応急手当と法的責任

沼田貴範
(最終更新 070403)


 著者より:本論考は、応急手当を施した一般者に問われる法的責任について、研究を目的とした一般的な見解を説明・表現したものであり、本情報をご利用の際に発生した損害についての一切の責任を負いかねます。なお、具体的な事案の相談については、専門家のアドバイスを求めていただくようお願いいたします。本論考における情報は、発行時点において現状有姿のまま提供されるものであり、商品性、特定目的への適合性、最新性が保証されるものではありません。なお、本論考の複製・転用・頒布をご希望の方は、ウェブ担当者までご連絡ください。筆者の明示の許可なき複製・転用・販売を禁じます。

目次
第1 概要
第2 民事責任
第3 刑事責任
第4 総務庁報告書に関するコメント
第5 よきサマリア人の法
第6 結論

第1 概要

 応急手当によって生じた損害について、手当をした者が民事上・刑事上の責任を負うことがあるのでしょうか。不法行為の成立には違法性がなく、また、緊急事務管理の規定の適用により、害意・重過失がない限り免責されます。また、社会的相当性を逸脱するような注意義務違反がない限り「過失」がなく、過失致死傷罪の成立はありません。よって、民事上・刑事上の責任は問われないものと思慮します。


第2 民事責任

1 不法行為責任

(1)応急手当によって損害が生じた場合、形式的には不法行為(民法709条)に該当します。不法行為とは、他人の権利を侵害して損害が出た場合にその賠償の責任を負うというものですから、「不法」な行為であれば、これによって生じた損害を賠償する責任があります。

(2)民法709条は、「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって加えた損害を賠償する責任を負う」と規定しています。よって、不法行為の成立には、1)法律上保護される利益があること、2) 1)に対する侵害があること、3)侵害者に故意又は過失があること、4)損害が発生したこと及び 5) 2)の侵害行為と 4)の損害とに因果関係があることが必要とされます註1

(3)しかし、すべての不法な行為について責任が生じるわけではなく、違法性がある場合に限定されます。これは、正当防衛や被害者の承諾があった場合などについてまで、不法行為の典型である犯罪行為や公序良俗に反する行為と同じ責任を負わせるのは 妥当ではありません。このため、違法性がない場合には、免責されることになります。救助行為は緊急事務管理(民法698条)に該当するため 、違法性がなくなり註2、不法行為責任は生じません註3

註1:通常にいう要件は、1)故意又は過失、2)侵害、3)損害、4)因果関係ですが、実務上重要となる法律上の効果を発生させる「要件事実」において記載すべき点を列挙しました。この点に関しては、加藤新太郎『要件事実の考え方と実務』(民事法研究会 2004年)231頁参照。

註2:我妻榮他編『我妻・有泉コンメンタール民法―総則・物権・債権―』(日本評論社 2006)1293頁(エ)

註3:我妻 前掲(イ)。それは、民法697条が「義務なく他人のために事務の管理を始めた者(以下この章において「管理者」という。)は、その事務の性質に従い、最も本人の利益に適合する方法によって、その事務の管理(以下「事務管理」という。)をしなければならない。」と規定し、「・・・・・・この文意のなかには、事務管理の要件を充たした事務管理者の行為は、他人の事務に対する権限のない介入である。が、それにもかかわらず、違法性は阻却されるという意味を含んでいると解してよい」からです。(我妻 前掲 1200頁〔5〕。

2 緊急事務管理

(1)緊急時の人命救助の措置は一般に民法698条に規定する緊急事務管理に該当するとされています註4。緊急事務管理とは、他人に対する「緊急」の危害があるときにする「事務管理」のことで、民法698条に規定されています。

(2)事務管理

(ア)事務管理とは、義務がないのに他人のためにその事務を処理するということです。事務管理は、民法697条以下に規定されており、その成立要件は、1)義務なくして 2)他人のために 3)事務の処理を始めることです註5

1) ここにいう、「義務なく」とは、権限がないのにもかかわらずという意味で、契約上や公法上の義務などがないということを言います。代表的な例は、留守中の隣人宅が台風などで破損した屋根を修繕するといったことです註6

2) 「他人」とは、事務管理を受ける者(以下において「本人」と呼びます。)をいいます。特に何某と確定する必要なく、法人註7であっても対象となります。

3) 「事務」とは、生活に必要な一切の「仕事」のことを言います註8。そして、法律がこれについて債権債務関係の成立を認めることのできるものであれば良いとされます。

4)「管理する」とは、事件を処理することをいい、保存行為だけでなく処分行為も含まれます註9。したがって、腐敗しやすい物を売却することなども含まれます註10

(イ) そして、わが国は、この「事務管理」は、「社会生活における相互扶助の理想に基づいた行為なので、これを適法な行為とし、一面において、管理者のためにその管理に費やした費用の充分な償還請求権を認めるとともに、他面において、管理者にその管理を適当に遂行するべき義務を課して、本人と管理者との関係を妥当に規律しようとしてい」ます註11

(ウ)このことから、事務管理をした「管理者」は、その事務管理に係った費用を「本人」に支払うように請求できますし、また、「管理者」には、法律上の管理者としての義務が生じることになります。このように、本人と管理者との間に、法律上の権利義務が発生することから、債権発生原因といわれ、民法典の債権各論のところに規定されているのです。

註4:金山正信「事務管理」谷口知平編『新版注釈民法(18)』(有斐閣 2001年)241頁の引用する小池隆一「準契約及事務管理の研究」(慶応義塾大学法学研究会叢書 1962)228頁

註5:民法700条は、「管理者は、本人又はその相続人若しくは法定代理人が管理をすることができるに至るまで、事務管理を継続しなければならない。ただし、事務管理の継続が本人の意思に反し、又は本人に不利であることが明らかであるときは、この限りでない。」とあるため、事務管理をするものが本人意思に反することが明らかな場合、事務管理が成立しないと解釈され、「本人に不利、あるいは意思に反することが初めから明らかでないとき」という要件を加える場合が多いとされています。

註6:医師は、診療義務を負うため(医師法19条第1項)、診察・治療の求めがあれば、この受諾する公法上の義務があります。しかし、意識不明になった者を何ら直接に法律関係にない者が好意で医者に診療を求める場合に、医療契約は、患者ではなく、それを求めた者と患者との間で成立するため、患者と医者との間を事務管理と見なせるかどうかが問題となります。(我妻他 1198(e))

註7:会社や公法人。(大審院明治36年10月22日判決民録9巻1117頁))

註8:我妻他 1195頁〔1〕。そして、これらは「事実的な行為であるか法律的な行為であるか、継続的であるか一時的であるか、精神的であるか機械的であるか、財産的であるかないかを問わず、いずれであってもよい・・・」としています。ただし、「 早く帰宅した隣人の子供を隣人の帰宅まで預かる場合・・・・・・は、事務とは解さないでよい」としていることには疑問がのこります。

註9:大審院明治32年12月25日判決民録5巻1号118頁。

註10:その場合の、本人と、この物を取得した第三者との間の法律関係が問題になりますが、判例は、事務管理者が本人の名前でした行為の効果は当然に本人に効果が生じるわけではないとしています(最高裁昭和36年11月30日民集15巻2629頁)。これは、「代理」とは別であるということを意味します。即ち、代理の場合では、権限なく代理した場合でも、一定の場合、本人に効果が帰属します(無権代理行為と呼ばれます)が、判例は、無権代理行為とは別個に判断すると しています。

註11: 我妻等 1190頁2 (1)

(3)緊急事務管理

 緊急事態に、他人の「事務」を「管理」した場合には、管理者に重い責任を負わせるのは妥当ではないため、民法はこの責任を軽減しています(民法698条)。

(ア) 民法698条は、「管理者は、本人の身体、名誉又は財産に対する急迫の危害を免れさせるために事務管理をしたときは、悪意又は重大な過失があるのでなければ、これによって生じた損害を賠償する責任を負わない」と規定しています。この趣旨は、「[事務管理の]例外として、特別の場合に在りて事務管理を奨励する為大に管理者の責任を軽減したもの」と示しており註12、責任軽減の特則規定であるということがうかがえます。

(イ)要件

1)この責任軽減規定の適用があるのは、1)本人に対する急迫の危害があること、2)これを逃れさせるために事務管理をしたこと、3)悪意重過失がない場合です。

2)「急迫」とは、本人の法益註13に急迫の危険や損害が生じることが現に差し迫っている場合を言いますが、主観的に急迫の危害があると、悪意又は重過失なく、判断した場合も含むと解されています。これは、仮に、管理者が急迫の侵害があると誤信して事務管理をしたにもかかわらず、実は危害がなかった場合に緊急事務管理の適用を否定すれば、「それを防止するために事務管理をした[者]は責任軽減の特典を受けないことにな」ってしまいます註14。しかし、そもそもこの規定が管理者の注意義務の軽減を 図っていることからその責任の軽減は、管理者による「急迫性の判断にも及ぶもの」と と解釈されますので、時間的にも場所的にも差し迫っていると管理者が判断すればよいことになります註15

註12:梅謙次郎『民法要義 巻ノ三(債権編)』(有斐閣 1898年)841頁

註13:民法698条は、身体、名誉又は財産として限定していますが、これに限定する理由はなく、生命や、借用証書などでも包含してよいと解されています。(金山 237-8頁)

註14:四宮和夫「事務管理・不当利得・不法行為」我妻榮編『判例コメンタールVI』(コンメンタール刊行会[日本評論者発売]1963年)20頁

註15:金山 前掲 238頁。ちなみに、緊急事務管理に関する唯一の有名判例である新潟地裁昭和33年3月17日判決(下民集9・3・415)が同様の結論を導いています。

3)緊急事務管理は、「[本人]の法益に対する急迫の危害を『免れしめる』方法であれば良[く、]急迫の危害からの本人の救助、名誉の維持、財産の保全、等のために必要な手段ないし方策を講ずること」をいいます註16。このため、身体拘束から救出することは緊急事務の管理に当たりますが、拘束者に対して講じる手段は、その不法行為者に対する正当防衛(民法720条)ということになります註17

4)「悪意・重過失」というのは、管理者が、事務によって、本人に損害をもたらすということについて、悪意である又は重過失があることを意味します。通常、法律用語において「悪意」というのは、「知っていること」という意味に解釈されます。そのためそのまま読めば、損害が生じることを知っている場合が含まれることになります。

 しかし、これでは責任軽減規定をおいた意味を成しません。そのため、この「悪意」はむしろ、本人に対して害を加えようとする意思、すなわち、法律用語でいうところの「害意」と読み替えるべきであり、本人に対して損害を加える意思がある場合と解釈すべきです。

 また、「過失」というのは、一定の事実を認識すべきであるにもかかわらず、不注意によってその結果を回避することを怠ったことをいいます。その不注意には法律解釈上、程度があるとされており、単純な 不注意ではなく、甚だしい不注意によって、結果回避を懈怠することを重過失といいます。

(エ)緊急事務管理は事務管理者の責任軽減規定であるため、この緊急事務管理によって生じた損害について管理者は、その責任を負わないことになります。そして、管理行為と損害とのあいだに因果関係があれば、本人だけでなく、第三者に対して生じた損害も免責されると解釈されています註18

(オ)したがって、救助者がその主観において、被救助者に差し迫る危害があると判断して、害意・重過失なく救助行為を行えば、責任を問われることはありません。

註16:金山 前掲 239―240頁

註17:同上。ちなみに、「正当防衛」は、民法典・刑法典の双方において規定され、民事上・刑事上の免責規定とされ、違法性阻却事由としての役割を果たしています。民法720条、刑法36条参照。

註18:金山 前掲 241頁

(カ)善管注意義務

 緊急の事務管理の場合には、悪意・重過失による場合を除き、管理義務を負わないとしています。このことから、「通常」の事務管理の場合には、管理義務が発生していることになります註19

 そして、この管理義務は、善良なる管理者としての注意義務があるといわれています。なぜなら、軽過失による損害が緊急事務管理の場合に免責されており、この緊急事務管理に該当しない場合において軽過失による損害が出た場合には管理者はその責任を負うことになるからです。

 軽過失による損害にも責任を負う管理者の義務というのは、法律上、他人のものを管理するという「善良な管理者」としての注意義務のことといわれており、「自己と同等の管理義務」よりも高度な管理義務が課せられることになります。そして、これを善良なる管理者としての注意義務、すなわち善管注意義務と呼ばれています。これは、委任を受けた「受託者」にはこの注意義務が課せられていることに由来します(民法644条)。そして、同条を準用する会社の役員(取締役)にも、この注意義務があることになっています(会社法355条)。

 なお、事務管理においては、民法701条が、委任の規定(民法645条ないし657条)を準用していますが、上記にあげた委任における善管注意義務の規定(民法644条)は含まれておらず、事務管理における管理者の注意義務の程度が、民法上は、善管注意義務ではなく、自己物と同等の管理における注意義務で足りるのではないかという批判が可能です。しかし、一般的には上記のとおり、緊急事務管理の反対解釈から、事務管理には善管注意義務が課せられているという解釈が一般になされています註20

註19:いわゆる「反対解釈」とよばれるものです。

註20:民法学者の多くは、根拠を明らかにしないものの、民法の一般的な体系書においては善管注意義務が課せられている解釈しており、また、これが通説となっています。

(キ)小括

 応急手当における行為は、緊急事務管理に該当し、害意もしくは重大な過失によって被手当者(あるいは第三者など)に損害を与えた場合でなければ、なんら民事上の責任を問われることはないものと思慮します。


第3 刑事責任

 1 応急手当で、被手当者の身体に生理的機能を害する傷害を与えた場合、過失傷害罪(刑法209条)の罪責註21が、被手当者を死亡させた場合は過失致死罪(刑法210条の罪責註22(二つをまとめて「過失致死傷罪」といいます。)が問われるかが問題となります。

 2  ここにいう「過失註23」とは、注意義務に違反したことをいいます。「注意義務違反とは、注意すれば結果を認識することが出来、結果を回避し得たにもかかわらず、不注意により認識を欠き結果を回避しなかったこと」です註24。そこで、1)注意義務の存在と、2)注意義務の違反という二つを備えて過失が認定されます。この注意義務の内容は、「結果の発生を予見すべき義務(結果予見義務)及び、この予見にしたがって結果の発生を回避するための措置を採るべき義務(結果回避義務)・・・・・・ 〔、並びに、〕その義務を課す前提として、それを尽くすことの出来る可能性があったこと〔(予見可能性、および回避可能性)〕の存在が必要となります註25

 3 このため、応急手当を行う緊急の事態において救助者に、どの程度の注意義務を課し、その責任を問うのかということが検討されることになりますが、一般人の行う手当てにおける注意義務は、医師の行う医療行為とは違い、高い注意義務が要求されることはありません。したがって、救命手当実施者に、その事案において 要求される一般人を基準とする通常の 注意義務を尽くす限り、過失は認められず、刑事責任を負うことは稀有であると思われます。

 4 なお、応急手当における救助という行為を処罰することが社会的相当性を欠くため、違法性が阻却されとして、刑事上の責任を負わないと捉えることができます。なぜなら、刑法上の責任は、1)法律に記載された犯罪要件が充たされていること(構成要件該当性)、2)処罰に相当する違法性があること(違法性)そして 3)刑事責任を負わせるだけの責任があること(責任)のすべてを必要とするところ、2)の違法性の根拠は、刑法犯を処罰する理由としてその道義的責任を追求することにあり、社会的相当性を欠く行為を処罰することを意味するからです註26

 5 しかし、実際には、上記3の「過失」の評価の段階において社会的相当性もふくめて判断されており、刑罰を負わせるだけの社会的に不相当な行為と評価される場合は、同時に過失ありと認定される行為であることになります。なお、過失の評価というものを構成要件と違法性という二つにわたる要素であると見る見解も有力に存在します註23

註21:30万円以下の罰金又は科料。なお、親告罪。

註22:50万円以下の罰金。非親告罪。

註23:なお、刑法上の「過失」の性質をめぐっては、学説に対立がある。過失を故意と並ぶ責任要素(形式)として、過失を不注意、即ち注意義務に違反した心理状態としてとららえる(旧過失論、故意・過失をすでに構成要件段階から区別して考え、許された危険というものがあり、社会生活上必要とされる行為基準を守る限り、そこから発生した結果は、違法行為から生じたわけではないとする新過失論、さらには、予見可能性そのものを否定するわけではないが、未知の危険を軽減するために、予見可能性の内容を緩和し、結果に対する漠然とした危惧間、不安感でたりるとする新々過失論などが主なものである。荒川雅行『刑法講義ノートI(総論)』(関西学院大学出版会 2005年)132−3頁。

註24:前田雅英『刑法各論講義 第3版』(東京大学出版会 2003年)46頁

註25:荒川 前掲 128頁

註26:判例は、「当該行為の具体的状況その他諸般の事情を考慮に入れ、それが法秩序全体の見地から許容されるべきものであるか否か」(最高裁昭和48年4月25日判決刑集27巻3号418頁)、或いは、「・・・〔正当な〕目的からでたものであり、その実現の手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものか否か」(最高裁昭和53年5月31日刑集32巻3号457頁)としている。なお、この「違法性の本質」というものが、刑事法の根幹にかかわるものであることから、刑法上で最も大きな論争を呼んでおり、違法性の本質をめぐる議論がなされている。社会的相当性を欠く行為を処罰する学説を行為無価値論とよび、反対に、法益が侵害されたという結果を理由に処罰の根拠を求める学説を結果無価値論とよんでいる。

 6 なお、応急手当における行為が、正当防衛(刑法36条)や緊急避難(刑法37条)に該当するとの見解もありますが、これらによる違法性阻却事由を認定するのは困難であると思われます。なぜなら、正当防衛における要件のひとつ「急迫性」は、侵害行為が差し迫っているか、現に存在していることを必要とし、なお かつ、その侵害が他人による不法なものでなければなりません。しかし、この点において応急手当が要件を充たさないことは明らかです。また、緊急避難の成立要件である「危害」が被害者自身から生じるものに適用されるかが疑問だからです。また、正当行為(刑法35条)は、社会的に相当な業務行為による侵害行為について違法性を阻却するものです。そして、正当行為として社会的相当性が認められる行為については、過失としての認定における注意義務の判断要素と同じものであり、ここにいう社会的相当な行為は過失の判断の段階で認定されることになります。これは、既述のとおりです。

 7 小括

 刑事上の責任は、社会的相当性の範囲内にとどまる限り、「過失」の認定がなされず、罪責を負わないものと思慮します。


第4 総務庁報告書に関するコメント

 1 1994年3月に総務庁(現総務省)は、「交通事故現場における市民による応急手当促進方策委員会報告」(以下、「報告書」といいます。)を出しました。その中で、総務庁は、本論考と同様の見解を示していますが、これに対し、若干の批判が学習院大学教授沖野眞巳氏(以下、「沖野氏」といいます。)からなされているため、この検討についての解説と私の見解を附言します。

 2 報告書は、緊急性について錯誤があった場合でも、よほどの不注意を伴わない限り責任を問われることはなく、被手当者が危険な状況にあると主観的に実施者が判断すれば足りると報告書はしているところ、沖野氏はこの「よほどの不注意」という文言が不明確であると批判しています註27。しかし、この注意について沖野氏は、緊急事務管理における「注意義務」とは別に捉えていることからこのような問題が生じていると思慮します。

 しかし、報告書のいう「よほどの不注意」とは、事務管理における注意義務、すなわち、緊急事務管理における「重過失」を指していると解するのが 妥当であり、その上、管理者による主観的に急迫の危害があると、悪意又は重過失なく、判断した場合も含むと解されていることからして、 社会的に不相当な程度というような読み替えが可能であり、この点において報告書に不明瞭な点はないと思慮します。

 3 次に、被手当者からの依頼があった場合の法律関係につき報告書は事務管理の適用があるとしていますが、この点つき、沖野氏は疑問を呈しています註27。すなわち、被手当者から手当の依頼があった場合には、手当者と被手当者との間には、(準)委任契約としての契約関係が成立することになり、免責規定をおかない委任の規定が適用され、善管注意義務が発生することになります(民法644条)。この不都合を回避するために報告書は、このような依頼がある場合であっても事務管理が成立しているとしていますが、契約関係の成立がないとするのは(A)法律が隣人間助け合いに介入すべきではないという趣旨なのか(B)このような局面には民法698条が類推適用されるという趣旨なのかが不明確であると沖野氏は主張します註27

 そもそも、事務管理は、契約関係や不法行為など何らかの法律関係が依然存在しない場合において、代替的に債権債務関係を発生させることを定めるものですから、この点において契約関係がある場合に敢えてこの契約を認めずに事務管理の関係を見出すには、それなりの法理論が必要とされることは言うまでもなく、沖野氏の批判は当っています。

註27:沖野眞巳「総務庁報告書の紹介と検討」(ジュリスト1158号72頁)

 4 もっとも、総務庁が見解を述べることには一般的に意味がある行為といえます。しかし、それがたとえ通達によるものであったとしても法的拘束力がないこと註28には注意しなければなりません。拘束力を持つ法律上の解釈は裁判所の専権であるため、類似の事例が裁判所で(好ましくは最高裁で)判断される必要が在ります。また、契約関係にあると認定した場合でも責任の軽減は可能ですが、これを立法によって解決したのは下述の「よきサマリア人の法」とよばれるものです。

訳28:昭和43年12月25日最高裁判決民集22巻13号3147頁。「元来、通達は、原則として、法規の性質をもつものではなく、上級行政機関が関係下級行政機関および職員に対してその職務権限の行使を指揮し、職務に関して 命令するために発するものであり、・・・・・・一般の国民は直接これに拘束されるものではなく・・・・・・また、裁判所がこれらの通達に拘束されることのないことはもちろんで、裁判所は、法令の解釈適用にあたっては、通達に示された法令の解釈とは異なる独自の解釈をすることができ、通達に定める取扱いが法の趣旨に反するときは独自にその違法を判定することもできる筋合である。」


第5 よきサマリア人の法

1 聖書(ルカの福音書)

 よきサマリア人の法(Good Samaritan Law)とは、聖書にでてくる挿話の一つがもととなった法律です。あるユダヤ人が強盗に襲われ倒れていたところ、人々は見てみぬふりをして 通り過ぎていました。ところが、一人のサマリア人だけはその者を助け介抱し、宿に運んで宿代まで負担したのです註29。当時サマリア人は、人種・宗教などの点から軽蔑されていました。しかし逸話から、「異邦人も また、あるいは異邦人こそが隣人であることが示され」ることになります。そこで「サマリア人と同じように真の隣人た[るべく]このような救助行為を促進するために、法が働きかけるとすると、どうなるか」という試みに始まった立法であるといわれています註30

2 アメリカ法

 現在、アメリカの全50州およびワシントンDC註31において「よきサマリア人法」と呼ばれる法律が制定されています。その歴史は1959年のカリフォルニア州に始まり、1987年に全州でそろったといわれています。内容は全般的に、応急手当をした市民に対する民事責任を免除する規定になっています。細かな要件などは州ごとに異なりますが、多くの州は、医師がボランティアとして救命行為をした場合を特に規定しています。これは、医師と患者との間には医療契約が締結されるところ、緊急状態などで、患者の契約の締結の意思がわからず、 後になって、治療拒否を主張した場合に問題となるため、その際の免責規定の存在が重要になります。このため、 医師の免責をはかることに力点がおかれていることが しばしばみられます註32

3 日本におけるよきサマリア人の法

 明文規定はありませんし、判例上このような行為についての責任軽減、救助義務などを求めるものはありません。なお、この立法化をめぐる議論もなされています註33

註29:新約聖書、ルカによる福音書第10章29−37.

註30:樋口範雄「よきサマリア人法(日本版)の検討」(ジュリスト1158号69頁)

註31:Washington, District of Columbia コロンビア特別区と通常日本語訳されていることが多い。

註32:樋口 前掲 71−72頁。なお(ジュリスト1158号72−73頁)

註33:久保野恵美子「良い隣人法(救急車到着までの救命手当に関する法律)案」(ジュリスト 1158号78頁)


第6 結論

 以上のように、応急手当によって生じた損害について、手当者が民事上・刑事上の責任を負うことは、通常の場合まず考えられません。民事上の責任について不法行為責任を問われる可能性が考えられますが、これら応急手当という行為についての違法性がありません。また、緊急事態において法律上なんら義務がないのに手当てを行ったことから、緊急事務管理に該当するため、害意・重過失がない限り免責されます。また、刑事上の責任については、過失致死傷罪の罪責が問われる可能性が考えられますが、「過失」の認定について「注意義務違反」の有無が問題になりますが、社会的相当な範囲であれば、「過失」は認定されず、責任は問われないと思慮します。


参考文献


救急・災害医療ホームページ/ □News from the GHDNet