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筆者はこれまで、世界各地の災害発生と同時に現地に飛んだ経験をもとに、災害医療に関して各種提言を行ってきた。しかし、関係各省庁や団体の方々に十分耳を傾けていただくに至らなかった。これまでも災害医療が話題となるのは、ジャンボジェット機の墜落や大災害が発生した折りであり、一過性の“現象”にすぎず、具体的に議論が煮詰められていくことがなかった。どこかに“対岸の火事”的な現実感のなさを痛感し、もどかしい思いをしてきた。ところが、阪神・淡路大震災発生以降は、これまでほとんど顧みられることのなかった「災害医学・災害医療」について真剣な議論がなされ、具体的な取り組みの必要性が認識されるようになった。本稿では筆者のこれまでの経験を踏まえ、先の阪神・淡路大震災の事例を含めながら、災害医学の考え方、災害医療のあり方について言及する。
災害の種類については、それを大きく白然災害、
人為災害、特殊災害に分類した高橋1)の考え(図1)があり、理解しやすいと思う。また、災害の定義については諸説あるが、Gunn2)によれば「人と環境との生態学的な関係における広範な破壊の結果、被災社会がそれと対応するのに非常な努力を要し、被災地域以外からの援助を必要とするほどの規模で生じた深刻かつ急激な出来事」となっている。まず災害の具体的内容について考察してみる。
自然災害のなかでも最も多いのは洪水である。地震の多発するわが国からみれば意外な感を抱かれようが、わが国はもちろん、世界的にみても風水害によるものが多い。これは地震災害のない年はあっても、台風やハリケーンによる被害が発生しない年がないことで理解できる。また、自然災害とひと口にいっても具体的には地震、津波、火山爆発、台風、ガス噴出など短期型と旱ばつ、洪水、疫病など長期型のものに大別でき、それによって対応が異なってくるが、比較的広い地域の災害であるから広域災害として対処するのが基本である。
次に人為災害について考えてみると、都市テロ、爆発、火災、航空機・船舶・列車事故、多重衝突事故などがこれに該当し、白然災害がその内容から広域災害と捉えることができるように、人為災害は“局所災害”と捉えることができよう。
三番目の特殊災害については、いろいろな考え方がある。本来局所的である人為災害が広域化したもの、たとえばチェルノブイリ原子力発電所事故、インド・ボバール工場爆発事故、ノルウェーのタンカー座礁によるオイルの海洋汚染のように、人為的災害でありながら広域災害化したものや、台風による豪雨と森林伐採による自然破壊があいまって引き起こされた泥流災害のようなものが含まれよう。このように分類しにくい災害が多発する傾向にある。
さて、災害の定義でいう「広域な破壊」から想像できるように、災害とは多数の集団に被害が及んでいるのが普通である。つまり集団災害であり、多数
の人達が同時に負傷もしくは死亡するような大きな事故や災害を指し、その規模や傷病者数から通常の地域内の救急体制では対処できない場合をいう。
こうした集団災害が発生した場合、災害の規模によって傷病者の救護活動、応急処置および搬送などのため、広域かつ多方面の人的資源の動員が組織化されなければならない。災害医学とはそうした集団災害に対する救急医療体制の整備はもちろん、災害予防や復興まで包括して考える学問である。はじめに
1 災害医学の理念と教育
【災 害】
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2)災害医学とは
WHO救急救援専門委貝会は、1991年、災害医学を「災害によって生じる健康問題の予防と迅速な救援・復興を目的として行われる応用科学で、救急外科、感染症学、小児科、疫学、栄養、公衆衛生、社会医学、地域保健、国際保健など様々な分野や、総合的な災害管理にかかわる分野が包含される医学分野である」と定義している2)。災害医学は単なる緊急救援医療活動に関する学問ではなく、災害予防、 災害準備、緊急対応、救援、復興といった社会における災害サイクルのあらゆる時相、様相を統合する広範な科学として捉える性質のものである。具体的な災害管理の新しい理念として先のGunn2)が提唱している基本則を表1に掲げる。
当然、これらの理念を支えるものとして、災害の歴史的な調査および疫学的分析、社会科学的・白然科学的・学際的研究が必要となる。特に疫学は、疾病の発生頻度や分布を規制する因子の影響を研究する学問であり、災害に疫学を応用した場合、災害データの収集・分析によって緊急活動時の意志決定を導きだしたり、疫学的手法から災害の影響を予測することが可能となる。
たとえば、環境因子の変化による酸性雨などの特殊災害が人々の健康に及ぼす影響、健康障害の危険因子分析は疫学的に可能である。また、災害時における臨床診断と治療の有効性、災害前への復旧までの援助活動についても過去の疫学的分析データをもとにシミュレーションすることができ、災害への 様々な予防策や災害時の準備が可能となる。
わが国においては救助活動上の問題や災害医療対策上の弱点が、過去に発生した集団災害についてそのつど指摘されている。一つの事例をモデルケースにすることは困難であるが、これらの記録などを疫学的に分析・検討することにより、疾病パターンや災害対応を示すことは大切である。そのうえで防災・災害準備・被害の軽減化などに対する総合的な体制づくりに向かうことができるようになる。
1. 災害に対する準備は可能であり、必須である(予測できる出来事に対する備えが十分であればあるほど、効果的な救助活動が可能となる) 2. 自然災害の多くは予防可能なものであり、すべての人為的災害は避けることができるはずである 3. まったく同じ災害はありえないが、災害に伴って発生するある種の間題は予測可能である 4. 災害プロフィールに基づいて、各種の災害による傷病パターンを疫学的に示すことは可能である 5. 災害計画と準備は、地域レベル、国レベル、国際レベルで可能であり、専門や組織の枠を越えた効果的な対応のために欠かすことができない 6. 災害が発生した場合、必要に応じた対応が即座にできるように、多方面の人的資源(医療活動であれば医師、看護婦、栄養士、ソーシャルワーカー、パラメディックなど)の動員が組織化されていなければならない 7. 危機管理の評価、救助者が介在した際の評価、災害後の状況調査は必ず行う 8. 災害現場での活動は二次災害の危険性からの回避はできない 9. 復興の時相は災害直後から始まり、それはすでに新しく始まる開発の一歩である 10.災害管理はかかわりあいのある地域社会、地方自治体、国の公共組織すべてを包含するものである |
3)災害医学教育とその問題点
災害医学が災害予防・準備にわたる広範な学問と規定されていても、実際は災害医療をどのように行うかが間題であり、医療活動がその中核である。そして災害現場での医療活動で重要なことは、1)Triage(選別)、2)Treatment(応急処置)、3)Transportation(搬送)の3つである。これら3Tをいかに迅速かつ的確に行うかが重要で、これに速やかに対応できる医療従事者を育成することが、すなわち災害医学教育である。
混乱状態の災害現場でより多くの人命を救助するという立場から、トリアージは標準化し十分な訓練をしておく必要がある。また、負傷者が同時に多数発生するため地域の救急病院だけでは対処しきれない。各省庁など国レベル、都道府県、市町村レベルの相互連携システムによる病院、消防署間などのネットワークを円滑に機能させることが必須となる。さらに各病院の救急医療能力評価に応じた災害病院のマップを地域別、ランク別に作成しておき、重症度に対応した災害現場からの搬送指令が迅速・的確に行えるようにすべきである。しかし何といっても災害発生時、その現場で指導的役割を果たせる救急災害医の養成が第一であり、それが災害医学教育の要諦であると考える。
外国を眺めてみよう。諸外国では約10年前から災害医の養成を積極的に行ってきており、その成果が災害救急医療援助の必要時に、専門家を多数派遣できる土壌となっている。アメリカでは、1979年にF. Edward Herbert Schoolof Medicineで開発されたものと1982年にACEP(American College of Emergency Physicians)とFEMA(Federa1 Emergency Management Agency)が共同で作成した災害医学教育コースがある。前者は医学部4年生を対象に8週間コースが年3回開催され、毎回約55名が受講している。その内容は、災害時における高度なcardiac & trauma life supportを含む災害医学の講義、演習と災害医学問題解決手技がシミュレーションされている。また、後者は災害医療に関する2日間16時間の教育プログラムで、1983年9月から年間約70名の救急医を対象に実施されている。その内容を表2に示す。
フランスでは1972年から全科にわたる医師を対象に、白然災害・人的災害時の傷病者に対する外科的・内科的処置が行える資格を与える2週問71時間のコースを年2回設けている。内容を表3に示す。
また、スイスでも1981年以降医学生が必修科目として災害医学を扱うようになっているほか、毎年高学年の医学生、臨床医、病院スタッフを対象に「災害医学の基本」として外科的管理、集団中毒、化 学・原子力災害、疫学などに関しての講義を行っている。
わが国では、国際空港における事故を想定し、1983年と1994年の金沢医科大学の医学部学生を中心とした災害模擬訓練や、関西医科大学における1985年と1986年の列車事故、航空機事故を想定した模擬訓練がある。諸外国のようにスタンダードな規範が設定されているわけではないが、こうした訓練結果から、高度の災害治療を各重症患者に行う場合、30名の医師で7名の患者が限界であることが確認されたという3)。 以上のようにわが国の大学において、災害の模擬訓練教育を行っていたのは数校のみであった。社会的役割の重要性を考えると救急医のなかから災害医の育成、生涯教育の一貰としての災害救急コース、医学生の必須科目として災害医学の確立が望まれる。