民間定期便によるInternational repatriation の実態とあり方

―自験27例から―

日本医科大学多摩永山病院救命救急センター 須崎紳一郎

(蘇生 13: 128-34, 1995)


  目 次

1、はじめに        2、国際医療帰省の実績
3、搬送患老の状況     4、搬送用医療機材の準備
5、国際搬送の実際     6、航空搬送時の生理的影響
7、移送専用機と民間定期便 おわりに 文 献


1、はじめに

 近年のわが国の海外渡航者数は飛躍的に伸ぴ、年間 1,100万人強に及んでいる。これ は毎年ほぽ全人口の10人に1人が、なんらかのかたちで海外に足を運んでいる計算で ある。ここまで国際化した現今、日本人が外国で思いがけなく怪我や病気に罹ること も、もはや稀でない。ちなみに1993年に海外で日本人が関連した事故・事件は、在外 公館が関与したものだけで9,637件、死者384人で過去最高であったと報告されてい るが(外務省発表、1994.7.21)、この数字も氷山の一角で、集計に漏れた個々の 日本人旅行者、滞在者の外傷や疾病の実数は、これをはるかに上回ることは明らかで ある。

 わが国では国民皆保険制度が確立し、国内では誰でも心配なく医療機関を 受診できるが、その一方で外国で医療を受けることなどまず考えてもこなかった。い ざ外国で入院するような事態に遭遇したとき、本人や家族が(そこが先進国であっ てすら)現地医療に不安を感じて日本に帰国を希望したとしても、搬送の方法や手配 、医師の確保に困惑しているのが大方の実情である。日本における外国人患者にとっ ても事構は変わらない。欧米では盛んな国際患者搬送(医療帰省;International repatriation)という医療サービスの需要が、わが国で認識されるようになってまだ日 が浅いからである。

 そこでわれわれが1985年よりこれまで民問定期航空便により担当 実施してきたInternational repatriationは27例に達したので、その経験をもとに搬送 の実態を具体的に示し、あリ方を考えたい。


2、国際医療帰省の実績

 これまでにわれわれが直接担当し、医療を継続下に搬送(Doctor escort)した症例は 27例である。うち20例は邦人の帰国帰還、7例は外国人の本国送還であった。搬送相手国は地図のとおり 、アジア9カ国、欧州4カ国、南北米2カ国、大洋州他の計17カ国になる(図1)。27例 で延べ航空搬送距離は180,222km、総飛行時間は232時問45分に及び、平均空輸距離 は6,675km、平均空輸時間は8時間37分である。病院出発から帰着収容までの総搬 送時間は、空港での待機時間などにより空輸時間の1.5〜1.8倍前後かかっている。 最長の搬送事例であるLima市(Peru)からのLos Angels経由15,511kmの搬送では、空 路のみでも21時間30分、全体では丸2日間を要した。これら27例の他にも、われわれ の施設では看護婦(士〉のみが付き添った(Nurse escort)国際患者搬送も8例経験し ている。

 航空便は内外12航空会社の民間定期旅客便を利用した。


3、搬送患老の状況

 搬送患者の一覧を示す(表1)。原疾患は外傷10例、脳血管障害4例、消化管出血2例 、虚血性心疾患2例などで、熱傷や精神疾患もある。外傷は交通事故が多かったが、 テロ襲撃の被害者もあるところなど、それぞれの国情を反映しているものかもしれな い。

 27例のうち意識障害例は6例あリ、また5例は搬送中も酸素投与がなされ、2例は 搬送経過を通して人工呼吸を必要とした。Heimlich弁を使用した胸腔ドレナージ中の ものも1例あった。

 帰国帰還例に関して、邦人が他国で受げていた医療内容を判断す ると、必ずしも本邦と比較して差のあるレベルであったものは少ない。むしろ患者や 家族の心理的な不安や経済的な間題、生活上の不慣れなど医療以外の面を理由として 早急に帰国を希望するものが多かった。テロ襲撃を受けた患者の場合は、警備された 病院に収容されていてもなお再襲撃の危倶が去っていないという特殊 な状況を訴えていた。もちろん外国である以上、言葉の問題はある。患者が海外に慣 れていない観光客であると、言葉に不自由するだけで一刻も早い帰国を求める傾向に ある。


4、搬送用医療機材の準備

 本来医療用仕様ではない一般旅客機内において医療活動を継続するために、搬送中必 要な医療機材をあらかじめ準備して持参した(図2)。機材は携行可能な範囲で、と くに小型軽量になるよう厳選したが、結果的に総重量は12ないし16kgとなった。携行 ケースには表のとおり、注射輸液剤、緊急薬剤、挿管蘇生セットなど各種の器具、医 薬品、医療衛生材料を収納した(表2)。また国際便はスケジュールよリ大幅に遅延 することが少なくないため、輸液はソフトバッグ製剤として搬送予定時間以上、最低 でも連続48時問分の量を用意した。

表2 搬送用医療機材の内容

1. 移動用モニタ:心電図およぴ非観血的血圧モニター

2. 電動式吸引器(電池駆動)

3. 医療資材(携行ケースー式)

診断器具:聴診器、血圧計、ペンライトほか
挿管蘇生器具:気管チュープ喉頭銑マスク、アンビュバッ久エアウエイ、吸引器
注射輸液資材:輸液セット、延長管、三方活栓、シリンジ・駆血帯・注射針・留置針
緊急薬剤:心血管作動薬、鎮静剤、抗痙攣剤、鎮痛剤、抗生剤ほか
補液類:乳酸加リンゲル液、血漿増量剤、浸透圧利尿剤ほか
小外科用具:切開縫合セット、吸引管、胸腔ドレーン、減菌手袋、ハサミ、メスほか
衛生材料:ガーゼ、絆創膏、包帯材料、消毒材料、作業ハサミほか

4. 酸素ボンペ(必要時)
5. パルスオキシメーター(必要時)
6. 人工呼吸器(必要時)
7. 輸液ポンプ(必要時)

 モニター等機器類の機内搬入と使用に関する規制 については加藤論文に詳しいが、いくつかの機種が移送用として開発されている。一 番重要な点は電池持続時間である。病院内で使用されている「ポータブル型モニター 」などにはしぱしぱ連続使用時間が2〜3時間しかないものがある。また電子機器一般 の持ち込みがチェックされる空港もあるが、あらかじめ航空会社から医療派遣の用務 を通じておけば比較的スムーズに通関できる。

 搬送中、人工呼吸を必要とする場合には特に慎重な準備がいる。人工呼吸器は万一の 事態を考えて、電動ではなく構造がシンプルで堅牢なガス駆動型(Pnew Pak(TM), 0xylog (TM)など)を選択する。酸素ポンベは世界中どこでも手配入手は可能だが、人工呼吸を 搬送中継続して行うと酸素を毎時500 L程度消費するため総計数千 L必要となり、大型 ポンペの搭載を要し、かつ制限を受ける。また国によりボンペのガスアウトレットの 形状が合わないおそれがあることにも注意が必要である。

 一方、現在内外の多くの航 空会社で機内急変時に対処するために、酸素ポンペや挿管セットなど最少限の救急医 療器具が定期便旅客機内に常備されるようになっている。もとより緊急時には要求す れぱ使用可能であるが、これはあくまで航空会社側のサービスであり、当初から医療 を目的とした搬送の際は、搬送中も医療の継続と患者状態のモニターが行え、また万 一の急変にも対処できるよう事前に器具資材を準備しておくのが当然であろう。


5、国際搬送の実際

 実際の民間定期旅客便を利用した搬送を具体的に述べてみよう。

 患者収容先病院で担 当医から病状説明を受けた後、患者を診察し、最終的に搬送の適否を判断する。日本 で把握していた情報と現地で確認した状態が異なることは少なくない。国を間わずわ れわれ医療関係者同士は、国際公用語である英語にてほぽ診療情報の疎通に支障のな いことが多いが、ロシアなど一部の国では例外もある。また渡される紹介状は必ずし も英語で記載されているとは 限らない。レントゲン写真なども必要ならぱ提供を求めてみる。搬送の医療計画を立 て、もし必要な物品資材があれぱ、先方病院に相談すると大部分は快く供与を受けら れる。搬送航空会社や患者移送車、医療費支払などの手配の確認も搬送医師が代行し て行う場合もある。

 出発時間に余裕をみて収容先病院から空港まで搬送する(図3) 。空港では代理出国手続きや機内搬入など一般乗客と別途の扱いが必要になるので、 直ちに航空会社地上職員の協力を求める。空港医務官に説明を求められることもある が、最終的な搭乗責任は航空会社と機長が負う。

 機体への患者搬入にはリフトカーが 使用できるときには患者移送車を機体側につけ、席に最も近いドアから直接搬入でき るが、リフトカーが設置された空港は少ない(図4)。しばしぱタラップもしくはポ ーディングブリッジからのストレッチャー搬入になる(図5)。搬入には十分な人手 がいる。

 機内では一般座席を6〜9席占有して、座席上にストレッチャーを架設するの が普通である(図6)。ジャンポ機に3床のストレッチャーを架設してパリより交通事 故の3例を同時搬送した経験もある(エールフランスの協力による)。

 航空搬送中の 患者管理では、高々度飛行中のジェット機内は相対湿度10%以下と極度に乾燥してい るため、重症者では呼吸ならびに気道管理が最も重要になる。このため機内搬送中は 十分な補液を行い、気道の加湿には格別の配慮が必要である。騒音のため聴診器は使 用が難しい。SpO2、モニターは小型で有用である。

 架設ストレッチャーは狭く排泄処 置は不便である。一般乗客からのプライバシーを保つため一応カーテンが用 いられるが、一般旅客キャビン内であるので、不快な音、臭いなどは不可。尿道カテ ーテルを留置し、さらに機内で下痢を防ぐため出発前に経管栄養を中止し、腸管蠕動 抑制剤を投与するなどの用意が望まれる。


6、航空搬送時の生理的影響

 搬送にあたり医学的に最も懸念される点は、重症患者の病院外移動中、とくに数時間 ないし1O数時間にわたり地上医療機関から隔絶される長距離国際間飛行中の呼吸循環 の変動である。宇宙航空医学の分野で高度飛行による健康人に対する生理的影響は研 究されているが、本邦では重症患者に対する臨床的報告や経験は乏しい。

 循環モニタ ーや酸素投与の方法については他論文に譲るが、1例として開頭クリッピング術およ ぴ気管切開を受けたクモ膜下出血の54歳女性例をウィーンから帰国搬送した際のウィ ーン成田間航空搬送中の経過表を提示する(図7)。騒音、離着陸加速度、振動などに よる影響は軽微で、血圧、脈拍ともにほぽ変動なく安定していた。この際ジェット機 内においても10時間以上にわたる連続心電図およびドップラー型血圧モニターは支障な く可能であった(図8)。

 しかし、この症例は脳血管障害であり、どのような病態に おいても航空飛行が常に生理機能に無影響であることにはならない。与圧された(O .9気圧)旅客機客室でも巡航高度33,OOOftでは酸素分圧の低下により、呼吸不全患 者の低酸素血症、冠虚血や脳虚血発作、気胸やイレウス、胃膨満の増悪に注意と対処 が必要である。骨折患者に移動前に強固なギプス固定を行うと減圧下で患肢が腫脹す ることなどは医療関係者でもあまり注意されていないのではないだろうか。


7、移送専用機と民間定期便

 患者移送に移送専用機か民間定期旅客便を利用するかにはそれぞれ一長一短がある。 もちろん移送専用機は医療用設備があり、患者個人に合わせた移送スケジュールが可 能で座席確保の制限がなく、他の同乗旅客に対する配慮が不要であるが、問題点も多 い。

 現在日本では国際空港が過密で使用規制がきつく、事実上自由に使用できるわけ ではない。また小型機は航続距離が5,OOO〜6,OOOkm程度であり、西ヨーロッパ各 国相互間の飛行なら十分だが、わが国からはこの航続距離では直行で香港、バンコク 程度がギリギリで、以遠では途中給油の必要になり、結果的に搬送時間が長くなる。 なにより専用機は移送経費がきわめて高額(平均 2,000万円〕にならざるをえず、通 常の海外旅行傷害保険限度額では到底カバーされない(無制限に救援移送費用を担保 する別の保険もあるが、一般に周知されているとはいえない)。実際、わが国に医療 用移送專用機を保有し、運用しようとしても厳しい航空法の規制が障碍となって実現 は容易でない。

 これに対して民間旅客便は、成田空港を例にあげれぱ、現在内外38カ国51社余りの航空会社が乗り入れ、世界73都市へ大型長距離機による定期運航があり 短時間で到達できる。臓器移植や特殊な感染症などの患者ならともかく、救急車で運 べる程度の一般患者の搬送にはこれまで機内処置にも特に支障があったことはない。 移送費用も総額200〜300万円程度であり、たとえ保険の給付がなくてもおおむね支弁 可能な範囲と考えられる。

 したがって、将来的に日本が医療専用機を持っようになれ るかどうかは別にして、当面、増大する国際搬送の需要に対処していくには民間定期 航空会社と協調し利用していくことが現実的と思われる。


おわりに

 医療はもっぱら個人的、地域的なものであリ、しぱらく前までわれわれは「日本にお ける日本人のための」医療の提供だけを考えていれぱよかったが、今や海外にい る日本人の、国内にいる外国人の(時には外国にいる外国人の)、医療も視野に入れ ざるをえなくなってきた。Intemational repatriationは患者管理に慣れた医師なら患 者の身体的医学的な問題は判断も容易だが、実施にあたっては費用負担と保険の処理 、迅速正確な医療情報の伝達と連絡意志疎通の確保、搬送手段の用意、航空会社およ ぴ先方病院など諸方面の協力の取付けなど搬送をとりまくコーディネーションをわれ われが行うのは煩雑で、アシスタンス会社の仲介が得られれぱやはり幸便である。ま た現在それぞれの医師が個人的責任で搬送を行っているが、万一なんらかの問題が生 じたときの法的な保護もない。しかしながら International repatriationの需要は待 ったなしであり、とくに欧米に比べて明らかに遅れている受け入れ病院、派遣医師の 組織化、搬送のソフトウェアの確立は急務と考えられる。


文 献

1)加藤啓一、巌康秀:呼吸不全患者の航空機搬送の間題. 呼吸と循環 44(4): 349-35 2, 1994.

2)須崎紳一郎、小井土雄一、團岡譲二、他:International repatriation(国際患者搬送帰還)の実態と間題点. 日救急医会誌 5(1: 42-50, 1994.

3)Edelstein S: Experiences in the use of scheduled flights for the ill and injured. Proceedings of Asian-Padfic Conference on Disaster Medicine,0saka, Osaka, 1988,pp89−91.

4) Lavernhe JP.: Medical assistance to travelers: A new concept in insurance-cooperation with an airline. Aviat Space Environ Med 56: 367−370, 1985.


■全国救急医療関係者のペ−ジ/  救急医療メモ
gochi@m.ehime-u.ac.jp までご意見や情報をお寄せ下さい。