4/26/96

東京国際空港における航空機事故の際の多数傷病者発生時のトリアージについて

蒲田医師会・災害医療対策委員会
救急医療ジャーナル 2(5) 87, 1994 (担当:黒田)


 近年の航空機事故は、航空機の大型化にともない、いったん事故が起きると一度におびただしい数の死傷者が発生する。救出、選別、医療、搬送、病院と一連の救急医療体制が展開されることになるが、この流れにおいて効率よく負傷者をさばき、救命率の向上に役立つ選別(トリアージ)はもっとも重要である。蒲田医師会では過去の体験(1982年羽田沖日航機事故) をふまえトリアージに的を絞って検討を行った、その要約である。

(1)トリアージの目的
 トリアージとは航空機事故のような瞬時にして多数の傷病者を重症度により分類し、現場での応急処置ならびに搬送をもっとも効果的に行うための優先度の決定である。また、これは限られた人的、物的資源の中で一人でも多くの人命を救助するための手段である。

(2)トリアージの基準
 バイタルサイン、創傷の部位および程度、意識障害の程度、熱傷の範囲および程度、出血の程度などについて迅速かつ的確に判断し、優先順位を決定する。極めて重篤で絶望的と思われる傷病者の扱いは、たびたび問題となるが優先度を低く評価されてもやむを得ないという意見が多い。何色のトリアージタッグ(札)を装着させるかは以下のようになっている。

    有辭生命の危険性あり   (即時医療) …優先度1 (赤)
緊急性  瘋多少の時間的余裕あり (遅延医療) …優先度2 (黄)
  瘋無辭軽傷 (小医療) ……………………………優先度3(緑)
      瘋死亡者……………………………………優先度0 (黒)

(3)一次選別
 事故発生後早期に到着可能な東京消防庁の救急救命士、空港診療所医師らによって行われる。原則として、現場における救命処置のための優先度の決定である。事故直後は人員、機材が少ないので搬送のための優先度決定になる場合もある。

(4)二次選別
 バイタルサインの安定化後は、トリアージ実施者により医療機関への搬送のための選別が行われ、搬送順位を決定する。一次選別による応急処置のための優先順位とは必ずしも一致しない。

(5)負傷者の安定化
 優先度1、2の負傷者に対する救命処置は、近くに敷設した膨張式テント内で実施される。バイタルサイン安定化後はもっとも適切な病院に搬送する。多数の傷病者に対する限られた救護力を有効に活用するには事故現場での救命処置と搬送中に悪化させない救命処置に限定すべきであろう。

(6)おわりに
事故発生後間もない初期は、重症者の救命率にもっとも重要な時間帯である。医療従事者だけでなく、緊急計画に参加する人たち全員が、共通の認識をもつことが大切。トリアージについても検討を要すし、実際の経験が少ないだけに日ごろから研究が必要だ。


阪神・淡路大震災 そのとき、救急隊員たちは

救急医療ジャーナル3(2) 24, 1995 (担当:高森)


須磨消防所の場合

東灘消防署の場合

生田消防署の場合


大震災時における保健活動

公衆衛生59: 452-, 1995(担当:日比野)


1:はじめに
 1995年1月の今回の阪神大震災で最大規模の被災地となった神戸市東灘区の保健所各職員がどのような働きをしたかについてまとめる。

2:衛生課の活動

1)遺体の衛生確保
 震災により神戸市の火葬能力を超える多くの死者が出たため、遺体を長期間安置することが要求され、大量のドライアイスが必要になり、その確保が大変だった。

2)排泄物などの防疫対策
 仮設トイレの導入や水道の復旧まで排泄物処理に難渋した。
 また、噴霧器とクレゾール液を配布し、各避難所での自主消毒を指導した。

3)食品衛生、生活衛生対策
 食品の衛生指導は避難所の実態や季節の変化にあわせて強化し、賞味期限を守るように努力した。

 浴場、シャワーなどの設備を持つ業者にはボランティアとしての参加を求めた。

3:保健課を中心とした活動

1)救護所の設置
 避難所は市の防災計画によりあらかじめ定められていたが、医療救護ニーズが非常に高かったため、地域医療者による救護活動の整備を行った。

2)救護調整本部の設置
災害直後は、避難所への救護班の調整が混乱したため、調整本部が設置された。その後、救護活動の長期対応体制が確立され、各避難所救護所をA型(24時間対応)、B型(時間診療)、C型(巡回診療)にわけた。

 震災10日過ぎごろより、急性疾患よりも慢性疾患の受診者が増加してきたため、避難所住民・在宅者を対象に、訪問調査を行って実態を調査し、D型(介護支援巡回)を新設した。

また、救護所運営にあたり、ボランティアが大きな力を発揮した。

 1995年2月初旬より中旬にかけて、医療体制は派遣医療班から地元医療班へと移行されはじめ、3月末日すべての救護所は無事閉じられた。

4:歯科衛生士の活動

災害発生直後は「地震の時に歯が折れた」、「急に歯が痛み出した」などの訴えがみられたが、その後は「震災で入れ歯をなくし、配給食が食べられない」などの訴えが多くなり、口腔環境の悪化が見られた。

 歯科の場合救命医療という場面が少なく、そのためか災害時医療を考える際に歯科の概念が抜け落ちるきらいがある。しかし、特に今回のように避難所生活が長引く場合、食事を口からとるということ自体が体力維持のために大変重要になってくる。したがって、災害時の救護(医療)活動は医科と歯科とを総合的に考えておく必要があると思われる。

5:保健婦の活動

1)初期活動
 区対策本部の要請で医師と検死、救護活動に避難所へ出向いた。他府県からの医療班が到着し始め本格的な医療活動が始まると、大きな避難所は彼らに任せて、保健婦は小さな避難所への救護活動と区対策本部での救護活動に分かれる。

2)地区活動
 その後、医療活動は応援の医療チームにお願いし、保健婦は地域に残っている住民のための地区活動に専念し、以下のような活動を行った。

 住民と行政の連絡役となり、地域を回り、情報を拾い歩くことは保健婦ならではの活動であり、災害下においても平時と同様、いや、それ以上に重要な活動であった。