英語の試験(2000年1次)、解答例

適当訳です。

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問題1

デカルトが言っているのは、 第一省察は古代懐疑主義の焼き直しであり、 キケロやセクストゥスに(直接または間接に)由来するものだということである。 デカルトの目的は、もちろん、上の文中で説明されているように、 懐疑主義を吟味することによって積極的な知識を基礎付けようとすることである。 しかし、実のところ、そのようにして積極的な確実性へと変容されるのは、 古代から伝えられた懐疑主義の素材なのである。 「ピュロン主義者は彼らの懐疑からいかなる確実な結論にも至らなかったが、 だからといって誰にとってもそれが不可能であることにはならない」 (デカルト、レネリへの手紙)。 この新しい戦略のゆえに、 デカルトは自分が「懐疑主義者」を反駁する歴史における 最初の哲学者であると主張できたのである(VII 返答)。 実際のところ彼が達成したのは、 懐疑主義的疑いの力と範囲についての われわれの考えを恒久的に拡大したということであり、 その結果たとえばヒュームは、 「デカルト的懐疑」を懐疑主義の一種として、 ピュロン主義と「アカデメイア哲学」と並べて、 そしてそれらよりもより基本的なものとして、列挙したのである (『人間知性論』)。 たしかにこれは古代の素材を変容することであったが、 しかしデカルトの意図とはまったく反対の意味でそうであった。

モンテーニュやガッサンディ、デカルトやヒュームは古代の懐疑主義に 明示的に言及している。 ロックとバークリに関して言うと、 彼らに対するピュロン主義の重要性を発見することは、 どちらかといえば彼らの思考の背景を再構成するという問題である。

残るはカントであるが、 彼は懐疑主義の挑戦に取り組んだこれまでのあらゆる試みの不適切さを示そうとした。 カントは「超越論的なもの」と「経験的なもの」という区別を導入したが、 これは哲学における懐疑主義の意味の決定的な転回点であった。 ある小さいが説得力のある一つの尺度によって、 カントが骨を折ってもたらした変化を測ることができる。 それは、懐疑主義に対するカント自身の言及の多くが 古代におけるその歴史についての知識を示しているのに対し、 カント以降の哲学的著作においては、「懐疑主義」 と「懐疑主義者」はますます図式的で非歴史的な概念になっているいう事実である。 カントは懐疑主義の伝統に終わりをもたらした。 このことは現代の哲学者にはさまざまな種類の懐疑主義について 何ら発言する余地がないということを意味するのではない。 しかし、彼らが議論している懐疑主義は、 近代の哲学的想像力が生みだした自由な創造物なのである。

(22/Feb/2000)


問題2

さて、この説明はただちに困難にぶつかるように思われる。 というのは、--われわれがすでに見たように-- 複雑な法体系はギリシアに限定されるわけではないし、 ギリシアに起源を持つわけでもないからである。 しかし、法の本性と基礎に対して持ちうる態度の違いに注目すべきである。 法典に対する究極的サンクションが--古代の近東-- 依然として神あるいはその代理としての王であるかぎりは、 (続く)


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Wed Feb 23 02:52:59 JST 2000