救急医療メーリングリスト(eml)より

救急医療における守秘義務の問題

越智元郎藤田康幸#、坂野晶司##、白川洋一

愛媛大学医学部救急医医学、弁護士(プライム法律事務所)#
東京大学大学院医学系研究科国際保健計画学##

(981206、neweml 5566)


 このペ−ジは救急医療メーリングリスト(eml)での論議をもとに、メンバー有志が日本救急医学会雑誌レターとして投稿した論考を収載しました。emlでの論議の内容の一部は別ペ−ジにも紹介されていますので、御参照下さい。
 皆様のご意見を著者(gochi@m.ehime-u.ac.jp)までお送り下さい。

救急医療における守秘義務の問題

 救急医療現場における守秘義務について問題提起をしたい。

 日本救急医学会・監修「標準救急医学」の「救急医療に関わる法的問題」において、「7.守秘義務」の項に以下の記載がある。

 患者の秘密を漏らすことが是認される場合は、1)法律に明文化されている届け出(伝染病・結核・性病・癩病者・麻薬中毒者、異状死体などの届け出)、2)裁判所における証人としての供述、3)患者やその家族の承諾のもとに行う意見書の交付や照会に対する回答、4)犯罪捜査に対する協力としての、警察署への自発的な届け出などである。

 また一方「8.警察への資料の提供」の項には以下の記載がある。

 犯罪捜査や事件処理の目的で、警察官から患者の着衣、身体の付着 物、手術によって摘出された弾丸や異物、検査済みの血液や尿などの 提出を求められることがある。犯罪捜査に対する国民の協力という面 からこれらの試料を提供することは法的に特別問題はない。

 この、医療従事者による犯罪捜査に対する協力としての、警察署への自発的な届け出や試料などの提供は、警察あるいは検察の側からみると「任意提出」という扱いである。しかしこの「任意」は医療従事者が自主的に行うという意味であり、患者の合意を得た情報の提供を意味するわけではない。近年の患者情報の保護の考えに立てば、患者本人の同意なくその情報を提出することは、警察の捜査に協力する目的であっても容認されないものと思われる。仮に刑法上の責任を問われることがないとしても、守秘義務違反で民事訴訟を起こされ、損害賠償請求を受けることもあり得るであろう。

 医療従事者が業務上知り得た患者の情報や試料を警察に提供できるのは、患者の承諾を得た場合か、警察が裁判所で捜索差押令状を取り、情報や試料の提出を求めた場合に限られるであろう。令状によらない任意提出の場合も、できるだけ書面により患者の承諾の事実を確認しておくことが望ましい。

 この令状を取るというステップが捜査側の時間や手間を必要とし、場合によっては犯人逮捕の機会を失わせるという意見もある。しかし捜査側の誤りやえん罪もあり得るという観点から採用されている「令状主義」の法運用を、捜査側あるいは医療従事者が曲げることは許されないことであろう。

 また上記「7.守秘義務」の項で、医師などが業務上知りえた患者情報を、患者の承諾なしに「2)裁判所における証人としての供述」をすることについても問題がある。刑事訴訟法第149条には「医師、歯科医師、助産婦、看護婦(中略)の職に在る者又はこれらの職に在つた者は、業務上委託を受けたため知り得た事実で他人の秘密に関するものについては、証言を拒むことができる。」とあり、医療従事者は守秘義務を優先して、法廷での証言を拒むことができるのである。

 救急医療関係者は医療と社会の接点に位置し、様々な事故や犯罪の関係者に対して診療を行う場合がある。われわれは治療現場に残された着衣や凶器、毒物ならば胃内容物や血液、尿などにしばしば明白な証拠能力があることを知っている。これらの試料などの分析や保管は、病因や病状の評価にとどまらず、事件の真相を明らかにする上で極めて重要なものとなる。テキストにある「犯罪捜査に対する国民の協力」とは、こうした情報や試料を自らの「良心」に従って届け出ることを意味していると考えられる。しかし、その行為が無制限に法によって保護されるということはあり得ない。結果的に患者の権利を侵害し、患者情報の保護に配慮を欠く施設であると非難されたり、極端な場合は損害賠償請求を受けることもあるだろう。したがって、患者のプライバシーを尊重しながら、なおかつ真相解明に協力をするためには、「令状主義」に反しない限度で、警察官に協力をするのが原則であると考える。

 このように、故・若杉教授(大阪大学法医学)による「標準救急医学」の記載は、初版以来7年以上を経て、最近の救急医療の観点からは一部変更が必要な部分もあると考えられる。関係者各位による御検討を御願いしたい。


参考文献:
1) 若杉長英.救急医療に関わる法的問題、日本救急医学会・監修 標準救急医学、東京、医学書院、1991、pp 10-15

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 なお本論義は「救急医療メーリングリスト(eml)」ならびにメーリングリスト「ml-poison」で取り上げられたものであり、以下のインターネットサイトにその詳細が収載されている。

 救急医療メーリングリスト(eml)より:
 「救急医療における守秘義務の問題
 http://apollo.m.ehime-u.ac.jp/GHDNet/98/ibshuhi2.html


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