1995年1月17日に発生した阪神大震災は、本邦の戦後最大の自然災害となり、各地の医療機関や医師会による医療救護班の活動が多数行われた。われわれ新潟市民病院は、発生4日後の1月21日より救護班を派遣し38日間わたって医療活動を行った。
震災発生2日後に、病院側から新潟市当局に救護班派遣の意思があることを上告し、翌日に新潟市としての救護班の派遣が決定した。神戸市と新潟市の協議の結果、灘区西灘小学校付近で医療活動を行うことになった。
第1班は医師3人、看護婦2人、事務員1人、ドクターカー運転手2人の計8人であった。当院の事務系を含めた各部署に加え、新潟市役所、消防局などからも人員を派遣していただき、まさに新潟市あげての医療班といえる体制であった。
当救護班は地震発生4日後から開始され、すでに地震そのものによる外傷より、内科的疾患、あるいは小外傷、薬切れなどが多くなることが予想された。非難所でのインフルエンザの蔓延が報道されていたため、総合感冒薬、経口抗生物質などを多く用意した。また重傷患者の診察、搬送にも対応するため、人工呼吸器、心電図モニター、除細動器、気管内挿管用具などを搭載する当院のドクターカーを同行した。
神戸市によれば、対象となった医療圏は、西灘小学校と原田小学校に非難した被災者に加え、周辺住民を含めて約5000人と推定された。
開始初期は1日100人以上の受診があり、震災による外傷患者も見られた。受診者数は非難所生活者が減少するにしたがって漸減し、撤収前は20〜30人程度となった。
受診者の疾患を診療科別に分類すると、66%を内科系が占めた。精神科的な患者は不安、不眠を訴える人がほとんどであったが、精神分裂病と考えられる例も5名いた。外科系受診者については、初期は震災による挫傷、開放傷が多かったが、徐々に持病の腰痛、膝痛を訴える患者が増えた。震災による受傷は延べ149人であった。
入院加療が必要とされ、他の医療施設に転送した症例は、肺炎、脳梗塞、精神分裂病などで計16名であった。
当救護班は幸運にも新潟市からの全面的なバックアップが得られ、さらに、高度な機能を持ったエアドームをベースキャンプとすることができた。当院救護班が1カ月以上もの間無理なく活動できたのは、しっかりとしたベースキャンプを確保できたことに寄るところが大きい。マンパワーの確保のためにも、安全なベースキャンプは絶対必要なものといえよう。
興味深いことに、受診者の多くがいわゆる一次患者であったにもかかわらず、年齢分布は60才代にピークがあり、20才代にも小さなピークを認め、本震災での死亡者の年齢分布と同様のパターンであった。丸川は、今回の地震の衝撃が大学生と老齢者の異なった集団に集中していることを指摘し、震災の被害者が社会構造に依存している可能性を推定しているが、当救護班の受診者の年齢分布も同様の理由によるものである可能性もある。
阪神大震災では様々な救護活動が行われたが、その実際について十分に検討し、今後の災害医療に役立てるべきと考える。
ようやく日本にも遅まきながら、国際救援における人的貢献への気運が高まっている。事実、政府の医療チームを含む国際緊急援助隊の派遣、民間団体の新設や活躍など、ここにきて急激に増えている。
JICAは難民問題からスタートしたが'92年のPKO法案成立によって、難民にはタッチできなくなり、現在活動できるのは自然災害に限られている。また現場では熱帯医学など専門的知識や救急医的な優先処理判断のできる医師が必要であり、それ以上に看護婦が必要である。
海外での救援活動において重要なポイントは、社会、習慣、言語、宗教の違いによりさまざまな制約があることである。したがって、基礎知識の習得が必要である。
最近の問題は、相手国の事情を考えない大量の救援物資、自己満足のためだけの救助チームやボランティアの増加、何も特技のない人の支援申し出などである。これらに対しては、援助のための基礎的資料、気候、交通、衣食住習慣、信仰などの配慮やUSAID(アメリカ国際援助庁)、ODA(イギリス海外援助庁)、ICRC(赤十字国際委員会)などが持つ各国の生活関連情報を日本でも早急に整備・運用できる組織作りが必要である。
災害医療の基本はトリアージつまり助かる可能性の高い被災者から順に治療して行くことであり救急医療とは全くべつものである。
マスコミの報道ではいかにも現地は人手不足のようであるが、現在ではどの国においてもボランティア、単純作業の要員は自国で賄えるようになっており本当に必要な要員は、訓練を積み、相当な経験があり、救助計画作りや組織化を指導し、助言しうる国際援助の専門家である。したがって、国際的な考え方、やり方を理解し、自立して活動できる、真に国際的に評価される医療チームや専門家チームを作る必要がある。
被害の少ない地域の病院に電話をし、入院患者の転送と救急外来患者の入院に必要な病床確保に務め、移送に必要な車は公用車、福祉タクシー、市営バスなどを用いた。
救急医薬品などは自治体送付文と本市発注文を各保健所に配送した。
その間、アメリカ医師団の来神意向を知り、外国人の日本国内での医療行為につき厚生省に許可を受けた。その後、数カ国の医療団が救護活動に従事した。
一方、保健職員は巡回救護班の案内のほかに、震災前に把握していた在宅要介護高齢 者の安否と所在の確認、さらに、救護班と連携して避難所における保健活動および要介 護高齢者の実態把握などに務めた。
衛生局の初期対応の一部を列挙したが、今回の経験を踏まえた広域大規模災害時の救 命救急対策、救護班の設置・運営、埋火葬体制、その他多くの課題について検討されることと思う。
災害時における国際医療協力活動の現状
《年々高まる国際緊急援助活動》
わが国では、海外で大規模な災害が発生したとき、被災国の政府か国際機関からの要請に速やかに対応し、援助隊の派遣を行い、わが国の国際協力の幅を一層ひろげる目的で「国際緊急援助隊」(JDR:Japan Disaster Relief Team)が創設されている。これは、救助チーム・医療チーム・専門家チームからなり、ニーズに応じて組み合わせて国際協力事業団(JICA:Japan International Cooperation Agency)から派遣される。《独自のノウハウで活躍する日本赤十字社》
赤十字は世界中にネットワークがあり、蓄積された技術、経験、ノウハウをそれぞれがもっている。ジュネーブにある国際赤十字の要請によって、各国の赤十字社が効率よく災害や難民にたいする救護活動を展開している。その具体的方法は、 救援物資=食糧・医薬品・衣食住関連物資 人的支援=医療、救助、専門家チーム 支援資金=直接・間接的経済支援、復興資金などである。これらの救助は相手国の最も必要とするものが、最も効果的に支援される必要がある。《災害医療の基本を考える》
援助活動は、まず全体を考えることが第一で、医師や看護婦の役割は、ある意味では小さい。治療よりも、キャンプ内の衛生改善や疾病の予防に努める必要がある。 また、人糞、汚水、ゴミなどの処理についても十分考慮し対策を講じつつ衛生状態及び疫学的な調査と監視を続け伝染病の予防に努める。医療面で特に注意すべき点は、短期間で密度の濃い治療をしないことである。医療機材や薬剤は標準化が図られており薬剤は一般名を知っておく必要がある。《期待されるNGOの救援活動》
非政府組織(NGO)とは戦争や天候などで医療が必要な地域に、ボランティアの医師や看護婦を派遣する組織であり「国境なき医師団」(MSF)がある。日本ではアジア医師連絡協議会(AMDA)が代表的な組織である。さらに自然災害時などに対応する緊急救援医療部門として「アジア多国籍医師団」を創設、1994年1月にはこれにアフリカ教育基金の会、国境なき奉仕団、立正佼成会が加わって「日本緊急救援NGOグループ」という合同の緊急援助チームが結成された。これは、それぞれの団体が医療や福祉、教育、物資援助や他機関との交渉など得意分野を担当することで早く、確実な救援活動を目指し、他のNGOと積極的にネットワークを持ち、包括的な救援活動体制をつくり、質が高く、幅広い国際貢献を展開していくというものであるが、トラブルも少なくない。援助する側の誤った先入観や思い込みによって、さまざまな問題がでており、いま国際災害援助活動は大きな曲がり角にさしかかっている。
国際援助活動に協力することは「役に立つことをしたい」とアピールすることではなく、「私には、これができますというプロフェッショナルになること」である。
大震災と神戸市衛生局−初期対応の概要−
◆西市民病院の崩壊
まず、各施設の状況を調べようとしたが電話不通のため状況把握は困難であった。西市民病院の崩壊を知り、近くの長田町保健所に男性職員を応援に出すように指示した。その後、消防局レスキュー隊、続いて自衛隊が入り救出活動は本格化した。◆医療機関に対する緊急支援
市内医療機関の救急外来については、負傷者の症状など詳細が不明であり、医療機関からの何らかの要請を待つ状態であった。例えば、1)断水のため院内料理が不可能な病院からの給食の要請に対し自衛隊ヘリコプターで弁当を配送、2)人工透析に必要な水の供給要請に対し水道局に依頼、3)市民からの人工透析の問い合わせに対し透析可能な医療機関のリストを報道機関に提供、4)倒壊した民間病院からの入院患者の収容先確保の要請に対し消防救急隊と連携し患者を転送、5)医療機関などからの医師・看護婦の派遣要請に対 し登録医療ボランティアを送った。◆避難所の医療確保
17日の時点で、被災6区の保健所に医療確保のため救護班の設置を指示し、また、そのために医師など保健所職員の応援体制をしいた。各救護班には被害の大きい6区を分担 し、それぞれの保健所の指示で区内の避難所を巡回するようお願いした。その後、救護班の増加と1,000人以上規模の避難所が多数あることから各区5〜6カ所の避難所に常駐救護所を設置し、他は巡回救護班とするように指示した。◆避難所におけるインフルエンザ対策
震災直前に患者検体からA香港型インフルエンザウイルスが分離されており、避難所 での流行が懸念された。国立予防衛生研究所に実態調査とワクチン接種をお願いした。◆避難所の衛生確保
避難所の衛生確保は食中毒、伝染病の発生予防のため重要である。
◆救急火葬業務
死亡者の火葬は1月28日までに終了しなければならなかったが、神戸市民の犠牲者は 数千人規模になると予想された。市営斎場の火葬業務には支障はなかったが、その火葬能力では不可能であったため、厚生省、兵庫県の協力を得て兵庫県、大阪府、京都府、岡山県下市町の斎場の使用が可能となった。遺体の搬送には自衛隊、民間ボランティアの車などの協力を得たほか、兵庫県警にはパトカーの先導をお願いした。◆浴場の確保
公衆浴場は市内194施設中116施設(60%)が全滅・全焼、又は半壊であった。また、 断水(43.5%;1/25現在)とガス供給の停止により多くの市民の自家風呂も使用不可で あった。このため、1/25から2/3にかけ野営風呂が16カ所の避難所に設置された。また、 1/27よりタンクローリーによる給水と燃料の斡旋を実施し2/3には30の公衆浴場が営業 を開始した。さらに、2/27より厚生省、兵庫県の支援により、通水した避難所に仮設温水シャワーを順次設置するとともに民間施設に浴場の一般開放を要請した。◆おわりに