炭疽症に対する緊急対応

(医療従事者用情報)

ニューヨーク市の炭疽症の情報ペ−ジより


 これはニューヨーク市が10月23日に改定した 「Medical Treatment and Response to Suspected ANTHRAX: Information for Health Care Providers during biologic emergencies」 の訳である。具体的な連絡先の電話番号などは現場の臨床医など以外には不要なのでここでは割愛した。ガイドラインは現状の変化に応じて直ちに改定される恐れがあるため、最新の情報を入手したいものは http://www.ci.nyc.ny.us/html/doh/home.html まで。

翻訳: 岩田健太郎(ニューヨーク在住日本人医師)___


 目 次

前書き
I. 要約
II.緒言・疫学
III.バイオテロリストによる使用の場合の重要性
IV.臨床所見
 □吸入炭疽症  □皮膚炭疽症  □消化器炭疽症
V.検査室での診断
VI.検体の取り扱い
VII. 治療
VIII.患者の隔離
IX.感染を起こしうる廃棄物の処理
X.剖検と遺体の取り扱い
XI.菌に暴露を受けたものの管理−予防法
XII.参考文献


前書き

 この書類の目的はニューヨーク市の医療従事者が炭疽症に関する診断治療の情報を提供することにある。

 炭疽症が疑われた症例はすべて速やかにニューヨーク市保健局感染症科プログラムに通報すること。


I. 要約

疫学面

症状(吸入炭疽)

診断

治療

予防

隔離


II.緒言・疫学

 炭疽症はBacillus anthracisによりおき、この菌は多くの温血動物(人間も含む)に感染することができる。感染は感染を受けた動物との接触か菌に汚染された動物が用いられた製品による。人間は皮膚への接種、吸入あるいは菌の経口摂取により感染をうける。多くの場合は皮膚感染で、まれに肺あるいは消化器系の感染が起きる。菌は抵抗性のある芽胞を作り、これは小さな飛沫として噴霧できる。生物兵器によるテロ行為の場合、飛沫による感染が最も可能性が高く、飛沫に暴露したものでは吸入炭疽症が発症する可能性が最も高い。しかし、2001年の吸入炭疽症の発生では同時に炭疽菌の芽胞の入った脅迫状との直接接触により、皮膚炭疽症の症例も見られている。

 B.anthracis の芽胞は物理的化学的に高度に抵抗性がある。菌は感染動物を処理した施設で何年も生息し続けていたことが判明している。炭疽菌の主要な生息地は土壌である。

 ヒト炭疽症は米国や他の先進国では珍しい疾患であったが、症例は(主に皮膚炭疽症であるが)アフリカ、アジア、ヨーロッパ、そしてアメリカ大陸で今でも見ることができる。炭疽により汚染された土壌は米国にも多く存在するが、過去50年間その症例は減る一方であった。1981−2000年までに6例(すべて皮膚炭疽)が報告されている。自然界からの皮膚炭疽症が2例2001年に報告された。この両者はともに動物から暴露を受けている。ニューヨーク市では2001年の意図的な皮膚炭疽症発症までの過去50年間一例も炭疽症の報告がなかった。

 炭疽症の疑われる症例で、明らかな菌への暴露の病歴がない場合(例、有病率が高い地域への旅行、輸入動物皮革からの暴露)はバイトテロリストによる攻撃である最初の手がかりである可能性がある。従って、たとえ一例でも炭疽症の疑わしい場合は速やかに感染症プログラムまで連絡すること。

 炭疽症のヒト〜ヒト感染はきわめて稀である。皮膚炭疽の開放創からの浸出物との直接接触による感染は可能であるが、これも可能性は低い。過去吸入炭疽症のヒト〜ヒト感染の報告はない。


III.バイオテロリストによる使用の場合の重要性


IV.臨床所見

 バイオテロリズムの際、飛沫の散布による感染が最も発症率や死亡率が高く、その影響は大きくなる。暴露を受けたものの多くは発症すると吸入炭疽の症状を有し、まれに皮膚炭疽症のものもいるだろう。消化器炭疽症の可能性はさらに低く、これは飲食物が炭疽菌で汚染された場合にのみ可能である。

☆ ☆

1)吸入炭疽症

 吸入炭疽症は、急性縦画炎を来し、B. anthracis の芽胞の入った飛沫の吸入によりおきる。吸入炭疽症は急性肺炎を起こさない。

 潜伏期 暴露後通常1−5日で発病する(60日まで潜伏期が伸びる可能性もある)。

 症状 典型的には2相性を示す。

 第一期は、感冒様症状から始まり、

軽度な、非特異的な呼吸器症状
悪心、疲労感、筋肉痛
微熱
空咳
(時に)軽度の胸部不快感
ラ音を聴取することもあるが、通常身体所見は正常

 2−5日後に急性期となる。第一期との間に1−2日の症状の軽快が見られることもある。特徴としては、

急性かつ重篤な呼吸困難
高熱あるいは低温を伴うショック
呼吸苦、チアノーゼ、喘鳴と著明な発汗
胸部、首の皮下浮腫
湿性捻髪性ラ音
レントゲン所見:過去健康だったものが発熱し、胸写レントゲン写真で縦隔の拡大が認められたら炭疽症が強く疑われる。胸水が認められる場合もある。実質性浸潤は通常認められない。

 ショックへの進行は早く、時に出血性髄膜炎を伴うこともある。患者は急性期にはいると通常24時間以内に死亡にいたる。過去の発生例では死亡率は抗生剤を与えられていても90%ほどであった。

 急性縦隔炎の鑑別疾患としては、食道穿孔、外傷、頭部、首部、胸部の感染の播種、心胸部の手術後感染がある。過去健康だったものが急性縦隔炎を呈した場合、炭疽症を強く疑うこと。

 吸入炭疽症の診断はまず暴露の可能性のある疫学的地域性を考慮し、疑うことである。バイオテロのあった場合、第一期の患者では感染源が不明の場合が多い。臨床的に疑うことが最も重要なのである。

☆ ☆

2)皮膚炭疽症

 皮膚炭疽症は、急速に進行する潰瘍と黒色の痂皮(焼痂と呼ばれる)が特徴で、しばしば浮腫と紅斑を伴う。

 潜伏期は、1−15日程度と幅があるが、通常7日以内である。

 症状は、身体の皮膚をさらした部位(顔面、首、腕)に生じることが多く、程度に多様な差がある浮腫を伴いやすい。皮膚病変は次の経過をたどる。

 掻痒感のある小丘疹−>複数の水疱が生じ、これが集まって単一の大きな水疱となる。−>1−2日後、水疱は破れて潰瘍を生ずる−>1−3cmの焼痂が中心に生じる(発症後3−10日後)−>焼痂ははがれ落ち(1−2週間後)あとには通常の痂皮が残る。この病変は一般に痛みを伴わず、周囲の組織には浮腫と紅斑がある。

 皮膚病変は通常発熱、頭痛、筋肉痛、リンパ節炎/リンパ節腫大といった全身症状を伴う。顔面や頚部の病変は重篤な浮腫を生じ、そのため気管の狭窄が起きる可能性がある。「悪性浮腫」は重篤な浮腫、硬化、多発する水疱と全身の毒血症の存在を指して言う。細菌血症はまれである。 。療しない場合皮膚炭疽症の死亡率は25%にまで至るが、有効な抗生剤を使用した場合は死亡は稀である(<1%)。

☆ ☆

3)消化器炭疽症

 消化器炭疽症は未調理の食材、特に生や、十分に火の通っていない感染動物により起きる。米国では消化器炭疽症の報告はかつてない。

 潜伏期は2−7日である。

 症状には2種類あり、腸管と口腔咽頭部位におきる。腸管炭疽症は初期には非特異的で、悪心、嘔吐、食欲不振や発熱である。進行すると強い腹痛、吐血や出血性下痢を生じ、時に腹水を生じる。急性腹症の所見を呈することもある。口腔咽頭病変は頚部の浮腫と壊死からなる。皮膚炭疽症に類似する病変が口腔内やその後壁、硬口蓋や扁桃に見られることがある。患者はしばしば発熱、嚥下障害、リンパ節腫大を訴える。毒血症、ショック、チアノーゼが腸管、口腔咽頭部の炭疽症の進行期に見られる共通の症状である。消化器炭疽症の死亡率は25−60%である。

 髄膜炎は5%以下の症例に見られ、どの型の炭疽症(吸入、皮膚、消化器)でも見られる合併症である。通常出血性であり、稀に原発部位が不明な場合もある。

 潜伏期:皮膚、吸入、消化器炭疽症の発症から続いて、あるいは一日から数日後に発症する。

 症状は突然の髄膜炎症状で、悪心嘔吐、筋肉痛、悪寒、めまいである。検査所見で特徴的に出血性髄膜炎のパターンを示す。脳脊髄炎と皮質出血の報告もある。1−6日で死亡にいたる。


V.検査室での診断

 検査室での臨床検体の取り扱いはバイオセーフティーレベル2の環境で行われなくてはならない。もしBacillus anthracis の感染症が疑われれば、速やかに感染症プログラムに報告し、検体を確定診断のために照会検査室に提出すること。

 注意:バイオテロが起きた場合、炭疽菌株はペニシリン耐性菌である可能性もある。現在のところB. anthracis の感受性試験のNCCLS(National Committee for Laboratory Standards。訳注。米国では感受性試験はNCCLSにより標準化されている) による基準は存在しない。B. anthracis が疑われたり同定された場合は細菌検査室は速やかにニューヨーク市健康局バイオテロリズム検査室に連絡しなくてはならない。確定診断や感受性試験は連邦政府の検査室で行われる。感受性試験の結果は患者の治療や予防投与の指針に大変重要である。


VI.検体の取り扱い

 バイオセーフティーレベル2の検査室が炭疽菌が疑われる臨床検体の処理には推奨されている。検査室職員は検体を扱う場合、外科用手袋、保護用のガウンと靴カバーをつけることが勧められる。検査はバイオセーフティーレベル2のキャビネットで行われなくてはならず、血液培養は閉鎖システムを維持しなくてはならない。検体が飛び散ったり飛沫を生じたりしないよう十分注意を払うこと。もし検査がバイオセーフティーレベル2で行われない場合はゴーグルやマスクを着けること。HEPA(high efficiency particlulate air、)フィルター(高性能粒子フィルタ ー)のある顔面マスクはマスクとゴーグルの代替用に用いられる。

 菌に汚染されている可能性のある検体がもれ出た場合、殺菌剤で速やかに覆い(5%次亜塩素酸あるいはその他の洗剤)そのまま30分間置いておくこと。その後吸収性のある殺菌剤を浸した布巾などでふき取る。全てのバイオハザード物質はオートクレーブで滅菌すること。汚染を受けた医療器具は次亜塩素酸塩、過酸化水素水、イオジン、過酢酸塩、1%グルタルデハイド溶液、ホルムアルデハイド、エチレンオキサイドによる消毒か、銅放射線照射、あるいは10分間オートクレーブか煮沸を行う。


VII. 治療

 治療効果はいかに迅速に抗生剤を開始するかにかかる。生物兵器の使用による危機下においては、感受性試験の結果(通常数日かかる)も出ていないため、ペニシリンやテトラサイクリン耐性菌のあることを想定しなくてはならず、シプロフロキサシンを400mg静注で12時間おきにエンピリックに投与する。FDAには認可されてはいないが、その他の呼吸器感染症に使われるキノロン系抗生剤(例、オフロキサシンやレボフロキサシン)も効果的であると考えられる。ペニシリンはペニシリン感受性のある炭疽菌に対する第一選択薬である。

成人に対する治療(妊婦を除く)

吸入および消化器炭疽症

皮膚炭疽症

代替案

 ペニシリンアレルギーがある場合、Bacillus anthracis がペニシリン耐性の場合、ペニシリンの経静脈的頻回投与が不可能な場合、ペニシリンの供給が十分でない場合、上記のエンピリック治療法が用いられる。

 以下の抗生剤はin vitro での炭疽菌に対する効果が知られており、理想的な抗生剤が不足している場合、入手不能な場合の緊急時には使用が考慮される。

 エリスロマイシン、アミノグリコシド、バンコマイシン、イミペネム、セファロシン・セファゾリン、クロラムフェニコール、クリンダマイシン、テトラサイクリン、広域ペニシリン

 訳注:このガイドラインの発行後、今回のテロで使用された炭疽菌はセファロスポリナーゼを産生し、かつセフトリアキソン耐性菌であることが判明したため、上記のセフェム系抗生剤の使用は勧められない。

 In vitro の検査によると、B. anthracis は一般的にサルファメソキサゾール、トリメトプリム、セフロキシム、セフォタキシム、セフトリアキソン、セフタジヂム、アズトレオナムに耐性である。これらの抗生剤は炭疽症の治療や予防に用いられるべきではない。

妊婦および小児の治療について

ワクチン摂取と治療期間

 炭疽菌ワクチンは現在量が少なく、一般には入手できない。抗生剤は吸入炭疽症に60日間投与すること。


VIII.患者の隔離

 炭疽症患者、およびその疑いのある者は、一般患者と同様に(standard precaution)ケアを行う。加えて、次の事項が勧められる。


IX.感染を起こしうる廃棄物の処理

 その他の医療廃棄物の処理に準ずる。


X.剖検と遺体の取り扱い

 全ての剖検は通常の感染予防プロトコル(standard precaution)下で行うこと


XI.菌に暴露を受けたものの管理−予防法

 Bacillus anthracisの芽胞が意図的にばら撒かれた場合、調査員は犯行現場や犯行時間を突き止めようとするだろう。最もリスクの高いグループを同定することができるからである。その場合、公衆衛生の専門家は最もリスクの高いものに治療行為を集中させることが可能だろう。

 吸入炭疽症はヒトからヒトへは感染しないので、暴露を受けたものの家族や他の接触を持つものは予防を受ける必要がない。例外としてはその者自身も炭疽菌芽胞の飛沫にさらされた可能性がある場合である。

 吸入暴露:動物実験によると、暴露後速やかに抗生物質による治療を受けた場合、吸入炭疽症による死亡率を著明に下げることができることが判っている。現在のところ、抗生剤とワクチン両者の投与がもっと望ましい。しかし、全国的にワクチンの数が不足しているため、ワクチンは一般には入手不可能である。抗生剤の予防投与は菌の感受性試験の結果によって調節される。


XII.参考文献

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