災害医学・抄読会 2004/11/12

大規模災害に対する自治体の取り組み:東京都の場合

(東京都福祉保健局医療政策部救急災害医療課、救急医療ジャーナル 12(5)通巻69号、8-11, 2005)


東京都における災害医療体制

1.医療救護班等の編成

2.医薬品・医療資器材の確保

 今後は、直轄医療救護班が活動するための備蓄量は初動期の2日間分とし、3日間以降については、 医薬品ストックセンターの設置による供給体制を確保するなど、医薬品の備蓄・供給体制の充実強化 を図っていく予定。

3.後方医療体制

 東京都の一部地域において大規模な災害が発生した場合には、通常の医療供給能力を量的にも質的に も大幅に超過する医療需要が発生することが予想される。
 →災害拠点病院を拡充し、災害時の後方医療体制の充実強化を図る。

※災害医療拠点:通常の医療供給体制では医療の確保が困難となった場合に、傷病者を受け入れるとともに、知事の要請に基づいて医療救護班を編成し、応急的な医療を実施する医療救護所との連携のもと、重病者の医療を行う病院

○災害拠点病院の整備

○負傷者の搬送体制

○医療機関の防災能力の向上

○トリアージ

新たな災害医療体制への取り組み

1.災害医療チーム「東京DMAT」の創設(平成16年度重点事業)

□東京DMATの概要

 DMAT(Disaster Medical Assistance Team):災害現場で救命処置等に対応できる機動性を備え、専 門的なトレーニングを受けた医療チーム

□東京DMAT発足の経緯

現体制での医療救護班:

                 ↓
             「東京DMAT」を創設

○これまでの取り組み

○今後の予定

 二次保健医療圏ごとに東京DMATを整備し、災害医療体制のさらなる充実強化を目指し、都民の安全確 保を図っていく予定。

2.広域災害医療への対応


宮城県北部連続地震における災害の概要と現地医療機関の連携

(大庭正敏ほか、日本集団災害医学会誌 9: 57-64, 2004)


はじめに

 平成15年7月26日宮城県北部に発生した内陸直下型連続地震は局地的に大きな被害をもたらした。地震 災害の概要および発災後の現地医療機関の活動と診療連携について、調査が行われた結果をまとめ概 略を以下に記す。

1、宮城県北部地震の概要

 2003年7月26日、0時13分、7時13分、16時56分(以下それぞれ、前震、本震、最大余震と記す)にそれ ぞれ震度6以上を観測する一連の地震が宮城県北部で発生した。今回の地震では観測史上最大の加速度 が観測された。また複数の大地震が時間に対して不連続に発生したという特徴があり、統計的手法に よる余震予測がはずれてしまうなど、さまざまな面で地震史に残る内陸型直下型地震となった。

2、被害の状況

(内閣府(宮城県災害復旧本部調査)によるもの)

 人的被害は死者、行方不明者はなく、負傷者は675名にのぼり、重傷は51名、軽傷は624名であった。 被害総額は4439箇所、344億5百万円であった。

3、人的被害の概要と診療状況

 重傷原因は「落下物」「家具の転倒」が主なものであった。特に、室内空間における家具の被害率は 建物本体の耐震性に関係なく転倒被害が生じていることにより、室内空間における耐震化政策によ り、負傷者を大幅に削減できる可能性と家具の転倒予防の重要性が指摘されている。重傷者は高齢者 の「避難時の転倒」が特徴的あった。

 傷病者の診療状況においては、負傷者は震度の大きい地域に多発しており医療機関における地震によ る受診人数もそれに相関しているが、救急隊の出動との関連性は低い。これは、多くは発災後早期 に、独力で被災地域内の医療機関(一次、二次病院)を受診しているためである。

4、診療機関の被災

 人的被害の大きい地域では医療機関の被災も多数だった。宮城県医師会のアンケート調査によると、 診療継続が危ぶまれるほどの大きな被害は14件、その中で2病院が建物に特に甚大な損壊を被った。こ の内、志田郡鹿島台町の鹿島国保病院はすべての建物が老朽化しており、診療継続は不可能と判断さ れたため、入院患者65名の病院外避難及び他医療機関への転搬送が行われた。

5、鹿島台国保病院における患者避難と転送

 鹿島台国保病院では2回の地震(前震、本震)により建物に大きな被害を受けた。入院患者は65名お り、2階と3階の病室に収容されていた。前震後に自力移動患者を一階待ち合わせ室に避難させた。 本震では寝たきりおよび重傷患者を担架に乗せ階段を降りることを余儀なくされたが、院内と役場の 男性職員、自衛隊の協力が得られたことが功を奏した。その後、自力移動可能な患者は町の保健セン ターに移され、寝たきり及び重症患者47名は近くの老健施設に移送された。

6、古川市立病院及び古川市医師会の対応

 同日の13時30分頃(本震から約4時間後)老健施設収容中の患者全員を古川市内の病院に転送したい、 という要請が宮城県を通じて古川市立病院(以下当院)に入った。

 当院災害対策本部で協議の結果、10名以内を数施設に分散すべきということになり、 当院から医師が出向いてトリアージと病院の振り分けを行い、同時に災害対策本部から古川医師会の 救急輸番群に所属している8病院に患者の受け入れを依頼し、即座に7病院が応じてくれた。

 その後、災害対策本部から送られた収容先病院と収容可能人数のリストを元に、老健施設に到着した 医師らによってそれぞれ転送先病院が振り分けられた。約2時間で、老健施設に残る3名と自宅に戻る 一名を除き43名全ての患者の病院選定が終了した。

考察

 以上が宮城県北部地震とと、その際にわれわれが経験した災害診療の概要である。これらのことか ら、数多くの教訓が得られた。

 その一つは、「発生直後の負傷者への対応」である。杉本によれば、事故現場からの患者の動きは極 めて速く、自力や一般の人によって救出された患者は近くの救急病院に殺到し、そこでは多数の患者 のでなすすべがなくなってしまう」。また、安田によれば1978年に発生した宮城県沖地震では、約 3500名の負傷者が発生したが、その多くが近所の外科系医療施設に向かい90%が私的診療所すなわち 第一線の「町の開業医」で診療されたと言う。このことは災害時救急に最も特徴的な事実であり、治 療に必要なことはコミュ二ティの中でのプライマリーケアの実践対応であると述べている。 もう一つ重要な教訓は、災害に対する備えと日常診療連携である。鹿島台国保病院医療スタッフは、 ライフラインが途絶した夜間、早朝という過酷な条件下で、患者非難、および、病院外への速やかな 患者移動という大仕事を、一人の負傷者もなく短時間に成し遂げた。これは日頃の「備え」の賜物で あろう。また、常日頃より、基幹病院である当院(救命救急センター)との間で緊密な診療連携が構 築されており、今回の災害時にもこの協力体制が効率よく機能したと考える。


神経ガスによる攻撃

(Suprun SC、救急医療ジャーナル 12(4)通巻68号、24-30, 2005)


 2001年9月11日、ニューヨークのワールドトレーニングセンターへハイジャックされた飛行機が衝突したテロ事件が起こって以来、災害対応に対する防災意識は変わりつつある。実際の救急隊員たちは、神経ガスのような危険な武器を用いた一般市民へのテロ活動に対し、実際に活動する可能性があるからだ。こういった新しい危険な世界においては「現場の安全確保」や「個人用防護」などを用いた、従来より高い水準の安全性が求められているのである。このような性格の事件に対する対策の要点は「準備」であり、防災計画が実行されるときの成功は最初の数分間の消防救助隊の対応にかかっているのでる。

<神経ガス>

 神経ガスは1930年代にドイツのゲルハルト・シュレイダー博士により開発された。最初のガスは殺虫剤のタブンであったが、早い段階で軍事への応用が図られ、サリン、ソマン、VXガスなどが次々に開発された。

 神経ガスの殆どが有機リン系であり、たとえ少量であっても犠牲者は急激に意識を失い、呼吸が止まり、運動機能が低下して死に至るのである。

 その有毒性を示す例として、1995年に東京の地下鉄でオウム真理教が散布したサリンガスである。この攻撃により13人の命が失われ、5500人もの犠牲者が近傍の医療機関で治療を必要としたのである。

<現場の確保>

 神経ガスによる攻撃というのは、有害物質による集団災害の典型的な例であることを救急隊員は認識しなくてはならない。パニックに陥った市民への対応や、自分自身の安全の確保などしっかりとした防災計画が大切である。次にあげる5つの"S"が手始めとなる。

 自分自身とはまず自分自身の安全を確保すること他ならない。何人の犠牲者がいて、どのような物質が関係しているのかを知り、現場での自分自身と隊員たちの安全を確保するためには何の機材がどれだけ必要なのかを決定するのである。自分自身が犠牲者になってはならない。

 現場を評価しろとは、現場に到着したら、緊急度と安全度を最初に評価する。安全性を評価した上で、人材、機材をどれだけ投入するかを決定する。犠牲者の数と有毒物質の特定により特殊救出チームの出動が必要かどうかを決断する。「現場の評価」のなかには正確な位置の確定と指令本部の設営、および"ホットゾーン"(立ち入り禁止の最危険域)の境界設定を含んでいる。

 情報を送れとは現場で得られた情報をしかるべき組織や個人に送ることである。地域レベルでは州警察、環境関係官庁、公共事業関係官庁や近隣の医療機関などである。また神経ガスなどの特殊な化学物質に対しては、毒物処理班ならびに特殊技術者集団の活動が開始されなければならない。

 医療部隊を組織しろとは、集団事件対応プロトコールを活用して、より効果的な医療を展開することである。

 現場を安定させろとは、一刻も早く現場を境界設定にして、汚染の拡大を防ぐために出入りを禁止することである。

<被害者の症状>

 神経ガスによる障害は有機リン系農薬の中毒と本質的には同じであるが、その程度は重症である。症状としては、意識障害、痙攣、筋攣縮、過剰な粘液分泌、唾液分泌を伴う呼吸困難、下痢、嘔吐、そして揮発ガスの場合はピンポイント様の縮瞳がある。被害者の症状はどの器官が一番影響を受けたかで決定される。

 神経ガスはアセチルコリンエステラーゼに結合してその働きを抑制するために、神経筋接合部においてアセチルコリン過剰状態となるのである。

<治療>

 神経ガスに対する最前線での治療は、被曝の程度により決定される。程度がどうであれ必須なのは、高濃度の酸素吸入、パルスオキシメータ、心電図モニター、静脈路確保であり、おそらくは'マークTキット'の投与も必要となるだろう。このキットには2mgのアトロピンと600mgのプラリドキシンの自動注入器が入っている。アトロピンは抗コリン作用があり、プラリドキシンは神経ガスと結合する作用がある。症状が強い被害者に対しては痙攣を抑えるためにジアゼパム10mgを使用する。

 神経ガスに対する最善の治療は、直接的な被曝をさけることである。そのもっとも効果的な方法は「時間」と「距離」、そして「遮蔽」である。

<結論>

 いつ起こるか分からない脅威に対し用意周到な「準備」が必要であり、これまでに得た知識を応用させてこのような化学的救急事例に当たるならば、実際に出動が求められたときには、さらに優れた対応ができるであろう。


第1章 リスクの軽減(前半)

(国際赤十字・赤新月社連盟:世界災害報告 2002年版、p.8-22)


 貧困層の人たちは、財政的および物質的資源の不足によって、災害から自分達の生活や家庭を守るう えでの自由度に制約を受けている。通常、被害を受けやすい危険な場所に生活しているため、災害に 襲われるとローンで購入した資産でさえも瞬時に失われ、振り出しさらに悪い状況に引き戻される。 こうして持続する貧困が助長されて発展の土台は壊れ、災害による発展の阻害が生じる。

 しかし、災害に対する脆弱性は、単に富の欠如によってのみ決まるものではなく、物理的・経済的・政 治的および社会的要因などが複合して決まる。したがって、適切でない開発つまり欠陥のある発展 は、これらの要素を歪めるため災害を進行させる。例えば人口増加による無計画な都市化が貧困層の 人々をより危険な地域に追いやる一方で、比較的裕福な人々までもがリスクにさらされるのである。 経済成長は、特に最低所得国にとっては必ずしもリスクの軽減を意味しておらず、経済的な圧力が境 の悪化をもたらしかねない。また市場化などの社会的・経済的な変化によっても、災害時に重要な支援 を行う、伝統的な大家族の構造が台無しになる可能性がある。このように、災害が世界の経済や社会 の発展における道程の一時的な妨害物であるという考えにもはや信憑性はなく、問題はもっと根深い 発展過程そのものに起因している。そのため将来に対する社会的投資は、災害のリスクから十分に守 られないと単なる無駄遣いとなってしまう。

 ところがリスク軽減のための努力は未だ不足しており、その障壁は多岐にわたる。

  1. 政治的理由。国際救援資金の紛争への全額投資

  2. 首尾一貫しないリスク軽減の「共同体」。自然科学者、社会科学者、技術者、建築家、医師、心理 学者、援助関係者など、災害の回避や結果を扱う専門家は細分化されている

  3. 分野別に考えられるリスク軽減。災害は様々な分野をまたがる問題である

  4. リスク軽減が技術的な問題であるとの誤認。被害抑止への努力のほとんどは、貧弱な住宅や危険な 場所での生活といった目視できる脆弱性にのみ向けられており、人々が好ましくない条件下で生活せ ざるを得ない潜在的要素は注目されないままである

  5. リスク軽減への資源不足。援助資金供与者は、災害発生後の援助や再建に対しては対応が早く気前 は良いが、被害抑止と被害軽減に対しては遥かに低い資金しか供与していない

などが挙げられる。

 また、被害抑止や被害軽減の効果の証明に対しても障壁がある。例えば、リスク軽減のモニタリング や評価は、援助資金供与者のプロジェクトサイクルに縛られてしまう。そのため短期的になる傾向が あり、数値で示すことのできる評価に焦点があたり、災害時に生命や資産がどの程度よく保護された のか、干ばつ時の食料確保がどの程度向上したのか、などの成果には焦点があたりにくい。そこに従 事し、結果を実際に見た者はそれらが機能すると確信しているが、様々な危険に対して様々な方法で リスク軽減に取り組んであるため多くの試みがきちんと評価されていない。したがって、政策決定者 や計画に携わる人々が最適な方法を決定するだけの情報が欠如している。また、恩恵を受けるのは遠 い将来のことであり、しかも起こらなかった災害に対してであるため目視できず、被害抑止や被害軽 減が実りあるものであると証明できない。

 これらの障壁に対して成功するリスク軽減策は、社会のすべての階層に心構えが浸透することを必要 とする。そのためには災害のもつ長期にわたる社会的経済の大きさ、被害抑止や被害軽減のもたらす 恩恵に対するより深い分析が求められる。

 災害は環境と人間社会の発展との相互関係から引き起こされる複合問題であり、災害には広範囲に技 術と能力を活用した、均質な複合的対策が求められる。早期警報・非難システム、救援物資の備蓄、全 レベルでの災害対応能力強化といった従来型の被害軽減が中心的役割を果たすことは明らかである。 しかし、リスク軽減が開発中心になる必要があることからすれば、挑戦すべきは従来型の災害対応従 事者の能力を遥かに超えるものである。災害に備えるためには、様々な開発機関、中央・地方政府、非 政府機関(NGO)、経済界、自然科学者、社会科学者、専門技術者、コミュニティーとの連携が必要であ る。

 この考えは1980年代に行き渡り、国際的・地域的な関心事となっていった。「国際防衛の10年 (IDNDR)」と、それを継承する「国連国際防災戦略(ISDR)」により、国際連合加盟国は自然災害被害を 軽減するのに必要な政治的責任を追及している。また、貧困緩和に関する事業が自然災害に対する脆 弱性に注意を向け始め、世界銀行と国連開発計画(UNDP)は、技術と地理に関する部署の中により強く 防災意識を喚起するためのユニットを作り、脆弱性軽減に向けての新たなアプローチの調査・討論・試 行などを支援している。一方、研究者と災害専門家達は独自の協働活動を展開しており、国際災害調 査委員会は社会科学の様々な分野を網羅し、国際地理学連盟は脆弱性についての特別委員会を設立し た。非公式の災害軽減地球同盟は、優れた実例を記録し推奨するために、全世界の技術者、災害管理 者、学者によって設立された。1990年代にはドゥリョグ・ニバラン、ペリ・ペリ、ラ・レッドなどの 影響力ある地域ネットワーク、汎米保健機構、いくつかの国際開発NGOなども結成された。


第1章 リスクの軽減(後半)

(国際赤十字・赤新月社連盟:世界災害報告 2002年版、p.22-37)


最前線コミュニティーから得られる教訓

 災害の最前線は危険に直面しているコミュニティーそのものに支えられており、コミュニティーが被 害抑止と被害軽減の主役であることは頻繁に起こる。

 これは防災対策に対する住民参加型のアプローチにより、諸問題のより明確な定義とそれを解決する ための適切な対策を導くことが可能だからである。

⇒ネパールにおける住民参加型災害対策

 現地で手に入る資源を使って、コミュニティーの災害に対する対策強化と自立性を高めることを目的 に行なわれている。具体的には、救急法や基本的な救助活動、危険分析、脆弱性と能力のマッピン グ、緊急事態対策についての研修などを行なっている。
 しかし、この事業は深刻な資源不足に悩んでいる。それが充足されているとこにだけ限られてしまい うことが課題として残っている。

良い統治が災害リスクを減らす

 住民参加型のイニシアチブの一番の弱点は、働きかけられる範囲が限られていることである。働きか けられる地域の拡大は政府等の関与なくしては不可能である。

 リスク軽減における良い統治には、12の黄金の要素がある。

 とりわけ災害時には、政府と危険に曝されている人々の間に[最低限の信頼関係]が必須である。

改革が未来への希望をもたらす

 *リスク軽減のための新しい概念と計画手段⇒『持続可能な生活』をめざす。

⇒災害対策のための生活背景

 災害軽減のための生活に根ざしたアプローチでは、その原点は人であると考え、優先されるべき3つ の重要な項目を挙げている。

  • 無形資産の確立
  • 日常生活の強化
  • 現地での優先事項を考える

 *災害保険の改革⇒発展途上国の、手ごろで安定した国際保険市場への参入支援

⇒災害に対する小規模金融機関の保険

 小規模金融機関は貧しい人々を対象にした貸付や金融サービスを提供し、担保を必要としない、非営 利の原理にもとづいた業務行なっている。これにより、人々は災害からの復興するための資金を得る ことができるが、顧客の状況を反映しているためこの小規模金融機関そのものも自然災害に対して非 常に脆弱である。現在の大きな課題は、こういった機関を支援する何らかの方法を考え、また個人的 にもしくは団体の一員として、現実的で手の届く範囲の保険を作ることである。

 *企業とのパートナーシップ⇒被害軽減に対する民間企業の商業的関心の高まり。リスク軽減におけ る企業の役割。

 *安全のための権利⇒災害から安全を守るための権利の概念は、基本的人権と並んで普及しつつあ る。

リスク軽減のための目標

 リスク軽減のための3つの提言


被災直後の心理過程と災害症候群

(飛鳥井 望:現代のエスプリ1996年2月別冊、p.31-38)


I)災害発生直後の被災者行動

 精神麻痺の程度により3群に分けられる。

 ◎防災訓練、過去の被災経験を有するものが最適型に多かった。

II)災害直後の心理過程

III)急性ストレス障害

 症状)解離症状
 1.感情麻痺、周囲からの隔絶感
 2.身の回りの注意の減弱、呆然
 3.現実感消失
 4.離人症様感覚

IV)生き残り罪責感と役割不全感

V)結論

  1. 防災対策や救急活動の展開には、被災者の災害直後の心理過程の理解が必要 となる。

  2. 日頃からの防災教育・訓練が、被災直後の災害症候群の程度を減らし、最適 行動がとれるようになる可能性が示された。

  3. 災害直後の精神的問題が強く存在するものほど、後になって精神的後遺症を 発展させる可能性が高い。したがって、早期のメンタルケア対策が望まれる。


アンケート調査による 2002 FIFAワールドカップ大会に おける集団災害医療体制構築の活動に対する評価

(勝見 敦ほか、日本集団災害医学会誌 9:45, 2004)


 わが国におけるMass Gatheringに対する集団災害医療対応への意識の希薄さ、日常の救急医療体制の 地域格差から、2002年FIFAワールドカップにおいて、救急・集団災害医療チーム、全国的な集団 災害医療ネットワークが必要であると考えられた。2000年7月に日本集団災害医学会2002年FIFA ワールドカップ大会災害対策委員会が設置され、同委員会にて「2002年FIFAワールドカップ大会 における集団災害医療体制計画作成のためのガイドライン」が作成された。このガイドラインは各開 催地域準備委員会、自治体、JAWOC(2002年ワールドカップ日本組織委員会)各担当者に配布さ れ、2002年FIFAワールドカップにおける救急医を中心とした集団災害医療体制構築の必要性につ いて提案された。しかし、救急医療体制の地域較差による準備状況の遅延が生じていることにより、 国内10箇所の開催地が共通した考え方で救急・集団災害医療体制を準備、実行できるための具体的な 指針の作成が必要であると考えられ、厚生労働省生化学研究班「Mass Gatheringにおける集団災害の ガイドライン作成とその評価に対する研究」は具体的な集団災害医療体制を示した「Mass Gathering における集団災害医療体制作成のためのマニュアルー2002年FIFAワールドカップ大会における集 団災害医療体制モデルー」を作成した。これは、2002年3月に開催地域準備委員会、自治体、JAWO C各担当者に配布、提示され、各開催地において集団災害医療体制へむけた取り組みが行われた。

 今回、2002年FIFAワールドカップにおける集団災害医療体制についてアンケ−ト調査を大会開催前、 大会終了後に実施することにより、ガイドライン・マニュアルをもとに行った集団医療体制構築へ向 けた活動についての評価、および大会における集団災害医療体制の状況調査を行った。

 大会開催5ヶ月前の2002年12月31日時点の大会開催前アンケート調査では、スタジアム内救急医療体 制については回答を得た全ての開催地域で決定していたが、集団災害医療体制の計画に関しては、半 数の3開催地において検討中であり、集団災害医療班の配置については決定している地域はなかった。 集団災害医療体制は救急医療体制と比較すると立ち遅れは明らかであった。

 集団医療体制立ち遅れの要因の一つとして、本大会においては救急医を中心とした集団災害医療対 応が医療体制に組み込まれていなかったことが上げられる。現在の日本では日常の救急医療体制の中 にはmass gatheringイベントにおける集団災害医療対応は考慮に入れられていないのが現状であり、 これはイベント開催地区の救急医療、自治体およびイベント主催者のmass gatheringにおける集団災 害に対して意識の希薄さから生じているものであると考えられる。

 また、どのような集団災害医療体制が望ましいのかという指針が存在していないことも集団災害医療 体制の構築の遅延の大きな一要因であると考えられた。そのため、国内10箇所開催地域が共通した考 え方で救急・集団災害医療体制を準備実行できるために、より具体的マニュアル「Mass Gatheringに おける集団災害医療体制作成のためのマニュアルー2002年FIFAワールドカップ大会における集団 災害医療体制モデルー」を作成し、2002年3月にて開催地域準備委員会、自治体、JAWOC各担当者に配布された。この時期になると、大きな焦点としては、集団災害医療対する予算、スタジアム内、外における集団災害医療対応、セキュリティ上からの集団災害医療救護班へのADカードの発行制限等であった。これらの問題に対する協議はJAWOC、各開催地において開催直前まで行われた。大会終了後のアンケート調査では集団災害医療体制の中で集団災害医療班は全ての地域で構成されていた。常設は5開催地であったが、他の4開催地においては災害発生時時に直ちに立ち上がることになっていた。全ての開催地で集団災害医療班の責任者も決定されており、救急医療も1試合あたり7.7人であった。実際の会場を使用した集団災害対応シミュレーションは全ての会場でおこなわれていた。

 回答を得た(9地域)全ての開催地で集団災害医療責任者のもと救急医による集団災害医療体制が構築されていた。このことは、わが国ではじめての開催される2002年FIFAワールドカップにおける集団災害に対する意識の高まりともに集団災害医療体制の構築へ向けて、開催自治体、国、JAWOC、医療、消防などの大会関係諸機関が1つの目的のためにお互いの「垣根」を排除し、成し遂げられた結果である。この集団災害医療体制が構築される過程においてガイドライン、マニュアルによる指針は、共通の考えをもって全国の10開催地の集団災害医療体制構築への柱へなったものと考えられる。

 このように、ガイドライン・マニュアルの指針により、開催10地域が共通の考え方で2002年FIFAワールドカップにおいて救急医を中心とした集団災害医療体制が構築できた。しかしながら、野球、サッカー等のスポーツイベントや、音楽コンサート、花火大会等の日常的なMass Gatheringにおいて集団災害の可能性は常に存在している。2002年FIFAワールドカップにおける集団災害医療体制の構築は単に出発点と考え、日常的なmass gatheringでの集団災害に対応できる体制の構築を検討していくことが必要であると考える。


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