災害医学・抄読会 2000/10/27

災害医療の特徴について(上)

西村明儒、吉岡敏治ほか編・集団災害医療マニュアル、へるす出版、東京、2000年、pp.2-6)


概 要

 1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路地方に大規模な地震が起こった。震災後15日間に震災地内外の病院で入院治療を受けた6000例余りの症例について、臨床医の目から調査・解析が行われた。被災地内病院としては、被災地10市10町内にある病院のうち、病床数100床以上でかつその地域の中心的病院である54施設中48病院、また、後方病院としては、被災地内病院からの転送患者が75%以上を占めた被災地内の6施設と、被災地外の救命救急センターや三次救急医療施設などで、転送患者を引き受けた施設をほぼ網羅した47病院を対象として行われた。

 震災により起こる問題として、まず外傷が挙げられる。家屋や家具の下敷き・打撲による受傷は古典的・典型的受傷機転であり、近代建築では、犠牲者は建物自体の崩壊よりも建築構造物以外の落下物や転倒物によることが多く、また、揺れに伴う交通事故・列車事故によって多数の負傷者が発生するという推測がなされている。具体的な部位としては、四肢・軟部組織・脊柱の順で多いが、これらの致命率は低く、クラッシュ症候群や頭部・胸部・腹部外傷による臓器損傷の方が問題となる。これらはまた、救命可能な最重症例でもあり、これらの受傷者を他の外傷と区別して、高度の医療体制の整っている病院に搬入することが大切である。

 外傷以外で集中治療が必要な震災直後の疾患としては、エモーショナルストレスによる不整脈や虚血性心疾患、交感神経過緊張による心不全や脳出血、粉塵による喘息発作などがあり、これらの急性疾患の発症率と家屋の被害状況との間には有意な相関を認めた。また震災後に増加した疾患としては、脱水とそれを契機とした脳梗塞、肺炎などの呼吸器感染症、出血性胃潰瘍といった重篤なものが多く、これらもまた、地震による被害の大きさが強く影響していた。

 この震災直後の患者転送状況をみてみると、震災地内の大規模病院はクラッシュ症候群や臓器損傷といった外傷患者と共に心筋梗塞などの重篤な急性疾患患者を受け入れ、それにより周辺の大規模病院は慢性疾患患者や軽傷患者で占有されてしまった。突然の震災であり、殺到する患者に対応するためにも妥当な判断ではあるが、理想的には高度の医療体制を必要とするクラッシュ症候群や臓器損傷は、機能低下の少ない後方病院に搬入するべきであろう。そしてそのためにも、初期交通規制と移送手段の確保が重要となってくる。今回も、交通規制の遅れが救援、避難、そして患者の転送に影響を及ぼした。また、救急車・ヘリコプターといった患者搬送手段の確保が十分でなかったため、自家用車などの私的手段で受診した方も多く、それが交通渋滞に拍車をかけたばかりでなく、選別搬送や患者集散状況の把握を難しくしてしまった。

災害時、またはそれに備えて求められる各機関の役割

阪神・淡路大震災を契機とした災害医療体制のあり方に関する研究会 研究報告書より)

1. 都道府県・市町村
・ 広域応援体制の整備
・ 災害時に備えての研修・訓練の実施
・ 災害医療に関する一般住民に対する普及啓発
・ 災害医療支援拠点の整備

2. 保健所
・災害医療における各機関の連携体制整備

3. 医療機関
・ 地方自治体の防災訓練への参加
・ 死体検案のための研修やマニュアル作り

4. 消防機関
・ 傷病者の搬送システムの把握
・ 応急手当の普及啓発

5. 国
・ 医療体制・施設・設備の整備
・ 災害時の連絡体制

考 察

 今回のこの震災で最も問題となったのは、やはり患者搬送システムの未熟さであろう。地域の中心となっている大規模病院の機能が麻痺した場合にどのように対応するか、重症度別・要治療度別にどの病院に搬送するべきなのか、その体制を確立しておくことがスムーズな選別搬送のうえで重要である。もちろん、その時の搬送手段も確保できておかなければならない。

 また、死亡例に対してであるが、多くの死亡者が出てしまったため、監察医や法医学者のみでは困難で、臨床医も死体検案を行ったが、検案書の不備が指摘された。上述したように、一般臨床医も死体検案が行えるような研修やマニュアル作りが必要と思われる。

 震災を始めとする災害はいつ起こるか分からない。「備えあれば憂い無し」と言われているように、いつ起こっても対応できるよう、常に万全の体制を整えておく必要がある。そしてそれは、医療機関だけに限らず、道路の問題や避難後のことなど、まさに地域全体の体制を整えておかなければそのシステムは機能しない。

 阪神・淡路大震災では大きな被害が出てしまったが、この教訓をいかし、もう二度とあのような悲惨な災害が起こらないようにしなければならないと思った。

<参考文献>
阪神・淡路大震災を契機とした災害医療体制報告会
 
http://www.mhw.go.jp/search/docj/houdou/0805/67.html


病院の火災

藤井千穂:エマージェンシー・ナーシング 13: 1459-66, 2000


事故概要

  1. 発災日時:1977年1月20日(月)、12時15分頃

  2. 発災場所:
    病棟中央部を上下に貫く空間(シャフト)に、電気、ガス、水道、酸素、吸引などあらゆるライフラインが集中的に収容されている.このシャフト内で電線を被覆している材料がくすぶりだした.

  3. 被害状況:
    停電 病棟1〜17階煙 12〜17階(煙がシャフト内から天井を伝わったため)
    火災 16階(電話交換室の内部のみ)

  4. 原因:
    アルミニウムの電線と銅の接合部に漏電が生じ、電線の被覆材が燃焼したため

防災設備の作動状況

  1. スプリンクラー:
    火災が生じなかったため作動しなかった

  2. 火災報知器:
    煙探知による火災報知器が数分後に作動した.煙が主に天井裏を這ったので感知が遅れた.

  3. 非常電源:
    シャフト内の異常事態により、17階にある配電装置にも影響が及び、病棟 は完全に停電し、エレベーターも停止した.さらに非常電源も全く作動しなかった. 病棟以外では停電はみられなかった.

  4. 放送・電話:
    非常用の放送設備には異常がなく、各部署間の連絡は可能であった.

発災時の対応

  1. 発見:
    電話交換室で火を発したので、火災であると認識された.

  2. 通報:
    12時19分、病棟に避難命令を下すと同時に倉敷消防署に連絡した.

  3. 初期消火:
    出火場所がわからず、職員による消火は行われなかった.12時45分、消防士がシャフト内へ放水し、14時35分鎮火が確認された.

  4. 災害対策本部設置:
    発災躍時間後の13時15分に会議室に対策本部が設置された.

  5. 避難活動:
    煙と火災報知器により火災発生が確認されると、各階(10〜15階)病棟の 患者は病棟担当医師と病棟婦長の判断で、避難を開始した.中央ロビーに集まった人  達、特に見舞い客は真っ暗な中央階段を下へ下へと進んだ.これは避難通路の指示が  明確に出されなかったためである.

  6. 搬送方法:
    歩行が不自由な患者は職員が背負って運ぶケースが多かった.担送患者のほとんどは毛布にくるんで移送した.

  7. 避難場所:
    7階には大学校舎棟や研究・外来棟への連絡通路があるので、7階まで医師・看護婦婦が誘導した.そこからは救命救急センター、リハビリテーション科病室、現代医学博物館、総合体育館に収容した.

  8. 手術室ならびにICU:
    9階にあり、煙が及んでこなかったので、このまま管理した.大手術は行われていなかったし、午前中の手術もほとんど終了していた.小外科が2件残っていたので、懐中電灯の照明で手術を継続し、手術終了まで避難させなかった.透析センターでは透析を中断し、避難先で再開した.

  9. 緊急発令:
    未熟児室にはベンチレーター装着中のベビーが2人いたが、近隣の倉敷中央病院にSOSを発し、無事に収容した.

  10. 待機患者:
    入院患者の90%は避難させた.残りは非常扉近くに集結させたうえで待機した.(鎮火通知の出るまで危険な事態は到来しなかった)

職員の動員と活動

  1. 病院職員:
    病棟担当者は自主的に病棟に集まり、看護婦と協力して患者の避難誘導にあたった.

  2. 医科大学:
    午後の休講と手助けをするようにとの指令と、医療福祉大学、医療短大で  も同様の指令がなされた.学生は患者の誘導と搬送に大いに活躍した.

  3. 非番の看護婦:
    自宅や看護婦寮から多数の看護婦が駆けつけた.

災害対策本部のその後の仕事

 避難活動には具体的な指令を出すことはなかったが、その後の対応については多くの指示を出す必要があった.

  1. 患者の避難先の把握:
    医事関係事務職員が分担し、数時間かかって患者の動向を把握した.

  2. 外泊・転送:
    透析患者、分娩の近い妊婦、未熟児などをほかの病院にお願いした.379名は自宅外泊、66名は一時退院してもらった.

  3. 臨時避難先の選別:
    救命救急センター、リハビリテーション科、体育館、医学博物館へ収容した.

  4. 体育館、医学博物館での対応:
    医療チームを編成して対応した.医師、看護婦、薬剤師、検査技師、栄養士、事務職員の責任者を決め、責任者のミーティングを3時間ごとに行い問題点を抽出する.病棟別の患者名簿を作成する.応援看護婦への指示.

看護婦の的確な判断

 このような事故で、設備や災害対策にも不備があったにもかかわらず、人的被害を出さなかったのは、以下のような判断と行動があったからである.

  1. 避難し遅れた患者の確認
  2. 空室になった部屋の施錠
  3. 看護記録チャートの持ち出し
  4. 避難経路を熟知していた

幸運であった側面

 ひとりの犠牲者もけが人も出さずに済んだことには多くの幸運な条件が重なった.
  1. 病棟に火が回らなかったこと、有毒ガスが発生しなかったこと
  2. 停電はしたものの昼間であったこと
  3. 煙は10〜15階に限局したこと
  4. 電話は不通にならず、院内のコミュニケーションが可能であったこと
  5. 上層階から順に避難が開始されたために、混乱が生じなかったこと
  6. 大手術が行われていなかったこと
  7. 平日の日勤帯で人手があり、医大生、短大生が動員できたこと
  8. 比較的暖かな晴天で、屋外の移動も避難もさほど支障がなかったこと
  9. 体育館、医学博物館など避難する広い場所があったこと
  10. 近隣の医療機関がすぐに支援してくれたこと

問題点

  1. 発災場所はどこで何が起こったのか把握できず、避難誘導の的確な指示が出されなかったこと

  2. 古い建物なので、安全装置などが必ずしも完備されていなかったこと

  3. 災害種別、時間帯別など実態に即した災害対策マニュアルを完備


水 害

上杉みつえ:エマージェンシー・ナーシング 13: 1467-71, 2000


概 要

 栃木県大田原市に所在する大田原赤十字病院での、浸水災害時の行動についてのレポートである。

 平成10年8月27日、栃木県北部を中心に、大雨による被害がもたらされた。

 当病院は災害に備え、医師1名・婦長1名・看護婦3名・主事2名で構成される常備救護班を、3班編成し、日頃より訓練を重ねていた。当日、午前中に、うち1班は要請により出動していた。

 午後17時、混合病棟1棟(入院26名)が床上浸水し、この棟の患者全員を別病棟へ転床することとした。

 看護部長の、とっさの判断により、副院長(院長は出張中)に連絡、副院長は、直ちに現場へ駆けつけ、自ら搬出状況を総括。多数の医師を集め、「看護部の主導で行動すること」とし、看護部長、救護担当婦長および数人の婦長は、他病棟の空床状況を把握し、病状に応じた病棟選択をし、搬送係となった医師たちに伝達。医師たちは指示にしたがい、素足になり、患者一人一人を背負ったり、車椅子を持ち上げ階段を昇ることを、繰り返し行い、5名を担送、9名を護送、12名を独歩にて搬出した。他の看護婦や、職員は、患者の不安の有無の確認や、患者の荷物等の配慮をおこなった。

 当時、災害対策本部を設置する場所である、本館玄関、および、救急センターも浸水し、事務職員たちは、その対処に、おわれていた。

 このときの活動がスムーズ進行した要因は、

  1. 看護部長、副院長の、状況を冷静に見極めた判断と、日常の信頼関係、リーダーシップが発揮されたこと。
  2. 看護部に一任してトリアージがおこなわれ、看護部長、婦長らが息をあわせおこなったこと。
  3. 浸水時間が、17時と日勤終了直後で、各部門で多数の人がのこっており、それらの人が、一丸となって協力できたこと。

である。これらは、日頃のコミュニケーションとチームワーク、訓練が定期的に行われ、危機管理が実践的なものであったためと考えられる。

 反省点としては、

  1. 混合病棟で活動していた職員は、本館および、救急センターでの浸水を知らず、1病棟のみの搬送に従事できたため、スムーズに活動がおこなえたこと。
  2. 被災していない病棟の夜勤者は、浸水状況をしらなかったこと。
  3. 混合病棟、本館、救急センターで、活動していた職員が、病院の置かれている災害状況を把握することができなかったこと。

である。これらは、当院の防災マニュアルにある、災害対策本部を、設置しなかったことに、起因するものと考えられる。

 情報を入手した段階で、院内組織に従った連絡網を使い、災害対策本部を設置し、全体的な詳細な状況を把握し、必要に応じて伝達することが必要であり、そのためには、実践に即した、防災マニュアルが必要で、それは、全職員が、緊急時に、適切な行動が取れる、具体的なものであることが、大切であるということが、この災害をとおして認識された。

考察・感想

 このケースでの災害は、浸水したのが、1病棟ですんでおり、規模としては、さほど,大きくないようにおもわれる。 受け入れ可能な空床が、同じ敷地内に存在していたこと、17時という比較的早い時間で、十分に人手があったこと、停電もおこっていないことは、幸運であったといえる。

 だが、もしこれが、病院全体に及ぶような大災害であったとしたら、ここまで、全体的な情報網が確立されていなかったことと、十分な人手が得られなくなることを考慮すると、ここまでスムーズには、いかなかっただろうと考えられる。

 しかし、 大災害でなかったとはいえ、今回の搬送活動が、迅速におこなえたことは、ひとえに、現場での人の動きがしっかりしていたからであろう。

 患者と病棟の状態を十分に理解して、判断・指示を下せる指令系統と、実践力となる人手が存在していたこと、平素から訓練がなされていたことが、大事にいたらなかった所以だと思う。


現実に即した設定を行った空港災害対応訓練の成果

早川達也ほか:日本集団災害医学会誌 5: 29-33, 2000


方 法

1.想定

丘珠空港にて YS-11型機が着陸しようとした際横転し、機体の一部が炎上、乗客に多数の負傷者が出た模様とした。

2.関係各機関の現場到着時間設置

管制塔及び空港事務所による実際の通報の後、関係各機関が出動することとした。しかし、車両が実際に市内を緊急走行することはできなかったため、関係各機関の地上部隊は、あらかじめ空港敷地内に待機し、日常の各部隊の配置場所から空港までの距離を目安として、実際に現場到着に要する時間を算出した上で待機場所から出動することとした。

3.現場出動医師及び看護職員について

医師および看護職員については、市立札幌病院救命救急センター(以下、救命救急センター)からは医師3名、看護婦3名を、また空港に近い勤医協中央病院より医師1名、看護職員1名を派遣することとした。訓練参加者には、空港における航空機事故を想定した訓練であることのみを通知し、それ以外の情報は与えなかった。医療チームは実際の災害時の連絡経路、移動方法(ヘリコプタ−、救急車)を用いて出動するものとした。

4.模擬患者の設定

模擬患者としては60人乗りの YS-11型機の事故を想定したため、57名を設定した。重症度別患者数の割合は、1996年6月の福岡空港ガルーダインドネシア航空機事故をモデルとして設定し、重症6名、中等症11名、軽症30名、不詳なし10名とした。演技に相応の知識を要すると考えられた重症及び中等症については、救急救命士研修生が担当することとした。演技やメイクアップでは表現できないバイタル・サインの変化についてはテープを重ねて貼り付けし、模擬患者が適宜テープをはがすことによって明らかになるよう配慮した。

結 果

 訓練終了後、模擬患者(搭乗者)57名のうち、現地指揮所で把握できた傷病者情報は47名分で、死亡2名、重症7名、中等症13名、軽症6名、負傷なし19名であった。重症患者7名のうち、搬送手段が確認できたものは、ヘリコプタ−により搬送された3名、救急車で搬走された3名、計6名であった。また、中等症13名のうち、搬送手段が確認できたものは、救急車で搬送された5名であった。

考 察

1.医療救護活動における関係各機関の役割について

丘珠空港での航空機事故などの緊急事態に際しては、自衛隊が最先着の救助部隊として救助にあたることが期待されている。これはトリアージ等の傷病者対応も含まれていると考えられてきた。しかし丘珠駐屯地には医官が常駐しておらず、現実問題として高度な傷病者対応は望めない状況である。実際には、最先着の自衛隊による傷病者対応としては、歩行可能な傷病者の避難誘導と身元確認を行うことが精一杯であり、傷病者のトリアージは消防機関、それも救急隊が災害現場到着後、担当することが現実的である。また、医療チームは現場到着に時間がかかるため、トリアージではなく、消防機関の指示のもとに重症患者の応急処置に専念することが適当である。

2.自衛隊と消防機関の連携

今回、現地指揮所において、10名の傷病者情報が把握できなかった。これは自衛隊の対応した軽症患者についての情報が、指揮をとる消防機関に伝達されなかったことが主な原因であった。また、自衛隊ヘリコプタ−を傷病者の搬送に使用できたのは、発災後44分を経過してからであったが、これは消防機関からの要請がなかったことから、ヘリコプタ−の使用に遅れが生じたものである。自衛隊と消防機関のより緊密な連携が必要であり、平成11年度より現地指揮所のもとにさらに各機関との連絡要員を配置した現地調節所の設置を行い、各機関の現場指揮官の連携を密にすることとした。

3.訓練方法に関して

今回、シナリオのない現実に即した設定を行うことによって、関係各機関の役割や連携についての課題が明かとなった。現場で実際に指揮をとる実務者レベルに危機感が芽生え、当事者による自発的な意見交換が頻回に実施されることとなった。その結果、各機関の相互理解が進むこととなった。


ニカラグア共和国ハリケーン災害

高木史江ほか:日本集団災害医学会誌 5: 34-44, 2000


−救済期から復興期にかかる時期の医療救済活動−

 1998年10月下旬、中米に大型ハリケーン・ミッチが発生した。ミッチとこの勢力が弱まって変化した熱帯低気圧の影響で中米に断続的集中豪雨が続き洪水や泥流が生じた。ニカラグア共和国は特に北部で大きな被害があり、日本に対し緊急援助を要請し、日本から物資、資金援助、JMTDR(Japan Medical Team for Disaster Relief)派遣による救援活動を行った。

【今回のJMTDR派遣目的】

  1. ニカラグア国のハリケーン災害で被害を受けた負傷者などに対しニカラグア国関係機関および多国籍援助機関と協力し治療を行う。

  2. 被災害地での衛生状況での悪化に伴う感染症発生への防止対策への支援を行う

【医療チーム】

団長1、医師3、看護婦・士6、医療調整員3、調整員3人

【協力者】

スペイン語通訳1、医師1、看護婦3人、大使館医務官

【活動地域】

1:Nueva Via地区、2:Malakatoya地区、3:Tepalon地区

【災害被害(洪水被害)】

全壊住居は1:51.5%、2:2.5%、3:0%

【受診者】

 女性(64%)と子供が多く(14才以下が55%)、年齢層毎で女性の占める割合は15歳-49歳で最も高い(78%)

 女性の特徴として15−49歳で多くこの層の9.7%が産婦人科的愁訴を訴え、また男性より泌尿器科的愁訴、腹痛が多くなっておりこれに対する地域に応じた保健・医療が重要である。

 自然災害による被害を最も被るのは貧困者、特に女性や小児、高齢者といった社会的弱者であり今回もその傾向がみられる。

【疾患頻度】

 1位 呼吸器系疾患39.2%、2位 感染症・寄生虫症(大半下痢、これは低年齢層が多い)14.1%、3位 消化器系疾患7.9%、4位 皮膚・皮下組織疾患(13.2%)で、また第3診断名まで入れると42.1%が ARI(Acute Respiratory Infection)である。感染症ではマラリア、デング熱、コレラの明らかな患者なし。

 感染症のリスクを増す要因:(1)災害による人の避難、(2)人口の密集、(3)衛生環境の悪化、(4)通常の保健活動の中断 がありヌエバ・ビダ地区では被災民キャンプでの通常保健活動がないこと、人口増による伝染病が持ち込まれる危険があったが行政の監視やマスコミの注目で早急に対処できた。今回の活動対象が都市の低所得層や貧しい農村地域の人々だったが被災による健康への影響は比較的小さく抑えられた。

【調査活動(1200人に対し)】

 低所得者層でも飲料水の衛生知識と衛生活動はかなり普及していて、腸管感染症が流行する可能性は低いと判断される。しかしながら水道普及率が都市で80%、農村で8%で下水道は全く完備されておらず、トイレがない人口が6割を占めている。このため塩素添加が家庭で普通にみられる。JMTDR看護メンバーが待合室で手洗いや飲料水の煮沸消毒の保健指導をしたが、石鹸がないことや上記の塩素添加の理由により実情に沿わず、地域の環境にもとづく医療が大切である。

【自然災害の早期影響】

(1) 暴風:死者少ない、重症外傷中等度
(2) 津波:死者多く、 重症外傷少ない
(3) 洪水:死者少ない、重症外傷少ない といった特徴があり死者や重症外傷は少なく、内科系や小児科系の疾患に対する治療が主であった。

【今後のJMTDR】

救援期から復興期にかかる時期に活動する時に重要なことは現地のヘルスシステムと住民の健康が速やかに被災前の状況に回復させるための支援をおこなうべきであり、それには(1)公衆衛生の専門家であると同時に歴史、社会、政治、文化的な背景などの状況に通じ、(2)現地の被災前の疫学情報やヘルスシステムをよく理解している人をメンバーやアドバイザーとしてとりこむ必要がある。そのときのメンバーは内科小児科系を中心にして途上国のARIや下痢症へ適切な対処ができ周産期ケア、婦人科的コンサルテーションが可能であることが望ましい。


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