初期救命の講習をもっと市民に

救急救命九州研修所谷川攻一

(朝日新聞論壇10/11/96、eml 1924)


9月9日付村上誠一氏の論壇”救急救命活動は医師との連携で”について、救急救命 士の教育に携わる医師の立場から意見を述べたい。村上氏は、心肺停止患者の救命率 の向上の為には医師による高度な救命処置が早期より行われる必要があり、その為に 医師がドクターカーに同乗し救急現場へ出動できる体制を作ることが求められている と述べている。しかしながら、私は我が国における心停止患者の救命率の向上には、 第一に一般市民による初期救命処置の普及が必要であり、それが救急救命士の現場救 命活動とうまく連携をとってこそ、救命率の向上が期待できると考える。

欧米の研究からも明らかにされていることだが、心肺停止患者(何らかの原因で心臓 や肺の機能が停止した患者)の救命率の向上には、一般市民、救急隊そして医師の間 の連携医療が非常に重要であることが示されている。その中でも、特に心肺停止患者 に対する一般市民による迅速な心マッサージ、人工呼吸などの初期救命処置はこのよ うな患者の救命の第一歩であり、その重要性については強調しすぎることはない。心 臓が停止した場合、数分以内に脳や心臓に酸素化された血液を送るための人工呼吸や 心マッサージが行われなければ、これらの臓器の細胞は急速に死に絶えてしまう。そ して仮にその後に高度救命処置が行われたとしても、心臓の機能が復活する可能性は 少なく、また、心臓機能が戻ったとしても、重篤な脳神経障害を残すことが多い。米 国においては7000万人の市民が米国心臓病学会の主催する初期救命処置の講習を 受けていると言われており、一般市民による迅速な初期救命処置が、高い救命率を誇 っている米国の救急医療の礎(いしずえ)となっているという事実に注目すべきである。

さて、我が国には全国で4400の救急隊があり、53000人の救急隊員が救急搬 送を行っている。そして、市民から出動要請を受けて平均5.7分という短時間で救 急現場に到着している。これは我が国が世界に誇れる数字である。こうした機動力は 緊急性を要する重症救急疾患では大変重要であるが、将来的な救急医の増加を見越し たとしても、医師の同乗するドクターカーがこのような機動力を持てるかどうか疑問 である。従って、この機動性を維持しつつ、救急現場における救命処置の高度化を図 るためには、救急救命士の役割の拡大が必要である。

1991年に救急救命士制度が発足し、現在約2300名の救急救命士が活動してい るが、彼らの救命処置により心肺停止患者が社会復帰を遂げた例が全国各地で報告さ れている。これらのケースを詳しく見て行くと、ほとんどのケースで心肺停止発生後 、非常に早い時間にそばにいた家族や同僚、教師などの一般市民或いは救急隊員によ りまず初期救命処置が行われていたということが判明している。そして、救急救命士 が到着後、電気除細動(電気的に心臓のけいれんを止める治療)などの高度救命処置 を医師の指示のもとにほどこし、瀕死の患者を救命している。こうした経験からも、 一般市民による初期救命処置と救急救命士、そして医師による高度救命医療がうまく 連携をとることが、心肺停止患者の救命の為に如何に重要であるのか明らかであろう。

米国では米国心臓病学会トレーニングネットワークに基づいて、毎年全米各地で資格 のあるインストラクターが初期救命処置の講習をすることになっている。参加者は講 習の後試験に合格すると認定証をもらうが、それは2年おきに更新しなければならな いという厳しいものである。我が国でも政府、地方自治体、医師会、日赤そして企業 などにより地道な初期救命処置普及活動が続けられている。92年に日本医師会を中 心に一般市民への救急蘇生法教育普及を目的とした救急蘇生法教育検討委員会が組織 され、初期救命処置とインストラクター用のガイドラインの作成されている。今後の 課題は、資格のあるインストラクターの育成とより多くの一般市民への初期救命処置 の普及であることはいうまでもない。一般市民の方々も、救命医療における自らの役 割の大きさを理解し、こうした普及活動に積極的に参加していただきたい。


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