中川 隆1, 谷川攻一2, 金子高太郎3, 美濃部 嶢4
1愛知医科大学高度救命救急センター, 2福岡大学病院救命救急センター, 3県立広島病院救命救急センター, 4財団法人日本救急医療財団
わが国では救急救命士が病院前救護の担い手として登場することに先立ち,平成2年度 厚生科学研究の報告として沼田らが1)「医療技術に係わる危険性の評価に関する研究─ 救急患者の搬送途上における高度救命処置について─」のテーマで気管挿管について, その重要性とともに技術習得は決して容易ではなく,十分なトレーニングが必須である ことを多数の論文を引用して強調している。
平成3年に救急救命士法が制定され,救急救命士は医師の具体的指示のもとで心肺機能 の停止した傷病者に対して器具を用いた気道確保,静脈路の確保そして電気的除細動の 3つの特定行為が行えるようになった。特定行為施行件数は毎年20%近く増加してお り、平成11年中の消防庁発表によると23,111件の器具を用いた気道確保が救急救命士に より行われていた。これはわが国で発生する院外心肺停止患者のおよそ3件に1件の割 合で器具を用いた気道確保が行われている計算になり,この特定行為が病院前救護にお いて重要な救命処置の一つとなっていることを示している。
一方,救急救命士による器具を用いた気道確保ではラリンゲルマスクエアウェイ,食道 閉鎖式エアウェイの使用のみが認められており,気管挿管を行うことは許されていな い。救急救命士制度が発足して10年が経過し,院外心肺停止患者の予後改善を目指す上 で気管挿管や薬剤投与などより高度な救命処置が必要であると指摘されてきた。しかし ながら,病院前救護の充実にはまずメディカルコントロール体制の整備こそが何よりも 重要と認識され,関係省庁,学会などで積極的な取り組みがなされようとしていた。こ うした最中,東北地方の一部地域において救急救命士が過去数年にわたり救急現場で恒 常的に気管挿管を行ってきた事実が明るみとなり,救急医療,消防関係者に大きな衝撃 と混乱を与えた。そこでわれわれは病院前救護における気道確保法について文献的考察 による再検討が早急に必要と考えた。
本稿では沼田らの報告以後に発表された多数の論文を中心に,病院前救護における気管 挿管について,Evidence Based Medicineに基づき考察と今後の方向性について述べ る。
欧米では病院前救護で気道管理に用いられるデバイスとしては,バッグマスク換気をは じめ,EGTA9-11),咽頭気管エアウエイ(pharyngeotracheal lumen airway (PtLA))11,12),LMA4,5),ETC11)などそれぞれ独自の工夫がなされたものが使用されて きたが,使い易さ,安全性,気道確保の確実性等においてそれぞれ一長一短である。
パラメディックやEMT(救急隊員)が気管挿管を行う場合,ここに紹介した論文13-22) では成功率は90%前後で概ね満足でき,合併症も許容でき,一部では転帰についても良 好な結果を得た9,23)と結論している。しかし,これらの多くの論文は対象となる患者 の背景が多岐にわたる。心肺停止症例に限られていたり9,10,12,15),一方では心肺停 止のみならず重篤症例も気管挿管の対象となっている論文も多々ある19,20,24,25)。ま た,対象が小児に限定されていたり26-28),筋弛緩薬を積極的に利用した気管挿管 26,27,29,30)や,航空搬送に関連した報告31-33)など実に様々である。
さて,病院前救護では気管挿管とLMAなど他のデバイスとの優劣を救命率だけで検証す るのは容易ではない。救命率では気管挿管が優れている9,23),バッグマスク換気と気 管挿管では転帰や神経学的評価において何ら有意差がない34)などの報告がある一方 で,重症症例であるがゆえに気管挿管の方が転帰が不良との報告もあり35),病院前救 護での気管挿管の有用性がなかなか見えてこない。しかし,現実的には国内のどの救命 救急センターや救急部でも最良の気道管理法として気管挿管が行われており,この手技 を病院前救護の重要な位置づけとして捉えるのに異論はなかろう。これを実践するに は,医師が現場へ出動するか,あるいは救急救命士が行うか議論があろうが,病院前救 護に積極的に携わろうとする医師を全国規模で確保するのは現実的にはかなり困難と考 えられ,やはり現時点では救急救命士がその任務を負うことが必要であるが,そのため にはトレーニング・教育システムの整備が重要となる。
パラメディックなどによる気管挿管を推奨する論文の多くは,当然ながらフィールド活 動の前にトレーニングとして,まず講義18,19,36),ビデオによる視聴覚教育37),次い でマネキン19,38),時には動物(ブタ)19)や新鮮な死体39,40)まで用い,最終的には 手術室等で実際にヒトを対象に気管挿管をさせている。しかしここでひとつ驚くべきこ とは,マネキン,動物(時には死体も)は救急現場での実際の気管挿管とは勝手があま りにも違い過ぎるとしても,手術室で課せられる挿管回数がせいぜい数回19,41)であ り,これでは満足のできる成果が得られるとは言い難い。日頃の臨床の現場で,研修医 の気管挿管の知識・技術の獲得の過程をつぶさに知るわれわれにとって,数回の挿管の 経験により即座に救急現場で的確な対応ができるとは到底考えられない。
しかしここで冷静に振り返ってみると,従来われわれが研修医に対して実践してきたト レーニング法そのものに,何か改善すべき問題点が隠れているのかもしれない。"とに かく現場であるいは手術室で場数を踏むしかない"といった考えがわれわれに根強く 残っているのも事実である。一方ここで紹介した多くの論文では数回の挿管経験で,あ る程度満足できる成果を挙げている。この事実をどう解釈すべきかが重要であり,効率 の良い教育・トレーニング方法について,今後検討すべきと考えられる。
いずれにせよ,手術室でのトレーニングは気管挿管の根幹をなすものであるが,いきな り手術室で麻酔症例に挿管を試みるのではなく,事前にマネキンなどによる十分なト レーニングを修了することが必須条件となる。最も重要なことは誰が,どのように救急 救命士の養成課程,就業前,継続教育のすべてに責任を持って指導するかである。即ち メディカルコントロールが重要なカギとなる。少なくとも手術室でのトレーニングは麻 酔科医の関与が必須であるが,全国約10,000名の救急救命士が対象となると,現実的に は麻酔科医の人的不足が最初に直面する問題となるであろう。また,気管挿管の正しい 手技と知識を修得できるかということについて,それぞれの救急救命士の適性や能力に ついても再評価が必要である。救急現場で救急救命士の行った気管挿管についての事後 検証も行わなければならない。病院前救護における気管挿管による確実な気道確保法の メリットは明らかであるが,それを安全・確実に行えるべく救急救命士を育成し,また 彼らによる医療行為の質を保証する体制を整えることが必要不可欠である。
換言すれば,現行の救急救命士の教育体制では,気管挿管とその確認法の十分なトレー ニングを積むことは極めて困難である。冒頭に触れた一部地域での救急救命士による気 管挿管の実態が正確に伝わってこない現状では,ともするとメディアの発信を鵜呑みに しがちであるが,われわれ救急医療従事者にとってはこれらの情報が正確かつ公正な視 点で伝えられているのか慎重な判断が求められる。
例えば「気管挿管は救命のためのやむを得ぬ選択であった」といった表現で伝えられてい るが,実際はどうであったのか。気管挿管に固執する結果,医療機関への収容の遅れは なかったか,unrecognized esophageal intubation(気づかれることのない食道挿管) についてはどうだったのか。
AHA(米国心臓協会)の心肺蘇生法ガイドライン2000 42)によれば気道確保の基本は バッグ・マスク換気であり,ラリンゲアルマスクなどのデバイスの有用性も大いに強調 されている。そして気管挿管については初期訓練と継続的な練習そして豊かな経験がそ の使用において不可欠であり,非熟練者は十分訓練を積んだ器具だけを使用するよう推 奨している。さらに,救急医療システムの一環として気管挿管を行うものの挿管施行回 数,成功率,問題点について記録を残すよう推奨している。非熟練者が気管挿管すると 口腔咽頭損傷,長い人工換気の中断,胸骨圧迫心臓マッサージ開始の遅れと中断,食道 または気管支挿管,チューブ固定の不備,チューブ位置確認の誤判断など多くの重篤な 合併症が発生する可能性がある。中でもunrecognized esophageal intubationの判断 (確認方法についてはCardosoらの優れたレビュー43)やTanigawaらの最新知見44, 45) がある)が極めて重要であり,これらの技術習得が決して容易ではない点を考慮する と,通常は救急現場では気管挿管が第一選択とはなりうるものの,状況によっては絶対 不可欠な気道確保法とは限らないのである。
最近の米国からの報告46)では,unrecognized esophageal intubationをはじめとする 不適切な挿管の発生率は実に25%であったという驚くべき報告がされている。これは教 育体制や個々の症例の事後検証システムが十分に確立されていない結果であり,メディ カルコントロール体制の不備が最大の原因であろう。
今回の"救急救命士挿管問題"については現在調査が進められているようであり,事態の 推移を冷静に見守るべきであるが,単なる事実関係の調査に留まることなく,当該地域 以外の救急医療関係者らによるpeer reviewを詳細に行い,十分な検証を経た上で実態 を明らかすることが何よりも肝要である。
1:病院前救護における気道管理の手段として,気管挿管の必要性は明らかであり,そ の実施へ向けてわが国でも早急に対策を講ずるべきである。
2:わが国の実状を考慮した場合,心肺停止患者に対しては救急救命士が気管挿管を行 うのが最も現実的であり,以下の条件が整えば「心肺停止症例に対する救急救命士によ る気管挿管」は可能と判断する。
3:救急救命士が気管挿管を行うためには,
2):地域救急指導医は所轄消防本部と緊密な連携のもとに,気管挿管実施を含めた救急 救命士による医療行為について監督体制を敷く。特に救急指導医は教育研修プログラム 作成に中心的に携わるとともに,救急救命士の適正について判断し,彼らの行う医療行 為について詳細な事後検証を行うことにより,最良の病院前救護が行えるよう指導責任 を持つこととする。
4:一地域に留まらず,全国規模での救急救命士の特定医療行為における事後検証や EBM確定のために弛まぬデータ集積を行うことが重要で,共通のデータ・フォーマット/ テンプレートの作成および記録,さらにその解析が今後の病院前救護の方向性を探る上 で重要となる。
なお,この論文の要旨の一部は厚生科学研究費補助金(医療技術評価総合研究事業)に よる「病院前救護の向上に関する研究(第1・第2・第3年次研究報告書)」に収載さ れ,病院前救護体制のあり方に関する検討会報告書(平成12年5月)において参考資料 として報告されたものである。
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