを断念する場合

 大多数の蘇生の試みは成功せず、断念されなければならない。いくつかの因子が、蘇生努力を中止する決断に影響を与えるだろう。これらには、病歴、予想された予後、心停止からCPR開始までの時間、除細動までの時間、持続する心静止で可逆性の原因がない場合のACLSの実施時間などを含んでいる。

 多くの場合、特に院外心停止では、心停止の基礎疾患は不明か、単に推測されるだけであり、更なる情報を集めながら、蘇生を開始するように決断される。基礎疾患が分かり、その状況が無駄であるとはっきりした場合、患者が適切に全てのACLSを受けていても心静止のままであるのならば、蘇生は中断されるべきである。追加の情報(例えば、事前指令)が得られ、蘇生の試みを中断することが倫理的に正しいと分かるかもしれない。

 一般に、VFが持続する限り、蘇生は継続されるべきである。一般的に認められていることだが、可逆性原因がなく20分以上継続する心静止で、適切に全てのACLSが行われている場合、蘇生の試みを断念する根拠を構成している23。もちろん、例外的な症例の報告はあり、各々の症例は個々に評価されなければならない。

 心原性の院外心停止では、回復が起こりうるなら、自発循環の再開は通常現場で起こる。一次性心停止の患者(病院搬送の間、脈の再開が全くなく、継続したCPRを必要とする)では、神経学的に無傷で生存する事はまれである24

 患者が小児の場合、多くの者は蘇生の試みをより長くするよう主張し続けるだろう。この決断は、一般的には科学的根拠を持って正当化されない。というのは、小児の心停止後の転帰が成人よりも良いというわけでないのは確実であり、おそらくより悪いだろう。にも関わらず、小児の死という悲惨な状況で主張し続ける決断は、非常に理解できるものである。虚血損傷後に小児の脳細胞がどれほどの回復をみせるのかは、評価されていない未知の因子である。

 蘇生の試みを断念するという決断はチームリーダーによってなされるが、それは他のメンバーとの相談の後となる。メンバーたちは決断に貢献する有効な視点を持っているかもしれない。最終的に、決断は患者の心停止が二次救命処置(ALS)に反応しない という臨床判断に基づいてなされる。チームリーダーは全ての事実と見解を考慮し、いかなる反対者にも共感しながらも毅然として相対し、最終的な結論に達するべきである。

 蘇生の試みを中断することを考慮する時は、臓器移植が行われることを可能にするため、CPRを延長させ、他の蘇生の方法を検討する必要があるかもしれない。機械的胸部圧迫はこれらの状況において有用25だが、まだ研究されていない。臓器を収集するという唯一の目的での延命治療を開始するという議題は倫理学者によって討議され、この行為の倫理性に関してヨーロッパの異なる国々でばらつきがある。つまり、現在、コンセンサスは存在しない。

非医師による意思決断

 院外心停止の多くの症例はEMT(訳者註)またはパラメディックによって対応されるが、彼らも蘇生が無駄かどうかをいつ決断するか、またいつ中断するかという同様のジレンマに直面している。一般に、 蘇生に反対する有効な事前指示があったり、または、致死的な損傷(例えば断頭、下半身切断、既知の長期浸水、焼却、死体硬直、死斑(lividity)と胎児浸軟)の場合のように蘇生が無駄であることが明らかでない限り、院外心停止では蘇生が始められる。そのような場合は非医師が死者であるとの判断(diagnosis)をしているが、死を確認(certify)することはない(大部分の国では医師のみに認められている)。

訳者注
  • EMT:原文はEmergency Medical Technician。市民レベルの応急処置しか許されていないレベル(EMT-basic)から、除細動が許されているもの(EMT-D)、下記 Paramedicレベルのもの(EMT-P)などが含まれている。
  • パラメディック:原文はParamedic。米におけるParamedicは(メディカルコントロールの下に)現場で、除細動、気管挿管、薬剤投与をはじめとする様々な医療処置を行うことが許されている救急隊員である。

 しかし、蘇生の試みを断念するという決断はどうか? ALSの訓練を受けたパラメディックは、搬送中に継続されるCPRがもたらす非常に否定的な結果を心に描き(bearing in mind the very negative results achieved)、可逆性原因がなく心静止に陥って20分を経た段階で、死を宣言することが可能であるべきだろうか? 意見は、国毎に異なっている26。そのような流れを日常業務としている国もあり、確かに、医師であれば中断されるであろう状況で救急隊員に蘇生を継続させることを期待することは不合理である。この勧告を策定する際には、時間が非常に正確に記録され、与えられたガイドラインに従って書かれていることが必須(essential)である27。この回答は、優れた訓練、そして決断をするために訓練を受けた人に対するその後の信頼の中にあるように見える。

 同様の決断や死の診断が、老人と末期患者のために、医師のいない養護老人ホームの看護師によってなされなければならないかもしれない。これらの施設では全患者に対して蘇生の試みの長所についての決断がすでになされ、DNARの問題が常に取り上げられている事が望まれる。

障害を緩和する状況

 特定の状況(例えば心停止時の低体温など)では、神経学的損傷なく、回復する可能性が増し、標準的な予後判定基準(例えば、20分以上の持続心静止)は適用できない。更に、鎮静剤と鎮痛剤は自然血行が再開した患者において、意識レベルの評価を難しく(obscure)するかもしれない。


■蘇生を試みた後の治療の中止

 自然血行(spontaneous circulation)が回復した後に昏睡状態のままである患者における最終的な神経学的予後の予測は、最 初の3日間は困難である(第4章gを参照)。自然血行の再開後、最初の数時間で予後を予測することができる特異的な臨床徴候はない。心停止後の治療的低体温の使用は、神経学的予後を予測しようとする試みをさらに困難にする(even more difficult)。

 ごく少数の悲惨な症例では患者は自然血行を回復するが、遷延性植物状態(persistent vegetative state、PVS)のままである。この状態での継続した生存は、死亡するという選択と比較して患者の中での最大の関心事でないかもしれない。もしPVSの状態だが生存し続けていることが、患者の中で最大の関心事でないと考慮されるならば、生命を終了させるため食物と輸液を中止する可能性も考慮されなければならない。これらは非常に困難な決断だが、通常、親族と医師・看護師の間には正しい行動方針においての合意が成立している。これらの症例では法的介入を必要とせず、決断がなされることが多い。もし、医師・看護師と親族の間、もしくは親族間で、合意が成立しないと、面倒なことになる。ヨーロッパでは、極端な見解もあるかもしれないが、大多数の人々は決断を家族と臨床医に非公式に委ねることに賛同している。


■蘇生中の家族立ち会い(Family presence during resuscitation)

 蘇生処置の最中に家族の構成員が側にいるという概念は1980年代に導入され28、多くのヨーロッパ諸国では慣例になっている29-38。多くの親族は蘇生の試みの間、側にいたいと思い、この経験をした者の90%以上は再びそうしたいと望む33。大部分の両親は、その時にわが子と共にいたいと思う39

 親族は、蘇生の試みの間に側にいることを許されることに以下のような利点があると考えて来た。


 この状況下で、親族の体験が最善であることを保証するには、いくつかの方策が要求される。

 院外心停止の場合には、親族がすでに側にいて、場合によっては一次救命処置(BLS)を実施中かも知れない。親族にはそのまま一緒にいてもらうという選択を提案する。(そのことによって)彼らは病院までの救急車内で、手助けし一緒に移動するその機会に感謝するかもしれない。死亡宣告がその場でなされた場合には、家族に家庭医または保健師や死別カウンセラー(bereavement councillor)による援助や支えを受けることを提案する(offer the relatives the help and support)。

 蘇生スタッフにとって、病院内外において、親族の蘇生場面への立ち会いをに関して(親族への)教育を行うことには価値がある(it is worth offering training)40

 蘇生の試みの間に家族が側にいることを数多く経験するにしたがって、問題がめったに起こらないことがはっきりする。多くの場合、親族はほんの数分そこにいて、自分達の望んでいたように最愛の人を助け、別れを告げるためにその場にいる機会を持てたことに満足し、それから退室する。10年前ほとんどのスタッフは、蘇生中に親族が側にいることを認めたがらなかった(would not have countenanced)が、最近の調査では、(蘇生スタッフの)(年を追って進む)開かれた姿勢と患者およ親族の自主性への評価が示されている1。おそらく、これは(最近の蘇生スタッフの)全般的により寛大で権威的でない(診療)姿勢と関連している。国際的な社会文化的差異は今もなお存在しており、そのことに関しては十分に気を配って理解されなければならない。


■最近死亡した患者(the recently dead)における教育(training)と研究

 少なからぬ議論を起こしてきたもう1つの事柄は場合によっては法的義務であるところの、最近死亡した患者における教育・研究に着手するための倫理である。

教育(Training)

 蘇生管理は人工模型と最新式のシミュレータを用い、シナリオを使用して教えることができる。しかし、蘇生中に必要となる特定の技術(skill)における訓練(training)は周知のことだが困難である。体外式心マッサージおよびある程度の呼気吹き込み式人工呼吸、口腔咽頭と鼻咽頭のエアウェイ挿入は、人工模型を使用して教えることができる。しかし、人工模型とシミュレータの技術的進歩にも関わらず、蘇生において日常的に必要となる他の多くの技術は、生死に関わらず人体での実践を通してのみでしか、満足いくようには修得させることができない。それらの他の技術には例えば、次のようなものが含まれる。中心静脈や末梢 静脈の確保、動脈穿刺とカニュレーション、静脈切開、バッグマスク換気、気管挿管、輪状甲状軟骨切開術、胸腔穿刺、胸腔ドレナージ、開胸式心マッサージである。これらの技術(スキル)の一部は、多くの場合は麻酔関連の、また頻度は少ないが外科手術関連の日常臨床業務の際に経験が積まれているかもしれない(may be practised)。しかし、輪状甲状軟骨切開術、胸腔穿刺、開胸式心マッサージなど他の技術は実践することができない上に、教育訓練を正当化しにくい、命にかかわる緊急事態だけに必要となる。今日の診療においては、臨床医が説明するために何度となく呼び出されることと、患者の自主性が優先されることにとも なって、生存中に学生の技術練習についての許可を得ることはますます困難になってきている。「教育病院」への入院が、学生が指導のもとに彼らが望む患者への処置を実施することへの同意を、当然のなりゆきとして暗に含んでいた時代はとうに過ぎ去ってしまった。それなのに、市民は代々有能な臨床医を期待し、(また実際)その(有能な臨床医の診療を受ける)権利を保持している。

 その結果、生体もしくは死体において訓練/練習をすることが倫理的、道徳的に適切かどうかということに関して議論が起こる。この事柄に関する意見には広い多様性がある41。多くの人々(特にイスラム国家の人々)は、どんな技術訓練や 実技であれ、それをついさっき亡くなった者に対して(on the recently dead)行うという考えは、彼らが本来持っている死体に対する敬意ゆえに、忌み嫌うべきものととらえられる。一方、他の人では、痕跡を残さない非観血的手技(例えば気管挿管)を実行することが受け入れられる。また、 技術を学ぶことは将来の患者の福利のため優先されるということを正当化の理由として、どんな手技であれ死体に対して実施して学んでよいと、率直かつ公然として受け入れる人々もいる。

 1つの選択枝は、死亡した患者の親族にその手技に関するインフォームド・コンセント(十分な説明の上での同意)を求めることである。しかし、承諾が得られることは少なく1,40、多くの人々は、ついさっき死別を経験した者に対し、同時に突然の悪い知らせを伝えるという痛ましい状況において、このことを行うことは非常に困難であると考える。その結果、しばしば、(後で)見てもわからなければ苦痛(distress)を生じないという理由で、非観血的な処置だけは実践される。同意なくどんな処置でも行えた時代は急速に終わりに近づいている。そして、ことによると、臓器移植の許可を与えるのと同様の方法で、事前の指示を通して人々に、死後の自分の身体を用いて訓練をすることを許すことを強く勧める広告キャンペーンすることがますます必要になっている。それは事前の許可を要する取り決めより、むしろ事前の許可を要さない取り決めが採用されるかもしれないと言うことである。しかし、これは大部分の国では法律の変更を必要とする。医療専門職はこの問題に関わるその地域と病院の方針を身につけ、確立された方針に従うよう勧められる。

研究(Research)

 研究に参加するためのインフォームド・コンセントを与えることができない心停止患者への無作為臨床試験を行うことに関しては、重要な倫理問題が存在している。(現在の)見るに堪えない蘇生成功率を改善してゆくことは、臨床試験を通じての科学の発達からしかなし遂げられないだろう。倫理学における功利主義的概念は、最大多数のために最大幸福に眼を向けている。これは、患者のインフォームド・コンセントがなければ研究に登録されるべきではないことに照らして、患者の自主性への尊厳とのバランスがとられなければならない。過去10年間、新たな法(legal directives)が米国と欧州連合に導入され42,43、患者または近親者からのインフォームド・コンセントなしで蘇生中の患者において研究を行うことに対して、重大な障壁となって来た44。そのような規則(regulations)が蘇生における研究の進歩を阻んでいるということを示すデータがある45。そのような規則(regulations)はそれ自体が、ヘルシンキ協定で定められたような良質な医療を受ける基本的人権と対立する可能性が確かにある12。米国から広まった蘇生研究はここ10年で劇的に落ち込み46、欧州連合も規則ががっちりと組み込まれる(as the rules bite)につれて、正に先例に続くように見える47。米国当局は、非常に限定的だが、免除の方法を導入しようとしている42が、これらにはまだ様々な問題とほぼ克服しがたい困難さが付随している45

 死亡したばかりの患者(the recently dead)での研究は、そのことに対する事前の許可が患者の事前指示(advance directive)の一部と認められるか、最近縁者(the next of kin)による即時の許可が与えられない限りは、同様な制約に直面するようだ。死亡したばかりの患者の遺体の所有権についてはごく限られた国でしか確立してないが、多くの国では少なくとも次の ことが暗黙のうちに合意されている。すなわち遺体は親族が「所有」するものであり、(不審な状況であったり、死因が不明というような事情でなく、また)同意を与える(死者の)事前指示がなければ、いかなる研究への許可も最近親者によって与えられなければならないということである。死別直後のストレス環境下で親族から同意を得ることは、気の進まない(unenviable)作業であり、医師と親族との関係に悪影響を与えかねない。  例えば心臓マッサージの特定の方法を用いることから生じた外傷性損傷を研究するために、検視時の研究はまだ実施されうるが、(検視時の研究においても)親族からそうしてよい(permission to do otherwise)という特定の許可が得られなければ、死体の全ての部分を患者に返さなければならない。


■悪い知らせを伝えることと死別カウンセリング

 親族に患者の死を伝えることは気の進まない(unenviable)作業である。それは親族は永遠に記憶するだろう瞬間であり、従って、できるだけ正確に、また思いやりをもって(sensitively)行うことはきわめて重要である。この困難な職務を担当する医療従事者にも相当なストレスがかかっている。双方ともに、その後の数時間か数日間は、支援を必要とするかもしれない。医学部や大学卒業後の段階において、悪い知らせを伝えることについてほとんど教えられていないことは卒業式の挨拶で述べられるほどだ(繰り返し広く指摘されて来た)(it is salutatory)1

親族が側にいない死亡例で家族に接触すること

 患者が亡くなる時に、親族がそこにいない場合、できるだけ早く連絡を取るべきである。電話をかける人(caller)は親類に知られていないかもしれず、十分に気をつけて自分の身元(identity)を親族にはっきり示し、次には、受信者と死亡者との関係を確認しなければならない。多くの場合、距離が遠く移動時間が長い(例えば、親族が他の国にいるなど)場合を除いて、患者が実際に死亡したと電話で述べられることはない。多くの者は、十分な説明を直接会って行うことができることから、患者が深刻かつきわめて重症であるか重傷を負っていること、そして親族は直ちに病院に来るべきであると伝える(にとどめる)方がより良いと考えている。電話をかける人(caller)が親族に対し、自分で運転せずに友人に運転して貰って病院まで来るよう要請し、またスピードを出して運転した所で得られることはないとを伝えるのは賢いやり方である。親族が到着した時、彼らは有能で知識のあるスタッフにすぐさま迎えられ、状況が直ちに説明されるべきである。事実を話されるのが遅れることは、苦しみをもたらす。

誰が、悪い知らせを親族に伝えるべきか?

 指導者ぶった上級医が、悪い知らせを伝えることを下級医に委任することが受け入れられた時代は過ぎ去ってしまった。今日では、親族に話すことは、上級医またはチーム・リーダーの職務であることが一般的に認められている。それでもやはり、患者(そして、実際に医師にも)に大きな安心感となるかもしれない経験豊かな看護師を連れて行くことは賢い方法である。

どこでそして、どのように、悪い知らせは伝えられなければならないか?

 悪い知らせが伝えられる環境は、極めて重要である。(重症患者の病室の傍らに)その親族のための、趣があり居心地の良い家具調度が設(しつら)えられ(tastefully and comfortably furnished)、無料の電話,テレビ,そして生花(恐らくは、院内で花屋を経営する人々によって提供されたもので、このことはヨーロッパの多くの病院で習慣となっている)が備わった部屋が必要である。

 もし、大きな間違いが避けられ、親族が不安を感じていないならば、悪い知らせが伝えられる時は、従うべきいくつかの基本原則がある。患者に関する事実を(正確に)知っていることと、(とりわけ)話している相手が誰であるかを明確に知っていることは必須である。ボディランゲージ(身体言語)は、不可欠である。常に、患者および親族と同じ高さに座ること。(そして)彼らが座っている時に、立ち上がってはいけない。自分がこざっぱりとした服装をしていることを確認する。血の染みが付いた服を 着ていることは良くない。(また)慌しくしているという印象を与えてはいけない。彼らが早急に聞きたがっている悪い知らせを,「死亡した」、「死亡してしまった」、「私はあなたに、あなたの父/夫/息子が死亡してしまったということを話さなければならないのは大変残念だ」、という単語を用いながら伝えること。「見送る」、「私達を残す」、もしくは「昇天する」などの言い回しを使用して、疑いの余地を残してはいけない。

 この段階で医学的詳細の全部について意見交換をしようとすることは無益であり、親族に質問されるまで待つのがよい。例えば手を握るとか、腕を肩に置くなどの接触は適切かもしれないが、人々(のタイプ)やその習慣は様々であり、医師はそのことを知っている必要がある。自身が涙を流しても、恥ずかしいと思ってはいけない。その知らせが親族に徐々に理解されるよう時間を取りなさい(allow time for the news to be assimilated)。(悪い知らせの)受け止め方は、以下のように様々である。

 例えば、助けを呼び、病院に連れてきたというように、家族に対し彼らが全て正しく行ったと言って安心させることは有益であろう。しかしながら大多数の例では、医療提供者は心拍を再開させることはできない。

 ある程度の時間が経過し会話が再開されたその段階で、親族に病状と施された治療について何か質問はないかと尋ねる。こ れについては、完全に率直で正直であることが賢明である。しかし(一方で)、「彼は苦しまなかった」と必ず言うこと。

 大多数の例では、親族は死者に会いたい(遺体を見たい)と希望する。検視のために必要でなければ、遺体と寝具に汚れがなく、全ての管とカニューレが取り除かれていることは重要である。遺体の姿は、親族に永遠に続くであろう印象を残すことになる。検視が必要となる場合があり、検視の要請においては工夫と気配り(tact and sensitivity)が必要で、この処置(検視)が専門の病理学者により行われることと正確な死因を確定するのに役に立つであろうことを説明する。


■小児

 子どもたちに悪い知らせを伝えることは、特別な問題が存在すると思われているが、彼らに対して完全に率直で誠実であることがより良く、そうすることが、子どもたちが死について作り上げるかもしれない悪夢のような空想を払いのける(dispel the nightmarish fantasies)のに役立つということは、経験が示している。学校と連絡を取ることは有益である。それによって教師や同級生(fellow pupils)は援助と気配り(support and sensitivity)をもって、(遺族である)子どもたちを学校環境へと 迎える準備ができるからだ。


■気持ちの整理(Closure)

 多くの場合、親族にとって死に接する最初の経験であり(will be the first experience of death)、病院または地域のソーシャル・ワーカーは親族に対し、公式死亡登録、葬式準備、社会経済援助(socioeconomic support)(の手続き)といったひどく面倒な死後管理(the bewildering administration)への手助けを申し出るべきである。宗教的信条によっては、病院神父または聖職者が不可欠な役割をもつかもしれない。可能な場合いつでも、家庭医には症例に関する重要な詳細が電話や電子メールで早急に知らされるべきであり、そのことによって、家庭医は親族に全面的な支援をすることができる。関わった病院スタッフから親族への、助けになることについて申し出、そして(死亡)退院時に親族が質問し忘れていたことに答えることを申し出る、1〜2日後のフォローアップ電話(a followup telephone)は、常に感謝される。


■スタッフの感想を聞くこと(Staff debrief)

 多くのスタッフ員は、一連の仕事の過程の中で、ほとんど死に影響を受けていないようにみえ、実際しばしばそうであるが、 それは当然と考えられるべきではない。彼らの達成感と職務満足感を損なうかもしれず、そしてそこには罪悪感、力不足、失敗の感情があるかもしれない。これは、特にで明瞭であるかもしれないが、必ずしもそうとも限らない。出来事に関するチーム・デブリーフが肯定的、建設的なクリティーク技法(positive and constructive critique techniques)を用いて行われるべきであり、特に必要な人に対しては個人的な死別カウンセリングが提供されるべきである。このなされ方は、個人によって異なるし、パブまたは喫茶店での形式ばらない雑談(多くの事例を効果的に取り扱えるように思われる)から専門的カウンセリングまで幅があるだろう。仕事中、死に接した後に疲労を感じることは、異常な状況に対する正常な反応であることは説明されるべきである。


■結論

 心肺蘇生は多くの心停止傷病者に新しい生命の期間を与え、彼ら自身と親族に喜びをもたらして来たが、(一方で)少数の者には苦難をもたらす可能性を秘めている。この章は、蘇生を実施することが不適切な状況や有効な事前指示がある場合は蘇生を試みないことによって上記の苦難を軽減する方法と、無益もしくは遷延性植物状態(PVS)の場合に(いったん始まった)蘇生の試みを中断する時期について述べた。

 死亡して間がない遺体でのトレーニング・研究のような倫理的問題および蘇生中における家族員の立会いは、医療専門職にとって更に重荷になってはいるが、世界的な患者の自律性と人権の高まりを正しく認識し、共感的に扱われなくてはならない。

 最後に、悪い知らせを伝えることは、医師および看護師が直面する最も難しい職務の1つである。それには、時間、トレーニング、思いやり、そして理解を必要とする。


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