神奈核ニュース No.7(1998.3) 目次


神奈川核医学研究会200回記念大会特集

第200回記念大会を終えて横浜労災病院
  中央放射線部
渡辺 浩
記念講演
21世紀の核医学診断の展望
横浜市立大
  放射線科
池上 匡 先生
シンポジウム
『神奈核の誕生から現在まで』
「神奈核・過去」川崎市立井田病院長谷川 武
「会則よりみた神奈川核医学研究会の昨日・今日・明日」神奈川県立循環器呼吸器病センター 中村 豊
神奈川核医学研究会200回の歩み」
(記録に残る活動の業績)
東海大学病院福田 利雄
特別講演
多発性骨転移患者に対する89Srによる除痛治療について
北里大学医学部
  放射線科
堀池重治 先生
神奈川核医学研究会誌No.11が発刊される
編集後記東海大学病院
  核医学
村上 剛


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第200回記念大会を終えて
横浜労災病院  中央放射線部
渡辺 浩


 歴史ある神奈川核医学研究会の代表幹事を奥山氏(市立川崎)から引き継いで3年目となりましたが、歴代代表幹事の苦労を身に沁みながら、今日までなんとか運営してまいりました。そして第200回という節目の記念大会を、小野大会長(県がん)のもと、常任幹事を中心とした実行委員の皆様の助けを借りながら、盛大に挙行することが出来た今、やっと代表幹事の責務の一つをやり終えることが出来たのではないかと思っているところです。
 勿論研究会をここまで維持できましたのも、まや記念大会を盛大に挙行出来ましたのも、ひとえに会員の皆様のご支援とご協力によるものと感謝しております。
 21世紀の核医学は、私が言うまでもなく、激動の時代を迎えようとしております。SPECT装置の急激な進歩だけでなく、クリニカルPET時代の到来、保険診療制度の問題、ICRP90年勧告の取り入れ、医療領域における放射線規制法規の一本化など、輝ける未来を想像させる進歩と核医学の行く末を左右する大きな問題とが待っています。記念大会において、記念講演を頂いた池上先生(横浜市大)の持論のごとく「一粒で二度おいしい核医学」を日頃から心掛けることが我々臨床に携わる者の使命であると考えます。また、堀池先生(北里大学)の特別講演のテーマにありましたように「89-Srによる骨転移の除痛治療」など、核医学の特徴を生かし、他のモダリティが及ばない検査及び治療方法を新たに開発していく必要があるとも考えます。
 第200回の記念大会を終えた今、激動の核医学の21世紀に向けて、新たな気持ちで再出発し、神奈川核医学研究会が先頭に立ち、核医学診療の発展に寄与出来るよう、幹事のみならず会員の皆様と一致団結して行かねば、と思っております。明治初期の文明開花が横浜から始まったように、21世紀の核医学が神奈川から始まったといわれる時代を夢見てまえのめりの姿勢で研鑽に励みたいと思っております。
最後に、お忙しい中、記念大会の大会長を引き受けて頂い小野先生、実行委員の方々、機関誌No.11の発刊して頂いた編集委員の方々、そしてご支援並びにご出席頂いた会員の皆様に深く感謝申し上げます。

 会場となった開港記念会館 
 開会の挨拶をされる小野先生 
 盛大に催された懇親会 



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記念講演
21世紀の核医学診断の展望

横浜市立大  放射線科
池上 匡 先生


 21世紀の核医学診断の展望というタイトルは、曖昧かつ不確定な要素を多く含んではいるが、大まかな流れとして核医学が医学の1分野である限り、他の医学研究と同様に今後ますます分子生物学の技術とアイデアを取り入れて発展していくのは間違いない。この方向への進歩に向けて、私が現時点でもできうることとして、留意して診療するように心がけているポイントについて解説する。すなわち a)より正確に機能や病態を知る。 b)より分子的な情報を得る。 c)より早く予後や治療効果を評価する、の3点である。これらの例を示した後、数年内に可能な技術(2000年頃?)と、かなり先になって実現できそうな(あるいはできない?)項目について、とくに腫瘍核医学を中心に述べる。

(1)現在できうることとして、第一に一つの検査でできる限り多くの情報を得ようとする姿勢が必要である。例えば図1に示す99m-Tc MDPによるmammoscintigraphyの有用性については、すでにイタリアのグループを中心に確立されており、乳癌の骨転移検査に際しては試みる価値がある。また、糸球体濾過物質である99m-Tc DTPAを使用した腎シンチにパトラックプロット処理を行うことで、通常得られるGFRに加えて本来得られない腎血漿流量(RPF)を同時に求めることができる。さて、上記の3項目についていくつかの例を呈示すると、
a)より正確な病態の把握のために、MRIとのfusion画像の作成の必要性が高まると思われる。これによってMRIのすぐれた解剖情報と核医学の機能情報をドッキングする事ができるからである。ただし現状のソフトウェアは機能的にも価格の面からも不十分である。また脳血流シンチでは、まさに病態の正確な把握のための定量測定が不可欠となると言える。さらに脳循環予備能としてダイアモックスに対する反応性を測定する場合に、従来は2日に分けて検査を行っていたが、今後はコストや患者の利便を考慮して同日法で行われるようになると予測される。信頼できうる方法が確立されれば、患者の状態の変化なしに評価できるため、むしろ2日法より正確であろう。図2に我々の方法(仮にsequential dynamic methodとする)で求めた2回のCBF測定の安定性を示す。ダイアモックス負荷を行わない場合の2回の半脳平均血流値の変動は数パーセント以内であった。次いで
b)分子的な情報の好例として、多剤耐性遺伝子産物であるP糖蛋白の99m-Tc MIBIによる評価を挙げたい。我々の検討では10例の肺癌患者に対する化学療法の効果と、治療前の MIBIの集積との間には有意な関係を認めたが、さらに広範な検討が望まれる。
c)より早く予後や治療効果を評価できうる例として、食道癌と乳癌について治療開始前の201-Tl SPECTの結果から予後を推測する可能性について言及した。

(2)近い将来、おそらく2000年頃に日本で一般的に可能となる技術として、まず同時計数回路搭載 SPECTがある。現在ADAC社製の製品が発売されているが、FDGをはじめとするポジトロン核種を使用できないことにはメリットがないため、広く一般的に使われるようになるのは放射性薬剤メーカーからFDGが供給されるようになってからと思われる。これはPET専用機の、いわゆるクリニカルペットも同様である。ただし、同時計数回路搭載 SPECTを用いたSPECT核種とPET核種の同時画像収集は、PET専用機では不可能なために、むしろ興味深いデーターが得られるかもしれない。次に、欧米では既に膨大な量の経験が重ねられているソマトスタチン 誘導体が挙げられる。元来APUDOMAと呼ばれる神経内分泌腫瘍(インスリノーマー、カルチノイド、肺小細胞癌など)での、ソマトスタチン 受容体の存在を画像化するものとして期待されていたが、その他の腫瘍、例えば乳癌や悪性リンパ腫の描出にも非常に良い成績が報告されている。β線放出核種で標識し、大量投与する事で非密封線源による放射線治療も可能である。できるだけ早く日本でも使用できるようにしてもらいたいものである。
 さらに欧米ではすでに使用されているのに、日本では2000年頃に使えるかどうかという薬剤として、標識抗体が挙げられる。96年から97年にかけて米国FDAは続けて3種類の腫瘍診断用標識抗体を認可した(前立腺、肺小細胞癌、抗CEA抗体)。最初の抗CEA抗体が92年に認可されており、米国では現在4種類の抗腫瘍抗体が使用可能である。ヨーロッパを中心に、抗体核医学の分野では2ステップ・ハプテン法やアビジン・ビオチン法などの改良法や、診断のみならず非密封線源としての放射線治療が試みられており、第2段階に入っていると言える。日本の遅れが非常にもどかしい。日本の核医学のレベル自体は世界のトップレベルにあると思われるが、厚生省などの官僚および政治家の学問的、人間的なレベルがおそろしく低いために国民全体が被害を被っているのである。こうした状況は、この国のあらゆる側面に見られるが、幸か不幸か島国の国民は外国のことは何も知らないために特別な感想は無いようである。

(3)最後に21世紀の初頭にはまだ実現が難しそうな技術について触れると、まず上述したβ線放出核種標識抗体による悪性腫瘍の治療がある。欧米では既に臨床治険が開始されており、悪性リンパ腫などでは完全寛解導入例の報告もあるが、おそらく診断用の抗体を使用し始めてから10年程度の経験が必要となるのではないか。このため日本でこの種の治療が開始されるのは、早くとも2010年頃になるのではないだろうか。またモノクロナール抗体の抗原性を抑えてHAMAの出現を少なくするために、分子生物学、遺伝子組み替えの技術を用いてキメラ抗体などの新しい抗体が登場する可能性がある。また最近米国ではいくつかの疾患に対する遺伝子治療が試みられている。日本でも今年初めて北大でアデノシンデアミナーゼ欠損症の子供に対する遺伝子治療が行われたのは記憶に新しいところである。癌の遺伝子治療の場合には、一般に必要とされる遺伝子は癌細胞の中に入ることで何らかの抗腫瘍効果が期待されるものである。
 例えば不活化ヘルペスウイルスのチミヂンキナーゼを、癌細胞の中にのみ導入してやることができれば、ガンシクロヴィルなどのウイルスのチミヂンキナーゼによって代謝されることで抗ウイルス活性を発現する薬剤が、抗癌剤として選択的に効果を発揮することになる。問題は目標である癌細胞内だけに、ある程度のウイルスのチミヂンキナーゼが導入されたかどうかということを確認する手段である。ここで標識したデオキシフルオロウリジンを投与すると、ウイルスのチミヂンキナーゼが細胞内に活性を持っていれば、代謝されて取り込まれるために画像として描出されることになる。全く非侵襲的に導入遺伝子の取り込まれた様子がモニタリングできるわけである。このような全く新しい核医学検査が必要とされる時代が来るのではないだろうか。最後に標識アンチセンスによるイメージングについて述べたい。多くの疾患において遺伝子のレベルで異常をきたしている。例えば癌の場合には、いわゆる癌遺伝子に変異を生じていることが多い。DNAやメッセンジャーRNAの変異した部分に相補的な合成ヌクレオチドを合成して、標識後投与すれば極めて特異的な核医学診断が可能になるはずである(図3)。
 これは夢の核医学診断とも言える技術である。疾患に特異的なDNA配列さえ判っていれば、癌をはじめいかなる疾患にも応用できるはずであり、目的とする遺伝子をいくつか組み合わせることで、診断のみならず最適の治療法や予後の予測などの情報を取り出すことも可能である。また臨床的に発症する前に診断できる可能性さえあるのである。さすがにここまで進歩してしまうと、社会的にも倫理的にも制約が必要となるであろう。まさに21世紀の核医学診断は、神の領域をも侵しかねないほどの進歩を遂げることになる。これらの診療を担う我々にも、今以上の分子生物学の知識と理解が要求されると思われる。本講演がこうした方向への取り組みのきっかけとなれば幸いである。



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シンポジウム『神奈核の誕生から現在まで』
   「神奈核・過去」

川崎市立井田病院
長谷川 武


<発足時代のはなし>
 200回記念大会にあたりテーマの設定から、神奈川核医学研究会の「ことはじめ」の頃の話を簡単にまとめます。
 研究会の発会は、昭和44年7月11日の第1回研究会の開催からです。当時は、横浜市立大学病院・日本鋼管病院・川崎市立川崎病院・警友病院・関東労災病院・横浜市民病院・神奈川県立成人病センター・東横病院などの10施設ほどが参加した研究会でした。
 研究会の発足の主旨は、@核医学診療の情報交換 A核医学技術の研鑽 B医師・技師薬剤師の合同臨床研究会 C放射性医薬品の知識と情報の確保 D診療報酬への対応 などを目標にした同好研究会でした。いわゆる、40年前期の5年間最も多くのRI施設を擁する県として、医師・RI技術者・検査技師・薬品メーカー・RI器材製造技術者などの切磋琢磨を願ったものでした。

 研究会発足時代核医学の臨床は、

@In Vivo
   Renogram Thyroid uptake
   試料測定検査  フィロカイネテックス
   シリングテスト 循環血液量
   Red Cell Survival Study Platered Survival Study
   Scintigraphy
   肝臓・脾臓・腎臓・膵臓・脳・脳槽・骨・腫瘍・心筋
AIn Vitro
   T3,T4   インスリン   鉄結合能   α-fet
   成長ホルモン など
B放射性同位元素
   Au-198 I-131 Tc-99m Hg-203 In-111 Se-75
   Sr-85 Ga-67 Cr-51 Fe-59 Co-57 Cs-131
C機器
   Scinti Scanner    Well Counter

などの時代でした。1970年頃の神奈川での話です。

 Cs-131などは、川崎病院などで心筋・子宮胎盤などへ利用されていました。
 当時の47年データでは、肝臓(34.2%)、甲状腺(21.1%)、脳(12.4%)検査頻度でした。
 Scannerの時代でしたので、3 inchφ、5 inchφのsingleまたはdoubleでした。等感度スキャン・リニアスキャン・断層スキャンが、工夫されて利用された頃です。
 当時の核医学への期待は、GammaCameraの登場でした。国立府の台病院に東芝γcameraが登場したのが44年頃です。また、Tl-201 chloride、Mo-Tcジェネレーター、Tc標譲化合物や腫瘍マーカー(CEA・AFP)の登場でした。
 短半減期核種・核医学機器の開発と共に、核医学検査のプロトコールの標準化や機器の性能評価の問題、そして人材育成や規制緩和など、多岐の宿題を秘めて、神奈核研究会の活動と勉強の場に期待を込めてやっていた時代でした。



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シンポジウム『神奈核の誕生から現在まで』
   「会則よりみた神奈川核医学研究会の昨日・今日・明日」

神奈川県立循環器呼吸器病センター
中村 豊


 神奈川核医学研究会の発足は昭和44年7月、会則の施行は昭和51年4月1日、その改正は平成2年7月27日に行われ、現在に至っている。

 現在の会則は17条より成り、総則、会員、役員、会計、会議、付則などを定めている。(研究会誌KJNM No.11.1997)このうち、重要な条より、今日までの研究会活動を反省し、今後のより活発な研究会活動の一助としたい。

第3条目的)本会は放射性同位元素の正しい利用を図るために、核医学診療に関する研究を行い、かつ会員相互の親睦と資質の向上を図ることを目的とする。

 この条文に掲げられている研究会の目的は、核医学診療の発展に寄与する幅広い研究を目指している。過去にはGa-67 citrateの日本で初めての紹介や臨床的な応用が研究されたりした。また、全国に先駆けて核医学検査の保険請求方法が検討されたりもした。現在は核医学技術を中心とした勉強会的要素が強くなっている。核医学検査を啓蒙するパンフレットの作成が行われたように、神奈核の独自性を強調するような活動がほしい。

第4条(事業)本会の目的を達成するために、次の事業を行う。
1、研究会の開催
2、学術講演会の開催
3、会誌の発行
4、会員相互の親睦に関すること
5、その他本会の目的達成に必要なこと

 定例研究会は、過去には担当病院の医師や技師がテーマを決め、不定期に行われていた。現在は年10回の開催を定め、代表幹事や常任幹事会が責任を持って開催テーマの決定、講師の選任や会場の設営に当たっている。そのため、役員には大変な負担を負わせている。しかし、この活発な活動が県内外からも高く評価されている。また、研究会誌も不定期ながら、11回発行し、11号からはA4版となり、内容も大変充実したものとなっている。さらに神奈核ニュースがタイムリーに発行され、研究会の紹介は十分果たされていると思われるので、将来も継続されることを希望する。

第5条(会員)本会の会員は、本会の趣旨目的に賛同したもので構成する。

 本会の会員の取り決めの条文であるが、第3条の目的に賛同したものと大変緩やかなものとなっている。核医学に興味を持つ者ならば御自由に参加して下さい。と解釈され、過去には医師、放射線技師、装置メーカーの技術や営業の方、放射線医薬品メーカーの学術や営業の方の参加が多かった。現在は、放射線技師(インビトロのテーマの時は臨床検査技師)や放射性医薬品メーカーの営業の方の参加は多いが、医師や装置メーカーの技術の方の出席が極端に少ない。会の運営の仕方にも問題はあるのだろうが、今後の核医学の発展のためには、医師や薬品メーカーの学術担当者や装置メーカーの技術者の参加が望まれる。また、放射性医薬品の取り扱いには薬剤師の関与が必要だろうし、核医学の普及のためには看護婦が無くては成らない。これらの医療職種の参加も望みたい。

第6条(役員)本会に次の役員を置く。
 1、代表幹事   1 名
 2、幹 事 若干名
 3、監査監事 1−2名
 4、顧 問 若干名

第9条(役員の任務)代表幹事は本会を代表し、会務を統轄する。また代表幹事は幹事会を組織して本会の運営にあたる。

 現在の研究会は代表幹事1名、常任幹事8名、幹事6名、監査監事2名、顧問3名で運営されている。研究会発足初期には幹事の役割は研究会の事務や会計の仕事が多く、研究会の企画は担当病院に任せられていた。現在では、運営の総てを、主に代表幹事を中心に常任幹事が行っている。研究会の責任は代表幹事が負うことになっている。会長を置くかは今後の検討課題であろう。

第10条(経費)本会の経費は、次の各号によりなる諸収入をもって充当する。
 1、研究会例会参加費
 2、事業収入
 3、助成金
 4、その他

 研究会発足当時の参加費は定かではないが、いつの頃か一人100円の参加費を徴収するようになった。そして、会則による一年の個人会費を定めたが、徴収方法が難かしく、途中中断となった。研究会の例会が場所を定め、定期的に開催されるようになって、再び、一人100円の参加費を徴収するようになった。しかし、この額では、ほとんどが通信費として消え、何度か会費値上げの話題もあったが、参加者の負担はなるべく軽くという方針から見送られてきた。講師の講演料は無料という伝統?に守られ、幹事は大変苦労しているのが現状である。助成金は(社)神奈川県放射線技師会より専門研究会助成という名目で1年に2万円受けている。その他の事業については、受益者負担で行っている。この項も今後の検討事項であろう。

 神奈川核医学研究会の活動は大変活発であると、県内外からも評価されているが、研究会を運営するには、多くの問題があるのも事実である。核医学を愛する人たちが集まり、発足した会である。この会に参加する多くの人たちの前向きな意見を参考としてますます発展することを期待する。



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シンポジウム『神奈核の誕生から現在まで』
   「神奈川核医学研究会200回の歩み」(記録に残る活動の業績)

東海大学病院
福田 利雄


 神奈川核医学研究会開催200回記念大会を盛大に且つ大成功のもとに終えることができた。会員の一人としてお祝い申し上げます。大会準備のため大変苦労をかけた実行委員の皆様に深く感謝いたします。研究会開催200回までの歩み、記録に残る活動(業績)について報告したい。

【研究会開催の推移】
 第1回の研究会が日本鋼管病院で開催されたのが、昭和44年7月(1969年)である。図1に、1969年から1997年までの29年間における神奈川核医学研究会開催回数の推移を示す。
 発足から約10年間は年平均4〜5回と順調に推移したが、1979年から1984年にかけて一時停滞した時期がある。当時の研究会は医師を中心とした世話人会で運営され、企画等は当番制をとっており、会場も神奈川県内の各施設にて行われていた。
 1984年に、約15年事務局を担当していた長谷川武(川崎井田)から、中村豊(循呼センター)にバトンがわたり、その後、福田利雄(東海大学)、奥山康男(川崎市立)、渡辺浩(横浜労災)に事務局運営が引き継がれ、現在の代表幹事制と事務局運営のスタイルが定着された。
 核医学技師が幹事会を構成し運営するようになり、発足当初と大きく変わったことは、年間10回の開催、会場が県政総合センターに固定化、内容が核医学技術中心となったことである。
 1991年頃より、幹事会の若返りの必要性を感じ常任幹事制を採用し、他県に先がけ世代交代に着手した。

【活動の業績】
研究会開催200回を一つの区切りとして、記録に残る主な活動について振り返ってみたい。

1.機関誌(KJNM)の発行
 1973年に神奈川核医学研究会会誌の創刊号が発刊されている。研究会発足の年から4年後である。今回の研究会開催200回を記念して11号が発行された。本のサイズをB5からA4に変更され表紙のデザインも一新された。ワープロ技術の進歩に伴い、No.10よりオフセット原稿を作製しできるだけ経費の削減を図っている。編集担当のご苦労は大変なものであるが、大変出来映えの良い会誌ができている。

2.患者向けパンフレットの作製
 本研究会のユニークな活動として、患者向けパンフレットの作製がある。
 1986年に『あなたの不安に答えるQ&A』という内容で第1版が、ついで、1988年、1994年、1996年と第4版まで作製され、神奈川県内および全国の核医学施設にて利用されている。大変好評で今でも問い合わせがあるもので、本研究会の優れた業績の一つである。
 本研究会の優れた特徴の一つでもあるが、記録に残る広報活動を積極的に展開し、関連の雑誌、学術大会等で患者向けパンフレットについて紹介してきた。

3.海外学術交流会
 グローバルな視野を持とうということで、1992年2月大変寒い時期であったが、第1回海外学術交流会として大韓民国を訪問した。この企画も全国に先がけて実施したものである。
 飛行中のジャンボジェット機のコックピット入室許可を得るという幸運にも恵まれた。訪問記は関連の雑誌に投稿し広報活動にも力をいれた。他県の核医学研究会にもインパクトを与えたようである。その後、1995年には台湾を、1997年には上海にて本研究会の活動を紹介している。1998年にはシンガポールを訪問国として準備を進めている。多くの若い会員に参加して頂きたい。参加すれば必ずや得るものが何かあります。

4.神奈核ニュースの発行
 渡辺浩(横浜労災)代表幹事になって、新しい企画として実施したのが『神奈核ニュース』の発行である。1996年7月に創刊号を発行し、2〜3ケ月に1回の割りで、研究会の抄録、情報、等盛りだくさんの内容で発行している。1997年12月までに6回発行しており、印刷業者に依頼せず、すべて手作りの大変な作業ではあるが素晴らしい企画であり、今後とも続けて欲しい活動の一つである。

5.日本核医学技術学会との関係
 日本核医学技術学会の全国大会を神奈川の地「横浜」で開催した折りには、神奈川核医学研究会が全面に支援し大成功に終えることができた。大きなイベントを成功させる企画から実行までのノウハウを身につけること、および、若い有能な人材の掘り起こしに役立つ機会でもあった。
★第5回日本核医学技術学会総会(1985.7)
 大会長 長谷川武、実行委員長 中村豊、開港記念会館で開催
★第10回日本核医学技術学会 学術講演会(1991.9)
 学会長 宇佐美政栄、実行委員長 福田利雄、桜木町福祉センターで開催

6.日本核医学技術学会関東地方会
 日本核医学技術学会の地方会組織である関東地方会にも本研究会より、常任幹事、幹事、監査幹事等を送り出し協力している。横浜で開催された関東地方会の学術大会にも、本研究会が全面的に支援している。
★日核技学・関東地方会第7回総会(1990.5)
大会長 中村豊、実行委員長 福田利雄、桜木町福祉センターで開催
★日核技学・関東地方会第12回総会(1995.5)
大会長 川添修身、実行委員長 奥山康男、神奈川県民ホールで開催

7.神奈川核医学研究会 記念事業
 本研究会では節目の時期に記念事業を開催している。そして、平成に入り、本研究会産みの親でもある先生方が定年を迎え、退官、退任されていった。本研究会の基礎を築いてこられた大先輩の恩に対する感謝の気持ちを常に持つ、この基本姿勢が本研究会の大変素晴らしいところである。以下に、記念事業の開催の記録を示す。
★100回記念大会(1987.9)  県労働福祉センター
 150回記念大会(1992.11) ワークピア横浜
 200回記念大会(1997.11) 開港記念会館
★25周年記念大会(1994.10) 横浜市大病院
★退官記念講演会
  古田敦彦先生(1990.3) 県労働福祉センター
  増岡忠道先生(1990.7) 県労働福祉センター
  片山通夫先生(1991.3) 県労働福祉センター
  加藤秀夫先生(1995.3) ヨコハマプラザホテル
  三本重治先生(1996.7) ヨコハマプラザホテル
  石井勝己先生(1997.7) ヨコハマプラザホテル
★核医学会役員就任記念大会(1995.12)
  石井、鈴木教授 ヨコハマプラザホテル

8.研究会例会トピックス
 研究会では、様々なテーマを取り上げてきた。トピックス的なものを下記に示す。
★工場見学会
  @DRL 千葉工場(1990.5) 九十九里浜一泊
  ANMP 千葉工場(1991.6)
 工場見学会は、サイクロトロン、放射性医薬品の製造工程、品質管理体制を見学する目的で企画した。親睦を深める意味でも大変良い企画であった。
★基礎講座
  @ 血液、装置、臨床(1986)、心電図の読み方シリーズ
  A 核医学データ処理の基礎(1987〜1990)
  B フレッシュNMシリーズ(1993)
  C 放射線管理 教育訓練(1996〜)
 核医学データ処理の基礎については、昭和大学藤が丘病院の篠原広行先生に分かりやすく説明して頂いた。また、神奈川核医学研究会編として小冊子を出版して頂いた。
 放射線管理については、参加者に受講終了証を発行するという企画も実施している。
★WGによる活動
  @ アンケート調査の実施(施設実態、保険点数)
  A SPECTデータ処理『神奈核法』の試み
  B パソコン通信による医療情報ネットワーク
    (かもめネット1988〜)
  C 核医学検査のQC・QA(ガンマカメラ、表示条件)
 パソコン通信は、昭和大学藤が丘病院、東海大学病院、一部会員自宅間でしか行われなかったが、昨今のインタネットのブームが起きる10年以前に試みたということは評価に値する活動であったと思われる。

9.親睦事業
 会員間の親睦を深めるため、以下の事業が毎年実施され定着している。
 @ 納涼会( 7月)
 A 忘年会(12月)
 B ゴルフ大会(1987〜11回)
 C 魚釣り大会(1994〜 4回)
 ゴルフ大会は研究会開催100回を記念して始められた企画である。
 魚釣り大会は、余り費用をかけないで、相模湾で一日ゆっくりと釣り糸をたれ、心身のリフレッシュを図る目的で企画されたが、この大会を契機に"釣りばか"が何名か誕生し大物をあげているというニュースが聞こえてくる程盛況である。

【神奈川核医学研究会将来展望】
 200回大会を記念して、『神奈核の誕生から現在まで』というタイトルでシンポジュムの形で歴代の事務局担当者(代表幹事)が以下のテーマに沿って講演した。
[核医学事始め]については核医学の歴史を、[研究・研究会]については会則からみた本研究会の過去、現状、将来?について、[研究会活動の業績]については記録に残るトピックス的な活動の紹介等である。各演者の講演内容から本研究会の将来展望について、会員と討論する予定であったが時間の制約でできなかった。以下に、3人で話し合った神奈川核医学研究会の将来展望について示す。研究会の運営、研究、テーマについて、呼びかけ調になっているが、会員諸氏において深く読みとって行動を起こして頂きたいと思う。今回のシンポジュムが、これからの本研究会運営に役立てば幸いと思っている。

1.参加者は、ディスカッションの場に積極的に加わる意識を持とう。
2.将来にむけ、核医学診断、治療核医学の発展・普及につとめよう。
3.核医学を研究する様々な診療科の医師の参加を働きかけよう。
4.核医学に関係する、薬剤師、看護婦の参加を働きかけよう。
5.人材育成とローテションについての調査研究に着手しよう。
6.核医学画像の診断読影能力を高めよう。
7.同時計数型SPECT & PETの動向に注目しよう。
8.半導体(CdTe)検出器によるガンマカメラの動向に注目しよう。



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特別講演
多発性骨転移患者に対する89Srによる除痛治療について

北里大学医学部 放射線科
堀池重治 先生


はじめに
 悪性腫瘍による多発性骨転移を有する患者の治療における主たる問題は疼痛の制御である。特に乳癌や前立腺癌の患者は、治療法の進歩に伴い、骨転移を伴っていても比較的長期間生存するようになり、患者のquality of life(QOL)を高めるという意味において疼痛の制御は重要な意味を持つ。骨転移の疼痛を制御する方法は、ホルモン療法、化学療法、放射線治療、麻薬あるいはその他の鎮痛剤投与、などが考えられるが、いずれも長所と短所があり、その治療法としての選択には苦慮することも多い。一方、欧米では89Sr−塩化ストロンチウムや153Sm−サマリウムEDTMP、などを用いた非密封RI治療が既に行われている(表)。日本においても89Srの治験が終了し、近々使用が可能になると思われる。以下。第V相臨床試験における多少の経験を踏まえながら、多発性骨転移患者に対する89Srによる除痛治療について述べたい。

骨転移の除痛治療に用いられる放射性医薬品

β線のエネルギー
組織中の有効飛程
物理学的半減期
γ線のエネルギー
有効率
副作用
(MeV)
(mm)
(day)
(KeV)
(%)
32-P-Orthophosphate
1.71
2.7
14.3
50-90
++
89-Sr-Chloride
1.49
2.4
50.5
50-90
±
117-Sn-DTPA
0.16
0.3
13.6
158.6(87%)
> 80
±
186-Re-HEDP
1.07
1.1
3.8
137(9%)
80
±
153-Sm-EDTMP
0.84
0.6
1.9
103(29%)
> 80
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89Srの投与経験
 まず、多発性骨転移患者11例に対する89Srの投与経験について述べる。
 原発腫瘍に関しては、11例中7例は前立腺癌で、その他の4例は喉頭癌、甲状腺癌、上顎癌、乳癌がそれぞれ1例づつである。年齢は43〜84歳(平均64±13歳)、性別は男10例、女1例である。89Srの投与量は1.5MBq/kgを3例に、2.2MBq/kgを8例に投与した。骨転移の性状は、溶骨型3例、混合型3例、造骨型5例で、いずれも多発性である。これらの投与後12週間の経過を追った。
 11例中2例は4週前後で死亡し12週間の経過を追うことはできなかったが、9例については経過を追うことができた。除痛効果として、11例中6例には鎮痛剤の投与量を減らすことができ、6例中2例についてはほとんど投与を必要としない時期があった。何らかの自覚的な疼痛の改善は11例全例にみられ、4例は著明に改善した。中には痛みのために動けなかった患者が自力歩行が可能になった症例もある。
 副作用として2例に嘔吐がみられたが、1例は関連が薄いと考えられ、2例とも薬剤投与などで改善した。また、1例にトランスアミナーゼの一過性上昇が軽度みられたが、特に問題となることはなかった。赤血球数およびヘモグロビン値の変動は軽度で、許容範囲内と考えられた。白血球数と血小板数は6〜8週で最低値を示す傾向にあったが、特に問題となる程ではなかった。したがって、重篤な合併症は1例もない。

89Srに関する考察
 89Srは半減期が50.5日と比較的長く、β線のみを放出する核種であり、その最大エネルギーは1.49MeVである。製剤としては英国アマシャムインターナショナル社により開発され、塩化ストロンチウム(89SrCl2)の水溶性注射液として供給される。その分子量は159.9で、1バイアル(4ml)中148MBq(検定日)の89Srを含む。
 Srは、元素の周期表上ではCaと同じアルカリ土類に属する2価の金属で、その体内動態はCaに類似しており、Caと同様、速やかに骨基質に集積を示す。投与後血中からの消失も比較的速やかで、主に腎臓から尿中に排泄され、骨以外の臓器に長く留まることはない。尿中排泄は投与日およびその翌日が最も高く、尿中排泄総量の90%以上は1週間以内に排泄される。
 89Srはγ線を出さないのでそのものの体内分布を知ることは難しいが、85Srを同時投与したりしていくつかのことがわかっている。すなわち、Srは99mTc-リン酸化合物を用いた骨シンチとほぼ同様な分布を示す。Srの体内残留率は骨転移の程度(数)に依存し、骨転移への集積率は正常骨の3倍以上である。また、正常骨におけるSrの生物学的半減期は2週間前後であるのに対して、骨転移部では100日以上に渡ってほとんど消失しない。したがって、照射における組織選択性は非常に高い。
 89Srの投与量に関しては、1.5MBq/kg〜2.2MBq/kgが適当と考えられている。通常、除痛効果は75〜80%に認められるといわれており、この範囲内で投与するかぎり、除痛効果に差はなく、副作用の発現頻度にも大きな差はないといわれている。これ以上投与量が増えれば後で述べる副作用としての骨髄抑制の発現率が高くなる。また、0.7 MBq/kgの投与では5人に1人しか疼痛の改善が得られず、1.5 MBq/kgより少ない量では疼痛改善効果が少ないと考えられる。
 89Srが放出するβ線の組織内有効飛程は2.4mmで、その範囲内は照射を受けることになる。150MBq単回投与による椎骨の転移巣への放射線量は9〜92Gyでといわれ、骨転移のある患者の骨髄線量はおよそこの10分の1である。副作用としては、投与時に悪心・嘔吐、発疹をきたすことがあるが、稀であり、その程度も軽い。また、投与後一過性の疼痛増強(flare pain)が生じることがあるが、数日で軽快する。最も問題となる副作用は骨髄抑制で、中でも白血球数および血小板数の減少が問題となる。しかし、これらの推移を注意深く観察する必要はあるが、一般に軽くいずれは回復してくる。

おわりに
 89Srの除痛治療は比較的少量の投与で効果を発揮し、γ線を放出しないために患者周囲の人間への被曝を無視することができる。したがって、投与後数日における尿の取り扱いをどうするかという問題を解決すれば、外来治療も可能であると考えられる。除痛効果は比較的高く、重篤な副作用もほとんどみられない。効果がある症例では、1回の投与で3か月近くは効果があり、患者の負担も少なく、繰り返して投与することも可能であり、これらの患者におけるQOLの向上という面からは今後重要な治療法となると思われる。

参考文献
1.木村良子,濱本研,古舘正從,他:転移性骨腫瘍に伴う骨性疼痛に対する放射性ストロンチウム(89Sr)製剤SMS.2Pの有用性−他施設における第V相臨床試験−.核医学,33:1347-1358, 1996.
2.Ackery D, Yardley J: Radio-nuclide-targeted therapy for the management of metastatic bone pain. Semin in Oncology, 20:27-31,1993.
3.Blake GM, Zivanovic MA, Blaquiere RM, et al: Strontium-89 therapy: Measurement of absorbed dose to skeletal metastases. J Nucl Med 29:549-557, 1988.



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神奈川核医学研究会誌No.11が発刊される


 神奈川核医学研究会誌のNo.11が、200回記念大会にあわせて発刊されました。200回記念大会の会場で配布しましたが、皆様のお手元には届いていますでしょうか。まだ、いくらか残っていますので、機会をみつけて配布していきたいと思います。また、事務局からも送付できると思いますので、必要な方は事務局または編集担当のほうに連絡ください。
 すでに研究会誌に目を通された方には、励ましやお叱りのお言葉を寄せていただければと思っています。
 また、全国の主立った核医学担当者宛にも送付いたしましたところ、お礼の手紙が届けられましたので、時候の挨拶以外の原文を記載します。

県立岐阜病院 中央放射線部 後藤明様
 この度は神奈川核医学研究会誌1997 No.11をご贈恵賜りまして誠にありがとうございました。早速、興味あるところを拝読させて頂いたとこですが、内容といいボリームといい大変立派な書籍であると感服致しております。貴会の面目躍如を示す機関紙として机上に飾らせていただきます。
 巻頭言では小野先生が幼年期の戦争体験のご苦労を描写され平和な世界が如何に大切かを願いを込めて記述されましたこと。また、核医学との四半世紀の関わりから石井教授は、我が国の核医学の歴史と発展について克明に書かれておられまして、核医学の変遷を知る上においても大変に貴重な資料に値するものと感じております。
 今後ますますのご発展を祈願すると共に、貴会の皆様に宜しくご指導ご鞭撻を賜りますよう御礼方々お願い申し上げます。

富山医科薬科大学付属病院 放射線部 安井正一様
 神奈川核医学研究会誌を受け取りました。
 すごい!の一言です。核医学技術学会誌や、核医学分科会誌よりも遙かに素晴らしい仕上がりです。内容と言い、見栄えと言い、感嘆して拝見させていただきました。
 核医学分科会誌におきましても、負けないように今後頑張りたいと思います。次の会誌ができましたら、ぜひ頂きたいと希望しますので、よろしくお願いいたします。



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編集後記
東海大学病院 核医学
村上 剛


 1998年最初の神奈核ニュースの発刊です。今号は、過日、大盛会のうちに終えました神奈川核医学研究会第200回記念大会の特集号としました。1回の研究会の原稿だけで、大変なボリュームとなり、今号では連載や投稿を載せることが出来ませんでしたが、次号からは、おもしろい連載の企画も用意していますのでお楽しみしていてください。学術だけでなく、いろいろな内容を盛りだくさんにしたいと思っていますので、特集の内容についての要望や、連載希望のコーナーのご一報をお待ちしております。
 編集後記で、サッカー日本代表の近況を書くのが恒例となりましたが、Wcapフランス大会が終わるまで続けようと思います。先日、ダイナスティカップが行われ、何とか優勝しましが、Wcapに出場しない中国に完敗するなど、いまいちの調子だったような気がします。本番ではもっと強い(であろう)アルゼンチンやクロアチアと対戦しなければなりません。Wcap出場を決定した頃は浮かれていましたが、近頃はだんだん不安になってきています。
 ご投稿・ご要望・お叱り・ご感想等は、下記まで、または、お近くの研究会常任幹事までお願いします。
259-11 伊勢原市望星台 東海大学病院 核医学 村上 剛
TEL:0463-93-1121(内3471) FAX:0463-91-1350
インターネットメールアドレス:mura@is.icc.u-tokai.ac.jp


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