最近の日本における社会的中毒事件を考える上で特徴的なことは、従来からあった産業事故や化学物質搬送中の事故に加えて、意味不明のあるいは犯罪性のある中毒事件(具体的には地下鉄サリン事件に端を発して、砒素入りカレー事件、アジ化ナトリウム混入事件など)が発生していることである。(表1、2、3)社会構造の複雑化、大型化、価値観の多様性の進展に伴って今後このような事件の増加は十分予想され、そのような事態への対応策を事前に確立しておくことが必要となる。
(2)中毒情報管理の問題
<良点>
松本サリン事件の治療経験を持つ医師との情報交換
自衛隊中央病院からの医師派遣
<問題点>
医療機関、消防、警察、大学などの関係各機関がばらばらに情報管理を行ったため、被災者の数、重症度、発生場所、収容先などを把握するのに時間がか
かった。→ 一部の病院に被災者が集中。
(2)中毒情報管理
中毒情報とは
* インシデント・コマンド・システム:
製造、貯蔵過程における化学物質の漏出、火災爆発、 異常反応 | 71 |
化学物質搬送中の事故 | 14 |
船舶の衝突、沈没その他の理由による燃料の流出 | 26 |
食品への化学物質流入(故意、過失いずれも含む) | 22 |
その他 | 15 |
合 計 | 148 |
表2.日本中毒情報センターが何らかのかかわりを持った
社会的中毒事件の例
従来から あったもの | 産業事故 搬送中の事故 |
最近話題と なったもの | サリン事件 ナホトカ号座礁 セアカゴケグモ騒ぎ 痴漢防止スプレー噴霧 食物への毒物混入 |
7月25日 | 砒素入りカレー事件 | 和歌山 | |
8月10日 | ポットの湯にアジ化ナトリウム | 新潟 | |
15日 | 水源地にパラコート | 鹿児島 | |
23日 | ポットに殺虫剤 | 新潟 | |
26日 | ドリンク剤にクレゾール | 東京 | |
31日 | ウーロン茶に青酸 | 長野 | |
9月1日 | ウーロン茶に青酸 | 長野 | |
2日 | 清涼飲料水に殺虫剤 | 奈良 | |
3日 | 乳酸飲料に漂白剤 | 大阪 | |
4日 | 清涼飲料水に殺虫剤他 | 千葉、長野、大阪 | |
6日 | ジュースに殺虫剤 | 静岡 | |
7日 | ドリンク剤に殺虫剤他 | 長野、岐阜、大阪、埼玉 | |
8日 | 清涼飲料水に殺虫剤他 | 千葉、福島、宮城 | |
11日 | 番茶に漂白剤他 | 大阪、富山 | |
15日 | 缶コーヒーに殺虫剤 | 栃木 | |
10月15日 | ポットの湯にアジ化ナトリウム | 三重 | |
27日 | ポットの湯にアジ化ナトリウム | 愛知 | |
28日 | ポットの湯にアジ化ナトリウム | 京都 | |
11月4日 | 給食に異物 | 島根 |
阪神・淡路大震災においては病院自体が被災し、病院機能が低下した状況での診療を余儀なくされ、多くの混乱を招いた。静岡県は防災先進県と呼ばれ、行政面での改善が進んでいるのだが、病院の大規模災害に対する備えが十分か否か、アンケートを行い検討した。
アンケート内容は以下の15項目である。
<結果>
1,2:地域防災無線は、災害発生時の重要な情報収集手段であるだが、24時間人が常駐している場所に設置している施設は約半数しかなく、平時に防災無線を利用している施設はたった8%であった。
3,4:貯水タンクやパイプラインの供給システムを耐震構造にしている施設は51%と過半数であったが、43%はしていなかった。また、常用貯水量を1ベットあたり1トン以上確保している施設は全体の1/3であった。
6:94%の施設で暫定本部長は当直医が務めることになっていた。
8:徒歩で1時間以内に来院可能な職員が50%以上を占める施設は約70%であった。
9,10:災害時優先電話の所在を何らかの形で明示している施設は64%、周知していない施設は17%、非公開電話による連絡体制を確保している施設は46%、していない施設は43%であった。
11:50%が病院正面玄関で、以下、病院内の外来、救急医療センターの順であった。
13:他医療機関との相互援助協定の必要性に関しては、54%が行政に一任すると答えており、25%が各系列のネットワーク、11%が系列を超えたネットワークを形成していた。
14:ヘリポート設置および臨時離着陸場の申請を行っていない施設は89%であった。
15:消防訓練以外に、集団災害時の多数傷病者来院を想定した訓練を実施している施設は11%のみであった。
<考察>
結果より、最も大きな問題は、他医療機関との相互援助協定について、過半数の医療機関が消極的な考えであるということである。現在、病院の稼働率は90%を超えており、外来傷病者の全てを受け入れることは明らかに不可能であり、他地域の病院へ如何に効率よく患者を搬送するかが重要となる。従って、事前に他医療機関との相互援助を申し合わせ、広域ネットワークを形成することで、スムーズな搬送はもちろん、各医療機関の負担が減少し、結果として、医療技術の低下をとどめることが可能になると考えられる。現在、国立病院、大学関連病院など各系列のネットワークは構築されているが、それを超えたさらなるネットワークが必要であると思われる。
次に、災害時の外部からおよび外部への連絡体制がまだ不十分であると思われる。災害発生時には、正確な情報を早く得る必要があり、そのためにも地域防災無線機は守衛室、集中治療部、救急医療センターなど24時間人が常駐している場所に設置し、定期的な交信練習や平時の連絡においても積極的に活用することで、その使用に慣れておくことが必要である。また、災害時、他医療機関や自治体などと連絡をとるために、災害時優先電話や一般非公開の電話番号が存在するが、阪神・淡路大震災ではその存在があまり知られていなかった。外部と速やかに連絡がとれるよう災害時優先電話の所在はきちんと明示し、病院間の非公開電話番号リストを作るなどにより、確実な連絡体制を確保することも重要と考えられる。
さらに、災害時は平時の交通手段が利用できなくなったり、緊急な搬送を要する傷病者が生じる可能性が高く、ヘリコプター等の使用が必要と考えられるのだが、ヘリポートを確保している施設は少なく、適切な治療に支障が生じる危険性があると思われる。また、阪神・淡路大震災において、最も病院機能に打撃を与えるライフラインが水の供給であると明らかになったにもかかわらず、今回の調査施設の2/3は24時間以上の断水には耐えられない現状にあること事がわかった。以上、多くの問題点が浮き彫りとなり、今後更なる取組みが必要であると思われる。
阪神・淡路大震災後の避難所医療に関わる3用語、“被災者・避難所・救護所”について、用語集と新聞紙上で日本語・英語両面から調査している。
“被災民”
“難民”
“流民”“国内避難民”
英字紙では“被災者”を意味する表現は12種類に及んでいた。このうちもっとも頻度が高かったのはvictimもしくはquake victimであった。その際、これが生存者を指すのか死者を指すのかは前後の文脈から推察する必要がある。
2.避難所について
“避難所”
“収容施設”“経過センター”
英字紙では“避難所”の英語訳は計30種類の用法が用いられていた。このうちshelterがもっとも頻用されており、これ自体に“避難する場所”という意味があるため、誤解を招きにくい語である。
3.救護所について
“避難所”に開設された、応急の診療施設“を表す用語は、日本語、英語ともに未確定である。
航空医学は航空なくしては存在しない。航空医学を知るためには航空の歴史を顧みることが必要である。Wright兄弟による初飛行は、航空の歴史における最大のエポックであるが、これは人類がずっと以前から空を飛びたいという願望を長く熟成させて来た結果と言える。
実際の飛行の歴史は気球から始まった。1783年11月には有人飛行が達成されている。その有人飛行において2750mまで急上昇し、高高度では寒冷を、下降時には鋭い圧迫するような耳痛を訴えている。飛行と医学生理学的接点が垣間見られている。
気球飛行への医学の積極的関与は、1793年アメリカ人医師によってであった。彼は多くの気球での飛行経験を持つ人から、高高度での自覚症状を聞き取ったり、脈拍数の測定などを行った。1804年には、3人のイタリア人が6000m超の高さまで上昇し、寒さのため凍瘡を患い、吐き気や意識消失を体験したと伝えられている。これらの飛行記録が、高山病や潜函病の原因解明の契機になったという。このように、18世紀後半から19世紀にかけての気球飛行時代の航空医学は、高度生理学的見地からのものであったと言える。
その後、第一次世界大戦が勃発する頃までには様々な飛行機が制作されていったが、この時代の飛行機改良の目的は、より早く、より高く、より遠くがキーワードであった。安全性・信頼性・経済性はずっと後の時代のキーワードである。
航空医学の飛行機に対する関与は1907年にすでにみられ、飛行機酔いに関するフランス語の論文であった。また、飛行機の墜落事故により犠牲者が出たことにより、1908年には事故調査委員会は医学的見地から検討を行い、頭部の保護具を開発し、操縦士に装着させるように勧告した。
飛行機の潜在的戦闘能力は早い時期から着目され、第一次世界大戦時にはすでにドイツでは1200機、フランスとイギリスでは1000機の戦闘機を有するようになっており、飛行機はその開発からわずか10年あまりを経て、戦力としてヨーロッパの空に群がるようになった。開戦の翌年、大英帝国によって飛行機での戦死についての論評が行われた。それによると、敵によって戦死させられたものは全死者のわずか2%にすぎず、8%は飛行機自体の欠陥によっての死亡であった。残りの90%は操縦者自身の生理的欠陥・無謀な冒険心・不注意など個人的な問題に起因していた。また、さらなる調査によって、乗員の戦死者の6割は乗員そのものの身体的・生理的欠陥によることが明らかにされた。この事実は、わずかな灯火であった航空医学を飛躍的に発展させる起爆剤となり、大英帝国は直ちに操縦をする乗員の健康管理をする医学部門を発足させることになった。このことによる初期効果は著しく、身体的・生理的欠陥による戦死者は、大戦2年目の終わりには20% に、3年目には12%にまで減少した。このため航空機乗員の医学適正基準が各国の軍隊によって作成され始めた。また、満州事変において、患者輸送が行われ、これは飛行機による救急医療搬送の初めと言える。
飛行機が民間輸送に用いられるようになったのは1920年代からである。初めは郵便の輸送から、次第に旅客の輸送を行うようになった。この際、ヘルメット・ゴーグル・パラシュートの着用が義務付けられた。この当時の飛行機にはまだ与圧もなく、騒音も大きく、チューインガムと耳栓が必要不可欠であった。また、厳しい客室環境から起こる旅客の疾病の多発から、客室乗務員にRegistered Nurseを採用していた。
本邦でも、1952年には、操縦者の航空従事者技能証明とともに航空身体検査証明についても言及された航空法が制定された。1982年2月9日、羽田沖で墜落した旅客機事故の原因が機長の精神状態に由来することが判明し、航空の安全には医学がその責任の一端を担っていることが広く知られるようになった。
航空並びに航空医学の歴史から顧みると、単に飛行できればよいと言う時代から、現在では航空の安全性追求が至上命題になっている。
最近の事故率は、100万離陸当たり1回以下にならないものの、2回を越えることなく推移している。これは、飛行機自体の改良・飛行場や管制の充実など科学を裏付けとした改善が大きな要因である。また、乗員に対する医学適正基準設定など、医学の航空への関与も事故率の減少に大いに役立ってきたと言える。このようにあらゆる科学技術の進歩が航空の安全を支える礎となっている。
航空医学はその起源からも、その安全性確保の観点からも、操縦士の医学適正検査が最も大きな柱である。国連の一機関である国際民間航空機構(ICAO)においても、航空身体検査について言及されている。これらの運用にあたって、管理する医師と管理される乗員の間の葛藤は、残念ながら航空の歴史のごく初期から現在まで続いている。飛行を職業とする乗員を健康上の理由で運行から外すことは、当該乗員にとって一生の大事である。管理する医師、あるいは航空身体検査を行う医師はこの立場を十分理解し、その上で航空の安全を維持することが最大の使命であることを十分認識し誠実に対処する必要がある。
近年、航空医学の裾野は拡大し、この分野は乗員だけでなく、整備や管制の仕事に携わる人、さらには航空機に搭乗する旅客の健康状態や救急医療対策まで留意する幅広い学問領域となっている。最近のトピックスでは、乗員や旅客の被爆する宇宙放射線量と人体への影響、未開発国への旅行による輸入感染症、旅客の疾病発生に対処するいわゆるドクターキットを含む機内医療体制とテレメディシンを含むその地上支援体制の構築、さらにはヘリコプターを使用しての救急医療搬送問題などが挙げられる。
航空医学はこれまで述べてきたように、医学を基礎として医学的配慮から航空の安全を追求する分野である。しかし、航空医学は航空機の進化・発展と医学の進歩とを関数として、航空の安全を担保することが使命であり、2つの関数の変化により、航空身体
基準やマニュアルの変更・改訂を迫られるのは当然である。これから開発されていく飛行機に関しても、その安全運航を支えるために航空医学が欠くべからざる学問領域であることは論を持たない。今後も学問的研鑽を積まなくてはならない領域である。
現代において飛行機は、その便宜性から欠かせない乗り物となっており、多くの人々の輸送を司っている。このことを忘れず、航空医学は課された「航空の安全に寄与する」という日常的な役割を果たしていく必要がある。
また医療スタッフにおいては
から構成され、特に避難所においての伝染病蔓延の防止を最優先事項として対策がなされた。
このような災害対策の一方で、タクシー運転手が料金を二倍に上げ、また水没した道にはしごを設置し、通行料として100元(=$12)を要求する者もいた。
洪水予測は、構造物に頼らない洪水対策として注目されている。メコン川・ドナウ川のように、川が複数の国をまたがり、限られた協力体制しかとれない状況とは異なり、中国では主要な河川が国内に源を発して国内のみを流れているため、下流の人々に差し迫った氾濫を警告するのは非常にようにとなる。このように構造物に依存しない洪水対策が開発されつつあるが、いまだ構造物に使用される費用のほうが莫大である。
次第に、人は洪水と闘ってきた方法の多くが無駄であったことを知る結果となるかもしれない。技術の進歩と優先順位の変更が、洪水という破壊的な自然災害を「防御」するのではなく、それと「共存」することを可能にするかもしれない。
静岡県内病院のDisaster Planについて
青木克憲、浜松救急医学研究会 4 (1) 1-5, 1996阪神・淡路大震災での避難所医療における災害医療用語と報道用語
久保山一敏ほか、日本集団災害医学会誌 4: 98-104, 2000)
<調査対象>
<考察>
<まとめ>
航空医学序論
飛鳥田一朗、Biomedical Perspectives 8 (2): 183-92, 1999中国における洪水被害の軽減および対策
国際赤十字・赤新月社連盟.世界災害報告 1997年版、p.90-98はじめに
症例
被災者数:200、000、000
死亡者数:3,048
負傷者数:363,800
全壊家屋数:3、700、000
損害家屋数:18、000、000
被害土地面積:24,000,000ha
経済的損失額:元100、000、000、000(=$12,000,000,000)初期対応
増加する洪水
洪水対策における優先順位
洪水対策の実情
洪水に対する防災施設を建造するという行為そのものが、洪水が起こりやすい地域に住むことを人々に奨励することに成り得る。人は未だ自然が破壊できない構造物を建造したことが無い。