災害医学・抄読会 2002/06/14

被災現地の災害医療と避難所医療

(田中良樹、治療 84: 1286-1291, 2002)


はじめに

 災害やテロの発生下では、平常時とは異なる予想もつかないような医療需要が発生する。それは事象発生直後の超急性期に行う、トリアージを含めた生死に関わる多数の救急救命医療と、その後の亜急性期、慢性期に避難所で避難者に提供される避難所医療と仮設住宅への医療である。

 この論文は、阪神淡路大震災で最も被害の大きかった神戸市東灘区の医療現場での経験から、今後の災害やテロ時の医療提供について検討したものである。

I. 医療ニーズ

 災害やテロ発生時の医療ニーズの特徴は、医療需要が突然一気に大量発生するのに対し、医療供給は著しく不足しているところにある。災害時の被災地では平常時とは違い、さらに医療マンパワーの量的な低下が特徴で、需要と供給のバランスはさらに大きく崩れる。その結果、被害がないか軽かった被災地の医療機関は、孤立無援で軽症から重症までの多数の来院患者に対応せねばならないことになる。しかし、その後経時的に急激に医療ニーズは低下するので、神戸での震災の際も、外部から組織された多数の医療支援が到着した時は、すでに医療ニーズのピークはすぎていた。

 今後災害救援を行うとすれば、まさに時間との戦いで、現地の情報収集もかねて発生後三日以内、つまり72時間以内に被災地に到着する必要性があるといえる。

 そういう意味では、今後災害下現場で必要とされる医療は、国境なき医師団のようにスクランブル出動で医療支援活動の出来ることが必要なのではないだろうか。

II.災害時の救援医療マンパワーの供給源

 いかなる災害においても超急性期には絶対的に医療マンパワーが不足し、災害地元の医療機関だけで被災者医療を提供することは物理的に困難である。従って、外部からの災害医療救援隊の導入は必然的なことである。しかし、その医療チームは組織されたもの、つまり医師や看護婦のみでなく事務方も加えたような完結型のものが理想的である。現在このような医療チームを急遽編成、派遣できるようなマンパワーを常時保持しているのは、大学医学部、医科大付属病院か1000床以上の巨大病院しかない。

 しかし、神戸の震災において、多くのそのような医療関係団体が救援医療活動を行ったが、災害現場で医療ニーズを把握して適正な医療提供をすることが困難であった。

 この教訓から今後災害現場では災害医療チームを傘下において、効率よい医療提供を行うための災害医療チーム統括本部の存在が重要と思われる。

III.医師会の災害医療システム

 今回の阪神大震災において、電話、通信機器の不通により、旧来の災害救急出動システムは一切作動しなかった。診療機能の残っていたほとんどの医療機関は、自主的な判断により医療活動を展開した。しかし、情報の入手に関しては困難を極めた。行政、警察、消防などからは連絡がなく、個人的に出向くか、伝聞に頼らなくてはならない状況に陥った。

 このことを教訓とし、特に情報伝達の手段が低下した時のことも想定し、東灘地区では災害時の組織指令システムを再構築した。

このように医師会館の災害対策本部に情報を集中させる体制とした。

 一方、災害対策本部から区内の医療機関への情報伝達は、小地区の担当役員が医師会災害対策本部と往来して行い、またその際に小地区の状況(安否確認、災害規模の把握など)も調査して医師会災害対策本部に報告するシステムとした。

IV.学校医制度の活用

 災害発生時には学校施設、とくに体育館や講堂が収容スペースとしても大きく、避難所として利用することが一般的である。しかし、これまで学校を避難所とした防災訓練を実施していなかったため、災害発生当日に校医が学校の保健室に出動したケースは少なく、当日学校医は自院での診療を優先するか、被災されて退避されたかであった。

 このことから、災害発生時には早期に三日間と限定して学校医が避難所医療の総括責任者として出動する必要性が感じられた。このシステムの利点・欠点をあげてみると、

利点

  1. 全国共通に通用するシステムである。
  2. 学校施設責任者と普段から面識があるので連携をとりやすい。
  3. 保健室内のこと、学校の救急薬品の保管などについても熟知している。
  4. 責任が明確になり外部との連絡連携がとりやすい。

欠点

  1. 専門科目が内科か小児科である。
  2. 校医自身の診療所の診療が出来ない。
  3. 校医も被災する可能性がある。

などがあげられる。神戸市東灘区では、実際に14ヶ所の小学校と7箇所の中学校で、学校医と予備役の医師が災害発生時三日間と限定して担当学校保健室に出務するシステムを採用した。

V.将来の災害やテロを想定しての医療提供シミュレーション

 災害は必ず起こるものとしてあらゆる場合を想定しておくことが重要である。災害医療は現場で指揮する医師の判断により大きく致命率が変わってくる可能性が高い。災害現場で適切な医療を効率よく行うためには、類似の災害医療シミュレーションを体験しておくしかないと思われる。未経験なことは対応に時間がかかり、現場で時間に追われる医師にとって大きな負担となる。

 今後は行政と医師会が協調して災害医療シミュレーションを種々検討する必要性があると考えられる。

VI.防災訓練

 災害対策は第一に机上のシミュレーションであるが、その対応策やシステムを災害本番時に如何に効率よく発揮するか否かは、災害時に各セクションが自動的な行動が出来るくらいまで繰り返し実施することが必要である。また、セレモニー的になりがちな訓練を、その都度検証評価して防災訓練内容を完成させていく作業が不可欠と考える。防災訓練の完成度を評価するためには、事前打ち合わせのない抜き打ち的な防災訓練も必要である。防災訓練の意義は災害対策システムの問題点を洗い出すことある。

 神戸市では毎年各区において、大震災の教訓および各区の事情を踏まえて、行政、警察署、消防署、消防団、防災関係機関、医師会などが参加して総合防災訓練を実施している。訓練場所は主に学校施設を利用して神戸市地域防災計画に基づく訓練を実施している。しかし、実施することに主眼がおかれており、訓練実施後の問題点の検証や今後の改善策の検討は十分ではない。防災システムが作動するかどうかを検証するための抜きうち訓練も事実上困難であり、今後は災害時に機能するための防災訓練のあり方も再検討する必要があると考える。


被災地における危機管理の技術と戦略

(槙島敏治、救急医療ジャーナル 9巻4号(通巻50号)、12-15、2001)


 紛争地域や開発途上国での救援活動において、その要員が銃で殺害されるなどの被害に遭うことが少なくない。国際救援の最大の目標は「無事に帰ること」であり、人を救う前にまず自分を救う(守る)ことを最優先に考えるべきである。紛争地域は言うまでもなく、開発途上国での救援活動に携わる要員の安全確保はだんだん困難になってきている。国際的な災害救援における危機管理を考える場合には、基本的な安全ルールである、社会的な危機、生活上の危機に加え、紛争地域などの危険地域での危機管理を想定して備えなければならない。

 こうした危険を回避するためには、以下の危機管理の5原則

  1. 注意を怠らず、疑いをもつ
  2. 習慣性を排除する
  3. 安全確保の準備と訓練をする
  4. 周囲とのコミュニケーションを図る
  5. 安全ルールを厳守するが、緊急時には臨機応変に対処する
に加え、それに基づくいくつかの安全ルールを守る必要がある。安全ルールを守ることによって危険は完全に回避できないまでも、かなり減少させることが可能となる。それらは時には必要がなさそうに感じられたり、厳しすぎたり、大げさに見えるかもしれないが、過去の数々の悲惨な経験から学んできたものであり、生命や健康を守る上で極めて重要なものである。

 無論この安全ルールは全ての状況に対応できるものではなく、実際には安全ルールを与えられた状況に適応させなくてはならない。そのためにはあらかじめ現地に関する知識を得ておくとともに、今何が起ころうとしているのかを認識して、臨機応変に判断しなければならない。

 基本的な安全ルールは、生活をする上での注意と任務を遂行する上での注意、および外出時の注意とに分けられる。また外出と移動には車両が不可欠であり、車両の管理および車両での移動に関する注意は特に重要である。

 安全上の問題の50%は外出時に起こっていると言われており、外出する際には許可を得るか連絡を欠かさず、不必要な外出や徒歩および夜間の外出は避けるようにする。また一人での外出は控え、複数人かできればガイドを同行させるようにする。現場の地理や安全上の情報は重要であり、危険性が高いと判断される場合は、外出を中止する。地図と磁石、無線機を携帯し、無線交信を維持するようにする。

 車両は現地での移動・輸送で欠かせないものであると同時に、緊急時の避難用にもきわめて重要なものである。以前は日本赤十字社、国際赤十字の救援活動に自らの要員が車両の運転を行っていたこともあるが、事故がおきた時の対応や、現地の地理や道路状況がわからないなどの問題があり、最近は現地人運転手を雇用している。車両の管理には、フリートマネジャーを置き、特に小規模の場合は連絡調整員が管理している。

 車両の外出は徒歩よりは安全であるが、車両全体を狙った襲撃もあるので細心の注意が必要である。まず乗車前に周囲を確認し、走行する道を日によって変えること。そして決して知らない人を乗せないこと、事故がおきたときの対処法を確認しておくことが重要である。要所を通過するごとに基地と無線連絡を行い、現在位置を知らせるようにする。

 紛争地域或いは情勢が不安な地域での災害救援では、さらに厳格な危機管理が必要とされる。とくに武器を携帯している相手に対応する場合や、攻撃を受けた場合の対処法は重要である。紛争地域でなくても開発途上国などでは、幹線道路での検問は日常的なことであり、検問所を通過する際には相手に警戒されないよう素直に友好的に振る舞い、刺激しないように努めることが大切である。また、銃器を向けられたとき反抗的な態度を取らずに相手の指示に従う、攻撃を受けたときには状況を把握しながらできるだけ素早くその場から退避する、などのそれぞれの場合の対処法も知っておく必要がある。

 地雷はもっとも非人道的な武器のひとつであり、対戦車地雷と対人地雷に分けられる。対人地雷はより小型で、敵を殺すためのものではなく、下肢を中心に損傷を与え、命が助かっても一生障害者として生きざるをえないようにさせて社会に負担をかけさせ、同時に被害者の仲間に恐怖感を与えて戦意の喪失を図るものである。

 地雷の処理には多くの人力と費用時間がかかるため、紛争が終結しても地雷が処理されないまま残っていることが多く、そうした地域での災害救援活動では地雷に対する注意が必要となる。地雷にはさまざまな種類があり、地雷による障害は悲惨で、下肢の切断は避け得ないことが多い。

 地雷に対する注意の基本は、当たり前のことだが、「危険な地域には入らない事」である。そのため、初めて訪れる地域に入るときは、地雷敷設地域であるか確かめなければならない。地雷の情報を現地人に聞くのはいいが、それを盲目的に信じてはならない。

 一般に、平時の観光名所や軍事関連施設は、紛争時には重要な拠点となるので、地雷が敷設されている危険性が高い。

 危機管理とは、いまだに起きておらず、一見起きそうもない事態を想定して対策を講じることである。危機管理の難しさは、そうした起こりそうもない事態を想定しなければいけない点と、そうした事態が起きる前に対策を図ることで費用がかかる点、日常生活の効率が損なわれる点である。

 また人間は物事に慣れやすい動物で、時間が経つと危機感も麻痺していくことが多いので、常に気持ちを新たにして、危機感を持ち続ける努力が必要である。

 そして自分の身を守るのは自分しかいないということを忘れてはならない。


トリアージタック

(井上潤一ほか、救急医療ジャーナル 9巻6号(通巻52号)、11-16、2001)


 現在、わが国では「色別・モギリ式」タイプのタッグが使用されている。かつては、各消防機関、日本赤十字、自衛隊等でそれぞれ異なったタッグが、使用されていたが、阪神・淡路大震災を契機に、平成8年に厚生省より標準化されたトリアージタッグが示された。

 トリアージタッグは、同時に多数の傷病者が発生しトリアージが行われる際、その結果と傷病者に関する情報を記入し、それらに基づいた適切な処置や効率的な搬送を行うための識別票である。

◎ トリアージタッグの持つべき機能

◎ 標準トリアージタッグ

 タッグは、3枚綴りの複写式で、1枚目は「災害現場用」で、現場救護所等で切り離して現場統括機関が保管・集計する。2枚目は「搬送機関用」で救急隊などの搬送を担当した機関が、医療機関に引き継ぐ直前に切り離し保管する。3枚目は「収容医療機関用」で、簡易カルテとしても機能する。

◎標準タッグの問題点

おわりに

 トリアージタッグの誤った運用はトリアージ活動を混乱させる危険がある。災害時に円滑なトリアージタッグの運用を行うには、各種訓練や日常の現場で使用し、タッグになれ親しむことが効果的である。


新島近海地震における医療救護活動

―医療救護班における薬剤師の役割―

(宮永幸実、日本集団災害医学会誌 6: 171-178, 2001)


災害の概要

 2000年6月三宅島の火山活動の活発化に伴い、新島では頻回に地震が発生していた。2000年7月15日午前10時31分、マグニチュード6.3の地震が発生し、最大震度6弱を観測した。

 震源地に最も近い若郷地区では、負傷者14名他、新島山の大規模陥落、道路の陥没、亀裂、落石、水道管破裂による断水、民家の破損・全半壊、電話回線通話不可能など多くの被害が発生した。

 若郷地区住民275名は本村地区へ一時避難。8月15日に避難勧告は解除され、若郷地区での生活を開始した。しかし、小学校の校庭に仮設校舎を建設したため校庭でのヘリポート利用は不可能となり、また交通および物資輸送は道路の寸断により船のみに限定されたため、若郷地区住民は孤立化していた。

日本赤十字社医療救護班の活動

 8月23日、日赤大島地区長より医療班派遣要請を受け、長期的な医療救護活動を目的とする医療救護班の派遣を決定。医師・看護婦・薬剤師の3名構成の救護班を24班編成した。 最終的に2000年8月27日〜12月26日の約4ヶ月間の活動となった。各班の活動期間は島への移動を含めて7日間であった。

 日赤医療救護班を派遣以前の若郷診療所の診療状況は、本村診療所から医師、看護婦、調剤業務担当者の3名が週2回(火・木)午後1時〜4時の来診であった。派遣後、若郷診療所での診療時間を前日無休、原則午前9時〜午後5時とした。時間外は医師が電話を携帯し、24時間対応可能とした。

 診療費用は原則無料とした。

 2000年8月27日〜12月26日までの122日間に1469名の患者を診察した。1日あたりの受診者数は12.3名で、曜日や季節による大きな変動は認められなかったが、派遣期間が終了に近づくにしたがい、若干の増加傾向が見られた。これまで週50名程度の患者数は、派遣後週80名となり増加した。

 若郷地区住民411名中、259名(63%)が受診し、その受診者のうち225名は災害発生以前から診療所に受診経験のある再診者であった。再診者の割合が高いことからも、これまでの災害救護活動とは異なった活動であった。

 性別年齢別に見てみると、男女ともに若年層が若郷住民の約半数であるのに対し、20〜39歳の受診率は29%と低く、特に家の修復や仕事の再構築に奔走されている青年や壮年層の受診率の低さが目立った。逆に60歳以上の受診率は男女ともに高い。

 受診回数は、期間中9回以下(月2回程度)の受診者が80%を占めていた。この結果は14日〜28日投薬の患者が大半であり、投薬を中心とした発災以前からの疾患の対応が中心の業務であった。

 疾患分類は、全体の約半数が高血圧や糖尿病などの慢性疾患による受診。外傷は6%、消化器・衛生状態の指標となる泌尿器感染は10%程度であった。急性呼吸器疾患は冬場に向かうにしたがって増加した。精神神経症状の訴えは期間中平均していた。

薬剤師の取り組み

 通常の病院薬剤師の業務には、調剤、薬剤管理、医薬品情報管理などがある。本活動ではこれらの業務を診療所で行い、小規模ながら日常の病院での薬剤師業務を代行した。

  1. 業務内規作成
  2. 計数調剤業務(PTPシート薬剤交付と1包化調剤の実施)
  3. 薬剤在庫管理業務(薬品在庫を把握し、毎日の薬品在庫管理をパソコン管理とした)
  4. 医薬品情報管理業務(医師、薬剤師が診療所内の薬を容易に把握するために、若郷診療所内の薬品の簡便な一覧と薬効別分類集を作成し、若郷診療簡易医薬品集とした)
  5. 薬剤管理指導業務(服薬指導は、処方された薬の服用方法の確認や薬効の理解を助けるだけでなく、患者とのコミュニケーションをとることにも重要な役割を果たした。これはPTSDへの移行予防の手助けになったのではないか)

 これまでの災害救護活動における医師と看護婦の連携による患者対応に加え、薬剤師が災害救護に参加したことで、患者を中心とした医師、看護婦、薬剤師、三者の連携を強化し、医療救護班ならびに医療チームにおいて重要な役割を担っていることが確認された。以上、日赤医療救護班活動は122日に及ぶ長期間、薬剤師24名は医療スタッフ(77名)との連携をとりながら1469名の受診者の処方箋1133処方、のべ24931剤を調剤した。

派遣終了後の若郷地区の状況

 道路開通により若郷地区の孤立化は解消され、派遣以前の週2回の診療体制に戻った。しかし、道路事情は悪いため夜間の通行は禁止された。このため、若郷地区住民は、診療日以外は昼間本村診療所に来院するか、若郷診療所の診療日まで待つしかなく、不安との声もあがった。 また、土木工事関係者の事故や、末期ガン患者の対応に、本村診療所は苦労した模様。

考察

 日赤医療救護班は、医師を班長とした1班6名(医師1名、看護婦長1名、看護婦2名、主事2名)が基準構成である。しかし、本救護活動は構成要因を、医師、看護婦、薬剤師の3名と、これまでとは異なる構成で行ったことで、救護班における薬剤師の重要性を再確認できるものとなった。先の“阪神・淡路大震災”でも「派遣した救護班の構成について、今後配置を検討すべき要因の業務について」の回答に「薬剤師」との意見が多数みられた。

 近年、災害時に薬剤師が行う業務の重要性がクローズアップされつつあり、薬剤師は救護班に必須の構成要因であると考察される。しかし、薬剤師自身の災害時対応に対する認識・知識不足や組織的な取り組みが行われていない現状がある。今後の薬剤師自身の災害救護への認識の向上と積極的な参加を期待したいし、この派遣を機に薬剤師ネットワーク作りができればと思う。

 本活動は、現地医療機関の代替医療である。一般的にこれまでの救護活動では投薬日数を数日とするのを基本としていたが、本活動では疾患の中心が慢性疾患であること、ならびに現地代替医療活動であることから、14日および28日投与を基本とした。費用はすべて無料としたため、今後は薬剤費の負担などについては検討が必要だと思う。

 長期にわたる現地医療機関の代替医療活動を行うにあたっては、医療事務担当者(保険請求担当者)を救護員編成に加えるなどの新たなる発想や試みも必要と思われた。

 薬剤師の活動は、薬剤師の専門である薬品管理・調剤・服薬指導業務の充実に、また患者の精神的支えにと、十分に職能を発揮できると考察した。


有珠山噴火地震時の医療ネットワーク

(宮崎 悦、日本集団災害医学会誌 6: 122-126, 2001)


【はじめに】

 有珠山は2000年3月31日に噴火したが、洞爺協会病院はその2日前に患者、職員の全員避難を断行し、無事難を逃れた。この際、患者の約半数は外泊ないし退院となったが、残りは近隣の病院に転院となり、この経験より病院連携の重要性を痛感した。

【避難時の状況】

 3月28日に火山噴火予知連絡会より噴火の可能性が示唆され、同病院も災害対策委員会を設置し、避難の準備をすすめていた。その後も火山性地震が活発化したため、翌3月29日午前11時に自主避難を決断した。

1、入院患者移送の準備

 同病院の入院患者数は281名で、今回は他の病院に移送される患者と、外泊および退院とする患者とに選別した。その選定は、医療ニーズの高い患者と症状がほぼ安定している患者とを大別し、各病院の受け入れ患者数により調節するという方法で、結果143名が護送されることとなった。近隣病院の受け入れ可能な患者数を確認した結果、伊達赤十字病院、洞爺温泉病院、羊蹄グリーン病院などより多数の患者の転院を承諾していただいた。

 各病棟では主治医と病棟婦長が転院者と退院者の振り分けを行った。転院者には転院先の病院を伝え、医師は可能な限り診療情報提供書を用意した。看護婦、看護助手は、患者の着替えの介助、経口薬剤(約1週間分)および当日分の点滴薬剤を用意し、準備が整った患者から順に、移送に備えて1階のロビーに移動させた。

2、移送手段

 重傷度の高い患者については同病院の救急車や地元の消防組合所有の救急車に協力を要請して自主運送を開始し、その他の患者については、自衛隊による移送を依頼していた。しかし当初自衛隊が到着するのが午後3時との情報が入ったが、予定の時間が着ても到着しなかったため、午後4時30分自主搬送への切り替えを決定した。民間バスやホテルの送迎バスに依頼し、さらに転院先のひとつである洞爺温泉病院からは救急車やリフト付きワゴン車の配車を受けた。

3、受け入れ病院側での準備

 受け入れ病院側では、まず部屋とベッドの確保が必要であった。洞爺温泉病院ではすでにほぼ満床であったため、病床スペースに多少ゆとりのある療養型病棟を移送患者の入院病室として用意し、足りないベッドは近隣施設から借り受け、確保した。幸運にも、伊達赤十字病院は改修工事のため1病棟がまるまる空いており、多人数の入院に利用できた。受け入れ病院では、突然の患者数の増加に対応するためさらに療養担当の職員のために、食料、医薬品、電力(非常用)を確保する必要があった。

【避難後の活動】

1、一次避難から二次避難へ

 伊達赤十字病院では、医師、看護婦、看護助手が同院のスタッフの協力を得ながら患者への支援を行った。噴火後には、患者の支援を行っていた看護婦、看護助手自身が一部避難民となったため、29日の病院閉鎖後自宅待機していた伊達市在住の看護婦、看護助手が代わって患者への支援を継続した。その後、医師とmedical social worker(以下、MSW)が中心となりそのまま同院専門科に転科編入する者、他院へ転院する者を振り分ける二次避難作業を行った。  洞爺温泉病院においては、当院の医師2名と数名の看護婦が転院患者をそのまま担当し、同院のスタッフと共同で支援を行ったが、同院は伊達赤十字病院からの二次避難患者の受け皿としての役割も果たした。

 羊蹄グリーン病院では、二次避難に関して当院の医師とMSWの連携で支援できた。

2、診察活動の再開

 一方病院スタッフは、4月4日にようやく避難先の隣町で健康相談所を開設できた。外来カルテを持ち出せなかったため、洞爺協会病院で発行した「薬剤情報」や老人手帳が、薬の内容やその患者の病状を類推する判断材料となり、大いに役立った。

3、避難所への巡回診察

 診療を再開すると同時に、かかりつけ医として、避難所への巡回診療を開始した。豊浦に開設した診療所に通院できないものが主な対象となった。

【考察】

 今回、犠牲者ゼロで患者移送が成功した要因として、近隣の病院が患者を数十名という大きな単位で引き受けてくれたことが大きい。このことは、二次避難を考えるにも、またスタッフ配置においても好都合であった。遠方にある病院へ移送せざるを得ないような事態を避けるためにも、災害時を想定して病院単位でどれだけ協力し合えるか、近隣の病院同士が連携する体制づくりを検討していく必要があると思われる。

 自主避難時には、急遽民間のバス会社や温泉街のホテルの協力を得られたことで、患者転院を無事終了することが出来た。しかし、災害時には被災病院が移送を行うだけでなく、転院先の病院からも救急車やバスで直接来院し、患者を受け入れる支援も望まれる。

 避難所への巡回診療について、「かかりつけ医」の訪問を期待している患者がいるにもかかわらず、救護班の常駐を理由に避難所への入所を断られたケースがある。かかりつけ医との連携や救護班同士の相互連絡など、避難所での医療チームのあり方について改善すべき点が見られた。


災害時のパニックとPTSDへの対応

(天保英明、治療 84: 1293-1299, 2002)


I.PTSDとは

概念

 PTSD(posttraumatic stress disorder:外傷性ストレス障害)は、1980年に米国精神医学会が発表したDSM-Vのなかに、不安障害の下位カテゴリーとして登場した診断概念である。

誘因

 トラウマをもたらすような出来事には、次のような特徴がある。1)予想不能、2)制御不能、3)内容がグロテスク 4)対象の喪失 5)暴力的、6)その結果に対し自責を感ずる

症状

  1. 再体験:外傷的な出来事の再体験は、それをコントロールできない。(記憶が意思と関係なく侵入してくる)本症の症状の中で最も特異的
  2. 回避:再体験が苦痛をもたらすために、それを避けようとする回避が起こる。
     負荷が重い場合、事件自体を忘却し、さらに感情も麻痺することがある。
      →結果、事件のことを非常に淡々と冷静に話すように見える
  3. 過剰覚醒の持続:常にリラックスできないで、緊張しているということ。
     不眠、情緒不安定、集中力散漫となりやすい。
     ※症状は事件直後から起こるとは限らず、直後は無症状で、あるときなんらかのきっかけで症状があらわれることもある。

診断

 上記のような症状が規定数以上存在し、かつ1ヶ月以上持続すること。また、それらが社会的、職業的に機能障害をもたらしていることが条件になる。

治療

 下記の精神療法が主となるが決定的なものはない。薬物療法は、対症的、限定的。

II.災害時のパニック

 集団毒物汚染被害:業務上の過失、あるいはほかの原因により、毒性物質が広範囲におよび集団被害に発展したもの(例:サリン事件、原子力発電事故)で以下のような2つのタイプに大別できる。

分類

タイプI:毒性物質への集団暴露により多数の者が一挙に急性中毒症状を呈し、パニック状態のなかで死者や重傷者の姿を目の当たりにする、強い衝撃的場面を伴った出来事。(PTSDの発症率はタイプIIに比し高い)

タイプII:毒性物質への暴露が徐々に目に見えない形で進むような出来事で、衝撃時点はあまり鮮明でない。

問題

 衝撃時点の鮮明度:タイプIで高い。被害者の恐怖感と精神的衝撃を伴う光景への暴露の程度に比例して急性ストレス障害の発生率が高くなる。

 情報への不信:初期の段階で情報が錯綜したり、加害者(過失責任者)の側からのみ汚染に関する情報が開示されたりすると、情報に対する不信が高まり、情緒不安を招く場合がある。

 健康不安:毒物汚染者の大きな特徴は健康不安の存在であり、これはどちらのタイプでも見られる。また、身体愁訴に限らず、因果関係の説明のつかない身体化症状としての不定愁訴も広く見られる。

 生活への影響:転居を余儀なくされたり、地域産業が打撃を受けるなどすると、被害者に社会経済的な二次ストレスとそれによる心身への影響を生み出すことがある。

III.災害精神保健活動

 災害精神保健領域の災害前準備の前提として共有されるべきコンセンサスとして、以下の 14項目がある。(災害対応ハンドブック(Center for Mental Health Services発行))
  1. 災害に関与した人はすべて、それから何らかの影響を受ける
  2. 災害の与える心的外傷には、個人レベルのものと集団レベルのものがあり、精神保健の専門家は後者への対応が不慣れであり、事前の訓練が必要。
  3. ほとんどの人々が災害時及び災害後に一致団結して行動するが、その能率は低下している。
  4. 災害ストレスと悲嘆反応は、異常な状況下での正常な反応である。
  5. 被災者にみられる情動反応の多くは、災害によって引き起こされた生活上の問題から生じる。
  6. 災害救援者は二次的被害者であり、ケアの対象となる。
  7. 災害後、自分が精神保健サービスを必要と思う者は皆無、探求する者はなおのこと。
  8. 被災者は、あらゆる種類の災害援助を拒否することがある。
  9. 災害精神保健は、心理学的というよりは、より実際的な性質のものとなることがしばしばである。
  10. 災害精神保健サービスは、被災コミュニティーの特質に合わせる必要がある。
  11. 被災者への介入に際し、精神保健スタッフは、伝統的方法も考慮しつつ、それに頼りすぎることなく、積極的にアウトリーチ手法を用いる必要がある。
  12. 積極的で真摯な関心と配慮があってはじめて、被災者は援助に応じる。
  13. 介入は災害の時期に合わせて行わなければならない。
  14. 回復の鍵となるのは、援助システムである。

IV.バーンアウトのリスク

 精神保健従事者も、災害救出活動の中でバーンアウトする危険性があることは留意すべき。


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