ICIDH-2と障害者

引用: ©WHO. ICIDH-2 Final Draft Dec. 2000. Appendix 5.

ICIDH-2の改定プロセスは、その発端から、障害者や障害者団体からのインプットから恩恵を受けてきた。障害者インターナショナル(DPI)は特に、この改定プロセスに時間とエネルギーを貢献し、このベータ2案はそのインプットを反映している。

WHOは、生活機能と障害の分類の改定において、障害者や障害者団体の完全参加が重要であることを認識している。分類として、ICIDH-2は多くの科学的、臨床的、行政的、および社会的評価に関係して、障害の評価や測定の基礎として用いられるであろう。そのようなものとして、ICIDH-2が障害者にとって不利益な仕方で誤用されることのないようにということが関心事である。

特に、WHOは、分類に用いられるまさにその用語が、あらゆる努力にも関わらず、烙印となりラベリングとなりうることを認識している。この改定プロセスの早い段階で、「社会的不利」の用語は英語の「handicap」が軽蔑的な意味あいをもつために、完全に削ることが決められた。そして、「disability」の用語を障害の第二次元の名称としては使わず、代わりに、包括用語として残すことにした。

しかしながら、生活機能にある程度の制約や制限を経験する個人を、どのように呼ぶのが一番よいかという困難な問題が残されている。この改定で採択されたように、障害とは、健康に関連した、人と環境の相互作用による多次元の現象である。様々な理由で、「障害をもつ人々(people with disabilities)」という用語を使うことを好むものもいるし、また、「障害された人々(disabled people)」という用語を好むものもいる。このような多様性に照らして考えるとき、WHOが採用できる普遍的な用法はない。したがって、ICIDH-2では、人は自分の選んだ表現で呼ばれる権利があるという原則にしたがって、これらの人々がどう呼ばれるべきかについて特定の立場をとらない。

それにも関わらず、利用者は、ICIDH-2は決して人々の分類ではないということを留意する必要がある。それは、個々の健康状態と環境的影響に関連した人々の健康属性の分類である。それは、健康属性と背景因子の相互作用であり、それが障害を生み出すのである。つまり、個人は、単にその機能障害、活動障害、参加障害のことだけに還元されたり、特徴付けられたりしてはならないことが重要である。例えば、「知的障害者」と呼ぶかわりに、この分類では、「学習活動障害を有する者」という言い方を用いる。

人々に体系的にラベリング(レッテル貼り)をすることになりかねないという正当な懸念をふまえて、ICIDH−2の用語は、価値低落、烙印を押すことや不適切な意味づけを避けるために、中立的に表現されている。しかしこの方法は「言葉の洗濯」(「言葉狩り」)と呼ばれる問題を生むかもしれない。人の健康状態の否定的な特徴や、他人がそれにどう反応するかということは、それを定義するのに用いられた言葉とは関係がない。障害をどう呼ぼうと、それはラベルとは関係なく存在する。したがって問題は、言葉の問題であるだけでなく、また、そして主として、障害に対する他の人々と社会の態度の問題である。必要なのは用語と分類の正確な内容と使い方である。

 

WHOは、障害をもつ人が分類と評価によって力をもち、権利を剥奪されたり差別されたりしないようにするために、継続的な努力を行う。


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Yuichiro Haruna
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