日本医師会生涯教育講座 (10/19/96、愛媛県医師会医学研修所)
昨年は、わが国の災害医療に潜む課題を余すところなく露呈した年であった。その 後に行なわれた具体的な研究や提言、議論のいくつかを紹介し、皆さまの参考に供し たい。
神戸淡路大震災のあと比較的早期に組織された「阪神・淡路大震災を契機とした災 害医療体制のあり方に関する研究会」は、教訓として次のような点をまず指摘した。 1)調整・指令をおこなうべき県庁・市役所が被害をうけたうえ、通信の混乱が加わ って情報収集が困難となった。2)医療搬送と消防・救援のニーズが同時発生し、道 路被害もあって、円滑な輸送が困難となった。3)医療施設の損壊は免れても、水道 ・ガス・電気の供給停止により診療機能が低下した。4)トリアージが実施されず、 医療資源が十分に活用されなかった。5)防災訓練や備蓄が不十分だった。
今となっては当然のことと受け止められるが、ここには検討されるべき重要な課題 が網羅されている。たとえば、医師会がまとめた調査で、震災時の診療能力を低下さ せた原因として上水道の停止をあげた施設は病院・診療所とも 74% に達し、次いで 、電話の停止・ガスの停止であった。アンケートにとりあげられなかった指摘として 注目されるのは、多目的に利用できる広い屋内スペースが欲しかったという意見であ り、現状での医療機関のハード面の問題点が概ね集約されている。以下に運用、情報 、訓練などの問題をとりあげたい。
トリアージの重要性は、ほとんどの現場体験者から繰り返し主張されたことである 。私たちが調査した北淡町(震源の野島断層を抱える)の例を述べる。ここでは、最 も人的被害の激しかった(住民の1.3% が死亡した)地区内に医療機関が存在しなか った。しかし、トリアージの最適任者である勤務医師が偶然にも、その地区の自宅で 被災した。彼は避難所を救護所にしたて、さらに臨時診療所へと発展させて、その場 所で検死および軽傷者の診療の過半数を処理した(すなわちトリアージが行なわれた )。このため、地域外への輸送が大幅に節約され、混乱は最小限に抑えられた。
冒頭に述べた「研究会」は、以前から問題とされていたトリアージ・タッグの不統 一を解決すべく、本年2月に標準化案を公表した(日本救急医学会雑誌 7(4):208-21 2,1996)。提唱者らはその意義を、1)トリアージ概念の普及(→トリアージ技術の 普及)、2)傷病者数の正確な把握(→災害医療用簡易カルテとして)、3)情報の共 有化、と位置づけている。これに対しても未だ様々な議論があり、本年10月の第24回 日本救急医学会総会のワークショップ「大災害におけるトリアージをめぐる諸問題」 でも取り上げられている。たとえば、概数把握を容易にするため製作主体の通し番号 を付ける、局地的に使われるものであるから住所記載などの手間を極力省く工夫、身 体への取り付け法の工夫、などが提案された。また、標準化案のカラーコード配列で は被災者が勝手に重症度を上げる恐れがあることが指摘されたり、死亡と救命不能の 生存者を区別するため灰色を加える5カテゴリー案が出るいっぽうで、2段階トリア ージの提案(混乱状態の第1段階は黒・赤・緑のみ、より高度な担当者が安全な場所 で行える第2段階で赤と緑の一部を黄色にする)もある。
地下鉄サリン事件で、当初の情報混乱には目を覆うものがあった。死亡したり長期 入院している症例が病院到着前の心停止例のみであったことは、不幸中の幸いと言う べきだろう。非常に特殊な出来事ではあったが貴重な教訓を残したことを、厚生省健 康政策調査研究事業「化学中毒の情報ネットワークシステム構築に関する研究」のな かで行なわれた我々の調査結果から述べる。まず、毒物の特定に関する情報は、大部 分の医療機関がテレビ報道から得ていた。しかし、その情報じたいは検出されてから 1時間半以上を経過したのちに公表されたと推測される。また、テレビには別の機関 から誤報が流れたり、診療に有用な情報内容はまったく流されなかったという、情報 の質の問題が強く指摘されるべきだろう。大部分の医療機関が満足な治療情報を持っ ていなかったため、過去に利用経験のある日本中毒情報センターに問いあわせたり、 日ごろから関係のある医療機関に問いあわせたりしているが、行政や医師会などの組 織的な広報は、残念ながら有効に機能しなかった。日本中毒情報センターの電話回線 は、問いあわせた個別医療機関にしか対応できないため、比較的早い段階から有機リ ン系中毒を疑っていながら広報の手段がないまま時期を失したことは否めない。まと めると、テレビ報道のもつ広報力の強さと、それが事件報道にしか利用されなかった という弱点、さらに、従来型の情報収集網・伝達網の無力さが露呈した事件であった 。情報メディアもそのネットワークの作り方も発想を変え、治療現場と広報組織とを 包括した双方向的で多層的・多元的な(したがって柔軟な)情報網(あえてシステム とは言わない)を日常から構築する必要性を示している。
防災訓練の問題に関して、鵜飼卓氏(大阪市立総合医療センター副院長)は、本年 8月27日の朝日新聞論壇に「形骸化している防災訓練を見直せ」と題した意見を発表 している。長くなるが、要点を引用する。『災害の想定は地震や洪水、列車事故など さまざまだ。ところが、災害訓練場所の近くには消防車や救急車、パトカーなどが勢 ぞろいし、消防職員も、動員される医師や看護婦もその場で待機し、現場応急救護所 となるテントも設営ずみで、機材も万端準備されている。模擬患者は最終診断名(病 名)を明記したプラカードを胸につけている。したがって、訓練開始が宣言されると パトカーや消防車は即座に現場に到着し、救急隊員や医師・看護婦たちも、模擬患者 の重症度と緊急性、治療優先順位の判断(トリアージ判断)に迷うこともなく、きわ めてスムーズに訓練が進行する。---------- 私は既に何回か「もっと実戦的な、現 場に即した訓練をすべきだ」と消防関係者に提言したが、「本当の緊急出動でないと きに救急車や消防車のサイレンを鳴らして市中を走らせることはできない」という理 由で受け入れられなかった。しかし、実際の災害のときにはやじ馬も集まってくるし 、周辺の道路では交通渋滞が生じて、救援に駆けつける医療チームも容易に現場に近 づけないのが現実なのだ。--------- 従来から繰り返されてきたおざなりの訓練で あれば、何回実施しても実効性がないということも阪神・淡路大震災の教訓の一つだ った。一人ひとりの防災関係者や市民が、実際の災害に遭遇したときにどのように行 動すべきかを体験しつつ学ぶのが、訓練の本来の目的ではないだろうか。』
訓練が形骸化しているのは、その基になる防災計画じたいが形骸化していることを 暗示する。たとえば、都道府県単位の地域防災計画、あるいは、空港防災計画などに 盛られた災害医療計画の多くは全国どこでもきわめて類似した内容から成っており、 実際に起こる可能性のある状況や、その地の自然・社会条件を考慮して作成されたも のとは考え難い点も少なくない。災害と災害医療に関する信頼性の高いデータの蓄積 と、合理的な試算が科学的な災害計画の基本だが、そうした努力が十分に行なわれて いないことを危惧する。もっと遡れば、事故や災害について、法的な責任関係さえ決 着すれば(あるいは、それさえ免れてしまえば)善しとする姿勢が問われるのかもし れない。
大災害とは限らなくても、日常的におこる人的災害(いわゆる事故)を分析し、人 的被害の予防・軽減策を考えるためには、個々の事故を様々な視点から調査・検討し なければならない。法律的視点、医学的視点、工学的視点、さらに認知科学的視点な どなど。しかし、現状は法的責任関係が優先され、それのみに終わってしまっている のが大部分であろう。これは、良くも悪くも、わが国の警察の姿勢に影響されるとこ ろが大きい。たとえば、交通事故死者(24 時間以内)の剖検率はここ15年以上にわ たって 4% 台にとどまっている。これは、死後の検索が刑法上の責任関係が問われる ケースのみに限られていることを示唆しており、警察の狭い責任範囲がカバーされて いるに過ぎない。もっと広い、医学的視点、工学的視点などから事故を分析するとい う社会的責任は、誰も、どのような組織もカバーしていない。
おそらく、同様の構造が災害計画・災害訓練にも見られるのではなかろうか。