12/06/96

災害時医療体制1

太田宗夫、エマージェンシー・ナーシング 新春増刊230-237、1996

(担当:百瀬)


1、災害時医療体制の基本的考え方

 災害時医療体制の基本的考え方の中には、@要素、A地域としての体制、B被災施 設 となる場合の体制の3つがある。第一に要素として予測性・準備性・即応性が、全て を 決める基本的要素と考えてよい。予測性とは、可能性が高い災害を想定することで、 準 備性とは、医療行動に必要なソフト面を指し、その中にはマンパワー・備蓄・機動性 等 の具体的準備体制がある。そして即応性とは、主として迅速な立ち上がりの重要性を 指 し、その障害となる条件を如何に整理するかに焦点がある。

 第二に、地域としての体制とは、本来災害医療は、規模と災害種によって対応する 範 囲が事なる。原則的には、小規模局地災害は地域対応をイメージするので、どの地域 に も標準的な体制の骨格が存在しなければならない。

 第三に、被災施設となる場合の体制であるが、これは施設被災、備蓄、保全行動、 施 設維持の4つに分けられる。すなわち施設被災は、医療施設自体の災害を想定するこ と が医療世界に生きる施設に求められる倫理の一つで、施設の物理的ならびに組織的“ 脆 弱性”のチェックと改良を指す。次に備蓄であるが、これは物品の準備を、なにを、 ど れだけ備 蓄し、どこに、だれがどれだけ管理するかを決める。備蓄量は一日しのげる量でよい と いうのが最近の本邦の見解である。また、保全行動としては、警報を含む情報伝達方 式 と避 難方法からはじめ、綿密に体制を計画しておく。優先順位は、滞在患者と職員の保全 行 動、滞在者に対する医療行動、施設機能維持行動とする。この時、保全は生命の確保 を 第一義とするが、重症者の避難が最大の困難である。また、保全行動によって犠牲を 出 してはならないので、だれが行動の是非を判断し指令するかも決めておく。そして最 後 に施設維 持についてであるが、これにも原則があり、広域災害におけるライフラインの破壊を 前 提にした維持管理を計画しておく。 

2、全体構図

 全体構図は、災害規模と対応の範囲、被災側と救済側の設定と言う2つの側面から 考 察できる。すなわち、災害規模と対応の範囲において、医療としては負傷者数30名 以 上の同時発生を集団災害とするが、それ以上についての区切りは決めていない。また 、 被災側と救済側の設定では規模の如何を問わず、被災地を非被災地が救援する構図を 急 性期の立ち上げから慢性期の保険医療に至る医療展開の基礎とする。

3、自然災害と人的災害

 自然災害と人的災害を、医療体制のなかでも区別することが大切である。それは以 下 の点に由来している。すなわち、@被災範囲、A被災者数、B医療ニーズに質、C基 本 的な 医療機能上の相違点である。

 まず、被災範囲であるが、概して自然災害は広域で、しかもそのなかで被害に濃淡 が ある。一方、人的災害は核災害を除けば、範囲が限定できるので 局地災害としてよいものが多い。

 また被災者数においては、概して自然災害の負傷者数は千あるいは万単位で、多く の 場合は散在する。また、戦争や紛争を除けば、大半の人的災害の負傷者数は百名単位 に とどまる。

 そして、医療ニーズの質は、自然災害の場合は、急性期では外傷に、次第に疾病型 に ウエイトが移るのが通例で、48時間前後で大きく変化しはじめる。したがって、医 療 対応をパターン化することが出来る。一方、人的災害 の場合は、災害種によってニーズの中心が決まる。

 最後に、基本的な医療機能上の相違点についてであるが、これは、^被災地の医療 機 能、_医療活動する施設の範囲、`全体構図の範囲に分けて考察できる。まず、被災 地 の医療機能においては人的災害の場合は、被災地の総体的医療機能は原則として保存 さ れる。しかし、医療機能と医療対象との不均衡は多少に関わらず発生するので、それ を 消化するための医療機能を如何に引き出すかが展開上のポイント。これに対して、自 然 災害は、規模と範囲が大きいほど総体的医療機能はダウンする。また、これに加えて 、 質的変更を余儀なくされることが人的災害との決定的な相違点だある。次に、医療活 動 する施設の範囲であるが、人的災害では限定できる場合が多く、自然災害では散在す る のが通例である。最後に、全体構図の範囲であるが、人的災害の場合は被災地医療機 能 の相対的すなわち量的不均衡を他の地域が支援するという構図になり、自然災害の場 合 は被災地域機能の量的ダウンと質的異常 を支援することになる。

4、展開上の諸問題とその解決法

 実際の場面では、医療展開上、予期すべき障害と予期せぬ障害がある。前者のもと し ては、被害情報、通信手段、施設機能に関する障害(ライフライン)、救援出動にお け る障害がある。また後者は単に本人の認識に過ぎず、 そうした、観念を捨てることは必要である。


災害時医療体制2

太田宗夫、エマージェンシー・ナーシング 新春増刊237-243、1996

(担当:寺岡)


5、災害時医療体制の実際面のまとめ

【医療ニーズの変化とその対応】

  災害時の医療ニーズは、時間経過とともに変化していくものである。この事実を医療体制にいかに反映できるかによって、医療体制の完成度が決まる。実行動も、この変化に即応しなければ効果はでない。次の数時間の医療ニーズを計算することが予測性の中心部分である。

(1)急性期(救助期と救急医療期)のニーズ

 救急期のニーズは、犠牲者の生命維持や救急治療等の救助作業に連動する医療である。そのためには医療チームの編成が必要で、平時に訓練された息の合う集団に期待しなければならない。これは救急医療のなかで養われるもので、救急医療専従者チームが最適である。

(2)亜急性期(感染症期・保険医療期)

 通常72時間を過ぎると、医療上の混乱は幾分整理され、ニーズの主体は避難者の健康維持に移動する。医療援助者の役割は、感染症の予防と蔓延の阻止にウエイトを置き、保険医療期では、創傷治療、慢性疾患の治療と指導、衛生管理等である。

(3)慢性期(精神的援助とリハビリ)

 災害がもたらす精神・心理的影響、特に反応は、多少に関わらずすべての被災者に共通し精神的ケアが要求される。リハビリテーションは被災者の生活復元過程を指し、整形外科的リハビリから精神・心理面に及ぶ継続的な医療援助計画を作成する。

6、日本の防災体制

【災害対策基本法と中央防災会議】

 災害対策基本法は、1961年に制定された法律で、総合的防災行政を推進するために制定された。この法律は骨格に加えて、日本赤十字社・NTT・NHK等を指定公共機関と定め、防災業務計画の作成と国・都道府県・市町村の防災業務への協力を義務づけている。その最高機関が中央防災会議であり、国レベルの防災基本計画を作成する。また都道府県に  も防災会議が設けられており、市町村でも同様である。

7、国際救援

1 国際機関

 国連人道局(Department of Humanitarian Affairs ; DHA-Jeneva)が統括している。

 DHAの平時の役割は、災害時に国連が実施する人道援助の調整、国連諸 機関・被災国政府・NGOの人道援助の調整と協力体制の強化、防災体制の強化などである。

 災害が発生するとDHAは、状況の把握と情報提供から、前記実援助業務の調整・協力要請・アッピール・政治交渉を行い、終了時には評価と報告を行う。

2 非政府機関;NGO

 国連に平行して、NGOの国際緊急救援活動が行われる。国際赤十字(赤十字国際委員会・各国赤十字・赤新月社・国際赤十字赤新月社連盟)がその代表で、そのほかにも先進諸国に各種の団体がある。

3 日本の国際救援システム

 日本にも政府機関として、被災国政府の要請を受けて派遣される国際緊急援助隊 Japan Disaster Relief ; JDR、があり、その医療チームを編成する母体であるJapan Medical Team for Disaster Relief ; JMTDRには数百名の医師・看護婦・調整員が事前登録している。またNGOもあり、各国の災害に緊急出動する。

8、災害医療の専門性

 本邦では、災害医療に関する専門性という概念は未成熟といわねばならない。日本以外の災害先進国では必要性が認識されてきており、これをDisaster Medicineと呼ぶ。

 専門性を認めるとすれば、専門研究者と専門技術者の存在、そしてその活動が組織的に行われることが要件となる。

 本邦では災害医療の研究歴史が浅く、研究者の存在はほとんど知られてないが、1996年、日本集団災害医療研究会が発足した。

 災害医療技術は、すべての医療者が習得すべきものであるが、なかなか 難しいため、一人でも多くを救命するという大目標を満足するためには、専門技術を持つ医療者集団を編成しておくとともに、それを緊急投入できる体制を作る方が現実的である。

 なお専門技術者に求められるのは、緊急出動して現場医療の核となることから、災害時医療展開の指導、最終評価、体制の改良作業まで、多面的な役割が期待される。

 そして経験者と研究者が国際的に情報を収集し、より優れた効率的な指導が望まれる。


宮城県沖地震

高橋有二、事例から学ぶ災害医療、南江堂、東京、1995, pp 61-64

(担当:有光)


発生年月日:1978(昭和53年) 6月12日17時14分 M 7.4
震度5(北緯38度09分,東経142度10分,深さ 40km)

被 災 者:死者28人,負傷者10,962人
 火災件数12件(市民の手で消された小火災など推定30件)

建   物:全壊1,383棟,半壊6,190棟
危険物屋外タンク5基底部亀裂(流出油 68,200kl)

地震の概要

 幸いにもこの地震の起こる8分前,17時06分に仙台で震度2(宮古,大船渡,盛岡,石巻,福島で震度3)という地震があった。この小地震が仙台市民の警戒心を呼び起こしていたために,火災等の二次災害を軽減したのではないかと思われる。本震では仙台をはじめ大船渡,石巻,福島が震度5,山形,秋田,白河,八戸,酒田,小名浜,宮古が震度4であった。

新潟地震との比較

 新潟地震:1964年(昭和39年)6月16日13時01分,M7.5,震度5,死者29人(新潟14人,山形9人,秋田6人),負傷者510人,全壊3,557棟,半壊12,237棟,火災発生9件(延焼火災6件,新潟市内)

 1.季節的には両方とも6月(12日/16日)であり,ストーブなどの季節ではない。

2.ともに近代都市の地震であり,新潟では石油タンクの火災,仙台では大学等化学実験室の薬品火災3件が目立った。

 3.ともに死者は28人/29人,負傷者は仙台10962人/新潟510人と仙台市の方が圧倒的に多い(ガラス切創などが目立った)。

 4.新潟は午後1時1分,仙台は夕方5時14分で,新潟では日没まで6時間,仙台では日没まで2時間と短時間であったが,地方都市のため日没までに家族の集合ができたことはパニックの防止に役立っている。

 5.新潟では流砂現象,低地浸水,昭和大橋の落橋など,主要道路の不通などの混乱があった。仙台市では市内中心部は比較的地盤が硬く,周辺造成地に被害が多く主要橋梁の落橋はなかった。

疾病構造の特徴

 性別 診察を受けた者の数  けがした場所  診察を受けた者の数
  男          967            屋 内           2,093
  女        1,788            屋 外                458
無記入       386            無記入                590
 計     3,141        計        3,141

けがの原因  診察を受けた者の数  けがの程度        数    
ガ ラ ス    698(22.2)     軽   症      1,257(40 )
落 下 物    675(21.5)     中 等 症      1,431(45.6)
転   倒    538(17.1)     重   症       235( 7.5)
衝   突      144( 4.6)     死   亡        10( 0.3)
熱   傷       93( 3.0)       無 記 入        208( 6.6)
そ の 他        993(31.6)       計      3,141(100 )
    計     3,141(100 )                            ()内%

本災害の教訓

 種々のレポートより,この地震についての教訓が散見されるが,要点を集約すると次のようなものであり,今回の阪神・淡路大震災にその教訓が生かされていない部分もある。

 1.ブロック塀の危険性(死亡9件)

 2.薬品火災(大学研究室3カ所出火)

 3.家庭内家具の転倒(負傷者多数)

 4.高層ビル・屋上の高架水槽およびキューピクル式変電設備の配管断裂,位置ずれ,破壊,などが起こり,これら設備の耐久性についての検討を要する(阪神大震災ではビル屋上水槽の破壊が給水不可能となったものも多い)

 5.救急車要請212件:飽和状態となり4台の救急車で24件を搬送,救急隊の効率搬送および市民への救急法普及の必要性

   我々は地震のたびにいくつかずつの教訓を得ている。季節,時間,温度,都市の条件など一つ一つ異なる。

新潟の震災では物価は一時的に高騰した。その反省からか,宮城県沖地震ではものの安売りの感があった。

 10秒〜20秒の地震が何十年もの財産を一挙に奪うことになる。その精神的な痛みを治す災害神経症に対するケアの必要もこのとき叫ばれたが,今日のようにはっきりした心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの考え方の導入はメキシコ地震以降となった。救援の手は割合スムーズに及んだ。

 今一つ貴重な教訓を得ているので付け加える。発災と同時に何人かの事務職員が自転車で街に出て患者及びスタッフのための衣食住,停電対策の乾電池などを買いに走ったそうであるが,誠に気の利いた話である。さらに12日の夜遅くなって盛岡の赤十字病院からパンとミルク約200食分が届いたとのことであり,大変感激したとのことであった。関連病院などの間で相互の救援活動は日常の親しい付き合いとともに,命令とか協定とかの問題でなく,事情のよく分かった院長,事務長などのまことに心のこもった配慮であると思われ,大変良い適切な例としてあえて記す。

 災害も進化する。われわれもいくつかの解答がわかってきつつある。問題はそれをどう見きわめて動くかの人の問題である。災害に対応できる,立ち向かえる人間の要請が重要である。


松本サリン事件

千種弘章、事例から学ぶ災害医療、南江堂、東京、1995, pp 91-98

(担当:広田)


災害の概要

発生年月日:1994年(平成6年)6月27日(月)深夜
発生場所:松本市北深志1〜3丁目,開智2,3丁目付近一帯,
            (南北約800 ,東西570 の範囲)
被災者:  付近の住民500余人(受診しなかったものも含む)
      死者7人=自宅で5人,病院で2人(DOA)
気象条件:(23時現在)小雨,気温20.4℃,湿度95%,南北の風0.5 /s

経過

6月27日(月)

23:09第1報 「妻が苦しがっている」の119番通報が松本広域消防署にはいる。 丸の内署の救急車で搬送中,心停止になるがCPRにて蘇生。 まだ「食中毒?」と思われる程度で,有毒ガス中毒は疑われていない

23:48マンション入居者より「変な臭いがする」の119番通報.松本広域消防署の偵察隊による周辺調査が行われるが,ガス漏れなどの異常は発見されない

6月28日(火)

0:05有毒ガスによる集団災害の疑いがもたれ始め「部屋から外へ出させろ」の声がとぶ

0:23ドクターカーが第1現場(松本レックスハイツ)に到着。 同時発症の有毒ガスによる中毒が疑われ,周辺住民の安否確認と救出活動に入る。

0:45広報車で「有毒ガスが出ているので窓を閉めてください」の呼びかけ

1:20これまでに第2現場(開智ハイツ)で3人,第3現場(明治生命寮)で1人の死亡が確認される

1:55ドクターカーによる患者(JCS300,わずかな呼吸,脈拍触知せず)の搬送。DOA状態で,病院で死亡

5:40長野県警の機動救助隊が空気ボンベによるマスクを装着して現場検証に入る

7:00松本署に「松本市における死傷者多数を伴う中毒事故捜査本部」が設置される

11:00松本保健所「有機リン系中毒の疑い」と発表

15:00捜査本部被害状況発表.死亡7人,入院56人.救命センターは満床で受け入れ不能

災害の特徴

1、集団災害と認識されるまでに時間がかかっている

事故発生から約1時間たって集団有毒ガス中毒が疑われた。したがって,救出時点で既に死亡していた被害者があった。

2、事故か事件か,また中毒の原因ガスが不明であった。

有機リン系の毒物であることは被災者の症状(強度の縮瞳,コリンエステラーゼの低  下)から翌日から疑われたが,sarinと判明したのは事件発生6日後の7月4日だった。

3、被災者発生の地域が広域に及んだ

 死亡したのは隣接3棟のビルの住民だったが,何らかの自覚症状を訴えた人は南北約  800 m,東西570 mの範囲におよび,アンケートで586人にのぼった.

4、救護者に二次災害が発生した

防毒マスクなどをつけて現場に入ったのは事故発生から数時間後からであり,出動  した消防職員,医師や警察官にも中毒症状が出て,1人入院した.

5、非難指示の決定が困難であった

最も適切な「現場から離れて風上に避難するように」の指示がなされなかった

6、地域住民は不安な日々を余儀なくされた

 原因の究明がなされなかった.

疾病構造の特徴

1、死亡例

胸部中央から上は鬱血著名で小出血斑がみられる.それより下は蒼白,チアノーゼ。極めて短時間内に心肺停止に陥ったための,低酸素脳症による死亡

2、自覚症状

「むやみに鼻水が出た」「急に目の前が暗くなった」ほか,頭痛,息苦しさ,脱力感,しびれ感,めまいなど

3、他覚的所見

縮瞳,コリンエステラーゼ値の低下

4、治療

 サリンからの隔離,全身管理(気道確保),解毒剤投与(PAM,硫酸アトロピン)、ジアゼパム(抗痙攣薬),大量輸液

医療対策

1、病院連携

 収容患者の配分,患者の情報交換などの強化が必要

2、救急救命士の育成

ドクターカー,高規格救急車,救急救命士の活動に期待する.

3、 特殊薬品の確保

4、 患者搬入時の問題

 衣服にサリンが残留していたら,さらに重大な事態になっていただろう


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