国際赤十字の機構は、各国赤十字社・赤新月社(NRCS)、赤十字国際委員会(ICRC)、国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)、ジュネーブ条約加盟国の4部門がある。原則として、ICRCは、紛争地域内でジュネーブ条約に基づく人権保護と被災者の救援事業を担当し、IFRCは、自然災害者と紛争地域へ避難した流民・難民の救援事業に加えて、途上国赤十字・赤新月社事業の開発協力を担当している。
日本赤十字社は国際赤十字の一員で、自然災害、人為災害等原因に関わりなく、人道的立場から被災者、避難者の生存権擁護と生活支援等を行っている。これまでに日本赤十字社が行った大量避難者に対する救援活動として以下のものがある。
1.海外日本人の集団帰国
我が国で唯一の“海外日本人大量帰国”は、1945年代2次対戦終戦に伴う「在外邦人引揚援護事業」である。この事業は、日本人の日本帰国のみでなく、在日外国人の自国送還も併せて行われた。「邦人引揚事業」は660万人の在外邦人のうち94.4%、624万人が1945年から4年7ヶ月の間に日本へ帰国した。この驚異的実績は、米軍はじめ連合軍加盟国の強力な輸送支援の賜物であり、稼動輸送船舶の90%以上が諸外国からの貸与により進行した。日本赤十字社は国際赤十字に懇請を重ね、ICRCを通して各国政府や関係国赤十字社に日本人の人権擁護と帰国支援を依頼し、国際的援助を得たことが記録されている。
2.ボートピープルの日本入国
1975年インドネシア半島各国の政治革新により、115万人の難民が自国を脱出して近隣国に保護を求めた。日本赤十字社は日本に漂流したボートピープル1万1千余人を全国16ケ所の「一時滞在施設」に収容し、国際的救援機関等と協議して日本定住希望者9900人には、「定住促進センター」で日本語教育や職業指導を行い、定職を斡旋した。
3.災害避難者緊急脱出の国内例
1986年11月、伊豆大島の三原山が噴火し、全島民1万人余が一夜のうちに東京と伊豆半島に脱出避難した。激しさを増す噴火と溶岩流接近の脅威が、全島民の危機感を高め、日頃からの同族意識と連帯感が、被害者意識をのり越えた強い結束力を生み、困難な緊急集団避難を円滑に遂行させたものと考えられる。日本赤十字社は東京港と稲取港に臨時救護所を設け、島民の患者の診療や出産のための転送などを行い、体育館等に分散収容された避難者を定期的に巡回診療し、毛布や救援品供与、各区奉仕団による湯茶接待・弁当サービス等を行った。
これら3事例の共通点は、日本赤十字社が行った医療救護や定住援助などは、いずれも国際救援機関や国等の実施する大規模帰郷事業の極一部を支援したに過ぎない。避難者輸送に必要な機動力や担当要員等を持たない日本赤十字社(NGO救援組織)の帰国事業支援は、国内・外で状況に応じての医療救護等の範囲にとどまざるをえず、避難事業支援活動の限界が感じられる。
“島国”である日本へ、海外での被災日本人が集団で緊急帰国する事態が生じた場合、1.個人行動による危機国外への脱出、2.集団避難のための現地集結、3.集結地での避難待機、4.国外避難手段の選定と輸送の調整、5.日本帰着といった手順が必要であると考えられる。1.については、国外への脱出ルートは、(1)諸国からの直接帰国、(2)第三国へ避難後の帰国のいずれかを選択しなければならない。発災直後の「被災地脱出行動」は個人それぞれの意志と責任で決定せざるをえないが、「行動の決定」は確実な現地の情報に基づいたものでないとかえって危険を招くため、日本国出先機関の庇護下にその調整に従い、「日本人集団」として団体行動をとることが安全である。2.、3.については、被災国内の在留日本人が個人行動による脱出ができなかった場合、諸国の日本人出先機関が在留日本人を総括登録し「日本人集団」として緊急避難を調整しなければならないが、集団避難応否や集結情報等の収受、登録の行える大使館、空港、港湾等へ集結するまでの行動は、それぞれ個人の責任下に実行されることになる。また、災害時の交通機能は著しく低減するので、集結もままならず、集結後も何日にもわたって国外避難の調節待ちを余儀なくされる場合が多い。待機中の日本人集団の生活保守は原則として日本人出先機関が担当する。4.については、日本国出先機関は、直接帰国か第三国経由かのルートを選択し輸送手段を確保して避難を調整する。待機した避難日本人は合意した計画と調整に無条件に従うことが鉄則である。5.については、集団避難者の日本帰着地は指定された空港か港湾となる。帰着避難者は上陸に際し、通常入国手続きと避難者登録解除等の事務的処理を済ませてから解散し帰宅許可となる。避難者入国受け入れに際しては、被災国人や他外国人等の例外的避難者入国への対応にもあらかじめ配慮が必要である。
日本赤十字社が実行可能な支援活動は、1.国際的対応と2.避難者帰着後の救援がある。1.については、紛争や自然災害等原因の如何により、ICRC、IFRC等国際赤十字機構あるいは被災国赤十字社を通して、在留者の安否調査と安全保護および緊急帰国の便宜供与等を依頼できるほか、日赤現地調整員を緊急派遣し、日本国出先機関の計画する「日本人被災者緊急避難事業」の遂行を支援することができる。また、状況に応じて避難待機集結地へ日赤救護班を緊急派遣し、傷病者の応急治療や患者輸送等に携わることも可能である。2.については災害被災者日本帰着に際して、日本赤十字社は、指定空港・港湾等上陸地に臨時救護所を開設し帰国避難者の医療救護や重傷者の後方搬送を行うほか、困窮避難者の帰宅援助、帰宅までの生活支援、救援物資の給与あるいは湯茶給食接待、帰宅後の避難者援助等幅広い救援活動を行うことができる。
「被災者救出作戦」支援体制設備の必要性が今問われている。我々医療機関がこの作戦に参加するには、国や行政の帰国事業計画をよく理解し、日頃から協力可能部分に関して国や行政と相互に検討しておくことが必要であるとともに、有事に際して国や行政の緊急要請に即時支援が可能な医療機関やNGOの組織等が登録され、登録された各組織間で必要作業の重複や欠落を生じさせないための役割分担をあらかじめ協議しておく必要がある。
[概要]
自衛隊の災害派遣の歴史は,そのまま戦後日本の大規模災害の歴史でもある。伊勢湾台風(1959年9月,74万人,以下数字は延べ出動人員)に始まり, 自衛隊は, 毎年大小600〜800件に及ぶ災害派遣に従事し,多くの人命の救助, 財産の保護にあたっている。阪神淡路大震災(1995年1月17日,225万人)や地下鉄サリン事件(1995年3月20日,3400人)を契機に, 自衛隊の災害派遣活動について関心が高まって来ている。 しかし残念ながら,自衛隊の災害派遣の実情は, 防災関係者にも十分に理解されているとは言いがたく, またそれ故, 関係機関との連携も細部まで詰められていないのが現状である。 ここでは, 自衛隊の災害派遣全般および災害医療についての現状と問題点, 将来への話題を簡単に整理したい。
主な装備・資機材類:今までの自衛隊には,一部の例外を除き,災害対策用の装備・資機材類はなく,防衛用の装備類を災害時にも活用していた。平成7年度第一次補正予算において, 陸上自衛隊への「人命救助システム」の導入が決定され, 逐時配備されつつある。
主な活動内容:災害派遣時に自衛隊が行う活動内容や機能は,災害の種類や被害の状況などによってその都度決定される。一般的には,次のようなことが考えられている。
災害派遣の特徴と問題点:災害派遣時の自衛隊の持ち味は,その組織力・機動力にあり,具体的には,衣食住と移動手段を有するいわゆる「自己完結能力」, そして多くの隊員を一元的な秩序の下で動かすことのできる「指揮の力」にある。また,そのほか特記すべきものとしては,ヘリを中心とする「航空機動力」,被災地域にいち早く「通信網」を展開する能力,捜索救助から後方病院への収容までのパッケージ化された「医療・衛生を提供する能力」,などであろう。ここでは,自衛隊の災害派遣を考える上で特に留意すべき2点を指摘しておく。
まず第1に「部隊の重さ」についてである。部隊行動が原則である自衛隊では,部隊の進出や展開にどうしてもある程度の時間が必要となる。例えば,阪神・淡路大震災級の突発性の大規模災害の場合,部隊が威力を発揮するのは,半日から数日後ということにならざるをえないものと思われる。
第2に,関係機関との役割分担と「仕切り」の問題がある。自衛隊は,地元に根付いた自治体や消防,警察などとは異なり,必ずしも十分な「地理勘」に恵まれていない。またその装備や技術,情報も,必ずしも災害を念頭に置いたものではない。前述した自衛隊の持ち味を十分に生かすためにも,関係機関との相互補完的な役割分担は必要不可欠である。ここで重要となるのが災害対策全般の「仕切り」,すなわち全般調整である。これは防災制度上は,被災自治体およびその首長の責務である。残念ながら自治体の「仕切り」の能力にいささか疑問を発せざるをえない。したがって,関係機関間の相互理解と自治体の司令部機能の充実が急務である。
自衛隊の医療・衛生組織の現状:基本的に1)医療技術者(医官・歯科医官,看護官(婦・士),パラメディックなど), 2)衛生部隊の運営・計画・調整にあたる者(MSC:Medical Service Corpとよばれる),3)部隊の維持管理にあたる者(いわゆる後方支援要員)の3つの要素から構成されている。特に,医療活動の組織化のためには,MSCの有効活用が急務であろう。
急患輸送:ヘリや固定翼機,飛行艇による急患輸送も,特に医療事情の悪い離島部において重要な役割を果たしている。
実際に,防災に関係する各機関が効果的に機能するためには,個々の患者の動線に則した情報管理や輸送の調整,具体的な援助ニーズの的確な指示,関係機関相互の地理的・機能的・時間的な役割分担,各機関の行動イメージの共有など,膨大な事前調整が不可欠である。そのために,地元自治体を中核とした地域防災会議のよりいっそうの活性化が急務であり,これを補完する,私的で非公式なパイプやフォーラム作りが,当面の課題となろう。
災害時の国際医療活動を行なうにあたっては以下の事項を考慮しつつ行なう。
水からかかる病気には以下のものが考えられる。コレラ、赤痢、腸チフス、A型肝炎、ワイル病、寄生虫疾患など。
このように、治療する側にとっても危険な水系感染を防ぐには、まず安全な水を確保することにある。具体的には飲料水と生活用水が必要であり、災害時には量だけでなく質も損なわれるためそのことも考慮する。
<給水計画の設定>
15〜20/人/日を目安とする。診療所では40〜601/患者/日が目安になる。水の絶対量が不足する場合には病院や保健センター、小さな子供を優先して分配する。また、飲料水の確保が第一で生活用水はできるだけ再利用を考える。
<水質>
水原が利用可能かどうか判断するために出来るだけ早期に水質検査を行う。水原が汚染されていて、他に適当な水源がない場合には塩素滅菌処理を行う。また屎尿の混入などにも注意を払う。飲料水の残留塩素濃度は0.2〜0.5 mg/lを目安とする。
<衛生環境の確保>
従来の水源、汚物処理システムの破壊および避難所での密集生活が感染機会を増す。また密集生活により個人衛生、精神衛生上も環境が悪化することになる。
この対策として、まず避難所が定められたら直ちに、排泄物処理の対策を講じ緊急性と実用性を優先した応急的なトイレをつくる。また災害時には大量のゴミが発生する。これらもできるだけ早い時期に手分けして清掃を行ない、水溜りなど病気の発生源となるような箇所をなくしておく。また、避難所で生じたゴミは処理や収集の方法をきめてきちんと処理していくようにする。
個人衛生に関しては、石鹸、生活用具、床に敷くマット、着替えの衣料などを支給し、できるだけはやく水浴びのできる環境を整える一方、新しい環境下での個人衛生、食品衛生、ごみ処理、清掃などについての教育を行ない、自分たちで衛生的な環境を維持管理できるような体制をとる。
<精神衛生対策>
予測しなかった事態を受けとめ、再び生きることへの意欲がもてるように促す。具体的には災害時に離れ離れになった家族の再会を促す、宗教的な地域では宗教活動が行えるようにする、保健センターのスタッフがカウンセリングを行うなどが挙げられる。また、復旧計画を策定して人々が前向きになれるようにする。
<疾病対策>
安全な水の確保と良好な衛生環境の維持が最も重要である。その他、伝染病を媒介しうるような小動物(蚊、蠅、虱、鼠など)の繁殖を抑制するように、これらが好む不衛生な環境を作らないようにする、警戒する疾病に対して予防接種を行うなどが挙げられる。さらに早い時期に疾患サーベイランスの体制を確立し、流行する危険性がある疾患を早期に発見できる様にする。サーベイランスは急性期だけ実施するのでは意味がなく、もとの生活レベルを回復するまで続ける。
また、救援チームは活動に必要な物はできるだけ自給自足するような体制で行くべきであり、救援に行って現地活動に負担をかけるようなことは極力避けるようにする。
<医療活動の内容>
救急医療活動の要点は国内災害と基本的に同じであるが救命と安全を第一に考え、診療手順をより簡素化することが多い。また優先度判断に際しては、チームが撤退した後に治療を引き継ぐ現地の医療事情を考慮する。被災民の健康管理にあたる場合には必ず現地の保健スタッフの参加や指導を受けるようにする。
<物品の供与>
緊急時には医薬品や輸液、医療資機材などが不足し、調達・輸送も困難なことが多いので、現地入りの前の経由地で緊急に必要なものを調達していくようにする。物の供与にあたっては現地で使えるものを選ぶことが重要で、そのためにはアセスメント担当者が現地で使われている機種など必要な情報を知らせるか、出来るだけ被災地の近くで調達するようにする。日本から持参する際には、それを使え、保守管理もできる人を同行させるのがよい。
本当に必要とされているものは現地に入るまでわからないし、活動の過程で新たな二一ズが生じてくるので、当事国の州都や首都などに後方支援の基地を設定して、担当者を待機させることが極めて重要である。
(括弧内は入院)
又、17日頃からは溶血性尿毒素症候群(HUS)を含む重症例の増加が問題となり、24日には死亡1名を含む重症者96名となった。
2、患者トリアージと搬送先選定
3、重症患者のトリアージ
1、 患者の発生が多少の時間を持って生じたこと。また、患者発生に、時相のずれがあり、患者発生数が減少してきたころにHUSを含む重症患者の発生が問題となったことである。このことにより、対応にも時間的余裕が生まれ比較的スムーズな対応を可能にした。
2、 小児の集団感染であったこと。したがって対応できる医療機関が限られ、トリアージが必要不可欠となった。また統一した治療方針が明確化されておらず、各施設とも手探りの状態であったため各科の協力体制及び病院間の情報交換が必要とされた。
医療センターでの治療体制は非常にスムーズであった。これは通常時より、小児科と救命救急センターとが小児救急患者を共観体制を取っており信頼関係が既に構築されて いたことがある。また阪神淡路大震災で心的外傷後ストレスの治療行ってきた経験が活かされた。
今回の問題点としては、発生当初、集団災害としての認識が医療機関においても
薄かったことが挙げられる。今後は地域の医療機関が麻痺するはどの患者が発生すればそれだけで集団災害であるという認識を持つ必要がある。
また、トリアージに関しても、多数の外傷患者発生時とは意味合いが異なっていた。
軽傷者であっても多数発生の場合は搬送先確保は大きな問題となる。搬送先の確保、病状に応じた搬送先選別、重症者の分散入院の3点が今回の重点的トリアージ指針とな ったがその際に三次救急医療機関や地域の中核病院のみを対象とせず、地域の医師会や 透析医会などの学術集団を通し、広く協力を要請したことは医療資源の有効利用に極めて有用であった。
また、トリアージは、被災地域の医療機関が症状の重篤度を判断できるのであれば
患者転送を伴うトリアージは病状判断を行える医療機関や災害医療コーディネータなど が行うほうが、行政主体よりも望ましい。
今回は情報センターの医師により49名の開示がスムーズに16施設に分散入院し、そのことが死者3名という低い死亡率に被害を抑えることにつながったと評価できる。 トリアージでは、医師の病状確認と、病状に応じた病院選択が必要であったため、各医療団体の協力を得て、幅広い医療応援体制を敷く必要があるのである。
2.3 自衛隊
小村隆史、災害医療ハンドブック、医学書院、東京、1996年、p.107-15(担当:佐藤)1、自衛隊の災害派遣活動のあらまし
自衛隊の災害医療への取り組み
阪神・淡路大震災の教訓と今後の課題
国際医療活動
1.災害時における被災民の保健管理
奥村悦之、上原鳴夫、災害医療ハンドブック、医学書院、東京、1996年、p.143-57(担当:橋本)1)水の確保
2)保健医療・衛生
3)国際医療活動においての注意点
集団災害としてみた堺市学童集団下痢症
松尾吉郎ほか、日本集団災害医療研究会誌 1997; 2; 32-36(担当:KM)はじめに
1)患者発生の推移
13(土) 255( 32)
14(日)2691(140)
18(木) (493)2)医療センターの対応
3)情報センターの対応
14日 大阪市救急医療事業団と大阪府医療対策課を通じてのベッド確保
15日 大阪府医師会集団下痢症対策本部の組織、
大阪府下医療機関への協力要請→122受入施設のリストアップ
17日 三次救急医療機関の受入状況確認と協力要請
(HUSが問題となってきたため)
透析医会、新生児診療相互援助システムへの協力要請
(重症例増加に伴い対応しきれなくなることを見越して。)4)考察
平成9年度緊急消防援助隊北海道東北ブロック合同訓練
応急救護所設置・トリアージ訓練に参加して
早川達也ほか、エマージェンシー・ナーシング 10: 57-62, 1997(担当:頼田)はじめに
準 備
訓練当日
訓練を終えて
さいごに