電気・ガス・水道などライフラインが断たれ孤立状態に陥ったとき、病院は施設が高度になればなるほど、その機能が麻痺することが予想される。もし、病院が機能を失ったら、それに変わるどのような手段があるか、どのような問題が起きるか。平成7年1月17日、阪神地区でマグニチュード7という大地震が発生し、死者は約5000人、負傷者は約27000人にのぼった。第22回日本集中治療医学会では、今後、このような災害に対してどのように対応して行くか、そのためのシステム作りについて、 現場において 周辺部において システムの作成 集中治療部についての4つの観点から提言している。
具体的には、 第一に、現場では今後の具体的な問題として人工呼吸、モニターなどの強度設計、モニターの厳重な固定、シリンジポンプの固定法、非常用電源や水の供給がなくても作動するような対策などの検討が必要である。第2に、周辺部では、災害時、ある災害者をある程度処置を行った後は周辺地又は遠隔地の医療機能の健在地に患者を移すべきであり、一次トリアージが必要である。また、それに引き続き2次トリアージを行い、二次的搬送が行われるべきである。このためには、トリアージに精通した医師の養成、ヘリコプターの使用など搬送手段・その利用に関する訓練が必要である。また、広範囲にわたる消防組織の協定を結ぶことも重要である。第3に、目的の明らかな地域住民と連携を保ったマニュアルに基づくシステム作成が必要である。第4に、集中治療部においては、大量災害患者に急遽収容が可能なようにベット数を確保することが重要である。
上記のような課題を踏まえ、今回の大地震の経験とデータを無にせず、生命を守る対策を自治体と共同して講じる必要がある。
<考察>
大地震など、災害は予想できるものではなく、もし発生したらどうするか、対策を先に立てることが重要である。対策を立てても、災害の規模や状況により、そのとおりにいかないことも往々にしてあると考えられる。災害が発生し、負傷者が出れば、その場にあり使用できるもので、その場にいる人が処置しなければならない。建物や医療器具を技術的に強固にする努力も必要であるが限界もあり、結局頼りになるのは人の力になってくると思われる。しかし、災害の中心となった地域にその力を求めることはできない。したがって、周辺部がいかに迅速に対処するかが、災害による負傷者の救命にかかってくると考えられ、そのためには、広範囲での地域協力体制のシステム作成が提言の中で一番重要であると考えられる。具体的には、被災地で患者の選別を行って、重症患者を迅速に周辺地の医療機関におくる体制を作ることである。そのためには、どの医師でも患者の選別を行える知識と経験が必要であり、患者の搬送も円滑に進まなければならない。したがって、個人の努力では、到底無理で、自治体が中心となり、地域住民、地域の医療機関と協力してシステムを作成する必要がある。どの自治体も、被災地になる可能性があることを十分に認識して周辺自治体と広範囲に協力体制を広げる事も重要である。また、大学病院は災害負傷者の処置に場所的にも人材的にも貢献しうる可能性がある。
・画像上の検討
損傷部のMRI像においてT2強調画像でhigh intensityとしてとらえられる浮腫およびlow intensityとしてとらえられる壊死が示唆される。MRIを用いた損傷部の解析は手術時の壊死部分の同定に有効な手段となる可能性がある。
また、CT像では筋肉の高吸収域を認め、これはCaの沈着によるものと考えている。クラッシュ症候群の臨床上血清Ca濃度の低下がしばしば見られるがそのこととの関連について解析中である。
・損傷のメカニズム
クラッシュ症候群の病態についてはこれまで筋の損傷を中心に考えられている。しかし近年損傷のメカニズムとして虚血後の再灌流障害が注目されている。細胞膜が白血球の産生した活性酸素の標的となり、これが細胞膜の再分極障害をひきおこすという実験結果も得られた。さらに白血球の活性酸素産生能を抑制する薬剤投与の効果についても検討中である。
【最後に】
日常的な外傷でないためにこれを扱った報告は数少なく、診療上の治療選択に関してさえ十分な知見が得られているとはいえない。今回の出来事を単なる教訓として終わらせることなく一つ一つの課題に関して系統的なアプローチを行っていくことが重要である。
1995年1月17日の阪神大震災では,道路,鉄道などが寸断され,陸路からの救援活動が困難を極めた。それに対して海路からの救援活動は有効であり,船舶が物資、人員の輸送,宿泊施設として多くの貢献をした。しかし、我が国においては船舶による災害医療の思想が普及しておらず,体制も十分に整備されていなかったために,船舶による広範囲な医療活動が行われなかった。この反省から,災害に対する支援のあり方をめぐり,災害救助船の必要性に対する議論が我が国において行われるようになった。
現在,世界で現実に活動している専用病院船は,アメリカ2隻,ロシア4隻,中国2隻の8隻のみである。多くの国では,各種艦艇に病院機能を持たせた準病院船(病院機能併設船)を用いた災害救助態勢を整備している。日本では,1986年に国土庁が国内災害に備える船舶を検討して以来,多数の災害救助船構想が登場し,海上自衛隊、海上保安庁などで一部実現しつつある。
1. 病院船とは
病院船とは病院機能が中心の船のことである。多くの患者を収容でき高度な医療を行えるが、接岸可能な港湾の制限や高い維持費が問題となっている。
例)アメリカ/マーシー級
本艦は106,618トンのサクラメント級タンカーから69,360トンの病院船に改造されたもので、全長273メートル、幅32メートルの艦船である。病床数は1000床(うちICU80床)、手術室12室でヘリ甲板や傷病者選別を行うトリアージセンターがある。1990年の湾岸戦争時には、米海軍に対する医療を行なったほか、最近ではカリブ海での難民救済といった人道的活動も行っている。
2. 準病院船とは
病院船が病院機能中心の艦船なのに対し,準病院船は,他の目的の艦船に病院機能を付加したものである。そのため医療設備の程度は、その船舶の規模,使用目的により様々である。準病院船は、病院以外の使用目的を有することにより、より頻回の使用が可能でありコストパフォーマンスの面で優れている。
3.海上自衛隊と災害医療
海上自衛隊には、病室のほかに診察室,手術室、X線検査室などを有する拡大医務室併設船として、遠洋航海を行う練習船かしま、南極観測を行う砕氷艦しらせ、多数の艦船を支援する補給艦とわだ型3隻がある。さらに平成10年3月に就役した輸送艦おおすみ、ここ数年で就役予定の,近年の災害対処を考慮した5,400トン型潜水艦救難艦は、医療機能をより拡大している。
阪神大震災のとき、自衛隊の派遣した艦船は延べにして約680隻であった。それらの艦船は、救援物資の輸送、給水・給食支援、入浴施設開設、陸上自衛隊員などの宿泊施設として利用された。また、補給艦とわだは、大阪港から神戸港へ真水の輸送を行った。しかしながら洋上での医療活動は行われなかった。洋上からの患者の後送を考えた場合には、まず陸上でトリアージおよび初期治療が行われる。次に重症の場合主にヘリコプターによって病院船,準病院船などの災害救助船に輸送されそこで治療が行われる。そして陸上の医療機関へ移送される。その中で病院船、準病院船は重要な位置を占める。現在海上自衛隊の艦船のなかで、災害救助船として最も適しているのは補給艦とわだ3隻と輸送艦おおすみである。日本の地震や火山などの自然条件や艦船の規模などを考えた場合、イタリア海軍の在り方を参考にするのが望ましい。イタリアの災害救助船との大きな違いは、大災害時には一般の医療設備に加え、救急センター、産婦人科・小児科センターなどが開設でき、さらに災害の種類により乗艦する医療スタッフが決められていることである。さらに災害の種類別に3種類の災害救助物資を集積しておき、直ちにコンテナ輸送できるような体制をとっている。これらは我が国も大いに参考とすべきである。今後は世界各国の災害の救助活動を参考に輸送艦おおすみによる災害医療のあり方について検討の必要がある。
参考)輸送艦おおすみ
排水量8,900トンで全長178メートル,幅25.8メートルの輸送艦。医療設備ではICU1室(1床)、一般病室2室(8床)、手術室1室を有するほか人員輸送スペースを軽傷用病室として拡張することが可能である。輸送手段ではホバークラフト型の輸送用エアクッション艇2隻を有し、広い後部甲板には、大型ヘリの発着可能である。
4月26日午後8時過ぎに名古屋空港で中華航空機が着陸に失敗し、乗客、乗務員264人が死亡する大惨事があった。この事故に医師達かどう対応したのであろうか。 *2回の訓練が救急活動に役立った 愛知県医師会や愛知県下の名古屋空港周辺の医師会は1988年10月16日と93年5月24日の2度にわたって名古屋空港航空機事故消火救難訓練を行った。自衛隊、消防隊が放水する中で仮想負傷者を機外に運び出し、重症度に応じて選別し、応急処置後に救急車で後方医療機関へ搬送するという内容だった。1回目の訓練では、空港周辺を3ブロックに分け医師会の持ち場を決め、どこに飛行機が落ちた場合は、どこの医師会が1次出勤する、2次出勤はどのようにするという連絡網を作りそれに基づき訓練した。2回目においては、医療資器材搬送車、医療救護所用のエアテント、空港内で医師がここにいると目立つように医師会のマークを背中に描いたつなぎの防災服や現場通行許可証などを用意し訓練した。これらは今回の事故でも大いに役立った。 *現場に先に着いた医師がまず指揮する 午後8時16分頃に起きた事故の約10分後には、空港近くの医師会所属の医師が自家用車で駆け付け、最終的には医師47名、看護婦17名が出勤した。早く現場に着いた医師が救急医療の指揮を取ったが、その後はもっと上の医師が引き継いでいった。
事故後に医師達から集まった声は以下のようになっている。
また、消防は消防、警察は警察、自衛隊は自衛隊、医師会は医師会という縦割りがあって、それらを超えた横の統一を図ることが今回の航空機事故で出来てなかった。アメリカのように縦割りを乗り越えた組織が必要となってくるのではないか。