5/17/96

災害医療の特質・目標・医療展開の原則

青野允、Emergency Nursing新春増刊14-21, 1996(担当:大西)


<はじめに>

 救急医療が一人の救急患者に対し、多くのスタッフが総力を挙げて対処するものであるのに対して、災害医療では、多くの被災者の中から少ないスタッフで、いかにより多くの被災者を社会復帰させるかが重要である。

 災害医学は本来軍事医学から発展したものである。そのため、戦争を放棄して半世紀を経過した日本には災害医学は存在しない。戦争では、ある程度の戦死者・負傷者を予測でき、衛生兵が医薬品・医療資材を持って隊と同行し、軍医も後方で待機している。しかし、平時の災害対策ではこのようには行かない。トリアージに関しても、これを医学の世界で最初に用いたナポレオンの軍医、DJ.Larrayは、seriously wounded soldierに治療の最優先権を与えていた。また、トリアージの目的も戦争と災害では異なり、戦争では生命に危険の無い負傷兵を直ちに処置して最前線に再び送ることにある。

<災害医療の目標>

 医療での災害状態とは、膨大な医療の需要に対する供給の絶対的な不足の状態である。つまり、医療機関の被災の有無に関わらず、医療需要のアンバランスがあり、そのためその地域の通常の組織では対処できず、他からの救援を必要とする事態をいう。

 このような状況下で、多人数が対象となる救急事態に対処するためのカリキュラムが、1982年、文部省・厚生省両省主催の「医学教育者のためのワークショップ」の中で試作されている。その中で、一般目標には、災害発生地における困難な状況下で迅速に的確かつ適切な救急医療が出来ることがあげられている。医療面における行動目標の要点は、災害についての広い知識を持ち、先ず災害から自分自身を守ること、管理面では、この行動目標を達成するためのコーディネーター役が出来ることを前提条件とし、その上で災害時の経時的医療ニーズに沿った行動が出来ることを要求している。しかし、このカリキュラムはその後の災害医療教育に活かされていない。

 もう一つの問題点は、日本の災害に対する法律にあり、昭和22年の南海大地震を契機に制定された「災害救助法」と、昭和36年の伊勢湾台風後に制定された「災害対策基本法」が、現在の社会医療情勢下での災害に十分に対応できない点にある。

 従って、医療に携わるものは、法の改正、災害教育の普及を待つまでもなく、地域で自衛策を講じておく義務があり、以下にその方法の一案を示す。

<医療展開の原則>

 医療の災害状態下で最大多数の被災者を社会復帰させるためには、一定の方式によって被災者救助に当たらなければ目的を達成することは困難である。そのための方式がSearch & Rescue(探索と救出)とThree Ts'(3つのT)である。

  1. プレホスピタルケアシステム

    1)災害の発生:発見者が119番通報し、これに応じて最初に到着した救急隊が災害発生場所、種類、範囲、被災者の概数などを本部に連絡する。

    2)災害発生の覚知:通報を受けた本部では被災規模が災害対策基本法に合致すると、その自治体の長が災害発生を宣言し、災害対策本部、現地救護所の設置など必要な処置を講ずる。

    3)探索と救出(Search & Rescue):災害現場では、引続き到着した消防隊、救急隊は被災者が閉じ込められているような場合には、被災者を捜しだし救出して、2次災害が及ばない安全な場所に設置した現地救護所に運び出す。

    4) トリアージ(triage)と搬送(transportation):現地救護所で第1回目のトリアージを行う。トリアージの順に救命処置等を受けた被災者を適切な搬送方法で医療機関に搬送する。搬送責任者は重傷者を近くの病院へ送る。1ヶ所の医療機関に被災者を集中させないように注意する。

  2. ホスピタルケア

      院内でも3つのTを守ることが原則である。その前提条件として、少なくとも当該病院に搬送される被災者の重傷度と人数が搬送開始時に知らされる必要がある。そのためにはまず、

    • 救急医療情報センター等を、災害時にその機能を発揮できるように平時から十分に活用しておく。

    • NHK、NTTをはじめとするメディアもこの組織に組み入れ、防災無線網で結んでおく。

    • 地域の基幹、副基幹病院を決め、病院の規模、専門性を考慮してランク付けをしておく。

    • 病院内被災者対策:被災者が搬入されたら、病院ではまず、
      1. 病院入口でトリアージを行い、各重傷度別ゾーンに分散させる。
      2. 各ゾーンでは、さらに重傷度に従って救命処置を行う。
      3. 検査、処置室でもすべてトリアージの後に次のステップを指示する。
      4. 手術室入口でもトリアージの後優先順位にしたがって手術を行う。
      5. 入院患者はなるべく1単位の病棟に収容する。
      6. 通院、退院患者は退出時は必ず登録してからにする。
      7. 死者は1ヶ所に集めておく。
      8. 災害時には、ストレスによる内科系、精神科系の患者も発生し、これらの科の医師が必要になる。
      9. 病院前トリアージは玄関内で行わないこと。トリアージ係は、医師、看護婦、事務員の3名で行う。警備員は院内外の交通整理、野次馬・家族・報道関係者の応対などをする。被災者用の病院入口は1ヶ所にする。院内の被災者の動線は一方向にする。交代要員を考慮する。
      10. 災害対策マニュアルの作成:1〜9までの院内対策を簡単なマニュアルにし、電話の下にいれておく。
      11. 模擬訓練の実践

    などが必要である。


国際医療協力に参加して

福家信夫、救急医療ジャーナル3(2) 34-8, 1995(担当:栗田)


1。はじめに

 テレビや新聞で報道される大きな自然災害は、地球上で年間70件発生しているといわれる。人為的なものも含め、このような大災害のうち、緊急的な対処が必要なものに対して、援助隊員、援助物資の供与を行なうシステムがある。

 国際協力事業団(JICA)の国際緊急援助隊事務局には、人道的な立場から緊急援助隊(Japan Disaster Relief Team: JDR )の派遣を行なっているが、そのうち、国際緊急援助隊医療チーム(Japan Medical Team for Disaster Relief: JMTDR)は、医療援助を目的とした組織で、医師、看護婦(士)等、医療関係職の有志が要請に応じて出動する。これに対して、消防、警察、海上保安庁などで構成されるレスキューチームもある。

 本稿ではフィリピン地震(1990年)での出動経験とレスキューチームとの関係について述べられている。

2。出動の記録

  1. 災害の発生
     1990年7月16日、日本時間午後4時28分、ルソン島中部ヌエバエシア州カバナイツォアン近郊で、マグニチュード7.7の地震が発生した。同日午後8時までの情報で、死者は40人以上、負傷者不明、多数が生き埋めになっているとの報告だった。

  2. 出動まで
     7月17日午前11時、出動要請の電話が入り、午後5時に成田空港集合、8人で結団式を行ない、午後7時成田発。午後11時30分マニラ空港到着。翌日午前5時、軍用機、軍用ヘリコプターを乗り継いでバギオ市に入った。

  3. 医療活動
     バギオ総合病院(BGH)で医療活動を行なった。現地では、日本人夫婦が経営しているホテルに宿泊し、また、国際援助事業で作業中の企業に有形無形の助力をいただいた。
     BGHは機能が麻痺状態であったため、病院前にテントを張り、仮病棟として入院設備はもたないまま、18日から21日まで100人程度の外来診療を行なった。最初の2日間は、地震関係の外傷患者が多かったが、次第に扁桃腺炎、喘息などの慢性、急性の疾患による患者が増えてきた。また、抗生物質が容易に入手できないためか、皮膚の化膿性疾患が多かったのが印象的である。

3。レスキュー部隊との連携

 JDRレスキュー部隊(26人)は、7月18日日本を出発し、19日現地入りし、現地対策本部の指示により、捜索、救出を担当した。医療班はBGHにベースを置きつつ、連絡(無線とジープによる)が入れば直ちに現場に向かうという打ち合わせであった。しかし実際の救出者はいなかった。

 今回の災害救援活動は、JDRとしては初めての、レスキュー・医療連動の組織的出動であった。日本レスキューチームの士気の高さと、それを裏付ける高度の装備は賞賛に値するものである。

3。今後の課題

  1. 現地へはいるまでの交通手段の問題
     専門機のない日本は、出動するために直行便があり、かつ緊急的に座席を確保できる程度の便数があるところしか効果的な出動はできない。

  2. 現地での通信、輸送手段の確保の問題
     今回は現地日本企業の積極的な協力があったが、安定した輸送路の確保が問題となる。

  3. 人材の問題
     出動のためには「1週間かそれ以上の欠勤」が必要である。本来の勤務先でハードな勤務体制がとられている場合、これは難しい。JMTDRへの登録さえ許可されない大学病院もある。また、今回の人員は必要最小限であり、何かのトラブルが発生したら大幅に機能が低下する。派遣チームの量、質ともにより向上させる必要がある。

4。JMTDRへのご招待

 こうした災害援助に興味のある方は医師、看護婦あるいは業務を問わずJMTDRへの参加を呼びかけたい。日本の海外援助では「金や物は出すが、人は出さない。」との声もしばしば聞くが必ずしもそうではなく、少なくとも、災害救助に向かおうという意欲はここに集まっている。


大震災における精神科救護活動

    麻生克郎、公衆衛生59: 467-9, 1995(担当:高橋)


 今回の阪神大震災は、歴史的な大災害であったと同時に災害時における精神科の救援活動が初めて大規模に行なわれた災害であった。

 阪神大震災の精神医療保健への影響を考える場合、震災による医療需要の増大という面と、それに対応すする医療保健システムの破壊という両面から考えなければならない。

 精神科医療需要を示すデータとしては、1月17日以降2週間で兵庫県下の精神病院に入院した人は、900人を越えこれは通常の約3倍の数であった。外来診療数については確かなデータはないが、10保健所に開設した精神科救護所で診療した結果、これまで精神科の治療歴のない人が30〜50%であったという。

 次に精神保健システムの問題であるが、激震地帯が神戸阪神地区の市街地を貫いており、多くの精神病院は郊外にあるためほとんど被害は受けなかった。しかし市街地にある地域精神保健システムは壊滅的な打撃を受けた。神戸阪神地区はもともと精神神経科のクリニックが多いところだったが、激震地帯に近い地区では、ほとんどのクリニックは何らかのダメージを受け満足な診療が出来なかった。仮設の建物や移転再開なども含めて全ての診療所が一応再開したのは3月になってからであった。多くの病院は数日間は救急患者であふれ、医師や看護婦にも被災者が多く、通常の外来診療が出来ないうえに、遠くの病院に通院していた人も多く、交通機関の破壊のため、外来通院のシステムは決定的なダメージを受けた。

 地域精神保健システムの崩壊と、ニーズの急増という事態に直面した被災地の保健所でスタートしたのが精神科救護所である。1月21日以降1週間の間に10保健所で開設された。

 精神科救護所は、当初は爆発的な精神科医療ニーズにこたえるためのもので、通院先を失った精神科の患者、被災によって急性再燃を起こした既往歴のある人たち、被災と避難所生活によって起こった急性ストレス反応の診療が目的であったが、徐々に避難所の多様な精神科ニーズをカバーする形となっていった。

 避難所で働くスタッフ、ボランティアなどの人たちの多くも被災者であり、役割におわれて不眠不休で働きつづけ、いわゆる「燃えつき」や対照的な防衛的そう状態のための治療をするケースも多くあった。また一ヵ月ほどして事態が比較的沈静化した頃からはアルコール関連の診療が多くなった。支援物資として酒が届けられ、とにかく強烈なストレスと環境変化のため、被災をきっかけに飲酒量がふえた人は多かった。大量飲酒者のトラブルというものも多く、長期的には依存症の増加も予想される。

 医療システムが大きなダメージを受けた中では、必然的に緊急の対応を迫られることが多く、被災地での夜間の精神科入院は、通常の2倍以上のペースが3月まで続いていた。

 今回の震災では、被災者のメンタルヘルスケアの必要性がたびたび取り上げられた。海外からは、災害時のメンタルヘルスの専門家が来日し、講演や研修を通じて日本のスタッフにも働きかけを行なった。保健所や避難所の救護所精神科チームも、避難所の被災者全体のメンタルヘルスケアという役割を担うことになっていった。ただ通常の精神医療を第一とした救護所チームには容易なことではなかった。というのもほとんどの人が災害時のメンタルヘルス活動についてマニュアルもトレーニングも欠けていたからである。

 被災者のメンタルヘルスケアは、災害対策の中で大きたウェイトを占めることが今回の震災で、突然に常識となった。しかしメンタルヘルスケアは、被災者への各種の情報やサービスと一体のものとして提供され、たとえば避難所の管理運営に生かされるものでなければならない。

 今回の震災で、少なくとも災害時に精神保健のチームが活動すべきフィールドが存在することは明らかになった。そして今からやらなければならないことは、今回の経験を生かして活動の内容を確定しトレーニングのシステムを作り、それを災害対策全般のなかにきちんと位置付けることだと思われる。


災害医学の理念と教育

山本保博、日本医師会雑誌110: 697-700, 1993(担当:宮崎)


 災害とは人と環境の生態学的な関係における広範な破壊の結果、被災社会がそれと対応するのに非常な努力を必要とする程の規模で生じた深刻かつ急激な出来事である、と定義されている。それは、

  1. 自然災害によるもの
  2. 人為的災害によるもの
  3. 混合型災害によるもの
に分類される。自然災害は更に地震、津波、火山爆発、台風などの短期型のものと干ばつ、疫病、洪水などのものに分けられる。人為的災害は、火災による有毒ガス中毒、化学工場の爆発、公害による環境破壊、原子力汚染、戦争などが上げられる。混合型災害は1991年におけるフィリピン レイテ島を襲った泥流災害、台風による豪雨と森林伐採による自然破壊があいまって引き起こされたものなどがある。

 わが国における国際的医療教育は1980年のカンボジアの難民医療に始まり、1985年のメキシコ地震、1986年のチェルノブイリの原子力発電じこ、1988年のアルメニア地震、1989年10月サンフランシスコ地震、1990年8月の湾岸危機、1991年3月湾岸戦争後のクルド難民、フィリピンのビナツボ火山の爆発、旧ユーゴスラビアの紛争などがある。このように地球をとり巻く気候や社会環境の変化から、いつ、どこで災害が起きてもおかしくない時代に、我々はいるといっても過言ではない。

 世界第2位の経済大国となったわが国は、災害医療の面でも国際貢献が強く求められている。そこで災害医療についての理念を、改めて見つめなおす必要がある。救急医療が定着してまだ日も浅く、ようやく救急救命士制度が始まったばかりというのが現状であるが、災害はある日突然やって来るので、備えあれば憂いなし、という予防的観念を含めて、早急に検討すべき時期に来ていることは確かである。

 1991年WHO救急救援専門委員会は、災害医学を、災害によって生じる健康問題の予防と迅速な救援、復興を目的として行われる応用科学で、小児科、疫学、感染症学、栄養、公衆衛生、救急外科、社会医学、地域保健などの様々な分野や、総合的な栄養管理にかかわる分野が包括される医学分野である、と定義している。災害医学は単なる緊急救援医療活動に関する学問ではなく、災害予防、災害準備、緊急対応、救援、復興といった、社会における災害サイクルのあらゆる時相、様相を統合する広範な科学として唱える性質のものである。またSWA Gunnが提唱する10の基本則は次の通りである。

  1. 災害に対する準備は可能であり、また必須である。
  2. 自然災害の多くは予防可能なものであり、すべての人為的災害は避けることができる。
  3. 全く同じ災害はあり得ないが、災害に伴って発生するある種の問題は予測可能である。
  4. 災害プロフィールに基づいて、各種の災害による傷害パターンを疫学的に示すことは可能である。
  5. 災害計画と準備は、地域レベル、国レベル、国際レベルで可能であり、専門や組織の枠を越えた効果的な対応がすぐにできるように多方面の人的資源(医療活動であれば医師、看護婦、栄養士、ソーシャルワーカー、パラメディクなど)の動員が組織化されていなければならない。
  6. 危機管理の評価、救助者の介在した場合の評価、災害後の状況調査は必ず行う。
  7. 災害現場の活動は、2次災害の危険性からの回避はできない。
  8. 復興時相は災害直後から始まり、それはすでに新しく始まる開発の一歩である。
  9. 災害管理は、かかわりあいのある地域社会、地方自治体、国の公共組織すべてを包括するものである。

 災害現場での医療活動で大切なことは、3Tと言われる対処方法で、1. Treage(選別)、2. Treatment(応急処置)、 3.transport(搬送)をいかに早く行うかが問題になってくる。パニック状況の現場でより多くの人命を救うためには、特にtriageの方法を標準化して十分な訓練をしておくことが必要である。災害の場合は負傷者が同時に多数発生するので、単に地域ごとの救急病院があるということだけでは対処し切れない。各省庁などの国レベルと都道府県、市町村レベルとの縦割り行政を横断的に考える連携システムによる、病院や消防署間などのネットワークを円滑に機能させることも必須になる。そして各病院の救急医療能力評価に応じた病院マップを地域別、ランク別に作成しておくことにより、重症度に応じた災害現場からの搬送指令が、迅速かつ的確に行えるようになる。最も重要なことは、災害が発生したとき、その場で指導的役割を果たせる救急災害医の養成である。諸外国では約10年前から災害医の積極的養成を行っており、その成果が国際的な災害救急医療の協力派遣の必要性が生じた場合に即、専門家を多数派遣できる土壌となっている。日本においては、いずれの場合においても災害現場でのtriageまでも含めた訓練とはなっていないが、今後の社会的役割の重要性に応じて、救急医の中からの災害医の育成、生涯教育の一環としての災害救急コース、医学生の必須コースとしての災害医学の確立が望まれる。これらにより、災害が発生した場合に現場での指導的役割を果たせる災害医の養成が可能になるものと思われる。そこで初めて、外国での災害に対しても国際的医療貢献が可能になるであろう。


大災害における医療の役割(座談会)

山本保博ほか、日本医師会雑誌110: 671-89(担当:浜浦)


 災害は、その対応の違いによって、自然災害、人為災害、特殊災害の3つに分けられます。自然災害は洪水や地震、干害、火山の噴火などの広域災害を指し、人為災害は人間が造ったものが事故を起こすということで、鉱山災害やガス爆発、ビル火災、大都市火災、航空機、船舶、列車事故などがあり、局所災害が多い。特殊災害は人為災害で本来局所災害的なものが広域災害となるもので、核事故、タンカー事故、有毒物の流出などです。

 このような災害における医療は「多数の者が被害を受け、通常時の救急医療体制の中では対処できない災害に対する医療」と定義され、現在、災害対策基本法に基づいて行われています。災害医療で大切なことは「トリアージ」です。トリアージとは "どんなに多数の人が頑張っても到底助けることができないだろうという犠牲者にエネルギ−を使うことによって、より多数の人が亡くなる危険を避ける"という考え方に基づく救出順位の選択である。この、一見冷酷に見えるトリアージの考え方の背景は、 "多くの人を助ける" ことであることを忘れてはならない。具体的には、災害の現場で "軽症群" 、すぐ治療しなければならないが治療すれば助かるかも知れない "即治療群" 、搬送や治療を後回しにしても大丈夫という "後治療群"、 "完全な死亡群" にわけ対応している。これを「現場でのトリアージ」という。その他、「搬送中のトリアージ」、「病院の玄関でのトリアージ」などがあります。つまり、救急医療と災害医療との違いは、救急医療は、1人の患者に対してスタッフ全員総掛かりで何とかして助けることであり、災害医療は、大勢の患者のなかからいかに、より多くの人を助けるかが大切であるという点であると言える。

 しかし現在の災害治療には、問題点として、各都道府県や地域の医師会などで地域防災計画としての具体的な対策をとるための話し合いが不十分であることや、指揮、命令系統の一本化が行われていないことなどが言われています。アメリカではフィーマー(FEMA; Federal Emergency Management Agency) という米国連邦災害対策管理局があり、縦の行政を横突起にまとめて、災害を連邦として考える局があります。また、災害医療には、治療だけでなく予防、準備、いざ起こった時の災害の軽減化が大切なのですが、その対策として、都道府県の医師会あるいは都市区医師会で、訓練や勉強会をしているところもありますが、大災害時の医療機関の生き残りまでは想定していないのが実状です。医療機関が生き残らなければ医療救護も何もない訳です。災害が起こったときに、災害の軽減化として病院がまずやるべきことは、入院患者や病院にいるスタッフの安全確保です。次に、スタッフの確保も含めた診療能力を保つことです。

 これまでの災害事例に学ぶ、今後の対策としては、地震という1番条件の悪い場合、つまり電気、水道、ガスが止まってライフラインがなくなってしまう場合を想定して、対策を立てておくことがあります。地震が起きると、自動現像機が全部だめになるため、レントゲンフィルムの手現像の訓練も必要と思われます。また、野球場や劇場など1カ所で大災害になる場合や、通勤通学時など大災害になる時間帯なども想定しておく必要があります。チェルノブイリのような原発事故やテロリストを含めた対策も検討すべきです。今、わが国では起きていない災害で、近い将来起きるであろうと言われているのが、高層ビルの火災と、深々度地下の火災です。このような場合、現場救急というのが相当重要な意味を占めてきます。

 国外に目を向けると、国際貢献が問題になって来ます。災害に対応することができない国々に対して、我々が緊急的に援助の手を差し伸べる国際貢献は、医療人としても逃れることはできない仕事であり、日本でもJMTDR (Japan Medical Team for Disaster Relief) と呼ばれるチームがあります。これからの大規模災害は、地球の環境破壊に関連したような自然災害として、どんどん広がっていくだろうし、1つの災害がほかの国に波及するスピ−ドは早くなり、影響する範囲も広がって来た現在、国際救援は必ずしも他の国のためだけではないといえ、更なる積極性が必要であると思われる。