現代社会理論研究 第6号、1996年(10/29/96、WNN:7479)
目次
昨年の阪神・淡路大震災においては、インターネットやパソコン通信を利用し
て救援活動を支援する「情報ボランティア」が活躍し、注目を浴びた。
そこで、本稿では、まず、1.インターネット上のWWWホームページやネッ
トニュースに掲載されている情報ボランティアの活動記録や諸資料から、震災当
時の情報ボランティアの活動状況を把握し、情報ボランティアの取り組みの現状
と今後の課題を示す。そして、このような情報ボランティアの取り組みの社会的
意義を明らかにするために、2.ハーバーマスの『公共圏(性)の構造転換』で
の議論をもとに展開されている「公共圏論」をたどり、3.インターネットの急
速な普及に象徴される情報化の進展の中で、情報ボランティアのような市民のネッ
トワーキングが民主的な市民社会の基盤である「公共圏」を構築する可能性を考
察してみたい。
そこで、インターネットのWWW(World Wide Web)上のホームページに掲載
された主な情報ボランティアの活動記録などを基に、その活動状況をとらえてみ
たい。
(1)主な情報ボランティアの活動
@神戸大学における情報ボランティアの活動
地震発生後2日目の1995年1月19日から、神戸大学の教員と大学院生有
志が、インターネット上のWWWに震災関連のホームページを作成し、教職員や
学生の安否情報を中心に3月中旬まで情報発信を続けていた。そして、この活動
を支援するボランティアの情報交換を目的として、「神戸大学ボランティア・グ
ループ・メーリングリスト(quake-vg)」が、1月30日につくられ運用されるこ
とになった。
しかし、quake-vgの登録者には、被災者の救援活動のためにこのメーリングリ
ストを利用しようとする人が多かった。そして、quake-vgは、避難所などの情報
を多く含んだメーリングリストになって行き、このメーリングリストは、被災者
救援を中心とした様々な活動を行う人びとに情報交換の場を提供する役割を果た
した(佐村 1995:10−22)。
AWNN(World NGO Network)
WNN(World NGO Network)は、1995年2月1日より、大阪大学の研究
プロジェクトとして発足した。
WNNは、阪神・ 淡路大震災で救援活動に携わるNGO/NPO(ボランティ
ア団体)の情報化を支援するために、インターネット上のネットニュース、電子
メール、メーリングリスト、WWW等を活用して情報整理や情報交換、情報入出
力、検索サービスを代行したり、NGO/NPOのメンバー自身がそれらを行え
るように、機材の貸与や講習、アフターケアを行なった(水野1995)。
BIVN:インターボランティア・ネットワーク (略称:IVN)
IVNは、1995年2月4日に設立され、さまざまなボランティア団体・個
人間の情報共有のためにつくられた連絡網で、70をこえる団体や個人が登録し
た。
神戸市三ノ宮の神戸電子専門学校に2月はじめから4月28日まで連絡所がお
かれ、そこを拠点として、様々なボランティア団体・個人が、NIFTY-Serveの「
震災ボランティアフォーラム」などにボランティア団体の情報を電子化して掲載
したり、生活情報の収集や避難所への配布を行ったりする活動を行った(金田 1
995)。
Cボランティア支援グループ(Volunteer Assist Group:VAG)
VAGは、ボランティア団体の相互交流、情報収集、情報利用の促進を目的に、
NIFTY-Serveやインターネットの利用者を中心に、1995年2月21日に設立
された。
VAGの活動内容は、コンピューターネットワークや新聞、テレビ、ラジオ、
ミニコミ誌等から収集した生活情報を編集してコンピューターネットワーク上に
掲載したり、パソコン通信を利用したい避難所やボランティア団体の支援を行う
ことであった(金田 1995)。
DインターVネット
インターVネットは、1995年3月1日に発足し、被災者と支援者、被災地
のボランティアと後方支援ボランティア、企業、マスコミ、行政機関などが、互
いに意見や情報を交換し、活動を調整し合えるように、インターネット上のニュー
スグループと(NIFTY-ServeやPC-VAN等の)商用パソコン通信ネットワーク上の
会議室の間で記事を相互に自動的に転送し合うことのできるコンピューター通信
システムを構築し、運用した。
また、インターVネットと連携しながら、「淡路プロジェクト」という構想の
下に淡路島で活動を行ったいくつかの情報ボランティアのグループがあり、その
活動は現在、地域の情報化を目的として淡路島の情報ボランティアによって19
95年11月26日に創設された「淡路島インターネット協会」に発展的な形で
引き継がれている(インターVネット事務局 1995;干川 1996a:258−25
9)。
(2)情報ボランティアの今後の課題
上であげた情報ボランティアグループのうち活動内容を拡大しながら現在も活
動を続けているのがWNNとVAGである。また、インターVネットも慶応義塾
大学の「VCOM」研究プロジェクトとして運営体制を立て直して、被災者支援だけ
でなく、NPO/NGOの支援、東京都をはじめとする地方自治体の政策立案支
援のための情報通信ネットワークとして発展的に活動を行っている。
これらの情報ボランティアグループの活動と並行して、阪神・淡路大震災で救
援活動を行った主な情報ボランティアの代表者、VCOMの運営委員、行政(兵
庫県、通産省、郵政省等)の担当者などから構成された「インターVネットユー
ザー協議会」が、1995年4月20日に発足し、現在まで、その規模を拡大し
ながら防災情報通信ネットワークに関する政策提言活動や、兵庫県を中心とする
地域の情報化支援活動などを行っている(干川 1996b:30−36)。
以上が、阪神・淡路大震災を契機にして自然発生的に出現した主な情報ボラン
ティアの活動であるが、彼らは、震災以来、その活動を通じて互いに手を結び、
また反発し合いながら、情報ボランティア以外の志を同じくする人びととも連携
しながら、現在もそのネットワークを広げている。
ところで、このような情報ボランティアの活動は、震災被災者の救援に本当に
役に立ったのだろうか。その答えは残念ながら否定的なものである。つまり、震
災当時のコンピューターネットワークの利用は意外に有効であったことは事実で
あるが、その利用者の絶対数が少なかったことや、また、試行錯誤しながら多様
な利用な仕方がされたが、しかし、各地における救援活動の現状報告や生活情報
の掲載のような広報的・情報提供的利用や情報交換といった、ごく一部の用途で
しか役に立っていなかったである(金子・VCOM編集チーム 1996:156−
173)。
このように、阪神・淡路大震災における情報ボランティアの活動は、多くの課
題を残すことになった。そこで、それらの課題を踏まえながら「インターVネッ
トユーザー協議会」の政策提言が行われたのであるが、しかし、その実現のため
には、災害時における情報ボランティアと行政との間の効果的な役割分担と連携
のあり方が明確にされねばならない。つまり、阪神・淡路大震災で明らかになっ
たように、大災害時には行政の機能がほとんど停止してしまうことを前提にして、
情報ボランティアが救援活動に必要な情報を被災地内外で臨機応変に迅速に収集
し、行政の災害対策本部などの救援活動拠点に提供し、また、行政と連携しなが
ら、被災者が必要としている情報を収集し被災者にその情報を提供する有効なや
り方を作り出さねばならないのである。
ところで、以上のような活動を情報ボランティアが行うことによって、社会は
どのように変わって行くのであろうか。
そこで、その可能性と課題を理論的に明らかにするために、J.ハーバーマス
の『公共圏(性)の構造転換』の議論をもとに独自の「公共圏論」を展開してい
る花田達郎の知見に基づいて、公共圏と、情報ボランティアの活動基盤を作り出
すメディアコミュニケーションとの関係を考察してみよう。
(1)理性的な議論の場としての公共圏
花田によれば、「公共圏」とは、理性ある公衆によって世論が形成される社会
的相互作用の場であり、その中では、理性的な話し合いのルールにもとづく討論
が行われる。
公共圏における討論に参加する際に、参加者すべてがあらゆる情報を手に入れ
ることができ、意見相違の解消は力づくではなく、根拠に基づいた筋の通った議
論を通じて行われる。そして、この中で行われる討論の目的は公衆の福祉のため
の合意づくりである(花田1996:85−86)。
公共圏は、国家と社会の分離という近代成立の基本構図において、その両者の
間に存在して媒介項となる社会的空間である。
公共圏は、西欧における中世の終焉・近代の端初の時期に、新興ブルジョアジー
の小家族の内部空間(親密圏)の中に発生し、ヒューマニティーの理念に基づい
ていた。
やがて、公共圏は、文芸的公共圏へ、さらには政治的公共圏へと発展し、議論
する公衆によって作り出される世論によって支配が正当化されるという、近代の
組織原理としての自由主義的法治国家モデルとなる(花田1996:58)。
(2)公共圏の歴史的展開
ハーバーマスの『公共(性)圏の構造転換』の中の議論によれば、公共圏の歴
史的展開は以下の4つの段階に分けられる(ハーバーマス 1973)。
@西欧における中世の封建制社会
西欧の中世封建制社会では、私的領域から分離された固有な領域としての公共
圏は存在しなかった。
しかし、君主や宮廷貴族、聖職者などによって被支配者の眼前で支配が誇示さ
れる社会的空間としての「示威的公共圏」が存在していた。
これは、被支配者に対して支配関係を可視的に顕在化するための場ないし装置
であり、私的領域との関連で捉えられる公共圏とは無縁なものであった。
A16世紀における封建的諸権力の解体
この段階においては、支配者の側と民衆の側双方で、私的要素と公的要素の両
極分解が生じる。
例えば、神と人の間を媒介する役割を果たし宗教的な権威を具現し民衆を支配
していた教会は、神の言葉としての聖書以外に神と人を媒介するものを認めない
宗教改革によって、宗教的権威を失う。これによって、宗教的信仰は私事となり、
教会は一つの私的団体となる。
他方で、君主の権力においては、領主の公的予算と私的家計が分離する。また、
公権力の部分は、官僚制と軍隊という制度に客体化される。
さらに、支配的身分(貴族階級)という封建的要素からは、議会と司法が発達
し、公権力の機関の構成部分になる。
都市の職能的要素(ギルド)からは、「市民社会」が発生し、それが私的自律
の正統な領域として国家と対立するようになる。
以上のような封建的諸権力の解体過程の中で、示威的公共圏が衰退し、それに
代わって、新しい公権力の圏が形成され、それに対抗する形で市民的公共圏が形
成されてくる。
B重商主義段階における市民的公共圏の成立
商品流通と情報交換を要素とする交易体系の拡大に伴い、外国貿易市場は増大
するリスクに対する政治的保障を必要とするようになり、それを保障する公権力
の圏として国家が成立する。
この段階では、「公的なるもの」は、国家に属し、「私的なもの」を担う私人
は、公権力に従う存在となる。
交易体系の一方の要素である情報交換においては、私的通信から新聞が出現し、
やがて商品と化すなかで、教養を身につけた読書する公衆が、新聞を用いて自分
たちの利害を反映した世論を作り上げ公権力に対抗しようとする。それによって、
市民的公共圏が、公権力に対する批判的な圏として成立するようになる(花田19
96:28−30)。
C後期資本主義段階と公共圏の構造転換の過程
近代民主主義の基盤としての公共圏は、国家(公権力の領域)と社会(私人の
領域)の分離を前提にその二つを媒介するものとして成立していたが、、私人の
領域として社会の中に位置していた市場経済が、生産力の増大による経済活動の
発展によって国際的な規模にまで拡大し社会の物質的再生産を担うシステムとし
て自立化し、その景気変動が社会全体に大きな影響力をもたらすようになり、ま
た、資本家対労働者の階級対立が先鋭化するようになる。
それに対して、国家は、社会の秩序維持のために、景気変動を調整する経済政
策と階級対立緩和のための社会保障を遂行するようになり、市場経済は国家の統
制のもとに置かれるようになる。
この過程が「国家と社会の相互浸透」であり、その結果、西欧近代社会は、後
期資本主義あるいは社会(福祉)国家の段階に入ることになる。
この段階においては、大多数の人びとは雇用者となり、職場と家庭の分離とい
う形で、私的領域としての家族から市場経済が分離し、その結果、家族は経済的
生産機能を失い、また、これまで読書のような知的活動に割り当てることのでき
た自由な余暇時間が雇用労働によって大幅に奪われ、家族は、所得と余暇の消費
の単位、また、行政サービスの受給の単位となって、公共圏を支えていたその自
律性を失うことになる。
このような家族的親密圏の変容に対応して、文化創造の担い手であった読書し、
議論する公衆は、文化を消費する大衆へと変貌し、それにともなって、文芸的公
共圏は、マスメディアの作り出す消費文化的公共圏となる。
また、市場経済の維持・発展のための国家の統制という形で、市場経済と国家
との相互依存的な関係がつくりだされることで、国家と市場経済というサブ・シ
ステムからなるシステムは、「再政治化された社会圏」となり、政治的公共圏は、
世論を形成しそれにもとづいて国家に対抗するという政治的機能を失い、逆に、
市場経済と国家の利害を達成するための広告と広報の機能を引き受けるようにな
り、もはや、政治的公共圏は、行政機関や企業や団体や政党やマスメディアなど
の諸組織の広告・広報活動によって形成され、再封建化されたもの、つまり、人
びとの面前で威信が展覧される示威的公共圏に再びもどってしまい、人びとは同
調的な「雰囲気的な意見」のなかで拍手喝采する大衆と化すのである(花田1996:
37−39)。
以上のように、西欧近代社会の歴史的展開の中で確立された公共圏は、近代の
政治的秩序の基盤として働いたが、19世紀中葉に入って解体過程に入り、今日
の後期資本主義ないし社会(福祉)国家の段階のなかで構造的変化を遂げ、「脱
政治化」した。
つまり、公共圏が、構造転換を遂げ、広告機能や情報操作の機能を担うように
なり、広報活動の場へと機能転換してしまう。いわば「公共圏の再封建化」が進
展することで、公共圏の政治的機能は無力になりつつある。そして、『公共圏
(性)の構造転換』を著したハーバーマスは、現代の条件のもとで、その再生の
可能性を探究しようとしたのであった(花田1996:58、62)。
以上は、西欧社会における公共圏の歴史的展開過程についての議論であったが、
日本での公共圏の状況は、どのようになっているのか。
(3)日本における公共圏の状況
歴史的に見れば、日本においては、明治初期からの殖産興業政策によって国家
による産業育成と市場統制が行われ、国家と市場経済は未分化のままであった。
また、第二次大戦中に成立し高度経済成長を可能にした経済省庁(大蔵省・通産
省)の主導の護送船団方式による経済政策は、監督・指導という形で市場経済を
コントロールすることで、国家による経済統制と社会保障に基づく福祉国家体制
を構築し、国家行政と市場経済が一体となった一方の「システム」と、他方で、
家族の主要な稼ぎ手が雇用労働に従事することで職場と家庭が分離することを通
じて、経済的生産機能を喪失し、また、「読書する公衆」や「議論する公衆」の
涵養のために必要な自由な余暇時間をもたない小家族から構成される「生活世界」
に分断され、さらに、公共圏のコミュニケーション的基盤となるべきマスメディ
アは、行政機関や企業の広報・広告手段となった。その結果、理性的な議論に基
づいて世論を形成し、システムにそのあり方の変更を迫るような力をもつ市民的
公共圏を形成する条件が作り出されなかったのである。
このように日本の近代化過程においては、公共圏の構築が妨げられてきたが、
今日のインターネットの急速な普及過程に見られる情報化の進展の過程において、
新たな公共圏の構築が可能であるかどうかを考察してみたい。
(1)「オルタナティブ公共圏」構築に向けての市民ネットワーキングの可能性:
APCネットワークとJCA
第1節でとりあげた情報ボランティアの活動と並行しつつ重なり合いながら、
震災前からコンピューターネットワークを通じて環境・平和・人権等の問題に取
り組むネットワーカーの活動、いわば、「電子市民活動ネットワーキング」が展
開されてきた。この活動も、震災を契機に日本社会全体でインターネットやパソ
コン通信の利用者が急増したことと時を同じくして、発展を遂げつつある。
そこで、首都圏を中心に市民団体の情報化支援を行いながら、世界規模で市民
団体や活動家を結ぶコンピューターネットワークの日本における拠点づくりに取
り組むJCAの活動を見てみることにしよう。
APC(Association for Progressive Communications: 進歩的コミュニケー
ション協会)ネットワークは、社会的変革のために活動する市民団体と市民活動
家のための世界最大のコンピューターネットワークであり、環境・平和・人権な
どの問題に取り組む団体や個人の間でネットワーキングと情報共有を促進するた
めに、安価で高度なコンピューター通信サービスを提供する世界的なネットワー
クである。現在、133ヵ国、約3万の市民団体・活動家が利用している。
APCネットワークは、市民団体・活動家が利用する22ヶ国のコンピューター
ネットワークがノード(:ネットワークを成り立たせる結び目のこと。APCネッ
トワークを構成するそれぞれの国のコンピューターネットワークのことを示す)
としてインターネットを通じて相互に接続されることで構成されている。
1992年にブラジルのリオデジャネイロで開かれた国連環境開発会議(地球
サミット)において、APC国際事務局となっているIBASE(ブラジル社会
経済分析研究所)が運営するコンピュータ通信ホスト局、AlterNexがリオ市西部
の国連会場、リオ市中心街近くのNGOフォーラムと世界各国を結ぶ役割を果た
した(JCA 1996)。
そこで、地球環境サミットの際にAPCネットワークを通じて議論と情報交換
を行った経験を持つNGO関係者をはじめ、そうした経験は無いがAPCネット
ワークに関心があるコンピュータの技術者や研究者、市民活動に関わる人たちな
どが集まって1993年4月にJCA(市民コンピュータ・コミュニケーション
研究会)が作られ、現在まで、このAPCネットワークの日本ノードづくりに取
り組んでいる。
その主な活動は、インターネットに接続されたJCAネット(仮称)を運用し
て、日本の市民団体・活動家が利用するメーリングリストやホームページを開設
し、電子会議室の実験的運用を開始。また、市民団体がパソコン通信を活用でき
るように出張講座も行っている。さらに、一般市民を対象にしたパソコン市民教
室も準備中である。
これらは、国内における活動であるが、他方で、海外におけるJCAの活動と
しては、アジア・アフリカの市民団体と協力して、アジア・アフリカにおける市
民団体・活動家のためのコンピューターネットワークづくりが着手されている
(印鑰 1996)。
このように、日本においては、1990年代に入ってから、大震災をきっかけ
として始まった情報ボランティアたちの活動や、APCネットワークのノードづ
くりに取り組むJCAの活動のような、コンピューターネットワークを使った市
民の自発的な活動が進展しつつある。
このような市民を主体とする活動が、環境・平和・人権等の現代の諸問題を克
服し得る新たな社会の基盤としての「オルタナティブ公共圏」を構築するために
は、どのような社会的条件が必要なのかを明らかにしてみたい。
(2)情報化の進展における「システムによる生活世界の植民地化」と「オルタ
ナティブ公共圏」構築の可能性
今日インターネットの普及に象徴される「情報化」は、1960年代後半の高
度経済成長期の終盤にさしかかった時期に、日本の経済成長を情報通信技術の劇
的発達によってさらに持続させ、諸資源を有効かつ効率的に開発し管理するため
の戦略的国策遂行の結果進展した。いわば、情報化の過程は、情報通信技術の技
術的合理性と政治・経済システムの論理としての目的合理性の結合としてとらえ
ることができる(花田1996:64)。
ハーバーマスによれば、近代社会の行為領域は、一方の目的合理性(:目的達
成の効率性)を行為原理とし国家行政と経済から成り立つシステムと、他方のコ
ミュニケーション的合理性(了解志向的合理性:論拠が納得の行くものであるこ
と=論拠の妥当性)を行為原理とし私的領域と公共圏からなる生活世界の二つに
分断されている。
このようなシステムと生活世界の分断状態において、情報通信技術の技術的合
理性と政治・経済システムの論理としての目的合理性の結合としてとらえること
ができる情報化の過程は、システムの行為原理である目的合理性を生活世界に浸
透させ、生活世界の行為原理であるコミュニケーション的合理性を排除し、目的
合理性に行為原理を一元化させ、「システムによる生活世界の植民地化」を生じ
させる(花田1996:66)。
たとえば、双方向的的なコミュニケーションが可能で誰もが情報発信者となり
うるインターネットという新しい通信手段を、企業が広告の手段として、また、
行政が広報の手段として利用することができる。
この場合、インターネットを通じて行われる消費者からの問い合わせや苦情に
対して企業が、また、国民や住民からの意見や批判に行政が十分に納得の行く説
明を行わない、つまり、説明責任を果たそうとせず、安価で効率的な情報伝達の
手段としてのみインターネットを利用するならば、論拠の妥当性が問題とされる
コミュニケーション的合理性は排除され、企業や行政の利害にかなった情報だけ
を効率的に伝達するという目的合理性のみが唯一の行為原理となる。
これに対して、インターネットの双方向的性を十分に活かし、消費者、国民・
住民としての人びとが、特定の主題をめぐって相互に議論し合い、互いに十分に
納得の行く帰結を世論として集約し、企業や行政に要求を行う、あるいは、その
議論を代案の作成過程にまで高め、代案を提示し、その実行を企業や行政に迫る、
さらには、人びとがその代案を自発的な組織的行動によって実行するという「世
論形成的・代案提示実行活動」の手だてとして、インターネットという新しい情
報通信手段を用いることもできる。
つまり、インターネットを利用したこのような市民主体の活動は、相互の納得
が可能であるというコミュニケーション的合理性にもとづき、かつ、効果的な目
的達成という目的合理性に基づいておこなわれるのである。
そのための前提としては、誰もがインターネットを情報共有・交換の手段とし
て十分に活用できる情報リテラシーをもっていること、企業や行政のもつ情報へ
のアクセスが保証されていること、表現の自由と個人のプライバシーが守られて
いること、また、人びとの自発的な組織的活動を支援する制度が整っていること
である。
このような前提条件の下で、人びとがインターネットという新しい情報通信手
段を通じて自発的な議論、代案の作成・提示、その組織的実行を行うとき、人び
との自発的な議論・行為によって支えられる公共圏の構築が可能となる。
人びとがこのように自発的な議論・行為を行う際に必要となるのは、言論を通
じて、目標と関心を同じくする他者との了解を基に連携を作り出し、共同して目
的を達成していこうとする開かれた自発性であり、また、自分自身が公共圏を作
り出す当事者であるという自覚である。
ここで、留意すべきなのは、このような世論形成的・代案提示実行活動を可能
とする社会的前提条件は、そうした活動そのものが不断に行われることを通じて
のみ作り出され、また、人びとの自発的な議論・行為の動機づけとなる自発性と
自覚は、そうした議論・行為に関与することによって形成されて行くということ
である。
そして、このような社会的前提条件が満たされるとき、目標と関心を同じくす
る人びとの「世界規模の視野と連携に基づく、地域に根付いた」具体的経験に基
づく様々な取り組みが組織化され、これまでの社会とは違った社会の構築を目指
す、相互了解に基づく連帯と寛容の行動原理に衣拠した「オルタナティブな公共
圏」の構築が可能となる(花田 1996:183−185)。
そこで、インターネットという電子メディア空間の中に活動基盤を持ち、被災
者救援をめぐって特定の地域で行われる情報ボランティアたちの活動や、地球規
模の市民の電子ネットワークづくりに取り組むJCAの活動は、このような「オ
ルタナティブな公共圏」の構築につながる市民の先駆的な取り組みとして位置づ
けることができるであろう。
1.阪神・淡路大震災と情報ボランティア
2.公共圏とメディアコミュニケーション
3.電子市民活動ネットワーキングと「オルタナティブ公共圏」構築の可能性
文献表
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