災害医学・抄読会 2003/10/10

北海道南西沖地震を体験した大人と子どもの心の健康

(藤森和美:現代のエスプリ1996年2月別冊、p.65-75)


 阪神・淡路大震災以来、日本でも被災者の心のケアについての問題が指摘されるようになり、また 広く一般にも認識されつつある。逆に言えば、それ以前の従来の考え方では、被災者への心的影響に はあまり関心が集められなかったとも言える。この根幹としてまず、人間の深く傷ついた心のケアを 考える時、専門家である臨床心理学や精神医学の専門家がリーダーシップをとらないと社会が動くべ き方向が定まらないという性格があり、日本の精神医学会や心理学会にはそういう問題意識が乏し かったことがある。また、過去にデータが蓄積されることがほとんどなかったのは、心の痛みや悲し さなどは個人的に解決すべき問題としてみなされ、放置されてきたという文化的・歴史的背景がある ことや、過去の調査で災害後の心理的ストレスは一割前後にとどまっていたという結果があったため と推察される。

 著者らは阪神・淡路大震災より前、1993年7月12日発生した北海道南西沖地震での被災者のケアを 目的に調査を行っている。被災10ヶ月後、精神健康度の測定に、精神健康調査票の短縮版(GHQ二 八)を使用したところ、被災者の77%が精神障害を有するおそれがあるハイリスク群であるという結 果がでた。これは正常一般成人が14%であったことと比較しても、災害による影響が長期間に及ぶこ とを明らかにしている。また、被害程度が極めて深刻な被災者ほど精神健康上の問題をかかえてい た。家族内に死傷者がおり、しかも家屋が全壊しているグループでは、実に91%がハイリスク群と判 定されている。

 また、子どもに対しても被災から一年七ヶ月後に、小学4年から6年生計129人に精神健康調査を 行っている。この調査では、全体として「将来に希望がある(73%)」「生き生き元気に生活している (66%)」など前向きな傾向も読み取れるが、一方では「外で遊ぶことが減った(51%)」「テレビを見る ことが多い(59%)」など生活の制限も見受けられる。次に、被災地の子どもを仮設住宅などに住む 「仮設」群と、「自宅」群に分けると、意外にも仮設群の方が「生き生き元気に生活している」とい う答が自宅群よりも有意に多かった(仮設群:85%,自宅群:62%)。しかし仮設群は「テレビを見るこ とが多い」が90%に達し(自宅群:51%)、「頭が痛い」「勉強がうまくすすまない」などの項目で有 意に問題を抱えている。このような結果は、表面的な状態と心の状態には少なからずギャップが生じ ていることを示唆しており、周囲の者はこの心の壁に早く気付き、安心することなく適切に対応して いく必要がある。

 災害後、子どもへの最も大切な対応は「早期の危機介入」である。そして次に長期的視野に立った 支援を考えなくてはならない。そのためには、まず定期的に精神健康の専門家が、学校教職員や父母 などと交流できる講演会や研修会、相談会などの機会を積極的に作ることが重要である。心のケアに ついて広く認知されつつある今からこそ、真の意味で個人個人の精神世界の安寧を重視した災害復興 対策を講ずる必要がある。


第3章 国際緊急援助隊

(金田正樹、災害ドクター、世界を行く、東京新聞出版局、東京、2002、p.106-28)


 国境なき医師団、NGO、赤十字団体、国際緊急援助隊、自衛隊の海外援助協力などの違いは、国民一 般にはっきりとは認識されていない。簡単に分けると政府が中心の自衛隊、民間中心の国境なき医師 団、NGO、政府と民間が共同で組織する国際緊急援助隊と分けることができる。

 日本の国際緊急援助隊は創設以来20年をかぞえ、世界各地で活躍してきた。このような、政府が官民 の医療関係者を登録してチームを作り、緊急援助するという組織がある国はそう多くない。難民援助 1つを例にあげても、世界の人道援助はNGO主流の時代だからである。しかし、NGOのには金銭面や社 会的体裁などさまざまな問題があるのは事実であり、この点においても、政府からの派遣依頼という かたちをとり、給与や生活の保証などが約束され、組織だった医療行為も行える国際緊急援助隊は非 常に魅力的である。国際緊急援助隊が誕生するきっかけとなったのは1979年10月、カンボジアの内戦 が激しくなり、150万もの難民が戦火を逃れてタイ国境に殺到したことに始まる。日本の海外での災 害救援に役立つ公募性の医療チームとして1983年結成、創設された。所轄は外務省で、実行にあたる のは国際協力事業団 (JICA)の事務局である。現在では600人の医師、看護婦、調整員が登録され、要 請があればいつでも派遣できる体制になっている。

 1985年のメキシコ巨大地震が起こった際、国際緊急援助隊が出動した。この出動を通じて制度や活動 内容においていろいろな問題点が浮き彫りになった。例えば機動力1つをとっても現地につくまでに 2,3日かかり、最も援助が必要なときに間に合わない。また、災害特有の疾患に関する知識はもちろ ん、その他さまざまな知識の必要性を感じた。難民援助には物資の援助と対人援助が必要である。対 人援助の難しさは、日本の医療をそのまま現地に持ち込んでも通用しないことにある。高度に分業化 された現代医療よりも、もっとシンプルで幅広い医療の原点のような知識を要求される。また、その ためには、外傷、伝染病、公衆衛生、小児科、栄養などの他に宗教、文化、セキュリティーなどの知 識が必要となる。メキシコで目のあたりにした災害が、もし日本の大都市で起こったらどうなるか。 この観点から、著者は災害時の医療対処について、1)災害医療体制を作ること、2)トリアージ (負傷 者の治療優先順位の決定)をすること、3)訓練をすることなどをまとめ、メキシコの教訓として学会 で発表し論文としても出したが、注目はされなかった。これは、阪神淡路大震災のちょうど10年前の 話であり、結果的にメキシコの教訓が日本で生かされることはなかった。

 国際緊急援助隊は創立以来20年間で30数回の派遣を積み重ねた。すべての派遣がうまくいったわけで はないが、多くの災害医療のノウハウを得ることができた。特に、難民医療に対してはかなり幅広い 医療ノウハウが必要である。難民医療では、5歳以下の子供へのケアは重要であり、それには看護婦 の存在が大きな力になる。子供に対するケアにおいては、女性である看護婦さんの看護技術と心のケ ア、やさしさが必要不可欠である。難民医療は子供への医療援助といっても過言ではない。しかし、 1992年6月、PKO成立とともに国際緊急援助隊は大きな転機を迎えた。PKO法は湾岸戦争を契機に、日 本がより積極的に国連の平和協力活動ができるようにという狙いから、自衛隊の海外協力を前提にし てつくられた。だがそのなかに人道的な国際救援活動が盛り込まれたため、これが議論の的になっ た。国際緊急援助法とどう違うのかという質問に対する政府答弁は、自然災害は国際緊急援助隊で、 紛争に起因する難民救援は自衛隊が主にということになった。このために、以後難民救援に対して、 国際緊急援助隊の出動は制限され、しばらくの間、この国際協力の有力なシステムが大きく後退して しまった。しかし、その後、政府は難民援助をNGO中心に行う方針に切り替えた。いままで培ってき たノウハウをいかす意味でも国際緊急援助隊にもう一度注目すべきであろう。

 この国際緊急援助隊をよりよい組織にするには、次の2点が課題になる。ひとつは、出す側の外務省 とJICAの問題。そしてもうひとつは、登録者のスキルアップである。現在の派遣は、被災国の要請が あって初めて出すことができる。大きな災害に見舞われた国が、すぐに援助要請をだすとは限らな い。NGOであれば民間レベルでただちに現場にいくことができるが、政府レベルでは要請がないとで きない。したがって、要請があってから出動しても遅れてしまうことがしばしばある。これを解消す るためには、2国間の災害援助協定を結んだり、政府専用機などを使っての機動力の確保などが考え られる。

 「災害ドクター、世界を行く」の著者、金田正樹氏は現在多くの知識と経験を生かし、国際緊急援助 隊支援委員、文部科学省登山研修所専門調査員、日本集団災害医学会評議委員を兼任している。ま た、2002年1月、日本の国際的な難民援助も含めた独自の医療救助活動を展開するために、NGO 「Humanitarian Medical Assistance」を創設している。著者が、これらの活動を通じて最も痛感し ていることが、「災害が様変わりし、進化している」ことである。原因は、地球の温暖化、経済較 差、民族紛争、人口の都市集中化、テロ、原子力使用などさまざまな不安定要因が増えていることに ある。特に、最近では原子力災害、化学物質災害という今までになかった特殊な災害までが発生して いる。そして、起こってしまった災害でまっさきに行うべきことは人命救助である。日本の災害人道 救援は早さ、方法、規模などすべてにおいてヨーロッパ諸国に2歩も3歩も遅れをとっている。まだま だ改善すべき点は多くあるが、1段ずつ階段を上っていく必要がある。


第7章 事故当日の警備状況

(第32回明石市民夏まつりにおける花火大会事故調査報告書 2002年1月、p.41-53)


 花火大会などでの人々の期待と万全の警備とは、場合によっては相反する側面を有することがあるが、警備というものは人々の安全に極力意を用いて行うべきであり、その上で来場者が不快を感じる事の無い様々な仕掛けを作っていく努力が必要であると思われる。

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 今回は明石市民夏まつりでの事故当日の実際の主催者側、警備会社側と警 察署の警備体制及びその行動を検証し、その目的が達成し得るものであっ たのかどうかを述べる。

1.主催者側の警備体制

 夏祭の運営に対しては様々な対策班が設置されていたが、事故現場となっ た朝霧歩道橋がある第三警備区には市職員は配置されておらず、緊急時の 市職員の体制は、遊撃隊長一人を含む市職員遊撃隊12人で対応する事に なっていた。また、その他の職員の業務内容としては花火立ち入り禁止区 域への侵入防止、周辺道路の駐停車対策などで、来場者の誘導、歩道橋へ の進入規制などは担当業務にはなっていなかった。

 会場が混雑した際、市職員は警備会社責任者に、歩道橋の上の混雑状況を指摘するなどして、全般的には混雑への配慮をしていたが、事故防止上のためのそれ以上の処置は、配置されている市職員の能力を超える所で、警察側及び警備会社の判断と対応に委ねていた。

2.警備会社側の警備体制

 警備区の区分は朝霧歩道橋があった第3警備区には16人配置されており、その他に緊急事態に対処する為に遊撃隊として27人が本日直轄で配置されていた。警備会社は会場内の混雑に対応処理しており、状況に応じた自発的応援警備、警備員による献身的努力が個々にあった事が認められる。しかし、組織的な警備体制がとられていなかったために、事態への有効な対応ができなかった。

3.警察署側の警備体制

 警察署の部隊編成は明石署本部、現地本部及び雑踏対策、事件対策、暴走族対策となっていた。さらに雑踏警備班は現場指揮官を含む16人で構成され、会場東広場、西広場にそれぞれに8人ずつ配置されており、事故のあった朝霧改札付近及び朝霧陸橋付近での事故防止の任務には東広場の班があたっていた。しかし、当委員会の事実関係の照会に対して、警察側からは適切で明確な回答は得ることが出来なかった。

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 次に事故当日の警備活動を「歩道橋南側階段付近」と「歩道橋北側(朝霧駅)付近」に分けて、時系列により整理してみる。

1.歩道橋南階段付近の警備経過

 夜店は歩道橋海側階段の東ロータリーより西方へ歩道橋の下を通り、車道を挟んで両側の歩道上に店開きしていた。

 1)午後7時45分(花火打ち上げ開始);階段付近の混雑が激しくなり、歩道橋下は群集で埋め尽くされて人が流れなくなり、歩道橋階段途中で降りられずに立ち止まって見物するようになる。このころ警察官は階段下にはおらず、夜店の周りで巡回していた。

 2)午後8時頃;歩道橋南端踊り場、階段付近で滞留者が多い為、警備員が「南側が詰まっているので北側を止めて欲しい」と警察に要請したが、警察の賛同は得られなかった。

 3)午後8時24分頃;警察署への「朝霧歩道橋が人が多すぎて動けない」という通報で機動隊が歩道橋南階段下へと出動した。この頃自主的に警備に参加していた者は、危険と判断し自主判断で歩道橋南階段下において西への帰路迂回路誘導案内を行っていた。

 4)8時45分頃;機動隊が南側階段下に到着。一部が階段を昇り始めた。機動隊の一部が階段48段を昇りバリケードを作っていたところ、大規模な転倒が起こり、負傷者などの救出にとりかかった。

 5)午後9時00分頃;人工呼吸や応急手当が行われ始めた。

2.歩道橋北側(朝霧駅)付近の警備経過

 1)午後7時00分頃;警備員が朝霧駅混雑の現状回避の為、通路分断又は入場制限強行施行を提案したが、警察官による同意は得られなかった。

 2)午後7時45分(花火打ち上げ開始);朝霧駅は大変混雑しており、警備員は再度、通行制限の許可を警察に要請したが許可されなかった。

 3)午後8時29分頃;警察本部より連絡があり、それぞれの部隊の警察官は北側から歩道橋に入り南進を続けた。また警備員らは朝霧駅側で歩道橋への進入を阻止しようとしたが、夜店への観客に突破されて効果が無かった。

 4)午後8時45分頃;北側から南進していた警察隊はさらに南進を続けた。一部の班員は途中で女性、妊婦などを救出しつつ歩道橋北側に引き返した。警備員は子供などの搬送通路の確保と南側への通行禁止を案内した。

 5)午後10時頃;歩道橋は立ち入り禁止となり、数十人が救護を受けていた。

 以上が警備活動の概略であるが、これを見ても事故当日の警備活動は個々の現場においては危機意識を持ち状況を改善しようとすべく対応しようとした形跡は認められるものの、主催者側、警備会社側、警察署の3者において、綿密な事前準備を欠いていた為、一貫した組織的な活動は行えず、個々において臨機応変の措置を執ろうとしてもいかに無力であったかが明らかである。


6 Chemical Disasters

(奥村 徹:山本保博ほか・監修:災害医学、南山堂、東京、2002、p.363-72)


化学兵器について

 医療機関における化学兵器テロリズムへの対応には、除染を中心として数々の問題が存在している。 災害対応に責任のあるそれぞれの医療機関では、常に最新の情報を得るように心掛け、世界的にみて 妥当な具体的対策を立て、それを継続して見直す必要がある。わが国は、サリン事件をはじめとして 化学兵器被害の当事国であるにもかかわらず、消防機関においても医療機関においても化学兵器被害 への対応は遅れており、早急な対応強化が望まれる。

a. 化学兵器の種類

 化学兵器の種類は大別すると、神経剤、びらん剤、シアン化合物、窒息剤、暴動鎮圧剤の6種類に 分かれる。診断および治療に関してもこれらの分類ごとにまとめられるので有用である。

b. 化学兵器の分析・検知

 分析は、発災現場における(オンサイト)分析と専門研究機関による(オフサイト)分析に分かれ る。オンサイトの分析には、試験管や検知管、簡易検知管、携帯型ガスクロマトグラフ/質量分析装 置(GC/MS)、赤外線ガス分析器(IR)などが使われる。オフサイトのスクリーニング分析では選択 的検出器を備えたGCを用いて、化合物を絞り込み、GC/MS、核磁気共鳴装置などのスペクトル測定に より化合物の定性を行う。

 また、より迅速で正確な分析のためには専門分析機関と医療現場との密接な連携が必須となる。

c. 診断と治療の流れ

 まず最初に化学兵器テロを鑑別診断にあげる。治療に際しては、救助者自らの安全確保がすべてに 優先する。また、ゾーニングの概念を徹底させ、二次感染を起こさないようにする。特異的な治療や 薬剤が必要となるのは、主として神経剤、シアン化合物とルイサイトである。他の化学兵器に関する 治療は、保存的治療と呼吸・循環管理に尽きる。

d. 除染

 化学兵器テロのみならず、化学災害では、ゾーニングと除染の概念が重要視される。化学災害対策 の基本的な概念は、まず被災者や救助者、病院を危険な物質から遠ざけることにあり、そのため、事 故現場の周りにホットゾーン(最危険地帯)を設定し、自由な人の出入りを禁じる。さらに、その周 りにウォームゾーン(準危険地帯)を設定し、基本的な救命救急処置を優先しながら、風上に設置し た除染ゾーンで除染を行う。除染後の被害者は、コールドゾーンに移り、さらに医療機関へ搬送され 治療を受けることになる。被害者・救助者の別を問わず、何人たりとも、除染を受けずに汚染区域か ら非汚染区域へ移動してはならない。しかし、多数の被災者が発生した場合、歩行可能な被災者や善 意の車両で運ばれた被災者が直接病院に殺到する可能性は十二分にあり得る。これが、医療機関にお ける除染が必要な理由である。

  1. 個人防護衣(PPE)
    PPEは、防護衣と呼吸システムに分けられる。

  2. 除染設備
    除染設備自体は高価な技術を要する物ではなく、院内から温水を引き、塩化ビニル管を組み立て て自家製で組み上げることも可能である。除染効率を高めるためには、歩行可能な軽症者は自分で洗 わせるのがよい。その他の除染として脱衣がある。脱衣だけで、75~90%の危険化学物質が除去される という報告もある。

  3. 廃液貯留システム
    除染の結果生じた廃液の処理も未解決の問題である。理想的には廃液を貯留しておいて、毒劇 物の濃度を確認後、処置を行ったうえで、下水に流すべきであるが、大量の水(2000倍以上)で希釈 されていればほとんど問題になることはないであろうとする見解もある。

  4. 医療機関における検知
    理想的には、除染前後で原因となる毒劇物を検知することが望ましいが、除染手順を複雑にしか つ時間を浪費する危険性が指摘されている。現在、各国で高性能でかつ安価な簡易検知システムが開 発中である。そのため、米国のテロ対策の専門家は、少なくとも現段階では医療機関自体で検知を考 えるよりも、適宜、警察や軍隊に協力を求めるべきであろうと考えている。


日本赤十字社の立場から

(近衛忠輝、救急医学 26: 159-62, 2002)


国際赤十字における役割と協力関係

 日本赤十字社の基本的な使命は、ジュネーブ条約及び国際赤十字の方針に則って、国内外に渡り紛 争の犠牲者、自然災害の被災者、その他の人道危機において助けを必要とする人々を援助することで ある。そのために必要な救護員、看護士を確保すると同時に、看護士の育成を行うため多くの看護教 育施設を運営している。また、救援資機材や救援物資も常時備蓄し救護体制を整えている。

 紛争や災害が発生した場合、国際赤十字を構成する1)国際赤十字・赤新月社連盟(以下、連盟)、 2)赤十字国際委員会(以下、ICRC)、3)各国赤十字・赤新月社(世界178カ国)、それぞれの役割と 協力関係が定められている。

 ICRCは被災国が紛争地域の場合に主導的役割を担う。国際赤十字のメンバーはその協力強化のため 2001年11月に「国際赤十字の戦略」をまとめている。連盟は災害発生24時間以内に現場に入る「災害 評価調整チーム」を組織している。また、大規模な災害や難民への即応体制を強化するため、補給が なくとも自己完結的に活動を行うことができる緊急対応ユニット(ERU:Emergency Response Unit) が導入されている。これらより、災害現場ではより迅速で効果的な救援活動を展開することが可能と なった。

国際救援における活動基準

 1999年にNGOは、全てのプレーヤーに当てはまる最低限度の普遍的な活動基準であるスフィア・プ ロジェクト(国際救援にかかる人道憲章と援助の最低基準)を採択した。このプロジェクトは救援機 関が守るべき10の行動規範とともに、水の供給や衛生環境、栄養、食料、住環境、保健医療の5つの 分野についての最低基準を定めている。

 国際赤十字の救援規模は、2000年度紛争関連が約600億円相当、動員者数2,055人、その他の災害関 連では約215億円相当、動員者数866人。その中で日本赤十字社の協力規模は約42億円相当、動員者数 は67人であった。

国内災害における日本赤十字社の役割と活動

 一方、国内での災害救護は1888年から始まっているが、多くの自然災害や事故などの際に様々な救 護活動をしてきた。災害救助法では「災害に際して、国が地方公共団体、日本赤十字社その他の団体 及び国民の協力の下に救助を行い、災害にかかった者の保護と社会秩序の保全を図る。」ことを目的 としており、「日本赤十字社は、その使命に鑑み、救助に協力しなければならない。」としている。

 こうした災害関係法に基づく債務を遂行するために、日本赤十字社では、災害の予防、応急及び復 旧の対策の全般にわたる「日本赤十字社防災計画」を作成し、救護員や防災ボランティアの養成、災 害救護訓練、救護資機材の整備、救援物資の備蓄などを行っている。現在,救護員8,200人と防災ボラ ンティア23,000人などの体制を整え、救急車280台を含む災害救護車両2,650台、災害業務用無線2 波・3,300局のほか、多数の医療・車両資機材を整備している。

 日本赤十字社の災害救護活動の中核をなすのが救護班による被災者の医療救護である。救護班は、 医師1人、看護士長1人、看護士2人、主事2人の6人編成を標準として、おおむね終夜2日間ほどの自 己完結型の活動を想定しているが、その状況により薬剤師などの追加や装備の調整を行う。現在、救 護班は全国に471班を常備しており、その中で医師830人、看護士3,300人など、5,800人が救護班要員 として登録されている。

 1995年の阪神・淡路大震災では、全国から981班を派遣し、取り扱った被災者は38,349人にのぼっ た。2000年の有珠山噴火災害では4ヶ月の間に東日本地域から52班を派遣し、3,800人の診療などを 行った。また、同年の三宅島噴火・近海地震、東海豪雨、鳥取県西部地震、2001年の高知県大雨の災 害にも救護班が出動している。

 被災者に分配される救援物資には、国民から提供されるものと、日本赤十字社が備蓄しているもの がある。前者については、被災者にとって不要なものが集まりすぎ、その分別、開封、保管などが大 変であった経験から、最近では受付を中止している。現在、日本赤十字社では救援物資として、毛 布、日用品セット、お見舞いセット、安眠セット、を各地に備蓄している。2000年の有珠山噴火、三 宅島噴火・近海地震、東海豪雨、鳥取県西部地震の4災害では、毛布39,000枚、日用品セット16,000 個、お見舞いセット5,300個を被災者に配布しており、2001年の芸予地震や高知県大雨の災害でも同 様の物資を配布している。

 国内で大きな災害が起こると、日本赤十字社や共同募金会などでは災害義援金を受け付けている。 阪神・淡路大震災では約1,792億円と空前の金額であったが、有珠山噴火災害では約22億円、東海豪 雨災害では約8億円、鳥取県西部地震災害では約3億円となっている。

今後の取り組み

 阪神・淡路大震災を機に、国、地方自治体、消防、自衛隊の取り組みをはじめ、災害救護を取り巻 く環境は大きく変化した。ボランティアの災害時における役割が定着したし、企業などにおける防災 意識や災害対策にも確実な変化が見られるようになった。

 こうしたなかで日本赤十字社は、これまでの経験や知識、最新の技術を活かし、救護印のさらなる 技術や資質の向上、救護資機材の近代化、体制の見直し、訓練を受けたボランティアやコーディネー ターによる被災者の満たされないニーズの発掘と、それへの柔軟な対応が可能なシステム構築などが 必要になると考えている。


有珠山噴火における医療体制

(丹野克俊ほか、救急医学 26: 171-4, 2002)


1.重症熱傷患者や多発外傷患者などの多発傷病者の対応

 1991年の雲仙普賢岳での大規模な火砕流発生と1955年の阪神・淡路大震災での教訓から、 多数の多発外傷や重症熱傷患者が発生した場合、道内のみに留まらず全国的な規模で、搬送と 治療を行うことを考慮した。これには1997年の日本熱傷学会予行災害対策委員会の報告に基づき、 施設を選定した。  日本熱傷学会予行災害対策委員会の報告

2.各関係機関への連絡と協力体制の確立

 一連の災害医療活動を円滑に行うために調整会議を開催し、各関係機関の連絡調整を はかった。調整会議には厚労省、自治省消防庁、運輸省、自衛隊、国土庁、北海道医師会、肝振 西部医師会、日鋼記念病院、日本赤十字社北海道支部、伊達市消防本部、札幌市消防局、北海道警、 北海道が参加し、「有珠山噴火に伴う災害発生時の医療対策会議」を開催した。

 今回は実質的な被災者がいない中での対策会議であったためか、内容的には非常に単純な ものであるにもかかわらず、関係各機関の調整は難航した。その原因として、集まった関係各 機関に危機感に対する温度差があったこと、関係する省庁が多く縦割りであったこと、また 各機関からの出席者が必ずしも同じメンバーでなかったために検討が進展しないことが多かった、 などが考えられた。

3.道内外医療機関の支援情報の把握

 今回の噴火では、おおまかな支援情報を得るために、広域災害・救急医療情報システムや 電子メールを活用することが可能であった。ここで、最新で確実な情報こそ有用であり、 災害モード時の運用、重症度を考慮した応需情報入力など、当システムの運用について関係 各機関に徹底する必要があると考えられる。

 支援情報の整理や加工と、実際の現場とコーデネーションをする部門が必要であると思われた。 また、通信インフラの被害がある場合も大いに想定されることから、ブロックごとの総受け入れ 数を設定し、無条件に送り出すシステムが必要になるのではないかと考えられる。

4.具体的搬送手段の確立

1)長距離搬送の問題

 北海道は広大な行政区域内に拠点病院が点在し、医療資源の大部分が札幌に集中している。周辺地域で災害が発生した場合、重篤な負傷者は後方医療機関への搬送が必要となるが、道内拠点病院及び道外への全国規模の搬送には、距離的に航空機などの利用が必須である。

 今回の噴火では高速道路、鉄道、幹線道路などの陸路は分断され、被災地への医療投入とそこからの患者搬送に多くのヘリコプタ−が集結した。しかし実際には、噴火による噴煙の影響からヘリコプタ−が飛行困難になることが懸念され、ヘリコプタ−を中心とした展開には限界があることが判明した。海上を活用した患者収容と搬送も検討し、実際に海上自衛隊の船が海上に待機し ていたが、長距離搬送には速度的な面で期待は低かった。

2)災害拠点病院について

 災害拠点病院は「地域災害医療センター」、及び、さらに要員の訓練や研修機能などを有することを加えた「基幹災害医療センター」が推定されている。しかし、その院内の取り組みは必ずしも積極的とは言えない。要綱に定められている要員の訓練や研修機能などの災害教育に関しても、誰が、どのような内容で、誰に対して行うかが具体的に示されてはいない。指定要綱にその活動の詳細な内容が盛り込まれる必要があると考えられる。

5.まとめ

 災害拠点病院の機能、広域・災害医療システム、具体的広域搬送システムについてさらなる検討が必要と考えられる。


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